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2008年12月31日 (水)

乙四郎語録  とんでも対話篇4

八女戦国百首和歌「夏日待」をよむ

        

隠された郷土史、とんでも探検隊

▼  竹橋乙四郎       

とんでも楽しい

  ↓

http://www.ican.zaq.ne.jp/rekishi/episode15.html

▽ かささぎの旗管理人

私が引用した太田龍という人の本にもそれは載っていました。説得力があった。

「高良山物語」で、わからないのは、高良山にまつってあるという荒木田襲津彦(あらきだ・そつひこ)。この襲は熊襲を連想させるし、祖とも読める。伊勢神宮の代々の内宮神官が荒木田姓なのはなぜかとあわせて、どういう関連で高良山に祭られ、どういう素性の人だったのかを知りたい。五百年のあいだに失われたものの大きさよ。高木神社も高良山にありますよね。麓近くです。

追伸:古田武彦サイトで古賀達也というネイティブクルメリカンらしき人の

1『
玉垂命と九州王朝の都』

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/koga24.html

2『高良玉垂宮と七支刀』

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/koga25.html

3『高良玉垂命の末裔 稲員家と三種の神宝』

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/koga26.html

なる一文を発見しました。
かささぎは使命として、指名させていだだきます。

1担当、ぼん。地元在住であるから。
2担当、乙四郎。七支刀、太神の関係から。
3担当、整子。地元だから。

あと整子さんのお仲間の音火子さんに、資料はないか聴いてくれん。
同じ古賀姓の広川邑の人が登場します、「高良山物語」。
みんなでやれば、こわくない。なにか発掘できそう。
ばどさんもかまど神社関連調べてくれるとありがたい。
おーいおっさーん おっさーん げんきかやー げんきかやー
ソランさん、生きてる。大分関係をやりませう。
しもげぐんとかみげぐんってあるけど、毛ってなに。
ちょっとどぎまぎするよね。え。しないってか。
中世の八女から豊後へ抜ける道を知りたい。

ということで、打てば響くたいこのかわ。ぼーん!

▼ 三潴邑高三潴在住の八山呆夢:

私たち夫婦の仲人をしてくださった方が三潴の歴史に詳しい方です。
三潴町史の編纂にもたずさわっておられたのですが、高齢ゆえ、現在は老人ホームに入っておられると思います。
奥様も非常に頭の良い方で、いつも相談にのっていただいていたのですが、数年前になくなられました。
御塚(おんつか)や、月よみ神社は子供たちが通った幼稚園の隣にあり、現在は公民館もたっていて、地域の広場になっています。中央公民館に出向いてお話を伺う事はできると思いますが、歴史に弱い私、お役に立てるかどうか・・・お正月休みで公民館も閉まってますので、年が明けてからなんらかの行動を起こしたいと思います。

うちのばあちゃんが、弓頭神社(高三潴にあり)は高良山より位が上だから・・・とよくいいます。ここにもなんか碑があったので、よく読んできます

▼  竹橋乙四郎

年末スペシャル


うけうり・とんでも説のうけうり補足

モーセは日本の神から授かった十戒をユダヤ民族に与え、イスラエルを去ったモーゼは日本に帰って石川県の宝達山の麓(現在、「モーゼパーク」として整備されている)に葬られた。
キリストの墓は青森県三戸郡新郷村大字戸来にある。キリストは21歳のとき日本に渡り、12年間神学について修行を重ね、34歳のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝導を行った。弟イスキリを身代わりに十字架の磔刑から遁れたキリストは日本に帰り、106歳で没した。118歳説もある。12年のズレ、ここにも。日本でのキリストは、伊勢神宮内宮の地の選定に功績があった。
パレスチナと日本との距離は1万キロ。1日に30キロ歩いたとして1年かかる。準備万端、ただひたすら歩くだけでいいのなら1年で日本に到達することができるが、現実には食料を調達しながら寄り道や回り道を余儀なくされるし、天候や地形にも左右される。十年がかりで実現できるかどうか、といったところだろう。○○や△△がその生涯に日本を往復していたというとんでも説は信じがたい。
対し、古代、○○部族が日本に来ていたというとんでも説は頭ごなしに否定はできない。民族は、少しずつ行動半径を広げながら移動する。1日に100メートル移動したとして、1年で36.5キロ、三百年で1万キロ。紀元前1020年にイスラエル王国を構成していた12支族の一部が、三百年後に日本に到達していたとしてもあり得ない話ではない。

