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2008年11月18日 (火)

保健医療経営大学への道  その2

保健医療経営大学への道。
理念や骨子は乙四郎学長の大学案内にまかせ、かささぎは一生徒のおやとして、もっぱら正直なところを、はらのたしになる次元の話をします。

まず親が考えたこと。

チチは医療関連の仕事従事者でありました。大学の商学部を出てすぐ、医薬品卸の地場大手に入り、営業ひとすじに三十年も勤めた人間です。(その会社、ウイキペディアにのってますが、誰が原稿をかいたのか最も肝腎な最初の前身の膏薬みたいな名前の時代が抜けている。それほど古いときから丁稚奉公していた。朝は七時に家を出て、帰りは連日真夜中だった)。ということは、病院経営の裏の事情もおもての事情も熟知している。「病院」というすばらしく清潔で慈善事業みたいな響きの職場、その実、人のいのちを扱う因果な商売の「企業実態」をきちんと把握している、プロ中のプロでした。最後の単身赴任していた数年は外資系の世界的に大きな医薬品メーカーに出向させられていた。そのチチがここを長男に薦めた。なぜかというに、聖マリアが営むところなら、食いはぐれることはないだろう。というのが大きな理由なんですね。と、これはかささぎが勝手に想像したことで、チチは無口で肚の中を何もいいません。ちょうど依願退職した直後でしたから、運命的なものを感じたのかもしれません。


一方ハハが考えたことは、単純です。
能天気なブログを書いてきて、たまたま竹橋乙四郎という俳人に今年出会ったが、かれは小学校の同級生で同じ上妻の育ちであった。歴史的に「虐殺の民の子孫」の住む呪われた土地であり、「こらー、喧嘩はやめんか!」という強い禁忌のことだまがかけられた土地のぎぎゅたん気質のなか育った。で、長男が迷いのさなかにいることに心痛めていたとき、ふっと目に飛び込んできたのが、乙四郎大学の一期生募集、まだ間に合います。という文字であったのでした。

表面は単純です。
しかし深層はもっと複雑かもしれない。
三人の子たちは幼少のころから全員ぜんそくもちで病院通いの常連でした。ことに末子は聖マリアにひとしおお世話になっており、十年近く通いつめた。その間、よく夜の小児科待合室で順番を待ちましたが、近年患者が増えて、なかなか順番が回ってきません。それはなぜなのか。ー 
ことし、たまたまつけたテレビの特集番組で、むすこの主治医を中心に聖マリアの小児科医の一日を追いかけたドキュメンタリーを見たんです。
理由はこうでした。働く母親が増えて、ふだんの午前中に子どもをつれてこれる親が減った。子どもは急患や重病でもないのに、大病院の夜間外来へ連れてこられる。夜もやっているという理由で。(大病院はコンビニか)結果、ほんとうの重病や急患の子が後回しになることもあるようになった。・・・また、医師はとびきり多忙になり、睡眠時間もあまり取れないし昼食の時間も休憩の時間もないときもままあるという。

なぜ、こういう状態になっているのだろうか。という疑問。

若いころ三年勤めた病院は、昭和五十年代当時始まったばかりの医薬分業制(いまはどこもそうですが)を実践していた。福岡で最も活気のある街の大ビルの中のクリニック。時代の先端をいく心療内科で患者さんすべてが新鮮だった。(罰当りですが)。その小さいながら心身の医療のためのすべてのスタッフがそろった医院で、受付兼医療事務のわたしも、薬剤師さんや医師や心理療法士や看護婦やレントゲン技師や検査技師と一体となって日々患者さんを治すためにつとめた。ヒステリー患者の罵詈雑言に泣き、うつの患者さんがなくなるのもみた。かささぎはここでこの時期に弟をなくす。

