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2008年11月27日 (木)

随縁

31文字倉庫にいってきた。

コメントをかきかけ、いや、これはここにきっちり書いたほうがよさそうと思い直しました。

というのが、いま調べると、天文年間に繋がっていたからなんです!

「let it be」が31文字倉庫の題でした。
かささぎは、すぐ達磨忌で出会ったことば、「随縁」を連想しました。
そして、まてよ・・最近ビートルズ関連のことをわが社のロビイストから聴いたなあ。と思い出しました。ロビイストといいますのは、私がつけたあだ名です。だって政治家の知り合いがとても多い人だから。60くらい。

思い出しました。オノ・ヨーコはこちらの出身だ。というのです。
えーそうかなー東京だよ!とかささぎは思って。

で、調べました。そしたら、なななんと、これをご覧ください。
いっそ、まるごとこぴぺしますね。

小野 鎮幸(おの しげゆき、天文15年(1546年)? - 慶長14年6月23日1609年7月24日))。和泉守。父は小野鑑幸。母は大友義鎮の娘と伝わる。立花道雪宗茂父子に仕え、関ヶ原後は加藤清正に仕えた。日本七槍立花四天王の一人に数えられる。

由布惟信に推挙されて立花道雪に仕えた。智勇兼備の猛将で、生涯で二十二度の大戦、多数の小戦に参加して六十七ヶ所の傷を受け、大友・立花両家から合計六十八枚の感状を受けた。

筑後国柳川城の城主となった立花宗茂からは家中で最高の五千石の禄高を賜った。文禄・慶長の役にも参加し、数々の武功を立てている。

関ヶ原では西軍への参加を主張した。西軍敗戦後、東軍に加担した鍋島直茂が三万五千の大軍で柳川に攻め込んできた時は、徳川家康からの沙汰を待つ主君宗茂に代わって総大将としてわずか一千三百の兵力で迎え撃ち、見事に撃退している。

立花家が改易されて宗茂の身が加藤清正預かりになると、家臣たちの多くは立花家臣団の勇猛を知る清正に召抱えられ、鎮幸はそのまとめ役として肥後に残った。宗茂はわずかな家臣とともに各地を放浪する旅に出たが、鎮幸は少しずつ金をためてたびたび宗茂に送っている。

慶長14年6月23日、肥後国にて死去。享年62。数年後、宗茂が柳川城主に返り咲くと、鎮幸の子孫は呼び戻され代々家老職を世襲した。

ジョン・レノンの妻、オノ・ヨーコは鎮幸の子孫である。(ウィキペディア)

オノ・ヨーコ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%B3

小野鎮幸:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E9%8E%AE%E5%B9%B8

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コメント

これを読んで、ひょっとしたら、山本健吉ともどこかで血縁があるかもしれないとかささぎは思った。石橋貞吉の家は小野氏。

9月にあった短歌結社の全国大会のおりに、おのよーこさんの生家を見てきましたぜい!リンクしてんなア、最近。

へえ。そりゃすごいな。
今日、事務所のロビイストおじさんに「なんで知っておられたのですか」と尋ねたところ、(せいこさんが知ってるのならともかく、六十のあまり音楽にも興味なさげなおじさんだったから)こういう答え。
「柳川の川くだり行事で案内人がちゃんとおしえてくれらしたと」。なるほどお。ついでに隣の席の新人の子柳川出身に尋ねると彼も知っていた。母上が公務員。でも小野氏側はあまり公表されたがらないのだそうです。なぜでしょね。

かささぎさん
小野ようこさんのこと、はじめて知りました。小野家にとってようこさんのかつやくは、もしかしたら、そっとしていてもらいたい存在だったのかもしれないですね。
もう、かなり前になりますが
家の近くに、都立現代美術館があり、小野ようこ展があったので、観に行きました。欧米で高く評価されているのを知って(テレビで)、興味があったのです。
とても、意表をつく作品ばかり、連れ合いは頭がいたくなったと、途中で出て行きました。笑
わたしも、よく、わからなくて(恥ずかしいです)、観終わって、すごく、疲れた記憶があります。
彼女の生き方も作品も保守的な人には、理解しがたいものが、あるのかもしれないですね。

でも、ジョンレノンは、彼女の才能に魅了されて、結婚したのですから、面白いなあと、思ったものでした。
いろいろ教えていただいてありがとう。

ようこさん
コメントありがとうございます
良く知らない事なのに 一連の流れでさらさら書いてしまいました 柳川の観光客用にオノヨーコの意外な血縁の古里として ちょうど川下りの川沿いにあるらしく 紹介されているそうです
柳川には古文書館もあり 戦国時代の武士たちの書状などの古文書を読み解くスタッフが揃っています
解読講座に通っていたころは 九大の先生が指導に見えました
そういう市民に開かれたサービスができるのは 柳川が観光地で豊かだからだろうか と思いました
東京も柳川も かささぎにとっては あかぬけた 観光地であります

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