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2008年12月 5日 (金)

千歳川  乙四郎語録 8

八女戦国百首和歌 『夏日侍』*

とんでも解釈 part 5

      竹橋乙四郎

    

千年川
一 君が代のためしにすめる千年川
かはらぬたねに春や立つらむ

千年川(ちとせがわ)が筑後川の古名であると初めて知った。
「筑後川」が公称とされたのは寛永13年(1636年)とか。
「ためしに」は何だろう。

年の始めのためしとて終なき世のめでたさを

の「ためし」だろうか。意味もわからず半世紀以上も正月を迎えていたことに恥じ入る。
検索したら、ためし=例、規範、模範 とあった。
「すめる」は、澄める

紫式部の歌
「くもりなく千年に澄める水のおもに宿れる月のかげものどけし」

「たね」は、人の心
古今和歌集仮名序の冒頭
「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」

君の時代のように筑後川が澄んでいる
変わらない人の心に春が訪れたのかも

ゆっくり暗号解読してゆきます。

* 原本は夏日侍。夏日待(なつひまち)。

かささぎの感想:

竹橋乙四郎、やってくれますね。
きのうは茶化してわるかったな。
おしえられました。正座しなくちゃいけない。
ほんものの古典学者みたいだな。
この世界、本物もにせものもないんだね。
探求心の強さこそがすべての世界。

かささぎは、この和歌をみて、まず矢部川を思いました。
八女の者には筑後川は遠く、身近なのは矢部川だから。
しかし、ちとせがわは久留米を流れる筑後川という。

連衆が八女の武士ではなく、もっと広範囲からやって来た、この一巻のための集団だったならば、第一首目に置くのには矢部川ではなく、やはり筑後川でありましょう。自分だけの狭い小さな視線ではなく、おおきな照り返しの視線をもった武士たちがこれを作成したことだけは確かです。
矢部川には江戸時代、柳川藩と久留米藩の藩境があって、殿様以下、鷹狩をしてはよくその領域でもめ、争っていた。ということを柳川の古文書館講座を聴講に通っていた頃、教えてもらいました。あ。ついでにいま、連句的に思った。鷹狩は、英王室の狩猟みたいな遊びだな。貴族的な「支配欲」をみたすところがあるんだろか。かささぎがイワイをスキタイみたいと感じる理由の一つが狩猟民ということで、狩をするからでしたが、、、これはまったく自分勝手な想像なんですけど。馬が似合うイワイには。はあ。すんまへん。ろまんちっくにかってにもってゆくなといわれそう。


名月は二つこそあれ一夜川  各務支考

美濃獅子門・各務支考がこちらの門人のところへ来た折、筑後川を詠んだものとあります。
いちやがわ。一夜にして川が表情を変えるから・・?
水量が雨が降ってくると見る間に違ってくる。流は龍。

美濃派。ししもん。かがみしこう。
芭蕉亡き後、全国を行脚、ししふんじんのはたらきをした。
http://www.nagaragawagarou.com/minohatoha.htm

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コメント

千歳川、そいけん、久留米の水天宮に軍艦千歳の慰霊碑があるとですもんね。
死んだ人の名前がいっぱい刻んでありますよ。

さくらさん
今朝慌てて打ちました あらとあとになって字の間違いにきづきました
千歳は千年が正しい
よみは同じでも
だけどミスしたおかげで さくらさんの慰霊ひの千歳搭乗員のことを聞けた

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