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2008年12月23日 (火)

荒木田守武 乙四郎語録24

荒木田守武

  『荒木田守武』平成11年8月8日発行
 編集: 俳祖荒木田守武翁顕彰会

松尾芭蕉えがく『荒木田守武肖像画』 神宮文庫蔵
題字 守武翁の自筆署名(世中百首) 神宮徴古館蔵

八女天文年間百首和歌「夏日侍」をよむ

     竹橋乙四郎

▼ 飛梅

伊勢神宮の宮司、渡会春彦(別称、白太夫)は、菅原道真が左遷(西暦901年。右大臣から筑紫国太宰員外帥へ)される折、形見に秘蔵の梅と松の鉢植えを託された。


<東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ>


 一年後、道真が白太夫に托した松が枯れた。管公の身を案じた白太夫は、梅鉢をかかえ、農夫を装って道真のもとへ。会った事が知れると罪に問われる白太夫の身を案じて、道真は「都の梅が一夜のうちに飛んできた」と周りの者に告げた。
これが、伊勢神宮からはるばる太宰府まで飛んで行った梅の伝説。
そして、荒木田守武が天文9年(1540)に出したのが、独吟千句集「飛梅の巻」。

<飛梅やかろがろしくも神の春>

この天文9年というのは、山崎宗鑑が没した年。宗鑑の句に<うずききてねぶとに鳴や郭公>というのがあるが、「卯月が来て声太く鳴いているのはホトトギスですよ」という意の他に「根太(=腫瘍)が疼いてきて泣いているホトトギスさんよ」という、親しい荒木田守武の病気(根太)を案じたものでもあるとか。1528年から讃岐国に籠もっていた宗鑑と交流が深かったということは、守武が宗鑑を慕って西方へ旅することもあったのかも。宗鑑はできもの(ヨウ)を患って香川県で亡くなっている(辞世は<宗鑑はいづくへと人の問うならば ちとよう(ヨウ)がありてあの世へといへ>)ので、宗鑑の見舞い(あるいは葬儀)のために香川県へ出かけ、そのついでに太宰府へ行った可能性もあるのでは。

挿絵入り、宗祇と守武の作品
   ↓

http://www.bekkoame.ne.jp/ha/a_r/sinhakken_081-085.htm

いちばん下の絵の右二つ。資料No.85

かささぎの旗管理人:

そのうたは、そういう背景があったの。へえ。しらなかった。よくおぼえていないのですが・・、落花枝にかえるとみえて蝶ちょかな*・・みたいな句。これも守武だったでしょうかね?四年前八女市制50周年記念で高橋睦郎先生が講演なさったとき、この句をとりあげて、これが西洋詩のイマジズムに影響を与えた。とおっしゃいました。エズラ・パウンドらの。

* 落花枝にかへると見れば胡蝶かな  荒木田守武

エズラ・パウンド:http://www.columbia.edu/cu/ealac/japanese/05S04.Essay.html

上から五番目 ザッカリカー “Pound and Profound”

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コメント

飛び梅と聞いてまず思い出すのは、以前加入してた「毎日新聞ペングループ」のこと。1年に2回、同人誌みたいなものが発行されていて、その冊子名が「飛び梅」だった。母の従妹のさだかりさんがしばらく代表をつとめられてた。そのころの名前を見知ったかたのお名前を最近西日本新聞でおみかけする。新聞投稿が趣味だったころ。図書券をもらうのがうれしくて。ずいぶん投稿もしてない。ぜんぜん関係ないハナシでごわした。しつれい!

おはようせいこさん。
とびうめでんせつ、梅が菅公を慕ってとんできたというのは知っていたけど、なぜか大阪の北野天満宮からと思い込んでた。ちがうんだ、いせだったとはね。わたらいという姓は外宮の神官みたいなのにね。この外宮とないくうの関係も面白い謎がある。
吉野裕子の「隠された神々」なんど読んだことか。
この本をくれたひと、大分の巫女みたいな人で、とてもきれいな人だった。あかんぼととじこもっていたころです。東京から越してみえ、ずいぶん遊びに行ってはいろんな感化をうけた。
せいこさんも、投稿族だったんだね。毎日新聞ていってたよね。
朝日の地方版で二週間に一回のせてもらって、朝日選書の図書券がたくさんたまった。かたーい本ばかりだった。それがありがたかった。今おもえば。

飛梅といえば、書道用半紙に「飛梅」というのがあったような記憶が。今はミミズが這った跡のような(なんて言ったらミミズさんに失礼な)字しか書けないのだが、小学校の頃は、揮毫会で入賞して太宰府天満宮に張り出されたことがあった。その時に使った半紙。
かくも「飛梅」というのは筑紫人には特別の響きを持つ語彙。飛梅といえば天神様。
その飛梅が、俳祖荒木田守武の代表作の冒頭句で登場するとなると、守武と筑紫との結びつきを意識せざるを得ない。
守武千句の中にこんなのが。

そゞろには成もはる/\"太刀はきて
 天神さこそつらきみちのく

とんでも超訳:「みちのく」は青森ではなく、道の苦、あるいは未知の苦。
(本来の落ち着き場所ではないので)心が落ち着かない場所まではるばる七支刀がやってきた。いや、天神様のほうが辛い苦難を負っていらっしゃる。