 イスラエル王国の12支族のうち2支族は1947年に再建されたイスラエルの国民となったが、他の10支族(割礼の習慣がない支族)は行方不明。終末の日には12支族が結集してイスラエル民族の栄光の日が来るといわれ、ダビデ王の子孫からメシア(救世主)が出現すると聖書に預言されている。終末の預言の成就を願うユダヤ教世界では失われた10支族の行方を捜す調査機関(「アミシャーブ」)もある。日本には12支族すべてが揃っている可能性があり、終末の日にメシアが出現するのは日本ではないかとも。10支族が失踪したのは紀元前721年。支族を率いたのは、預言者イザヤ。日本の国の始まりはイザナギ、イザナミ。神武天皇の誕生は紀元前711年。古代ユダヤ人は黒髪・黒目の褐色の人種で、背が低かった。神武天皇の和風諡号である「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」はヘブライ語で「サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者」という意。

さて、もうすぐお正月。年末の大掃除はユダヤの習慣でもある。
ユダヤの過越祭(すぎこし:新年のお祭り)は7日間。丸く平べったい種なしパンを祭壇の両脇に重ねて供える。
エルサレム神殿の門(ヘブライ方言でトリイ)には16弁の菊花紋が刻み込まれている。
移動式神殿(伊勢神宮の遷宮みたいなもの)や古代イスラエル神殿では、入口に水盤がある。ユダヤにも、水や塩で身を清める禊の習慣がある。(ユダヤ人は体を洗ってから風呂に入る。他の西欧人はバスタブの中で体を洗う。)
水盤の次に、至聖所(拝殿)、聖所(本殿)と並ぶ。古代イスラエル神殿は木造建築で祭壇には常夜灯があり、神殿の前には賽銭箱が置かれていた。
ユダヤ教の祭司は初穂の束を揺り動かす。
そして、ユダヤ人はメズサ(護符、お守り)をゲットする。
生後30日目に赤ちゃんを神社(神殿)に初詣でさせる習慣は、日本人とユダヤ人のみの習慣。
ユダヤ人は13歳の男子に、成人を迎える儀式を行なう。日本の古来の元服式も13歳男子。
元伊勢の「眥(籠)(この)神社」の裏家紋は「ダビデ王の紋章(六竏星(六芒星))」であり、眥神社の奥の院である真名井神社の石碑に刻み込まれている。
伊勢神宮内宮と外宮を結ぶ参道の石灯籠にもダビデの星(GHQの圧力で刻まれたとの説あり)。
伊勢神宮暦は他の神社と違ってヘブライ暦(ユダヤ暦)と一致。
「東方の日出づる国」はヘブライ語で「ミズホラ」。
約束の大地カナン「カヌ・ナー」はヘブライ語で「葦の原」。
「ヤ・ウマト」は「神の民」。
行方不明の「契約の聖櫃(アーク)」は日本の神輿とそっくり。アークは金で覆われ、上部には2つのケルビムの像が羽を広げて向かいあう。アークの下部には2本の棒が貫通しており、移動するときには、レビ族が肩にかつぎ、鐘や太鼓をならして騒ぎ立てる。
ユダヤの“シオン(Zion)祭り”は、京都の祇園(ぎおん)祭りと同じ7月17日に行なわれる

<ヘブライ語講座>
アッパレ  栄誉を誇る
アラ・マー どうした理由・何?
アナタ   貴方
アノー   私に応答させてください
アリガトウ 私に(とって)・幸運です
エッサ   持ち運べ、持ち上げるぞ
オイ    泣く
オニ    私を苦しめるもの
オハリ   終端
グル    団結する
グル    回る
コラ    自制せよ
スケベー  肉欲的に寝る
ダマレ   沈黙を守れ・私に(対して)
ドシン   肥満
ノコッタ  征服した
ハッケ・ヨイ投げうて・よろしく
ヒリ    痛みを感じる
マズ    何?・これは
ワル    凶悪な者

▽ かささぎの旗管理人

年末に笑わせてくれますね。
でも、これは決してうそではない。ほんとうにあったはなし。
つがるさんぐんし。をよめば、そうおもえる。
あらはばき。のことも、やまいちこく(ときにやまたいこく)のことも、しょうとくたいしとわたしたちがよんでいる篤く仏教に帰依したてまつったひとのことも、すべて、なぞがとける。
筑紫にはじまった倭国は青森へ。

