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2008年12月15日 (月)

暦感覚

天文二十四年 癸卯 卯月二十五日

これが八女戦国百首和歌の最後に記されている年号。
いまに置き換えるならいつか。
というのを昨日考えてみました。
捨て目を使うかんじで記憶のすみにとどめたい。
時間空間にシンクロという無意識の領域がある。
それを研究している気分になってきました。
最先端の学問をやっているなあという自覚が出てきました。
これ、とても大事なことかも。
名づけて、うーんなんにしよう。
ありあけ学。
トワイライトゾーン、さかいめの研究。

天文24年乙卯4月25日己丑小満

これが岩戸山古墳上の伊勢宮に伝わってきたという百首和歌「夏日侍」に付されていた年号を現代の暦研究書で調べなおした結果でてきた当時の日付です。

それがいまにおきかえたらいつかを調べます。
かささぎの数字は最近シンクロしていたブログ「き坊の棲みか」で換算してきたものです。

1、

かささぎ計算で5月25日、乙計算で5月15日。
誤差10日の原因は、かささぎ計算がグレゴリオ暦を用いているため。
天正10年9月18日(1582年10月4日)まではユリウス暦、天正10年9月19日(1582年10月15日)からはグレゴリオ暦です。ユリウス暦とグレゴリオ暦との差が10日。

天文年間頃の便利な換算表
   ↓

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コメント

八女天文百首は天文24年の奉納なのに、天文12年の干支の記載。謎深し。
古田氏の九州王朝説に推古紀の「12年のずれ」問題というのがあるそうです。
推古紀の“日本”の記録が12年ずれていると仮定すると、大陸側の記録との辻褄がぴったり合うという古田仮説。
推古天皇といえば、天皇号が初めて用いられた“日本”の君主。いわば日本の元号、暦の始まりの頃。こんな時に実年次が12年(干支の一巡)もずれているとしたら大変なことなので、古田仮説は総スカンを喰らっています。
なお、“九州王朝”には、それ以前から独自の九州年号があったとか。

とんでも仮説:
九州の知識人の間では、九州王朝以来の伝統を重んじる裏文化が残っており、大和王朝以降に使用を強制された元号を用いる際にも、レジスタンスとして九州王朝時代に用いていた12年ずれの干支を小さく付記した。

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