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2008年12月28日 (日)

嵐竹の庚申恋歌  乙四郎語録28

八女戦国百首和歌「夏日侍」をよむ

      竹橋乙四郎

干支の謎を思案中、八女百首の中に干支を詠み込んだのが一首あるのを見つけた。

七十三  来不逢恋  嵐竹
とひきてもねぬときなれやくやしくて
おもひわすれじ庚申かな

唐突な”庚申”の違和感。
荒木田守武の句の”天文九年”と相通じるセンス。
嵐竹というのは何者だろう。
鑑*や鎮*や頼*とは異なり武士らしくはない。
覚*や宗*や*亀や*寿のように坊さんらしくもない。
弘俊、孫七、牧也、弘智、通次、廣吉、藤次、述秀のような庶民名でもない。
ただ一人だけ俳号風の名前で異彩を放っている。
ここで、ひょんなことを考えた。
鑑述と守武とに親交があったのであれば、今伊勢宮へ奉納する百首のうちの何首かを守武にお願いしたりはしないのだろうか。実名は隠すとして。
荒木田の荒の音韻から嵐を連想した。
守武の武から竹を連想した。
とんでもひょっとして、嵐竹=荒木田守武ではなかろうか。

さて、庚申。
天文24年に最も近い庚申の年は、1560年と1500年。5年後か55年前。恋歌で、悔しくて思い忘れることができない年が未来だったり、そんな昔だったりというのは不自然。
「○○○年」と検索するとWikipediaではその年に起きた出来事が出てくるので便利。庚申の年を片っ端から調べてみた。1500年以前にはこれといった出来事はなかったが、ひとつだけ、720年に日本書紀完成とあった。
九州王朝の末裔にとっては、正史が権力によって捻じ曲げられた、悔しくて思い忘れることができない年かも。
古の栄光に浸る筑紫の人々の強い思いに接し、それを叶わぬ恋になぞらえて揶揄したのかも。

かささぎの旗管理人:

荒木田守武が庚申の夜に書いたのは、「世の中百首」。
それにしても、なぜ荒木田。本当は薗田姓なのに。
あらき。荒木。これ。どっかでなんかでみた。
なんだったろうか。
あらはばき。じゃなく。
うーん。おもいだせない。

▼ 以下、竹橋乙四郎引用。

荒木田と上津荒木(こうだらき)と荒木神社
『高良山物語』 倉富了一・著
                    

八十一  松   弘智

得てうへし松にならへる君が宿を
猶すみよしの神や守らぬ

八十二   竹    宗房

きみが代を久しかれとて植へをきし
たけの臺のかげ越しぞ思

81番の初五「得てうへし」、原書は、「恵てう辺(正字)し」。
かささぎは意味がとれず、ずっと思案しておりましたが、「得て植ゑし」だろうとおもいました。えちょうべし。では意味が取れませんし。(植えるは、旧かなですと、植ゑる。が、試験などでは正解とされるのでしょうが、実際、むかしの人の作品を見ているとさまざまな表記があります。俳聖芭蕉も間違っている。)

これで果たして正しいのだろうかと気に掛けていたのですが、この高良山物語を読んで、これでいいのだ。と納得しました。得て植えたのです。得て植える。妙な表現であり、妙な歌いだしですが、どこから得たのか。それはすっとばしても、当時のひとには常識だったからなのですね。すなわち、「こうだらき」=かみつあらき=神津荒木=上津荒木から。でも、まだなぞです。なぜ、荒き荒木荒木田姓なのか、荒木田守武は。

▼ だいすきな嵐竹さんのほかの歌二首。

山川のあさせも此の五月雨に
よしあだなミはたヽじとぞおもふ

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コメント

とんでも冗談的シンクロ

邪馬台国諸説の中に宮崎県の古墳群が。西都原古墳群。西方に男狭穂塚(おさほつか)、女狭穂塚(めさほつか)古墳。東に新田原古墳群、茶臼原古墳群。南に本庄古墳群。
この本庄古墳群がある宮崎県東諸県郡国富町には神社が25もある。筑後地方にも神社がやたら多いが、ここも辺地にしてはやたら多い。飯盛神社、日吉神社、菅原神社、大土神社、宇津野神社、八幡神社、川上神社、諏訪神社、金刀比羅神社、三島神社、大原神社、八幡宮、稲荷神社といったメジャーどころ神社が居並ぶ。
中に源王神社というのも。過去、いろんな有名人が立ち寄り、聖地が創られていったのであろう。そのほか、宮崎県ローカルのチェーン神社など、それぞれ由来がそれなりに推定できる神社ばかりの中、ふたつ、独自の名称の神社がある。ネット検索してもここだけ。神社ゆかりの祭事も伝承されているので、国富町内での位置づけは高い。
その、ふたつの神社とは
「嵐田神社」と「森竹神社」
嵐田森竹
荒木田守武が立ち寄った?