▽ かささぎの旗管理人のまとめのことば。

毎日毎日こうしんしました。師走。
いやほんとにまったくお疲れさん。
つきあって読んでくださった方々に心からの謝意を捧げます。
竹橋乙四郎にせかされてではありますが、実際はもっと奥にあるものにせがまれている。
出してくれ出してくれ。と、そのものたちがいうのです。
高良山物語を一気に読み、(わたしはまいにち高良宮のその御前を通って、というより、聖域を横切らせてもらって、一の鳥居の中を出入りするかたちで通勤している)、いくつも疑問がわいてきました。
中世の武士たちにあって、今のわたしたちに失われてしまった歴史感覚。

からだのおくそこからわいてくるもの。
それをたしかめに。

でかけようではありませんか。時空間の旅へ。

下準備:下のサイトを寸暇にによむ。

古田武彦サイトたとえば。
   東北の真実:http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinkodai1/furuta02.html

     

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コメント

乙的平成廿年戊子十大新聞
3月 2日 かささぎの旗を初訪問(2月22日付「同窓会」へのコメント)
3月 5日 「乙四郎」登場 「竹橋」姓は11日
(この頃、かささぎの巣はてんやわんや)
3月17日 大石政則日記(4月28日連載終了)に渋谷幽哉少尉(友人の父)
4月 1日 『くるす野』(6月1日満尾)開始 八女天文百首を知る
6月16日-26日 八女百首和歌集中連載
11月11日 「兵六万」に触発され、古代史に興味
11月28日 (古代史→君が代→)八女天文百首の謎がマイブームに
12月 9日 天文百首のキーパーソンが橋爪鑑実(ご先祖様?)であることを発見
12月10日 天文年間を読み解く鍵に「鷹尾城」。そこが自分の根城であることを発見
12月11日 「この時代にまだ俳諧はありません」発言に触発され、俳諧史と伊勢神宮禰宜荒木田守武が天文百首の謎と七支刀を読み解く鍵であることを発見。

よいお年を

>かささぎは使命として、指名させていだだきます。

1担当、ぼん。地元在住であるから。
2担当、乙四郎。七支刀、太神の関係から。
3担当、整子。地元だから。

あと整子さんのお仲間の音火子さんに、資料はないか聴いてくれん。
同じ古賀姓の広川邑の人が登場します、「高良山物語」。

ひえ~!斜め読みしとったけん、見落としとった。ご指名されてたんだね。わたくし。
広川町に古賀という行政区があります。役場の近く。稲員姓がとても多い地区。ここに古くからお宮さんがあって、たしか高良大社と浅からぬ因縁があったと記憶しています。まずはその資料を探してみましょう。教育委員会にあったと思うし、ひょっとしたら「広川町史」に掲載されてるかも知れん。
音彦山は「古賀姓」ですが、八女市のご出身でしてね。関係があるのかどうかは疑問です。が、彼は考古学がご専門。いや、古代ではなくって、おもに高良大社や善導寺さんなどの建造物がご専門でございますので、聞いてみましょう。なんか知ってるかも。

そういえばね、高良大社関係者に古賀さんっておじいちゃんがおったね、むかし。職員(宮司)さんじゃなくって、なんか研究者だか総代だかのおじいちゃんが。健在なのかなあ、ずいぶんおじいちゃんだったけど。

せぃこさん
これはもう運命
逃げられない感じ
ぼんのおばあさんがおっしゃった言葉は意外と大事なことかもしれないし
民俗学のフィールドワークに 古老の言葉というのが重宝がられるでしょう
年上と話してると思いもよらない所で意外な話を教えて貰えます

いまごろなんなんだけど、このやりとりをふりかえると、すごい因縁だとおもう。何の因果かってやつ。
乙四郎誕生の5日は、かささぎにとって人生で最悪から二番目の日だった。
ぼんのおばあさんのことばのいみ、今ならわかる、そこは景行天皇のむすこのお墓があるところだったんだね。
で、せいこもおとひこさんも、ふしぎと縁がつながっていたし、らんちゃんも。
九体皇子が荒木田守武の9兄弟っぽいことも、まだだれもきづいていないけど、それ、このやり取りの中から生まれてきた仮説だよね。すごい。

