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2008年10月21日 (火)

玄奘幻想

  玄奘幻想

         前川 弘明

沙羅の花玄奘三蔵屈伸す
僧衣繕うおぼつかなくて蝶の昼
僧玄奘泉に落ちて目覚めけり
僧玄奘渋柿三個袖に入れ
玄奘法師石榴をもいで食らいけり
牛の背に揺れ玄奘と石榴籠
西日中流沙原ゆく蟲のように
牛を追い帰る少年雁わたる
葡萄汁喉に尊き読経かな
オアシスに僧衣を干して昼寝して
渉る河にごりにごりて木の葉髪
澄む水に僧衣濯げば母想う
寒月下渓流の魚歯で砕き
僧にも雪崑崙山脈哭くごとし
桃の実に頬ずりをして眠るべし

  沙羅の花 

ある日ふと、何の脈絡もなく玄奘三蔵のことを想った。
はるばる河を渉り砂漠を歩き山を越え、ひたすら歩く法師の姿を想った。
僧衣はよごれ、足は埃に破れ、血がにじんだであろうが、瞳は美しく輝いていたにちがいない。
その姿を想い、すなわち十五句。

    俳句誌「拓」第23号より引用

上記の俳句を読んだ日、ぐうぜん、新聞で「アフガン・バーミヤン大仏」「釈迦仏示す供養品」「修復中に発見 玄奘の記述裏づけ」 の見出しの記事を読みました。引用しておきます。以下、西日本新聞記事。

七世紀にバーミヤンを訪れた中国の僧、玄奘三蔵は著書『大唐西域記』で東大仏を「釈迦仏」 と記述したが、破壊前から損傷が激しく仏像の種類がはっきりしなかった。
専門家や仏陀の伝記など仏伝によると獅子は釈迦を表し、馬は釈迦の誕生を象徴するとされ、釈迦仏と裏付けられた。
供養品の解析が進めば、謎が多い大仏建立の経緯解明につながる第一級の成果になりそうだ。
東大仏の修復作業に当たる国連教育科学文化機関ユネスコの協力機関、国際記念物遺跡会議イコモス ドイツ調査隊の修復専門家プラクセンタラー氏が見つけた。
麻袋は長さ、幅ともに約五センチ。東大仏で、前に突き出していたとみられる右ひじの骨組みとなる木材を差し込んだ穴の奥で見つかった。小石と泥で目張りされた直径、深さともに約十センチの穴の中に、麻袋と香とみられる乾燥した植物があった。
麻袋の泥の封印は二箇所で、いずれも直径約一センチ。連珠の文様で獅子と馬らしい模様を囲んであった。
イコモス専門調査員でミュンヘン工科大のエミリング教授は「麻袋は胎内に納めるため、大仏建立を祝ってインドから贈られたものだろう」 と指摘。袋の中身の確認は封印の綿密な調査を終えてから行う予定。香木や動物の骨などが入っている可能性があるという。
同調査隊は2006年にも東大仏で、土砂の回収作業中に、建立当初6-7世紀の文字で書かれた胎内経とみられる経典の一部を発見している。

かささぎ解説:

上記文中に何度も出てくる「東大仏」ってのが、わかりません。
なんだか奈良の東大寺の仏像か?みたいに思ってしまう。そうじゃなく、アフガニスタンの首都カブールの西の山岳地帯の仏教遺跡がバーミヤンで、そこの世界遺産だった東西二体の大仏をタリバン政権が破壊した、その、東の大仏をさすようです。東大仏、高さ38メートルの右腕から、6世紀ころの大仏建立時に供養品として埋葬された麻袋が見つかった、というニュースでした。

前川弘明の連作、生きている玄奘が目の前にうかぶ。
これに「玄奘の恋」を書き加え、玄奘を実在させたい。
いつか、書こう。

玄奘の恋の行方や風浪や     かささぎ

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コメント

れぎおんが届きました。
乙さんと、音彦山の留め書き。
それぞれに個性があって、それが、対極的にあって、興味深かった。活字になったら、孵化も間近かも神様のかかとも、いい巻に仕上がってるように思えるのね。歌仙はやはり読み応えがある。

おせいさん。ありがとうね。
おつしろうのきまじめさ、おとひこどんのふまじめさ。
どっちもすてがたい、どっちもおもしろい。
まだその乙四郎に本をおくってない。ぼんにも。あした英語にいけたら、わたしてくる。
ところで、上の文章は、いま、打ち込んだのですが、
いつだったか乙四郎が書いてくれたコメントで仏教遺跡がすぐ近くにあるって言ってなかった。それがこれかいな。と想った。
意外と身近なんだなあ、玄奘三蔵。

乙が、ペシャワールからの帰路に気まぐれに立ち寄ったパキスタンの仏教遺跡は、ガンダーラの中心といわれていた所。壊された仏像や、修行部屋跡などがいっぱいあって、仏教国ならば超一級の観光名所になるであろうところ、イスラム国にとっては異教徒の遺跡なので、まったくもって人気(ひとけ)がなかった。そこらへんの小山をちょちょいと発掘すれば、三蔵法師の足跡がザクザク出てくるだろうに、まことにもったいない。アフガニスタンもイスラム国なので、バーミヤンの仏教遺跡も手付かずで謎だらけ。謎を抱えたまま、タリバンに破壊されてしもうた。
ここらへん一帯は地理的に近接していて、三蔵法師が目指した「天竺」のこと。三蔵法師はインドを目指したともいわれるが、パキスタンも第二次世界大戦後の独立まではインド。戦前の文献を鵜呑みにする学者は、平気で天竺はインドだとのたまう。
現在、天竺一帯は、鬢螺鈿さんの潜伏地。乙が覗いた修行部屋のどこかでかくれんぼしていたかも。なかなか見つからんだろうな。頑丈な石壁に囲まれてるので通常兵器くらいではびくともしない。核兵器の誤爆で永遠に破壊されてしまうようなことがないよう祈るばかり。

お。乙四郎いきてたんか。
詳しく書いてくれてありがと。さっぱり地理はわからんけんね。
さいきんぺるしゃのわだいがどっかででたっけなあ。あれはなんだったかな。
うーんおもいだせん。きおくりょくがにぶってる。さっささっさとわすれちまいます。
たしか、はなのなまえ。ぺるしゃ。という地名が入ってたんだよ。
うわかった!!!おもいだした。31文字倉庫で見た歌だ。ちょいまってくれ。今ひいてくる。

 特攻に逝きし若者顕たしめて黄のハルシャギク岸に群れ咲く
    松尾 スミ
このなかのはるしゃぎくのはるしゃがぺるしゃだったよ。すごくね?
ほんじゃいってきます。なまえにはりつけ。やまなみ短歌会、いけてるよな。

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