医師はお医師であると同時に、医院と調剤薬局の経営者である。法的にはそうじゃなくてもどこもたいがいそうです。
わたしたち従業員を路頭に迷わせないために、院長は事務局長とともに経営のコスト削減と、利益増大をはかっていた。具体的には、どこの病院もやっていたことですが、ぞろといわれる薬を使って薬価を浮かせるとか(近年の薬価改正につぐ薬価改正で不可能になった)、患者に胃がんが疑われたりした場合、毎月胃透視レントゲンを撮ったり(心配になるほどに)。毎月必要とも思えぬ血液検査を実施したり。いまにしておもえば、それらは医院経営のための涙ぐましい営業努力だった面も否めないと強く思う。

そんな思い出が「保健医療経営大学」という名前をはじめてみたとき、どっと一どきにかささぎの胸にあふれた。
きわめて個人的で現実的な感慨なのですが、これは意外に奥が深くて大変なことなのだとも思うのです。

だから、どういうことを学ぶ大学なのかは(いまだに)存じ上げぬまま、わたしたちの長男をここに行かせたい!と心が動きました。近年ひどくなる医療事故のこと一つをとっても、こういう学校が地域にあることの意義は大きいのではないか。と思えました。

身ほとりに進学先に迷っている子がいれば、みやま市の保健医療経営大学をすすめてください。性格的にまじめで、粘り強いたちの人、やさしくすなおで温厚な人に、ことにお勧めの学校です。

じっさいに通っている長男に聞いた学校のセールスポイント。

1 生徒数が少なく設備が充実しているので快適である。
2 先生に分からないことはどしどし遠慮なく聞きにゆける。
3 宣伝をしないので、人が押し寄せてこないよさがある。*
4 ちゃらちゃらしていない。落ち着いた先生、生徒が多い。
5 学食は安くておいしい。スポーツも自由にできる。
6 八女と違ってみやま市は橋一つとってもきれいで新しい。
7 政治的な事、世界の話題、ニュースの見方が解る。
8 どっと人がおしよせるものは、ひくのもはやい。
  この広大な「なーんもない」ぐるりの土地よ永遠に。
(これで、やめ。)
* この発言は、以前通っていた大学への批評だろうか。
テレビCM放映に年間1,300万円もかけていた。

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コメント

かささぎさん

ご子息を保健医療経営大学に入れられたいきさつ、興味深く読みました。
盲腸炎で二度も入院、痛い想いをされた方ですか?(ちがっているように思うのですが・・・・)
退院なさったそうで、よかったです。
もう、大丈夫ですよね。お元気になられて嬉しいです。

私事ですが
聖マリア病院は、私にとっては重い場所です。
最初の子を、みとってもらった病院だからです。
人生いろいろですね。
時々、その子が生きていたら・・・と、思ってしまいます。

そうだったのですか心中お察し申しあげます
連句会仲間にも同じ体験をなさっている方がいます
きちんと冊子に思い出を残されてますが小さなこどもが闘病の末になくなってしまうのは耐え難い悲嘆だったろうなと
それを読んだときに思いました

姉は博多の病院で働いてます 兄が大学生で 末子が盲腸炎をひとつきも患ってた高1弟でございます

大学関連行事の宣伝です。
【平成20年12月4日(木)】
場所 西鉄ホール(天神ソラリアステージ6F)
時間 18:00~20:00
内容 橋爪 章
   演題「医療崩壊を食い止める」
   廣瀬 輝夫
   演題「どうなる?日本の医療」
主催:福岡県療養病床協会
   保健医療経営大学
【平成20年12月5日(金)】
場所 保健医療経営大学 大講義室(福岡県みやま市瀬高町)
時間 16:20~17:50
内容 廣瀬 輝夫
演題「日本の医療の動向と将来展望 欧米から学ぶ」
主催:保健医療経営大学
申込み:事前の連絡等は不要です。ご自由にご参加ください。
-廣瀬輝夫先生のご紹介-
日本医療経営学会理事長、元ニューヨーク医科大学臨床外科教授
・無血開心術のための人工心肺を世界最初に開発、世界最初の冠動脈直接吻合手術など。米国医学会より日本人初の金メダル受賞
・米国外科学会評議員、米国心臓病学会評議員、米国胸部外科学会評議員、国際外科学会評議員ほか要職多数

