無料ブログはココログ

« 少年ケニヤ | トップページ | 山鹿温泉 »

2008年7月21日 (月)

クライマーズ・ハイ

あべしげさんのファクタブログで紹介されていた「クライマーズ・ハイ」 を見た。1985年8月12日の日航機墜落事故を報じる新聞記者の話で、ながい映画だったのにもかかわらず、時間をわすれた。話は込み入っていたのに、緊張感が最後まで持続した。新聞をつくるって、そういうことなのか・・。堤真一のなで肩が好きになった。母親が米兵の肩にしどけなくもたれかかって映画をみている横で、母の手をじっと握って我慢していた幼い子ども時代の彼。その場面で流れる「モナリサ」の曲・・・。

ネットで上映時間を調べ、始まる一時間まえにつき、チケットを買う列(六層!!折り畳みパイ生地のよう)の最後尾につき、その列がじゅんじゅるじゅんじゅんとつづまっていく過程で、花より男子ファイナルは完売しましたのどうのとアナウンスが流れる。若い子や子連れ客であふれかえっている館内で、自分の番でソールドアウトになったらどうしよう。と心配したが、開演十五分前にやっと買えた。

着席したのは十二三分前だったのに、なんと私しか客がいない。
ええっなぜ!あんなにいた客は、みんなほかの映画をみる客だったの。
といぶかっていると、一人おじさんが入ってきた。
なんと私の席のすぐ横だったらしく、空席ばかりなのに私の真横にかけられる。うわっどうしよう。さりげなく別の席へ移るべな・・と思っていると、それからは次から次へと客が入場、またたくまに満杯状態になり、すぐに映画が始まった。こういうこともあるんですね。

御巣鷹山事故のニュースを最初に聞いたときのことを覚えています。
長女三歳とおなかに長男がいる私とをのせて夫の運転で戸畑へ里帰りしていた高速道路のラジオニュースで、第一報を聞いたと記憶します。あの日の空、その雲の色をまだわすれない。夕日にむかって走っていましたから。
テレビニュースではじめてみたとき、木にひとのからだの一部がひっかかってるのが一瞬映った。わすれない。一瞬でさえそうだから、現場で救助や報道にあたった人々は、生涯にわたってのこったろう。そういうことは人にはいえないし、伝えづらいことだから。

あべしげさんのクライマーズ・ハイ記事:http://facta.co.jp/blog/archives/20080719000722.html

« 少年ケニヤ | トップページ | 山鹿温泉 »

コメント

私も見ました。看護学生の頃聞いた話では、かの地の看護学生さんたちが、ちぎれたご遺体の全部を包帯で巻いてあげたそうな。また別の話では、(当時自衛隊にいたという人からの)後々飛行機の破片を運んだ時でさえ、猛烈な死臭がしたそうです。こんな大惨事、忘れてはなりませんねえ。

今日休みだったので、映画館に行きました。なんと、上映時間を調べていかなかったので、結局見られませんでした。またの機会にします。クライマーズハイは、一人でいったんですか?なんか、こわそう。

斧田。よかった。ちょっと話したいことがあってね。コンタクトとりたかたったけど、わかるかな、私はなくしちまったんだよ、あたらしい住所。おしえてください。ふるい住所でもまだ届くのでしょうか?

ぼん。映画は一人で行くものだよ。
映画、スプラッタには仕立てていないので、ちっともこわくありません。地方新聞記者と中央との差、ひがみやっかみ、意地と誇り、むき出しの感情がぶつかりあう。

1985年8月12日。忘れられない日です。厳密には8月13日。外の会合に出て、そのまま帰宅したので、日付が変わるまで事故のことは知りませんでした。終電(この頃は居酒屋タクシーなんてなかった)で帰宅して間もなく、運輸省(当時)の対策本部への出席命令。すぐに来い、と。ところが、遠距離通勤の身には、もはや交通の手段なし。近い人に代役を頼むしかなかった。当時、乙は救急医療体制担当。この日以降、忙しく、また空しい日々が続きました。真っ暗な中ではヘリは飛ばせず、未明からの救出作戦が精一杯でした。落合さんと川上さん(でしたっけ?)が奇跡的に助かったのが救いといえば救い。
あの事件に関わった者のひとりとして、毎年、この時期になると心が痛みます。

時代の生き証人なんですね、乙さんは。おつかれさまです。他人の私たちでさえ、固唾を飲んであの救出の報道をみていました。助かった人がいてよかったとおもいます。私も胸が痛みます。

そうだったですね、川上慶子さんて少女が助けあげられた景色は、まるで、地獄から蜘蛛の糸一本にすがって救出されたかのようでわすれがたいです。ドラマのなかでも、地元の消防団のひとたちが、夜じゃなきゃもっと早く助け出せた、そうしてたらもっと多くの人が助かっていたんだ。と悔しそうにもらす場面がありました。おつしろうはそのたすけるがわにいたんですね。

