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2008年12月 1日 (月)

乙四郎語録 5

とんでも解釈「夏日待」

      竹橋乙四郎

磐井の君が栄えた日々を「春」とすれば、その後の日々は「夏」。
臺(台)国の面影は「松」(まつ)に偲ばれる。夏日松。
一 君が代のためしにすめる千年川
かはらぬたねに春や立つらむ
(磐井の君の代は千年も変わらず繁栄が続く春の始まりのようだった。)
二 さゝれ石の庭に小松を引き植ゑて
苔のむすまで友とこそ見め
(さざれ石が巌となって苔むすまで生えておいてほしいと祈りを込めて松の苗を植えた。)
三 朝夕に霞たなびく小松原
きみがちとせの春ぞ久しき
(植えた松の苗が広がる。磐井の君の春よ千年続け)
十七 岩に生ふる松にかゝれる藤なみも
をのれくだけて春ぞ暮けり
(しかし、春は終わってしまった。松は巌に生えているものの。)
十九 伊勢のうミや波よるもくさかきためて
くらす神代の春はいく春
(ご神体が遠く伊勢の海あたりまで奪い去られて、もう何年たったことか)
三十二 春秋をわけぬはかりか松がさき
氷室も夏をほかにこそもれ
(春だろうが夏だろうがお構いなしに松は生えている。)
四十八 あまてらす月を清水にうつしきて
猶かけまつる伊勢の神垣
(遠く伊勢にある御神体は、日向神社の天照大神だというのに。)
五十一 作りなす砌の菊のした水は
くむともつきじ万代のかげ
(万代の面影は尽きることはない。)
五十二 玉鉾の道の山かげふきおちて
をらぬ紅葉を袖に見るかな
(万代のかげ=山かげ=邪馬かげ)
五十五 山姫や手染の色を白妙の
雲の衣にかへてたつらむ
(邪馬の姫、卑弥呼は天女みたいなもの。)
五十九 かきくもる雪に出で立つ朝あけや
枩に花さく岡の辺の山*
(松が生えている岡に邪馬台国の証があるよ。)
八十一 得てうへし松にならへる君が宿を
猶すみよしの神や守らぬ
(祈りを込めて植えた松だから、磐井の君の居場所は神が守っているはずだ。)
八十二 きみが代を久しかれとて植へをきし
たけの臺のかげ越しぞ思
(「臺」の字が目に入らぬか! しかし、なぜ松ではなくて竹なんだ!!)
八十三 千代をかね松の下蔭苔むして
雨にいづれも色ぞまされる
(やっぱり松だよね。それにしても苔と台は似ている。)
八十五 ますらをが山分衣うちきつヽ
渡るや寒き岨の架け橋
八十八 せきもりの厳しく見ゆる陰ながら
行き過ぎ難き山さくらかな
八十九 これも又憂世をわたる心かは
賤が深田を越ゆる柴橋
九十三 すみなれて結ぶもいざや流れては
世にいづるてふ山川の水
九十四 けふは又山路の雪を知りそめて
かはる嘆きの袖のくやしき
(八十五~九十四 山=邪馬 大虐殺!)
九十八 岩つたふよ川の水のつふ/\と
とくをまことの御のりとぞしれ
(磐井の徳を誠の御宣と知るべし)
九十九 なべて世に神の恵みのはやくして
よろこぶ事をかさねつたへん
(はっぴぃえんど)

かささぎの感想:

一番問題なのは、この時代の武士はそういうことを知っていたのかということなのですが、おそらく伝説としてあったと思われる。そういうはなしが残っているのを読んだ記憶がある。こまかいことをたくさんつっこみいれたくなるんですが、けっとけっとばし、とんでもとんでもいいじゃないか!とうたいながらおどりながら(そこまでせん)ここに引きました。
とにかく世に知ってもらいたい一心。アカデミックな学者さんたちの倉庫にいれたまんまがいちばんいかんちおもうけんね。どんどんとんでも説をだそうよ。新しく見えてくるとこもあるにちがいない。現に上記をよんで、出てくる植物に偏りがあるのがわかった。(小松を引き植えるというのは、民俗学的根拠があるみたい。陰陽五行のおまじない)

「兵六万」があまりにもリアリティをもたらしたから。
ちょうど朝倉方面へ行ったことも連句的だった。
あのものすごく広いのっぱらに、兵六万と兵五万をいれて想像してみた。
リアリティはたいせつだ。
季節はいつだったろうとか。
かりいれはおわっていたろうか。とか。