追伸:
【平成20年12月3日(水)】
英語講座だよ。

すごい経歴をお持ちの方ですね。残念ながら明日も明後日も行けない。興味はあるんですが。産科医を探す時に、今までこうだろうと思っていた状況とかけ離れた現実を突きつけられたから。我が家の周りには内科、外科、歯科、小児科、眼科それぞれ2ヶ所以上あるので、何も考えてなかった。どなたか行かれたら、報告、よろしくね。

ぼん。それどういうこと?くわしくひまなときにきかせてね。うちはまだこれからです、すべてが。
自分のお産では、それぞれ場所がちがう三つの産院にかかったけど、そのどの医院もがそれぞれ助産婦さんを擁していて、そのサンバさんの手でとりあげてもらったことが何より安心でした。ことに最後のお産(37!)では八十代のさんばさん。これまでに千人を超す赤ん坊を取り上げてきた。と誇らしげに言っておられた。そのかたがあかんぼ検診にみえたとき、あかんぼを「ちきり」で計られた。それが忘れがたい。句にもしたよ。忘れたけど。笑
年配のさんばさんて、いいなあ。とおもった。お産のことだけじゃなく、女の生き方にまでふれてくるようなことばをさりげなくほっほっともらされる。それがこころにのこる。さんばさんのおられる医院で生ませてあげたいですね。

いえ、そんなたいそれたことじゃないっす。糸の夢に書いたことぐらいです。
久留米には医大付属病院と聖マリアがあるから、仮に未熟児で生まれたにしても大方大丈夫だろうと思っていたわけです。ところが、12月になったから元に戻ったと思うのですが、医大のほうではお医者様が数名辞められたとかで、一時産科?が、へいさされていたらしい。(TV報道による。へいさじゃないかも。とにかく困った状態にあったらしい。)
うちはまだ生まれ月じゃないけど、全てが悪い方に回った時、TVのニュースになるような事がおきるかもしれない。のほほんとした婆ですが、不測の事態が起きることも少しは頭に入れておかなければと思ったのです。

そうなんですか
ひどいことになってきましたね
すべてのしくみが音を立てて崩れ落ちる
この雨に立床してる人たちは つらいだろうなあ

「ちきり」爆笑中!

戦後昭和20年代ころ、博多から行商のおばさんがやってきていた。
姪浜あたりから取れたさばや塩くじらの入った重たい荷を背中に背負って、顔が黒光するほど日焼けして、さかなを売って帰りには米をもらっていくのだった。
米は白い布の袋に詰めて腹巻のように胴にくくりつけて帰って行った。
そのおばさんが魚を「ちきり」にかけて計っていた。

今思うと、あのおばさんは戦争未亡人だったんじゃなかったかと。

「ちきり」

ああ。なんてなつかしかひびき。
子供の頃、山川ミカンを売りに来るおっちゃんがいた。自転車の後ろにリヤカーを引いて、ちっちゃなみかんを山ほど乗せて。みかんがめずらしい食べ物(くだものという意識はなかった。食いもんだったか、おやつだったかで)だったころ。ばあちゃんがきまって買ってくれていた。ちきりに300円分はかってくれるおっちゃん。
あのおっちゃんは山川から自転車を踏んでやってきてたんだろうねえ。今から思うと、遠かったろうなあ。