世の中百首
この百首をざっと見たくなって、京都大学のデジタルライブラリに行ったが、流し字がほとんど読めない。すべての歌に「世の中」が織り込んである模様、そのくらいしかわからないが、いずれにせよ、「世(の中)」は守武を意識する際のキーワードかも。
嵐竹の槿の歌にも「世」が織り込んであるが、他の戦国歌人はどうだろう。「憂世」などいくつかあるが、覚元の歌にこんなのがあった。覚元は、難波津の梅の花を詠んだ方。

六十四  神楽     覚元
祈てふ事はおろかにあらし世に
しらゆふかけてうたふ御神楽

あらし世に、というのがよくわからない(他のところもよくわからないが・・・)
そもそも仏僧(みたいな名前の人)が神楽を詠むのが変、というか妙に覚めている感じ。
「憂世」みたいな語は馴染みだが、「あらし世」という語はないのではないか。
「祈てふ事は、おろかにあらし」と前の語に掛けた意と、「あらし、世にしらゆふかけてうたふ、御神楽」と、後段の主語としての「嵐」。違うかっ。

絵入り世の中百首(東京学芸大学デジタルライブラリ)。少しは読める。
   ↓

白木綿かけて、というのは、紙垂(しで)をかけて。のもともとの形だろう。ちなみにかささぎのみょうなとんでも夫はこのしでをつくるのが得意。何流かはしらん。

いのりちょうことは愚かにあらじ世に
白木綿掛けてうたふ御神楽

かささぎはこう読んだが濁点はわざとうたなかった。
嵐世とかけているのがみえたから。
ちなみに、おつしろうが引いてくれたサイトの高良山物語の、元寇のところをよんでみんさい。元が攻めてくると色めきだって、まずなにをしたか。これが傑作。太神楽修行されんことを。と書かれている。太神楽とはなんぞや。と調べましたとも。なんのこたなか。うたえやおどれやのたぐいざんすよ。最前線で元寇をむかえうつのは、九州の筑後勢だったことをおもえば、ひじょうに切ないはなしじゃござんせんか。ううう
昔の人はなんばかんがえとっちゃろか。
まったくわからん。
でも、日蝕のときも似たようなことをしたことをおもえば、わかるような気もする。

この背景説明で、覚元の歌がすんなり頭に入りました。それにしても高良山物語、すごい資料を掘り当てたものです。地道に古文書を読み解いた汗の結晶なのでしょう。ネット情報のみに頼る自分自身が情けなくなる。
高良山物語には八女郡串毛村田代に神籠石があると書かれています。ここだけにある情報。串毛村というのは黒木町の前身の村のひとつ。
同じく、地道な努力が感じられるサイトを発見しました。山川町の郷土史研究家の故松尾龍城氏のライフワークによるものだそうです。ここには、ヤマトは「山内」に対する「山外」が転じたものとあります。
   ↓

荒木田と薗田
芭蕉研究者のページで、あれこれ調べている(らしい)のがありました。乙には、基本的素養の絶対的欠如で、ほとんど内容をフォローできませんが、関連部分を引用するとこんな具合です。
=======================
「蔦植えて竹四五本のあらしかな」〈野ざらし紀行〉があります。この「蔦」と「竹」はこれも「大和国」に飛び「葛下(かつげ)の郡竹の内」「竹のおく」「庭上の松」にいたります(野ざらし紀行)。またこれは「植え」で須賀川に行きますが、竹で「荒木田」です。これは「閑人の茅舎(ばうしや)を訪ひて」という前書のもので、この「閑人」は〈笈日記〉では「盧牧」です。盧牧は「伊勢の人なり。其姓氏を知らず」となっています(芭蕉全句)。これは一応、大淀三千風かもしれません。「其」=「薗」があり「薗姓で氏を知らず」とも読めます。荒木田は薗田と二つの氏姓があるのが、迷わされるところでもあり、解釈の広がりを促すものでもありました。
=======================
   ↓

うっへえ。降参降参。あたまがいたくなる。

ところで、守武翁の世の中百首は、伊勢論語として親しまれている・・と紹介されいて、どれもが説教調の句ですけど、つぎのは一つだけ、俗情がでてる。返し歌まであるのはこれだけ。つい本音を吐いたのでおおっと、と返しをつけたようなかんじ。笑
91、世の中に銭だに持たば芸能も
   いらぬと我は思ふべらなり
返し)世の中に芸能ありてその上に
   銭をば人の持たぬものかは
意味:
   二首で自問自答のうた。
   おかねがあったら、芸や才能はいりません。
   しかし、芸能があってその上お金があったらどんなにいいだろうか。

この歌をよんで、かささぎは、今年聞いた矢部村の椎窓猛先生のおはなしにあった、「庚申と降参」じゃなかった「恒心と恒産」のはなしを連想した。
恒心ありて恒産あり。ってことでした。

この歌と、もう一つ、おわりから三個目の歌
98、
世の中は身の上を知れ知れや知れ
知れや世の中知れや世間(よのなか)