今日もう一つ、あっとおもった。
「ユダヤの“シオン(Zion)祭り”は、京都の祇園(ぎおん)祭りと同じ7月17日に行なわれる。」これ。
これをよんで、わたしは、ふたつのことをいっぺんにおもいだしました。
ひとつは、小倉の短大があったシオンの丘。そこをのぼって学校へ通っていたから。
いまひとつはもちろん、「れぎおん」。
この誌名はいまだになぞなんだよ。前田圭衛子師の命名だそうですが、意味はレジオンドヌール勲章のレギオンからきている。軍団。みたいな意味なのかな。聖書にもでてくるすごく霊的な言葉なんです。
それについて、かささぎの最初の師であった札幌の俳諧師窪田薫が書いた一文があって、それを丸写ししたい。こんどね。

香川のジャンヌダルクさんとつながったのはうれしいのですが、かささぎのパソコンはメール機能がいかれていて、あちらのブログにコメントを残すことが不可能でした。それで、こっちにひっぱります。
ここ、おもいだしました。
れぎおんとぎおんとしおんがつながっていました。
ジャンヌダルクさんブログのここと、この記事が響きあいます。↓

1年半ほど前のこの記事、見落としたのか気づかなかったのか、「太田龍という人」は「太田竜」と同一人物なんですね!!
私にとっての太田竜は『辺境最深部に向って退却せよ!』という本を書き(私の本棚に今もあるはず)、竹中労・平岡正明(この2人の本は20冊ぐらい所有)とともに「ゲバリスタ」「世界革命浪人」「3バカ」を自称・他称した(された)が、『水滸伝』に関わる共著を書くあたりから竹中・平岡とは袂を分かった、自称トロツキスト。武力も辞さぬアイヌ民族の独立回復を唱え、確かシャクシャインの銅像をどうたらこうたらという事件にも関わっていたのでは?
しかし80年代頃からはエコロジストに転向、その辺から以後は私の視界から消えていたが、何と晩年にはそんな「トンデモ学説者」になってたのか。チーットモ知らなかったワー。今からウィキペディア読んでみます。
竹中は既に10年ぐらい前に、太田と平岡は奇しくも同じ去年、鬼籍に入ってしまった。竹中・平岡は多芸多才で、特に若かった平岡には八面六臂の著作をまだ書いてほしかった。ちなみに私も彼の文体にかぶれて、一時期、文章書く時に「おいら」という一人称使ってました~ビートたけしの「おいら」はどうなのかな。
以上、あまり関係ないコメントでドーモすみません。

ろいりさん。太田竜をごぞんじでしたか。
おもしろいおっさんでしたね。
このころに書店で太田竜を発見、検索して見つけたブログサイトでは意外な年齢を知りました。もっとお若い方だという感じがしていました。
読んだ本は二冊、題名はユダヤのなんとかでした。なんとかといい加減に書いていますが、読後感はすばらしかった。目がさめるように面白かったのです。
ここで竹橋乙四郎さんがかいてくれてるヘブライ語と日本語、あるいはユダヤ教と神道との相似が、驚くほどそっくりで、これはなぜなんだろう。と血がさわぎます。


今日は堺屋で連句会、9時ちょっとすぎから四時まで、ずうっとその場を離れず、おひるはらんちゃんの作ってきてくれた愛妻弁当をみんなでたべながら、えいえいととまきました。たのしかった。だれもきてくれないのでは。という恐れは杞憂、ぼん、せいこ、絵目さん(お昼まで)、らんちゃん、と、みなきてくれた。音彦さんが従者としてつまについてきたが、すぐ帰った。(えー帰りもむかえにみえました。ふん)
とってもふしぎな気がしました。前ここで巻いたときをおもいだしたからです。おもいださせるような、萱の鉢が並んでいたから。
ときはながれますね。
こんないそがしいときにかぎって、
息子に久留米2往復させられ、もう限界だ。
せいこさん、桃、ありがとう、たくさん。
あんまりたくさんだったので、帰り、その家の前を通る乙四郎宅にわけてあげようかとちらと思ったけどやめて、こないだ多忙な中参加してくださった、たからさんちに半分わけてあげました。
そしたら、よしくんが、真っ黒に日焼けして、にこにこして出てきた、テニス部で活躍しているみたいです。
ときは、ながれています、すごくさらさらと。

これは面白いですね。
読まれていました。


滞在時間 7分30秒 閲覧ページ数 2ページ 参照元 荒木田そつ彦

あらきだそつひこ、から、飛びすぎですよ。

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