うんうん。みんな、ちきりということば、わかってくれましたねえ。天秤棒のことです。リチャードキンブル逃亡者のイントロダクション、「無実のつみでどうのこうの」って流れて、その場面でちょこっと出てくる法廷の女神がちきりをもってる像が映ってましたよね。なんかそういうのまで思い出して、なつかしいいい。
はかり売りってのがよかった。さくらさんの文章にある、塩さばや塩くじらも懐かしい。にごりめのごうださんとかたかた目のアイスクリンやのおっちゃん。このふたりが、こどもじだいの最大のアイドルだった。かささぎの。(こんな身体的差別表現はいかんちいわっしゃろうね。ばってん、こがんいわんと、あのじだいのふんいきは伝わらん。椎名誠も書いている。ゆるされよ。)

八月や塩鯖一尾俺の域(くに) 星永文夫

新刊書の案内を公開しました。
    ↓

ははあっ!
九州でただ一校だけ選ばれた名誉ある下流大学の生徒であるわれらは、誇りを胸にがんばります。笑
こういう考え方ってすばらしいよね。
あれをおもいだした。星ひゆうまの大リーグボール。と、けんぽうきゅうじょう。
窮状を救拯(きゅうじょう)にかえた。
ところで。私はあそうさんがなんかすきやけど、なんでみんなぼろくそいうかな。そんなにあほ?そう?

下流は大海へとつながる。私もアップアップしながら泳いでます。いい生徒さんばかりだと思うよ。簿記会計は毎回テストがあるんだけど、その勉強のためにお昼ごはんを食べる時間が無かったなんて子もいた。別れ際に「がんばってね」というと「がんばりましょうね。」とにっこり言われて新鮮だった。私も学ぶ仲間の一人と見てくれてるのかな。
お兄ちゃんと話したときも、「授業はどう?」と心配してくれた。うれしかったよ。
授業は楽しい。Butここへ来て問題発覚。決算帳簿のちっこい数字がずらーと並んでいると、ゼロが7個か8個かよくわからん。げげ!私老眼がきてたんだった。目がしょぼしょぼして涙まで出てくる。ああ情けなや。

言うの忘れてました。
mariさん、大学の身分証明書でパソコンソフトのアカデミーパック(ほぼ半額)が買えますよ。
目下、来年度前期の科目履修生・聴講生の募集の準備をしてます。アカデミーパックが欲しい人は、身分証明書をゲットしよう!(本末転倒?)

良かった、私のところはテストがなくて。いつもいっぱい予習をしていくのだけれど、復習をしないから、何が残っているのかよくわかってない。ということは、テストがあったほうがいいのかもしれない。スポンジのように知識を吸収していた若い頃があったなんて信じられないくらい。ときどきNHKの教育番組で英語関連のを見ますが、以前よりは聞き取れるようになってる。わかりやすく発音してあるからでしょう。ニュースとか街頭インタビューはまだ聞き取れない。継続していく事が大切なんでしょうね。

まりさん、むすこがそんなことをいったの。笑
あんたのほうこそだいじょうぶ?って思うよね。
視力コンタクト近視用でがんばっているけど、きつい。去年作ったばかりですがらんちゃんみたいに遠近両用コンタクトにかえたがいいのかも。ある日とつぜん年をとるのよねからだは。
次男はコンタクトを作ったけど痛いといって使わなかった。でも忙しくて病院へいけず、やっと戻しに行ったときは四ヶ月もたっていました。おかねは返してくれないと思っていたのに、きちんと返金してくださって、おどろきました。ひらのがんかさんありがとうございました。

英語ですが。ぼんにもあげようと二枚コピーしたのに、このずさんな性格、どれにいれたかわかんなくなって、机上ごちゃごちゃ、うわーっとパニック。でこっぱちの親分がせっかく貸してくれたものなのに。

そうそう、乙先生に言っとかなくちゃ。瀬高の知り合いが誉めてました。初めて夫婦でお昼を学食に食べに行ったら、学生さんが、「こんにちは!」と元気にあいさつしてくれたそうで、感心していましたよ。
私もいつもあいさつしてもらってます。

著者のブログに掲載されました。
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