もう自分でも世の中はってフレーズに飽き飽きしてやけっぱちになって連呼したかのようです。おもしろい。

神籠石があるという、八女郡串毛村田代。調べたら、姫御前岳の麓でした。広い地区なので、どのあたりが神籠石かは検討つかず。

突然ここにつながった。
そうか、じぶんは上津荒木にひっぱられていたんだ。こんどの職場、上津と荒木に院があります。

乙四郎の書いていた庚申の歌は庚申の年ではなく庚申の日のまつり。庚申の夜にねないで夜明かしをした。
旧暦はまるで入り子細工のようになっている。マトリョーシカ人形みたいになっている。

さくらさん、ここに来て急におもいだした。椎窓猛先生の特攻のご本、わたしはまだ求めていなかったことをです。なにか気ぜわしいのですよね。読まれましたら、ぜひご感想などをおよせください。

ええっ?

ここにしいまど先生が登場なさってる。
都会的な柔和なご老人ですね。

方々ご活躍のようで、太刀洗資料館に立ち寄られてそこに矢部村出身の海軍特攻隊員がいたことを発見され調査をされたようです。

あの海軍橋のある佐世保海兵団へ主人公は入るわけですが、そこで兄とも親とも慕うすべての教育を施す役目の教班長というのがいるんですが、それが原教班長というのが登場してどっきりしましたが別人のようです。
同時期父は原教班長だったから。

さくらさん、一年前の椎窓猛先生です。講演会で。

原という姓だったんでしたねえ、さくらさんは。
みーたんと同姓同名だったのもふしぎでした。

はりつけています。

同姓同名!
そうでしたか。強いご縁を感じます。
昨年の3月2日、かささぎの旗に実名で初投稿した時の短いコメントの一部です。

>上妻同窓会で臨席に座った妙子さんから、彼女の福島高校同窓かつ橋爪の福島中同窓の共通の知人たちの近況を聞き、はじめて美恵子さんの死を知りショックでした。美恵子さんと橋爪は、同級でもありクラブも一緒だったので・・・。同じくクラブが一緒だった千治さんの近況を妙子さんから聞き出し、昨日、千治さんと40年ぶりに再会することができました。

この「妙子」さんが東妙寺らんさんで、再会した「千治」さんが、佐賀県へ嫁いで美恵子さんの姓になっていて・・・
千治さんは、乙四郎の名前のルーツ、甲四郎先生の血縁でした。
この世は縁だらけ。

えっ!?
さくらさんの旧姓が、みーたんと同姓同名でいらっしゃる?
ああ、なんて不思議なご縁なんだろ。
甲四郎先生がおひきあわせくださった。
そうしか考えられませんね。

みーたん。同性にも、誰にも好かれるステキな女性でした。

>はじめて美恵子さんの死を知りショックでした

これを読んだ時、えっ?と思ったことをはっきり覚えています。

文字も同じだし、姓まで同じだったとは今しりました。
ほんと不思議なご縁です。

そいでね、今回またですが、ここに登場される椎窓猛さんから、全然別ルートでお手紙をいただいているんです。
矢部村の名士のようですね。
別ルートと言ってもかささぎさんと私が知り合った同じルートでです。

あ、そーか、みーたんってそういう意味か。

あなた方はどういう時間帯で生活をしていらっしゃるのやら。

みーたんと一度だけ久留米一番街をデートした事があります。日頃それほど親しくなかったので、なぜ私だったのか思い出せない。お互い独身で、決まった仕事をしていなかったからでしょうか。
彼女の恋愛の事を別の人から聞いていたけれど、何も聞けなかったことを覚えています。

山のむこうには幸せがあると
あのひとは手をふっていっちゃった
きっと忘れない迎えに来るよと
頬をつついたくせに帰らないの
夢のために愛を捨てて
それでいいのさみしいな
おんなのこだもの泣いた日もあるわ
だけど愛してたからあきらめるの

題をしらない。ミータンを思い出すと出てきます。
吉沢京子のファンでしたからね。
高校入学してまだ知らない子ばかりだった中、ねえねえ、あたしのことミータンてよんで。って言って近づいてきたミータン。ハラ、ヒガシ(らん)、ヒメノ、ホンダ(ぼん)の順だった席順。ミータンとはしづめちかちゃんがいつもいっしょに帰っていたので、ちかちゃんともなかよしになった。ちかちゃんはむさしの音大へ、みいたんは共立へいったのです、東京。二人で私の小倉の下宿をたずねてくれたことがありました。ちょうど、弟もおなじころにでてきてくれ、いっしょに到津遊園地にいってジェットコースターとか乗ったな。そしたら友達にばったりあって、だれ?ときかれたことまでも今思い出した。
久々に普段全く忘れていることを思い出した。
みーたん。
そういえばおとうとの命日はみーたんの誕生日とおなじなんだよねえ。
私の中ではいつまでもかわいい女の子のミータン。

亡くなった人は思い出すことが供花であります。
にしても、さくらさんが同姓同名とは。原。ちはるさんまでもいっしょとはね。

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