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2008年12月10日 (水)

美濃守は誰か 乙四郎語録13

八女戦国百首和歌「夏日侍」をよむ

       竹橋乙四郎

宇佐鑑述(あきのぶ)物語

鑑述については情報が極端に少ない。
1555年の八女戦国百首の代表者として、美濃守源鑑述。
家系図らしきものに、豊饒直弘から伸びた線上に、天文頃、美濃、鑑述とある。
「1550年、大友方の豊饒美濃守が筑後の溝口城を攻略」という記述を見つけた。
そこで溝口城を調べてみると、溝口城址と思しき筑後市溝口地区に竈門(かまど)神社がある。そして1561年の由原宮大神宝物の調進者に竈門(かまど)右京亮宇佐鑑述(あきのぶ)とある。繋がった。
ところが、豊饒美濃守が溝口城を攻略した、まさにその頃、一萬田が橋爪に改姓して「橋爪美濃守鑑実」とある。美濃守は鑑述なのか、鑑実なのか。それとも鑑述と鑑実は同一人物なのか。そういえば、大学の文芸誌を編集していた頃、作品が思うように集まらなかったので一人でいくつかのペンネームを使い分けた経験がある。橋爪鑑実が乙のご先祖様でDNAを共通にしているのであれば、あり得る思考。右代表を務めるほどの人物の実像の記録が全くないのも頷ける。そもそも「源鑑述」なんてペンネーム臭い。「鑑」が付く戦国武将をずいぶん検索したが、鑑に源の姓が付く例は、蒲池鑑守が石銘に「蒲池武蔵守源鑑盛」と書いた例のみしか見つからなかった。もし同一人物とすれば、鑑述の歌と鑑実の歌を組み合わせて、いろんな暗号遊びができる。後日発表。
ところで、検索の副産物として、面白いことを発見した。「溝口城」というところで、過去、何度も攻防戦が繰り広げられている。古くは、1351年に懐良親王が溝口城を落としている。
「興国元年(一三四〇)後醍醐天皇の皇子の懐良親王は、九州平定のため西下興年三年に西国から九州へ向かい、薩摩に上陸し谷山城に入って六年間滞在、正平二年(一三四七)肥後の隈府城に入った。同六年、五条・菊池・恵良氏らの勢を督して北上し、筑後国溝口城を破り瀬高庄を経て筑後国府に入った。」
この懐良親王の後継者として九州入りした良成親王の后が産気づいて亡くなった場所が姫御前岳。繋がった。
1525年にも溝口城は、大友謀反勢が籠城して、大友に攻撃されている(筑後動乱)。
溝口城には支城(小田城)もあったそうな。溝口城って何だ?

かささぎの旗管理人言:

しらんけど、かまど神社はさいきんばどさんがいったとこじゃなかった。ブログにあった。のんだくれ博徒。いまは「輪のぼやき」といいます。そばをたべたとかかれていました。いま有縁の友は昔も大昔も有縁の友だろうよ。
私も昔、夫が連れて行ってくれたことがありました。宝満山のふもとにある。チェーン店、ってかチェーン神社。笑

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コメント

おつしろう
瀬高しょうをへて筑後國府に入った というが 筑後國府とはどこだか知ってるなら教えてくれ

1555年(天文24)前後の社会情勢

田尻親種・鑑種の親子が活躍した時代。鑑実の物語にも鑑種が登場したが、高橋鑑種は謀反で兄の鑑実に討伐されている。田尻鑑種とは別人物と思われる。
1534年(天文3)
大風37回も吹き、米穀類一粒もなく天下大いに飢饉し万民餓死す。
大友義鑑(よしあき)は肥後の菊池氏に実弟を養子に出し、肥後国の支配を目論んだが、弟に反逆され窮地に立つ。筑後の三池、西牟田、蒲池、溝口、河崎氏らが反大友同盟を組織し菊池氏に味方する中、田尻親種(ちかたね)は起請文を送り大友義鑑に忠誠を誓い、終始大友氏を助け、恩賞として山門郡大和町の鷹尾に250町を与えられる。
1536年(天文5)
田尻親種は、大友義鑑に鷹尾に築城申請。
1537年(天文6年)
田尻親種は大友から承諾を得て、築城をはじめる。
1546年(天文15)
田尻親種は脳卒中で中風に。
1547年(天文16)
田尻親種は嫡男宮七郎を9歳で元服させ、家督相続の許しと鑑種の名を義鑑よりもらう。
1548年(天文17)
田尻親種は新しく完成した鷹尾城に移る。
1549年(天文18)
田尻親種は菊池と竹井原で戦う。
肥前龍造寺が筑後侵略する。
肥後菊池が筑後侵略する。
1550年(天文19)
大友義鑑はお家騒動で死亡(二階崩れの変)。
肥後菊池に味方する筑後の三池・溝口・西牟田の各氏に鷹尾城を攻められ、田尻は籠城。
田尻親種の弟の田尻鑑乗は溝口の陣に討って出て勝利。蒲池鑑盛の援軍で西牟田氏は降伏し、菊池義武も殺害される。
竹井原で三池親員と田尻親種勢が合戦。
1552年(天文21)
春から夏にかけイナゴ被害で不作、餓死するもの多し。
1553(天文22)
田尻鑑種14歳で軍功。大友義鎮(よししげ)は田尻鑑種に筑後国内の30町を与える。
1555(天文24)
八女戦国百首。嵐の前の静かな時代。
1559年(永禄2)
蒲池鑑盛、柳川城の改築拡張を行ない、蒲池氏の本城とした。
肥前龍造寺、蒲池を味方にして筑後侵入をはかる。清水寺が焼かれる。
肥後菊池氏、筑後に侵入して各地に合戦おきる(鷹尾城、溝口のとりで、梅尾城、竹飯原、今福城、南関、浜田城、江浦城、堀切城など)。
1564年(永禄4)
大友義鑑の子義鎮(よししげ)(後の宗麟(そうりん))が、田尻親種の活躍で菊池を倒し、肥後・筑後の分国化を完成。筑後国を平定する。
1570年(元亀元年)
大友宗麟は龍造寺を攻める為、大軍を高良山に陣をもつ
田尻親種は肥前勢との戦いで深手を負い、居城鷹尾にて死亡。田尻鑑種が跡目相続。
毛利元就が九州から撤退。大友義鎮は豊後、豊前、筑後、筑前、肥後、肥前、日向、伊予半国を領する最盛期。

