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2008年12月 2日 (火)

乙四郎語録 6

「八女天文歌人の百首和歌」
とんでも解釈 part 2

          竹橋乙四郎

特定の語彙の偏りに何か隠されたメッセージがあるのでは、というのが、とんでも解釈の出発点。「松」の他にも、「袖」「軒」といった語が何度も登場します。「萩」と「露」の組み合わせも。
<軒>
四 春立は谷のつらゝもうぐひすの
こゑうちとけて軒ぞながるゝ
二十八 夢にとふむかしの人の袖の香や
そのまま残る軒のたち花
三十 まバらなる賎が伏屋のかやり火の
軒よりもるヽ夕けぶりかな
三十七 ほのめかす軒端の萩を来てみれば
露うちなびく秋の初風
九十五 古をつみてや誰もしのぶ草
しげる軒端の見しこともなき
・・・と「軒」が99首中5つも。
37番に登場する「軒端の萩」、源氏物語に登場する空蝉の義妹の名前です。愛する人(空蝉)がいなくなって、代わりの人(軒端の萩)と契りを結ぶことになってしまったお話。
磐井の君がいなくなってヤマト朝廷に仕える空しさ。

<萩>
三十七 ほのめかす軒端の萩を来てみれば
露うちなびく秋の初風
四十一 龝の野や千草の色にひきかへて
錦をかざす萩の白露
四十三 さをしかの妻こふ野路の朝な/\
咲ける小萩の露こぼるらん
四十五 をく露は萩の上葉にとヽまらで
つれなく残る秋風のこゑ
・・・と「萩」は4回登場。すべて「露」とペア。萩は軒端の萩のこと。
ヤマト(代わりの人)朝廷では、いくら錦の御旗をかざしても空しいよ

<袖>
二十八 夢にとふむかしの人の袖の香や
そのまま残る軒のたち花
四十四 明更を遠方人のこころとや
雰うちはらふ袖のゆきかひ
五十二 玉鉾の道の山かげふきおちて
をらぬ紅葉を袖に見るかな
六十五 ふる雪に狩場の鷹の一つがひ
花をはらへる袖かとぞ見る
七十二 今は我見る目も隠す言ふ甲斐も
なく/\袖のうらなみぞたつ
九十二 中々にうき旅人にともなひて
わかるヽときの袖のくやしき
九十四 けふは又山路の雪を知りそめて
かはる嘆きの袖のくやしき
・・・と「袖」は99首中7つ。
92番と94番に「袖のくやしき」とありますが、袖がくやしい、というへんちくりんな用法が近接して2回も登場する。「袖」「くやしい」を含む本歌を検索したら、こういうのがありました。
くやしきぞつみをかしけるあふひ草
袖のゆるせるかさにならぬに(源氏物語?)
ところで44番に「明更」とありますが、類似語「朝更」が22番にあります。
二十二 詠(ながめ)よとおもはす露やかヽるらむ
おりにあふひの花の朝更
どうも「あふひ」(葵)がクンクンにおう。「袖」というのは、葵の柄の入った袖のことでは。
「袖」「あふひ草」で検索したら、こんなのも。
我が袖に神はゆるさぬあふひ草
心のほかにかけて見る哉(後京極院)
そういえば瀬高の七支刀人形にも葵の柄の装いの人がいたっけな。

とんでも解釈 part 3

      竹橋乙四郎

           
「軒(端)」という、花鳥風月ではない名詞が何度も登場することに疑問をもって part 2 の解釈を展開したのですが、なじみの百人一首の百番目に「軒端」がありました。
順徳院
「百敷きや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり」(続後撰集)
(古い軒端の忍草を見るにつけ、昔の華やかだった聖代がしのばれてならないなあ)
戦国百首の空席の百番目にぴったりはまりそう。
ところで順徳院には同意のこんな歌もあります。
「かぎりあれば昨日にまさる露もなし軒のしのぶの秋の初風」(続古今集)
これにはびっくり。「秋の(初)風」は、鑑述、鑑教ら7人が競って歌っている題材。35番には「昨日」、37番には「露」、偶然だろうか。

二十五(鑑述)
小山田の早苗むらむら色つきて
秋にまぢかきかぜそよぐ也
三十三(宗房)
をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空
三十五(嵐竹)
昨日までふくとも見えぬ秋風の
簾にさはる初秋の空
三十七(覚元)
ほのめかす軒端の萩を来てみれば
露うちなびく秋の初風
三十九(鑑栄)
花すヽき音信わたる秋風に
あだにやなびくゆふ暮の空
四十五(鑑實)
をく露は萩の上葉にとヽまらで
つれなく残る秋風のこゑ
五十三(鑑教)
種まきし難波の小田は夢なれや
をどろきあへぬ秋かぜの音

