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2008年12月 9日 (火)

乙四郎語録 官僚番外編1

原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成六年十二月十六日)

(法律第百十七号)第百三十一回臨時国会
村山内閣
原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律をここに公布する。
<前文>
昭和二十年八月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。
このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し、医療の給付、医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。また、我らは、再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。
ここに、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する。
=======================

14年前の今日。何十何回目かの真珠湾の日。真珠湾と原爆との因縁。
平均睡眠時間が3時間を切る日々が数か月続いていた。自民党と社会党の接着剤的役割を果たしていた「被爆者援護法」。法案を煮詰める作業。法案の各条項は与野党調整の産物。
12月2日に衆議院通過。9日に参議院で可決。16日に公布。当時としては珍しく、法律に<前文>を盛り込んだ。条文ではないので法的拘束力はないが、当時の担当者の思いの丈をここにぶつけた。

   官僚時代回顧録 (竹橋乙四郎平成二十年十二月八日記)

かささぎはこれを読んで、昔専業主婦だった子守時代、熱心に読んでいた朝日新聞の投書欄で読んだ、ある官僚の家族の一文を思い出しました。政治家の裏で働く実務家集団について全くそれまで考えたことなどなかったから。この時期、夜も寝ずに毎晩法案を通すために働いている人たちがいることをそのときはじめて知った。

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コメント

やっぱり書かずにはおれない。
前文への思い。
日本国憲法には前文が置かれている。本来、編集をしてはいけないものだが、原文は誰でも容易に入手して検証できるものなので、要点だけを抜き取って紹介する。

日本国憲法前文(抄)
日本国民は、われらとわれらの子孫のために、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

これは、そもそもの憲法の制定趣旨を記したもの。個々の法律の場合は、法解釈上の誤解を避けるため、通常は、第一条に「目的」の条が置かれる。前文を置く必要はない。例外的に、たくさんの関連法の根っこを定める○○基本法(教育基本法、男女共同参画社会基本法、少子化社会対策基本法など)には前文が置かれることがある。具体的な規範を定める個別法では、極めて稀。
被爆者援護法は、被爆者を援護するための具体的な規範を定めた法であり、基本法ではない。この法は、主に「原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害に対する援護対策」を目的とした法律でしかなく「核兵器廃絶」は目的ではない。法律の所管は厚生省であり、核兵器廃絶は管轄外。通常の法構成だと、そのような文言を入れることはできない。
しかし、真剣に被爆者対策を行っている担当者は誰でも肌で感じていた。この世界から核兵器が廃絶されない限り、被爆者の心を援護したことにはならない。特に死没者は、いまだに死んでも死にきれない思いにあるはず。
幸いだったのは、この法案の取扱いが高度に政治的であったため、通常の政府提出法案の形をとらず、議員提出法案となったこと。縦割りの箍が外れ、法案審議の段階では「厚生省」という狭い枠組みに必ずしも囚われる必要がなくなった。
日本国憲法で「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と唱っているのに、その手順を具体的に定めた法は国際協力関連の法体系くらい。日本の法体系のどこかに「核兵器廃絶」の文言を盛り込むべきでは。
法律は、いかなる法律であれ、将来に渡って国民の行動規範となるもの。「核兵器廃絶」がどこかに唱われてさえおれば、誰かが「核武装」を言い出した時にブレーキとして役立つ。
被爆者援護法の前文から「原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害に対する援護対策」(本法の本来の主目的)に関する記述をあえて引き算して、もう一度、紹介します。法律という無味乾燥な世界にも、人間ドラマがひそんでいることを紹介したくて。
このような文言を盛り込んだ法律の誕生に関われたことを、本当に光栄に思います。

被爆者援護法前文(編集抄)
原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。
我らは、再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。
我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する。

追記:法制定に尽力された村山総理を尊敬します。若輩ながら、法案作成の過程で何度かその人となりに接し、被爆者団体と村山総理との意見交換の場で司会進行の大役を務めさせていただいたりもしましたが、この前文にせよ、村山談話にせよ、「後世への精神の残し方」に長けた偉大な政治家でした。

おつさんってばよ。
すごいしごとをしていたのですね。
あしたのしこみをしながら、はあーっておもった。

法律は夜中につくられる。

久々にそのことばを思い出しました。
机上論とかいう決してほめ言葉ではない言葉で語られる国家の法ですが、でも、それをつくるためには膨大な数字、つまり資料の解釈、査証がおこなわれ、語彙の検討も夜を徹しておこなわれるものなのでありましょう。

で、その机上論ですが。
法律には解釈論が不可欠。その法律をどう運用するのか。運用の仕方によってこそ、机上論ではなくなるのだと、一国民であるおばちゃんは理解いたしております。

でもねえ。ぶっちゃけたはなし。
法律をつくった側の人とさあ、地方のおばちゃんがつくったブログ内でこうやってレスのやりとりができるって、すごかねえ。乙さんと同じ時期にかささぎに居合わせたこと。感謝したい。

それとね。
おっとのしごとのことも、なにかかいてあげなきゃ、かわいそうかな。ともおもった。
うん。ここでバランスとるよ。かかせてくれ。

夫は、無口なのに、交渉術がとってもうまい。
今でも忘れない。
ばか母のかささぎが、さいごの子を優等生にしたくて、でも、ちょうど時代はゆとり教育全盛、きつい塾にいれしごいたもんだから、子はなにがなんだかわからぬうちに、こころの悲鳴をあげるかわりに、ともだちをいじめた。親子して、校長呼び出し。で、むすこをかばいに、夫が校長にあいにきてくれた。ある夏の日。子は六年生だった。
そのときの夫の話題の切り出し方、相手の話のうけ方。じっと相手の話に耳をかたむけ、そうですね。とあいづちをうちつつ、でも、うちの子はすなおでいい子です。そんなことをするにはちゃんと理由があったはずです。じつはこうでこうで。ときちんと徐々に相手を納得させてゆく。完全にさいごは校長も担任の先生も、うちの子をちゃんとうけとめてくれる態度に変わって、昔々の自分のこども時代の話までしてくださって、にこにこでした。歌までうたって。
あの時の夫のなんといいますか、わざ。
横にいて、じっと聞いていたわたしは、平伏するのみでした。
おわり。
    かささぎの夫解雇録、もとい、回顧録1

今月の課題句、「妻」です。参考にさせていただきます。

ああ。よか話じゃった。
じゃあ。わたしも夫解雇じゃなかった回顧禄。

うちのむすこ。反抗期が長かった。中2から高校3年生まで、一度も父親といっしょに食卓につけんかった。たぶん、つきたくても、つけんかったとやろうね。まったく口やかましくない、母の半分も口数の少ない父であるのに。

中学2年生まで、普通の成績だったのに、ある日をさかいにぐんぐん成績がおちて、目つきもどんどんきつくなって。トイレで肩がふれたといって友達をなぐり、あるいはクラスの掃除道具のはいった箱をぶっこわし、なんども学校から呼び出しをくらった。それも担任は高校時代の同級生ときたもんだ。ほんまにせつなくやるせなく。どこで子育てをまちがえたんやろうとまいにちまいにち母はじぶんをせめた。そんなある日、その息子のことで、母は夫をなじった。あなたが息子と話をしてくれないからだ、と。だからねじまがったんだと。夫は言った。
「あいつはねじまがっちゃおらん。心配すんな。まっすぐ育ちよる」

こどもをしんじる。
そのことがどんなことか、そのとき、口数の少ない夫から教えてもらった気がした。

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