篭城戦の外は稲刈り。だったり。

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コメント

とんでも解釈 part 2
特定の語彙の偏りに何か隠されたメッセージがあるのでは、というのが、とんでも解釈の出発点。「松」の他にも、「袖」「軒」といった語が何度も登場します。「萩」と「露」の組み合わせも。
<軒>
四 春立は谷のつらゝもうぐひすの
こゑうちとけて軒ぞながるゝ
二十八 夢にとふむかしの人の袖の香や
そのまま残る軒のたち花
三十 まバらなる賎が伏屋のかやり火の
軒よりもるヽ夕けぶりかな
三十七 ほのめかす軒端の萩を来てみれば
露うちなびく秋の初風
九十五 古をつみてや誰もしのぶ草
しげる軒端の見しこともなき
・・・と「軒」が99首中5つも。
37番に登場する「軒端の萩」、源氏物語に登場する空蝉の義妹の名前です。愛する人(空蝉)がいなくなって、代わりの人(軒端の萩)と契りを結ぶことになってしまったお話。
磐井の君がいなくなってヤマト朝廷に仕える空しさ。

<萩>
三十七 ほのめかす軒端の萩を来てみれば
露うちなびく秋の初風
四十一 龝の野や千草の色にひきかへて
錦をかざす萩の白露
四十三 さをしかの妻こふ野路の朝な/\
咲ける小萩の露こぼるらん
四十五 をく露は萩の上葉にとヽまらで
つれなく残る秋風のこゑ
・・・と「萩」は4回登場。すべて「露」とペア。萩は軒端の萩のこと。
ヤマト(代わりの人)朝廷では、いくら錦の御旗をかざしても空しいよ

<袖>
二十八 夢にとふむかしの人の袖の香や
そのまま残る軒のたち花
四十四 明更を遠方人のこころとや
雰うちはらふ袖のゆきかひ
五十二 玉鉾の道の山かげふきおちて
をらぬ紅葉を袖に見るかな
六十五 ふる雪に狩場の鷹の一つがひ
花をはらへる袖かとぞ見る
七十二 今は我見る目も隠す言ふ甲斐も
なく/\袖のうらなみぞたつ
九十二 中々にうき旅人にともなひて
わかるヽときの袖のくやしき
九十四 けふは又山路の雪を知りそめて
かはる嘆きの袖のくやしき
・・・と「袖」は99首中7つ。
92番と94番に「袖のくやしき」とありますが、袖がくやしい、というへんちくりんな用法が近接して2回も登場する。「袖」「くやしい」を含む本歌を検索したら、こういうのがありました。
くやしきぞつみをかしけるあふひ草
袖のゆるせるかさにならぬに(源氏物語?)
ところで44番に「明更」とありますが、類似語「朝更」が22番にあります。
二十二 詠(ながめ)よとおもはす露やかヽるらむ
おりにあふひの花の朝更
どうも「あふひ」(葵)がクンクンにおう。「袖」というのは、葵の柄の入った袖のことでは。
「袖」「あふひ草」で検索したら、こんなのも。
我が袖に神はゆるさぬあふひ草
心のほかにかけて見る哉(後京極院)
そういえば瀬高の七支刀人形にも葵の柄の装いの人がいたっけな。

そそそうかー!大発見じゃねーか
いよいよしちしとう人形ば見にいかんといかんね!本見つかった 人形の顔 なんといいようもありません 欲しいよう
みんなセットで千四百ななじゅうえんなら買って お守りにしたいけど

小松引くは、はつね(初子)の日のおまじないで、正月の季語。陽気発動。
検索では「長唄」にばっかりたくさん出てくる。

とんでも解釈 part 3
「軒(端)」という、花鳥風月ではない名詞が何度も登場することに疑問をもって part 2 の解釈を展開したのですが、なじみの百人一首の百番目に「軒端」がありました。
順徳院
「百敷きや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり」(続後撰集)
(古い軒端の忍草を見るにつけ、昔の華やかだった聖代がしのばれてならないなあ)
戦国百首の空席の百番目にぴったりはまりそう。
ところで順徳院には同意のこんな歌もあります。
「かぎりあれば昨日にまさる露もなし軒のしのぶの秋の初風」(続古今集)
これにはびっくり。「秋の(初)風」は、鑑述、鑑教ら7人が競って歌っている題材。35番には「昨日」、37番には「露」、偶然だろうか。

二十五(鑑述)
小山田の早苗むらむら色つきて
秋にまぢかきかぜそよぐ也
三十三(宗房)
をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空
三十五(嵐竹)
昨日までふくとも見えぬ秋風の
簾にさはる初秋の空
三十七(覚元)
ほのめかす軒端の萩を来てみれば
露うちなびく秋の初風
三十九(鑑栄)
花すヽき音信わたる秋風に
あだにやなびくゆふ暮の空
四十五(鑑實)
をく露は萩の上葉にとヽまらで
つれなく残る秋風のこゑ
五十三(鑑教)
種まきし難波の小田は夢なれや
をどろきあへぬ秋かぜの音

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