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2008年8月30日 (土)

中山宙虫の俳句世界

沖がまだ遠くなりゆくむつごろう   中山宙虫

この句の「まだ」がわからず、気になるあまり、あいまいさを拒否する英語ではなんといえばいいのかを考えた。
さいしょ、つぎのような文が浮かんだ。

Mutsugoro’s thought  is becoming  further and further from the shore.

英作文でまず悩むのが、冠詞をどうしよう。

むつごろうは魚だし、一応定冠詞でもつけとこか。ううわっかんね。ざでもつけときゃそれが無難だろかなっていうよな発想なんだけどもさ。冠詞、考えてもわからない。それと複数形にする名詞とそうじゃない名詞、わかんない。こないだのリンカーンの演説の冒頭、よっつのスコアと七つの年の以前ってとこ、スコアになぜsがつかないの。それにさ。ひつじにもえすはつかないんだよ。いったいどういうわけ。ひつじは数えられるじゃろうがよ。
って悩みだしたらきりないから、考えないことにして、少々のミスはかまわんことにしまひょ。(そしないと先にすすまんから)

さて。
沖ってなんだ?

日本語のイメージでは、沖ってのは、浜辺や岸辺からちょい離れた海上のこと。そこからは陸が見えてる気がする。ということは、沖が遠くなるということは、岸から遠くなるってこと。でもこれは日本人の作る英文かもね。どうもいまいちわっかんない。

become は、こういうときには使わないんだ。

たとえば、だんだん暗くなる。というとき、

いっつ げりん だ~かんだ~か。
It's getting darker and darker.

といった。そんなら、むつごろうも

The mutsugoro-fish is getting further and further from the shore.

こうするほうが自然。

春先のむつごろうのこころ。
そもそもなぜむつごろうは春の季語なのだろうね。
それすら考えたこともなかった。
俳人・中山宙虫のこころ。
ふしぎなり。

http://ww71.tiki.ne.jp/~nanaura/ariake-sea/ariake-sea.htm

http://archive.mag2.com/0000235819/20080517060000000.html

うららかやみんなが落ちる街の穴  中山宙虫

    (平成20年九州俳句大会大会賞受賞作)

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コメント

実はこの「まだ」は、いろんなところで物議をかもし出している最中。
この「まだ」は、いつか手にいれられそうなのに、近づいてこない。
そんなジレンマということで・・・。
やっぱりどこか文法が変なのだろうか?

むつごろうを思うとき、諫早湾もふくめ、自分たちの棲む干潟が奪われて。
「せっかくここまで進化して干潟に棲める体になったのに、人間が勝手に棲みかを奪って・・・。」ため息。
いつか沖に棲める体に戻ろう・・・。
でも、それは、むつごろうの思っているように自然のなかで克服できるスピードではない。
いつか潮が満ちてきて、この体を沖に連れていってくれるかな?
けれど、むつごろうの見る沖は、「まだ」遠くに逃げてゆくばかり。

てなストーリーが頭のなかにあったわけっす。

なるほど。そっちか。まだはぱっとみへんだけど その違和感にこうでいしてるうち、ちっともへんじゃなくなる。

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