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2008年8月25日 (月)

九州俳句151号ーその3

第四十回九州俳句賞受賞作

紅葉山 

       木村直子

瞳孔や死は一片の紅葉山

かささぎ評

死んだら瞳孔がひらくそうだ。
瞳孔がひらいた顔を一度も見たことがない。
いつも死者たちは行儀よく目を瞑っていてくれるから。

この句の「瞳孔や」とは、まさにその死者のものだ。
死者の目のなかをしげしげと覗き込み、何も映さぬ焦点も結ばぬ穴としての瞳に、一片の紅葉山だけを映させた作者の想い。
「一片の」、これは「いっぺんの」と音読したい。
「ひとひらの」では迷いが生じ叙情が邪魔する。
伝統的な季語を用いながら、科学のように冷徹で、なまなかな叙情を拒否する厳しさをもつ句。
受賞の言葉に心捉えた句として作者が挙げておられた、

後の世に逢はば二本の氷柱か   大木あまり

この句のもつ世界に、どこか通じているように感じた。

芋の露

       堀川かずこ

離れても寄りても家族芋の露

かささぎ評

なにも説明はいらない。
こころ和むあたたかな一句。
こどものころの七夕風景を思い出させる。
墨の匂いや牽牛、織姫のきれいな色の掛け軸までも連れてきてくれる。

(今回は二人受賞とのこと。おめでとうございます。)

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コメント

8月号の樹に出した、自分の芋の露の句と比べてみた。

芋の葉をステージにして露踊る

見たままを写生していると、今気が付く。写生が悪いわけではないが、表面だけしか見ていない。何を伝えたいかが伝わってこない。反省。最近、出せばいいや、ってなかんじで出してる事が多い。これも反省。

へえ。でも詠んでるからすごい。ぼんは私のまだ五分の一の時間しかやってないってのに、素材が多彩、よく目が行き届いてるなあって感心します。じつは私、まだ一度も芋の露、よんだことない。へっへっへ。
この堀川さんの芋の露の句、胸がじんじんするような句ですね。
露の玉がまるく大きくなりますが、あれをのぞきこみじっと考え込んでいる虫になった気分。宇宙のことや、それから別の時代の生のことなども思われ、そうかそうかもとは水だからな。って。そんなら別に夫がむすめがこどもがおやが、どこで暮らそうがあんしんだ。

わたしは根っこのことを思った。小芋がたくさん付く様子。すこしちがったね。葉の上のつゆは、くっついたり離れたりして、楽しそうに見えるけど、やっぱり真ん中に戻っていく。そこが家族なんだね。

ぼんにざぶとん三枚!!

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