守武千句
   ↓

守武千句の末尾句。

もゝだちをとりてこきやうへ帰りきて
 天文九年しぐれふるころ

やはり、守武は天文9年まで長旅に出ていたのでは。
ところで、先述のはるばる旅してきた「太刀」の句。気になります。
他に、太刀を用いた句にこんなのがあります。

きるといふこともいはぬはみやこ人
 旅と太刀とのゆくゑしられず

ヤマト朝廷による虐殺と七支刀の略奪か。伊勢神官は何でも知っている。
こんな句も。鷹が出ました。

鷹が音やあかつきをさしてかへるらん
 はげたる太刀のつぼめ鳴ころ

ほかに謎めいた句。

ぬれ/\も蘇民将来朽やらで
 なみのそこにも家つくる世

「蘇民将来」というのは、日本各地に伝わる説話。旅の途中でスサノオが宿を乞いた際、裕福な弟は断り、貧しい兄は粗末ながらももてなした。後に弟一族は滅ぼされたというお話。朝廷に逆らった高ピー磐井が滅ぼされたことを、それみたことかと揶揄しているのかも。
とんでも解釈:ところがどっこい、筑紫に来てみたら、磐井の末裔はしぶとく生き残っており、矢部川の底みたいなところに築城しようとしているではないか。

少人のいにしへ今のひとりごと
 いつかほうしのうかび出まし

とんでも超訳:今は、立場上、守武はひとりごとを言うしかないが、いつか宗祇法師みたいな方が語り継いでくれましょうぞ。

伝言版です。

せーこ様
学長から伝言です。
講演題目は
「異文化理解 ~この世界から戦争をなくすために私たちができること~」
ではいかがでしょうか、とのことでした。
伝言の伝言をお願いします。

ありがとうございますと、学長にお伝えください。
参加者の大半が年配者で、ひょっとしたら戦争体験があられるかたが多いのではないかと思われます。世界各国で、また、わたしたちが住むアジア圏内でどこかきな臭い風が吹き始めてきた感のあるこんにち。タイムリーな演題ではないかと思います。
個人的に聞きたいこと。
アジアと一口に言ってもそれぞれ共通性に乏しいですよね。それも隣り合う国ですら意思疎通が可能ではない。困難であります。世界的視野で考えれば、アジア諸国が共通理解しないとアジアという国の位置の向上というか、世界各国に太刀打ちできないのではないかとも思うのですが、最近の食料的な諸問題にも顕著であるように価値観の違いがここまであきらかになって、本当に理解しあえる日が来るのだろうかと思ってしまいます。理解しあえない根本的な要因は単に価値観の違いと決め付けていいのでしょうか。また歴史的な背景の認識の差と決め付けていいのでしょうか?素朴な疑問です。

いま、中国生まれの作家、ユン・チアンさんの「ワイルド・スワン」を読み始めました。かなりヘビーな内容です。歴史的背景がちょうど満州事変のころを読んでいますが、日本人としてしんどい思いにさせられる描写が多い。歴史的史実の重さ。ひさしぶりに時間がかかりそうな書物に出会いました。

いま何時?うわ。まだ四時。十五分ほど前に、もう新聞配達さんがバイクできてた。早いとはおもってたけど、こんな早いなんて。
あーはらへった。けーきたべよう。
原稿書きが二晩つづき、きのうは後片付けもそこそこにねてしまった。そしたら二時にめさめた。ねむれないので、起き出して記事を書いた。ああわれながら、なんと御ご苦労な。
せいこさん、なにか真新しい第一歩が始まりそうですね。みんなで楽しみにしています。時間が許す限りおつきあいいたします。
追伸
きのうボスのへやからものがなしい歌がきこえた。
なんだろう初めてきくうた。どこかしるびいばるたんのこえににてる。聞きますと、これはタガログ語で歌ってるあちらのヒット曲だと。おおフィリピンの。
ボスの妻子はフィリピンにいます。
私は人事と思えません。
にほんのおとこたちがかのちのおんなたちにうませたたくさんの子たちのきょうぐうをおもい、かつまた、中世の戦国の世に生れ落ちた子たちのきょうぐうを思い。
ねむい。

荒木田守武で、ここに編集紹介してくださっておりました。↓どうもありがとうございました。気がつくのが遅れましたことをお詫びいたします。

荒木田守武

検索三位

そうでしたそうでした。

さがしてくれてありがとう。

これから四年たったのでした。

ぬれ/\も蘇民将来朽やらで
 なみのそこにも家つくる世

これは霊的なうたですね。

今朝、トイレにおいている本を開いたら、ユダヤ人をたくさん助けた杉原千畝みたいな人のこと(でも外交官じゃなく関東軍軍人)が書かれていて、ユダヤ人の言い伝えに、東から救い主がくる、それはきっと日本の天皇だろうと貧しいグルジアの村のユダヤ人古老の言い伝えがあったうんぬん、てのがあった。
それをなぜか連想しました。

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