かささぎの感想:

おつしろうはえらいな。どんどんいっちまうな。
かささぎの友情として、編集してあげるまでのことはいたします。

じぶんは、なにもわからんのですが、ただ、この百首和歌を読んだとき、これらの歌を詠んだ武士たちは、どこの生れの人たちだったのだろうか。と思ったことを忘れない。かささぎには難波ということばがやけに目につく。それはつまり難波宮だろうから、そうか。そんなに古い時代なのかと感じたんだ。当時の感覚だとどうなんだろ。歌人の作歌法の常道として、古歌に学ぶというんだろうけど、なにしろかささぎは古典を系統立てて習ったことがありませんから、うかつなことはいえない。この時代のよその地に残る百首和歌がどんくらいあるのか、それを調べてみるとおもしろいことがわかるかもしれない。とは思っているけどね。

ま、うかつなことでもなんでも堂々といっちゃっていいよ。
だって、天下のどしろうとだし。これが非常にたいせつ。
地元に住んでいることは他のなにより有利と思うから。

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コメント

とんでも解釈 part 4
「難波」が2首。
七 心ある友としミばや難波津の
花もさかりの香に匂ふころ
五十三 種まきし難波の小田は夢なれや
をどろきあへぬ秋かぜの音
難波津、調べてみました。
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」(古今和歌集:王仁)
平安時代には「難波津の歌」と言えば「誰でも知っている歌」の代名詞とされていたそうな。競技かるたにおいては競技の開始時に難波津の歌を詠むことが通例とか。
さて、作者の王仁(わに)ですが、百済から日本に渡来し、漢字と儒教を伝えたとされる伝説的な人物だそうです。この歌は、仁徳天皇即位(313年)の際に治世の繁栄を願った歌。日本各地で「奈尓波ツ尓昨久矢己乃波奈」と記された木簡が出土。流行歌だったようです。
7番の歌の本歌は、きっとこれでしょう。前後の歌から、磐井の君の繁栄の様子。
53番の難波の小田。744年に難波行幸に際し鈴鹿王らと共に平城宮留守官に任じられた小田王(おだのおおきみ)という人物がいますが、ようわからん。
ところで、「うらなみ」も2首。
六十 霜さむきよるはすがらのうらなみに
なきたつちどりいづち行くらむ
七十二 今は我見る目も隠す言ふ甲斐も
なく/\袖のうらなみぞたつ
うらなみ、調べてみました。
「もしほ草 かくとも盡きじ 君が代の 數によみ置く 和歌の浦波」(源家長)
(海辺の藻塩草は取っても尽きないように、後鳥羽院の長い御代の内の詠まれる優れた和歌も私がいくら書き留めても尽きることがないでしょう)
これを本歌としたと思われる歌があります。八女戦国百首の少し後です。
「藻しほ草かきあつめたる跡とめて むかしにかへす和歌のうらなみ」
慶長五(1600)年、関ヶ原の戦いの際に、細川幽斎(藤孝)が城を包囲された。朝廷は、万一幽斎が死ねば古今伝授が滅亡するのをおそれ、勅使を派遣し包囲を緩めさせ、幽斎に開城脱出させようとしたが、その際に幽斎が歌書一箱ともに送った歌。
あんまり関係なさそう?次の歌をご覧あれ。
十九 伊勢のうミや波よるもくさかきためて
くらす神代の春はいく春

どこかに古今伝授の古文書が隠されているような気がしませんか?

はあ。しません。笑
ごめんなさいましねえ。
ちーっともわかんねっす。ってか、へたっぴな歌だな。とおもうよかささぎは。おおきなこえじゃいえませんが。
ただただぱたーん化されたうた、形骸化した歌があるなあ。とおもうだけ。でもよ。それが恋の歌になると俄然様相がかわる。ほんとににんげんてげんきんだなあっておもう。乙さんもそげんおもわんですか。

それぞれの歌が上手か下手っぴかは鑑賞眼がないからわからんが、こんだけ同趣向、同言い回しの歌が並ぶと、少なくとも鑑述の編集は下手っぴだと感じる。ただ(これからがロマン)、今伊勢にこの百首を収めた意図が別にあるのだったら、文芸的価値は二の次だろうから下手っぴでも構わないわけで、むしろ下手っぴであるほど暗号が潜んでいそうな気になります。
(ダヴィンチコードが流行るやルーブルへ旅するほど暗号好きな乙なのでした。乙のメールアドレスも、このブログのどこかに暗号で残ってるよね?)

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