なお、田尻鑑種の姉は蒲池鑑盛の妻。蒲池・田尻両家は親類だらけ。
1581年(天正9)
田尻鑑種が蒲池一族を攻める。

追記:鷹尾城の古図が出てきた。乙の根城は鷹尾城の中。
    ↓
 

筑後國府
「1394年~応永の頃はみやま市西部と柳川は蒲池氏、みやま市中部は神領(鷹尾神社)、みやま市北部は溝口氏と壇氏、みやま市東南部は田尻氏が支配していた。」とあるので、位置関係では鷹尾神社あたりでは。

なるほど
アンタが解読者に指名されたのも 運命だったんだね

それと 西牟田氏 去年このblogに来てくださいました
ここと頁指摘したいけど あした朝までパソコン使えません
西牟田靖さん

美濃守

美濃守というのは官位。
天文年間に次のような人物あり。

原虎胤
生誕 明応6年(1497年)
死没 永禄7年1月28日(1564年3月11日)
官位 美濃守

美濃守の官位を1527年に斎藤基雄から引継ぎ、死(1564年)後、馬場信春が引き継いだようである。従って、1555年の時点の美濃守は原虎胤。九州に縁のない人。
おかしい。この官位は乱発官位かも。

わかった。自称官位かも。以下、引用。
「戦国~安土桃山時代の武家官位」(Wikipedia)
戦国時代になると幕府の権力が衰え、大名が直接朝廷と交渉して官位を得る直奏のケースが増加することになる。朝廷が資金的に窮迫すると、大名達は献金の見返りとして官位を求め、朝廷もその献金の見返りとし、その武家の家格以上の官位を発給することもあった。たとえば左京大夫は大名中でも四職家にしか許されない官であったが、戦国期には地方の小大名ですら任じられるようになり、時には複数の大名が同時期に任じられることもあった。官位は権威づけだけではなく、領国支配の正当性や戦の大義名分としても利用されるようになる。(中略)
一方この時代には、朝廷からの任命を受けないまま官名を自称(僭称)するケースも増加した。織田信長が初期に名乗った上総介もその一つである。また、官途書出、受領書出といって主君から家臣に恩賞として官職名を授けるといったものまで登場した。豊臣秀吉が織田家重臣時代に使った筑前守もこの一つと考えられる。

臼杵鎮続物語
永禄の頃、臼杵鎮続は大友家の志摩郡代、柑子岳城城督として豊後より召し出されていた。
主として、大友氏の筑前西部経営に尽くした。永禄末年から元亀年間に博多合戦・志摩郡防衛に活躍し宗麟から感状を受けている。
志摩郡は、古く、蒙古合戦の恩賞にて大友家が領した地。
当時、大友宗麟は、毛利元就と博多の支配権をめぐって熾烈な戦いを繰り広げていた。宗麟は、博多周辺に立花山城、宝満山城、鷲ケ岳城、荒平城とこの柑子岳城を大友五城として諸将を配し、博多を守備させていた。柑子岳城は、筑前の西の地を抑える重要な拠点であった。
志摩郡は、今津から加布里へと通じる水道によって、対岸の怡土とは隔たれていたが、この頃には泊、志登の辺りで怡土と繋がり、半島の様を呈していた。低い山地の間の沃野には田畑が広がり、里々には泊、由比、波多江、中村、元岡、小金丸、馬場、松隈といった土豪が栄え、それらの諸家は「志摩衆」として臼杵鎮続の支配の許に在った。
元亀二年、臼杵鎮続は、大友宗麟の命で志摩郡代の職を解かれ、豊後に戻る。
(筑前国続風土記)

春・夏・秋・恋・雑のそれぞれの部の冒頭歌は鑑述か鑑実だが、冬の部のみ鎮続が担当。

九州の美濃守
検索一位
二位はここです。
二位の人の墓所、宮崎の串間市ってかいてある。
あしたうちへくる予定の娘婿の故郷だわ。。。

今日はここが三番目にアクセス多し。
二位は診療報酬のおおもとにある人員配置のです。

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