15日の同窓会出席のため新幹線で博多へ向かっておりました。
新幹線の中でみんなが広げる新聞記事は、すべて事故の記事でした。
同窓会でみんなから「あんた飛行機で帰ってきたとね?」と言われました。

救出作業で陣頭指揮を執られた人のおひとり上野村村長の黒澤丈夫さんは、零戦パイロットだった方でした。零戦関係の方面から存じ上げていました。
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-takeo.htm

さくらさんに教えていただいたurlに、当時の新聞報道の見出しが日付ごとにありました。
事故直後は夥しい数の見出し数ですが、だんだん減ってゆき、9月21日に1件、9月24日には遂にゼロとなっています。人の噂は75日の半分くらいしか続かないのですね。ミャンマーも四川省も秋葉原も、もはや話題には上りません。
日航機123便も、この映画のおかげで、ふたたび話題になりそうです。何とも後味が悪い事故調査委員会の公式見解、それに対し、ミサイル誤射説だのが大手を振っている現状、なんとかならないものでしょうか。これでは不本意に死んでしまった人々が浮かばれない。
人一倍、飛行機に乗っている乙としては、圧力隔壁修理ミス説など信じてたら怖くて飛行機に命を預けれません。油圧系統が4重になってて3本がダウンしても残り1本で操縦できるというフェイルセイフ構造を信じてるからこそ、安心して搭乗しているのです。少々の金属疲労やボルトの付け忘れ程度で4本全部がダウンするようじゃフェイルセイフとはいえません。本当に圧力隔壁が原因だとすれば、修理ミスの可能性にも対応できるフェイルセイフ構造に設計を抜本改造してもらわねばなりませんが、いまだに747は当時の設計構造のまま世界中の空を闊歩しています。
対し、外因説を唱える人の根拠は、急激な圧力変化はなかった、という生存者証言など。乙の経験上、機上では意外に圧力変化に鈍感です。いつも、上空で飲んだ空ペットボトルが機体降下とともにみるみる凹んでゆくのですが、まったくと言っていいほど体感しません。真偽のほどは不明ですが、圧力隔壁が破れて急な陰圧がかかったとしても、ぽっかりと穴が開いたわけではないので圧力変化には気付かないかもしれません。
 放射性物質(核燃料)搭載機密隠蔽説というのもありましたが、これには笑ってしまいます。業者から医療用の放射性物質を搭載していたという報告があったので、乙はその回収等にしっかりと関与しました。放射性医薬品等は日常的に運送されていて隠蔽しなきゃいけないような機密などありません。それ以外の機密核燃料が積まれてあったのなら、ガイガーカウンターを現場へ持ち込むのを阻止されるはずですが、自由にやらせていただきましたです、はい。

尾ひれ付く 人の噂も 彼岸まで   (乙)

おつしろうは映画みにいったのですか。

事故原因は圧力隔壁って当時はそう記憶していましたが、そんなにいろんな説があったんだね。しらなかった・・
主人公はものごとの真贋をチェック、ダブルチェック!の癖で、その原因が浮上したとき、ついに自信がもてず記事アップを断念し、あとで後悔したのです。
その性格の背後に、戦争の後遺症ともいえるトラウマがあった。
関係ないのですが、ショーケンこと萩原健一の伝記読んでいても、同様のものが見え隠れします。団塊の世代は戦争の影をひきずっている。

紹介しました上野村村長インタビュー記事に登場されるNHK中野正之ディレクターとは、なんとなんと大石政則日記の著者大石政隆の中学の同級生なんです。
今気がつきました。

NHKは国営放送だけあって、記録番組は充実してますね。
これからしばらく戦争特番が目白押しですが、名前に貼り付けたURLに、これからの放映予定がずらりと並んでいます。
これらのうち、8月6日のNHKスペシャルに、乙が登場します。残留放射能についての取材を受けたのですが、(元)役人が印象よく報道されるはずはないので、放映後には肩身が狭くなることでしょう。役人時代には慣れっこのことですが、民間人になってからは初です。深刻なコメントなのに、目は笑っています。生来の笑い顔。

>深刻なコメントなのに、目は笑っていま
>す。生来の笑い顔。

是非拝見します。
楽しみにしております。

特集番組の一覧をみました。
毎年戦争特集は、目をさばのようにしてみてきました。
戦後五十年の頃がピークだったような気がしますが、この一覧を見て今年は特別多いような気がします。
核の問題が大きくなってきているからなんでしょうか。

さくらさんってば、さばのような目ってどんな目よ。
おつしろうの書いていることをよむと、むかしせんそうせきにんしゃといわれたひとたちがたどったであろうこころの軌跡をかいまみたような、そんな粛然としたきもちになります。

広島原爆の残り火を持ち帰って、今も灯し続けている人がいます。
その方星野村の方ですね。
原爆で死んでいった人たちや、そばにいた人達の本当の気持ちは、こうだったんだろうと思います。私は。
記事名前にリンクしてます。


ありがとうございます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: クライマーズ・ハイ:

« 少年ケニヤ | トップページ | 山鹿温泉 »

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31