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2008年11月28日 (金)

乙四郎語録 4

<鑑術>
宇佐鑑術
永禄4年(1561)、 竈門右京亮 宇佐 鑑述(あきのぶ) は 阿南(あなん)荘 松武名 南北代官 角 伯耆守秀清(ほうきのかみひできよ) と共に、由原宮大神宝物を調進した。
<鑑教>
安武鑑教
天文三年大友義鑑公は子供等五人と共に筑後国安武城に居住。時の城主安武鑑教公は菅原家に編入。鑑教を鎮乗と改名。海津城と改む。
<鑑實>
一萬田鑑実 いちまたあきさね
一萬田 鑑実(いちまだ あきざね、天文_(元号) 天文2年(1533年) - 天正16年(1588年))は大友氏の家臣。
大友宗麟に仕え、1550年の菊池義武討伐や1557年の秋月文種討伐に功績があり、武名を挙げた。1578年の耳川の戦いでは、殿軍を務めている。それらの功績により、加判衆となって宗麟の側近として活躍する。1586年からの島津氏との戦いでも軍功を挙げた。しかし1588年、突如として大友義統より自害を命じられて死んだ。一族から謀反人が出て、その連座で巻き込まれたためだという。
智勇兼備の武将で、和歌や連歌にも優れていたという。
<鑑秀>
富来鑑秀
文亀元年(1501)ころ、 大友親治と大内義興の豊前争奪戦の最中、田原二郎親述が大友氏に叛いた。富来鑑秀は度牟礼城に籠城して田原軍に対峙し、大友本隊の来援を待つ功を立てた。のちにその功に対して来浦六十町分その他の地を預け置かれている。鑑秀の妻は大友義鑑の娘で、名乗りは義鑑から一字をもらったものである。
<鎮時>
戸次鎮時
刑部少輔
天正14年12月12日(1586)「戸次川の戦い」戦死
<弘俊>
右田弘俊
大内氏第16代貞成の時その異母弟盛長が右田氏の始祖になり4代目右田弘俊の2男弘賢が陶氏として分家する。

百首の登場人物たち。系図らしいがよくわからん。

追って:

<鑑教>
安武鑑教が海津城に入ったのは1508年なので、天文24年には、おそらく死んでいる。別に利光鑑教という人がおり、この人の没年は1586年。珍しい名前だけど鑑教は二人いるようです。安武のほうは百首の頃は既に改名しているので、利光が正しいでしょう。
利光鑑教
豊後大友氏の一族で名は「かねのり」とも。大分郡鶴賀城(鶴ヶ城・利光城とも)主で武蔵守のち越前入道宗魚と号した。天正十三年には大友宗麟の薦めでキリシタンになったと伝えられる。天正十四年十二月、鶴賀城へ迫った島津家久は降伏勧告をするが宗魚はこれを拒否。壮絶な籠城戦となり、秀吉の援軍仙石・十河・長宗我部勢の到着寸前に敵の矢に射られて戦死した(一説に鉄砲で狙撃とも)。
墓は大分市の成大寺にあるそうです

調べた理由。

兵六万、を契機に磐井の乱の真相に迫りたくなり、その流れで邪馬台国がしばらくマイブームになってしまいましたが、むしろ気になっているのは「君が代」。
「君が代」で始まる戦国百首が16世紀中頃に磐井の霊に捧げられた、ということ。これが面白い。君が代の「君」は磐井の君であるといわんばかり。東のほうの殿様ではない。
古田武彦氏の説がwikipediaに次のように紹介してあります。
=======================
「君が代」の元歌は、「わが君は千代に八千代にさざれ石の、いわおとなりてこけのむすまで・・・」と詠われる福岡県の志賀島の志賀海神社の春の祭礼の歌である。
「君が代」の真の誕生地は、糸島・博多湾岸であり、ここで『わがきみ』と呼ばれているのは、天皇家ではなく、筑紫の君(九州王朝の君主)である。
この事実を知っていたからこそ、紀貫之は敢えてこれを 隠し、「題知らず」「読人知らず」の形での掲載した。
=======================
・・・ということで、この戦国百首には、磐井に関する何か重要な鍵が隠されているのではないか、と乙の嗅覚がクンクンいってる。

              以上、竹橋乙四郎かく

参照記事(上記乙四郎文中の百首和歌掲載文)

かささぎの旗:暦論(九州俳句誌に三、四年連載)
第一回
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_d751.html

かささぎは、れぎおんの連載随想「虫」に書いた記憶の原稿を引用しようと探しましたが、該当するれぎおんが本の山のむこうにあるようでみつかりません。

ざっと内容をかけば、蟻と蜂、で書いた。

蟻通ふ、遠の朝廷。なぜ、亜利佳代麩でもよかろうに、この字を使ったのかということ。

http://www.janis.or.jp/users/kodairat/mannyou/kaisyaku/0304.htm

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=2&p=%BD%F7%B2%A6%B5%C2

当時、いちご生産農家だったため、リースの蜂箱を借りてきていた。
女王蜂が死ぬと、はたらかんのですわ。まったく微動だにしない、はたらき蜂。
こまってしまって。そういうこととからめて、書いた。邪馬台国に関係するのかしらんが、。

追伸:

『九州古代史の謎』(海鳥社刊・荒金卓也著)に書かれていたことですが、白村江を歌わない万葉集の不自然さ。これが何を物語っているのか。それは九州に王朝があったからだとする古田武彦説はとても自然な学説だと思います。
検索しますと、この著者の本は二冊でますが、内容に対して、ヒットするものが少ない。もっと書かれていい。かささぎの感想ですが、最初の本(上記)がとても面白く、あとで出た本はちからを失っている。求める人には『九州古代史の謎』のほうをお勧めしたい。

岩戸山古墳の別区で裁判の模様を再現しているといわれる石の人形を見ていますと、これほどの文化をもった民が、なぜ文献史料を何一つ残してくれなかったのか。という強い疑問の思いに駆られます。かささぎは、きっとどこかにあったのだと信じる。それらはしかし、すべて勝者が焚書してしまった、あとかたもなく。あの別区の草の原で感じるのは、その磐井の無念のおもいです。


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コメント

朝 おつしろうのこれを読んで びっくりした 迂闊なことに一度も岩戸山古墳のいわいへ捧げられたものという意識は働かなかった 今伊勢宮 と言う神社にあった それは岩戸山古墳のある上ではありますが おつしろうが指摘したので 初めてあらら 灯台もと暗しだったと思った

今朝の新聞に「筑紫の磐井」太郎良盛幸著というのがでてますね。

たろうら。
このおかたは長男のこうづま小学校時代の校長だったたろうら先生とはちがうのだろうか。かわった姓ですから忘れない。よんでみたいですね。

とんでも解釈「夏日待」
磐井の君が栄えた日々を「春」とすれば、その後の日々は「夏」。
臺(台)国の面影は「松」(まつ)に偲ばれる。夏日松。
一 君が代のためしにすめる千年川
かはらぬたねに春や立つらむ
(磐井の君の代は千年も変わらず繁栄が続く春の始まりのようだった。)
二 さゝれ石の庭に小松を引き植ゑて
苔のむすまで友とこそ見め
(さざれ石が巌となって苔むすまで生えておいてほしいと祈りを込めて松の苗を植えた。)
三 朝夕に霞たなびく小松原
きみがちとせの春ぞ久しき
(植えた松の苗が広がる。磐井の君の春よ千年続け)
十七 岩に生ふる松にかゝれる藤なみも
をのれくだけて春ぞ暮けり
(しかし、春は終わってしまった。松は巌に生えているものの。)
十九 伊勢のうミや波よるもくさかきためて
くらす神代の春はいく春
(ご神体が遠く伊勢の海あたりまで奪い去られて、もう何年たったことか)
三十二 春秋をわけぬはかりか松がさき
氷室も夏をほかにこそもれ
(春だろうが夏だろうがお構いなしに松は生えている。)
四十八 あまてらす月を清水にうつしきて
猶かけまつる伊勢の神垣
(遠く伊勢にある御神体は、日向神社の天照大神だというのに。)
五十一 作りなす砌の菊のした水は
くむともつきじ万代のかげ
(万代の面影は尽きることはない。)
五十二 玉鉾の道の山かげふきおちて
をらぬ紅葉を袖に見るかな
(万代のかげ=山かげ=邪馬かげ)
五十五 山姫や手染の色を白妙の
雲の衣にかへてたつらむ
(邪馬の姫、卑弥呼は天女みたいなもの。)
五十九 かきくもる雪に出で立つ朝あけや
枩に花さく岡の辺の山*
(松が生えている岡に邪馬台国の証があるよ。)
八十一 得てうへし松にならへる君が宿を
猶すみよしの神や守らぬ
(祈りを込めて植えた松だから、磐井の君の居場所は神が守っているはずだ。)
八十二 きみが代を久しかれとて植へをきし
たけの臺のかげ越しぞ思
(「臺」の字が目に入らぬか! しかし、なぜ松ではなくて竹なんだ!!)
八十三 千代をかね松の下蔭苔むして
雨にいづれも色ぞまされる
(やっぱり松だよね。それにしても苔と台は似ている。)
八十五 ますらをが山分衣うちきつヽ
渡るや寒き岨の架け橋
八十八 せきもりの厳しく見ゆる陰ながら
行き過ぎ難き山さくらかな
八十九 これも又憂世をわたる心かは
賤が深田を越ゆる柴橋
九十三 すみなれて結ぶもいざや流れては
世にいづるてふ山川の水
九十四 けふは又山路の雪を知りそめて
かはる嘆きの袖のくやしき
(八十五~九十四 山=邪馬 大虐殺!)
九十八 岩つたふよ川の水のつふ/\と
とくをまことの御のりとぞしれ
(磐井の徳を誠の御宣と知るべし)
九十九 なべて世に神の恵みのはやくして
よろこぶ事をかさねつたへん
(はっぴぃえんど)

利光鑑教

8位

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