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2008年7月12日 (土)

いしを拾う。

ふるさとの川で  いしを拾おう

ひらべったい石や

三角にそげた石

あかんぼうの目のようにまるく

すみきった石を

 

源心『たまご石』よりナオ三~五

手を洗い仏を洗い嬰(やや)洗い  伽具耶
  三万年のたまご石積む      恭子
蕭蕭と麗谷(うつくしだに)のほととぎす 繁代

(平成15年4月11日 於・広川町民センター)

麗谷:http://www.oitatravel.com/usa/utukusidani.html

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コメント

新タイトル、ありがとう。
たまごいしのエピソードのはじまりはじまりぃー。

エピソード:保健所で働く(1)

昭和56年1月1日、乙四郎は厚生省に採用された。配属先は公衆衛生局地域保健課。即日付けで、地方公共団体への出向辞令が出され、1月2日には神奈川県に採用される。配属先は衛生部予防課。さらに即日付けで併任辞令が出され、併任先は厚木保健所予防課。厚木保健所には海老名支所という出先機関があり、そこも兼任。お役所のルールとして、採用されたら、採用日に所属先のお偉いさんたちへの挨拶廻りが必須。厚生省と神奈川県庁と厚木保健所と海老名支所の4か所を廻らなければならない。ところがところが、1月1日も2日も辞令上の日付で、実際上は正月休みのまっただなか。御用始の日が実質上の4か所の採用日である。正月気分で誰も彼もが浮き足立っている中、朝早くから夕刻まで、霞ヶ関→横浜市→厚木市→海老名市と、辞令を持って走り回った乙四郎であった。とんだ年始めであるが、自分で選んだ道ゆえ仕方がない。
結局のところ、主たる勤務地は厚木保健所ということに。保健所といえば、上妻小学校の社会科見学で、警察署と消防署と保健所の三つを訪問したことを思い出す。社会を支える大事な組織。
乙四郎が医学部に合格した時、近所の人たちからいろんな声を掛けていただいた。中に、こんなのがあった。
「何科の医者になってもいいが保健所の医者にだけはなるなよ」
誰を治療するでもない、医師のイメージから最も遠い存在であることに違いはない。

保健所での乙四郎の仕事の多くは、健診や検診に関すること。乳幼児健診で発達の遅れや異常を発見し、地域の小児科医へ紹介する。結核や肺がんを早期発見し、専門医へ紹介する。異常が指摘された人たちは、一様に驚き、時に詰め寄ってくる。感謝されることはない。世間では、自分の病気を治療して直してくれた主治医には感謝しても、手遅れになる前に異常を発見して主治医へ紹介した者に感謝することはない。主治医のほうも、患者に感謝されていい気になっている。すべては自分の手柄であるとの錯覚。思えば、主治医として乙四郎が治した、治したと喜んでいた精神科患者は、誰かが診察室へ連れてこなければ、手遅れになる前に治療することができなかった者ばかりだった。

ふうん。おもしろいなあ。
昭和56年って、同年令のものは大卒でも就職後三~四年たっているときで、私はこの年に結婚しました。ちなみにたまご石連衆の伽具耶ひめ(みっつ年下)もおなじ日に結婚してる。え。そげなこた、どうでもいいって。はいはい。

今日は今まで原稿を書いてました。間に合わないと断念してたのに、明日まで待つといわれるから。おつかれさん。じぶんへ。

エピソード:保健所で働く(2)

保健所での乙四郎の仕事で、もうひとつ大きなウェイトを占めていたのが、精神障害者の社会復帰支援。それまで、病院の敷地内でしか接点がなかった精神科患者と、彼らの日常生活に非常に近いところで接することとなった。病院から一歩外へ出ると、服薬指導が守れない患者、医療から脱落してゆく患者のいかに多いことか。彼らに対する家族や職場の冷たさ。人間というものは、こんなにも人間に対して冷酷になれるものか。いや、彼らを人間として見ているのかさえあやしい。
身内の精神障害者は病院にずっと入院していてほしい。退院してきても、家にいてもらっては困る。せめて昼間だけでも保健所で面倒見てくれ。
こんな感じ。病気で入院した身内の退院を喜べないなんて、そんな世界があっていいものか。
生活も思考もすっかり萎縮してしまっている彼らに、人間らしい生活、人間としての感覚を味わってほしい。そんな思いで乙四郎は、社会復帰プログラムをあれやこれやと試行錯誤した。車椅子の操作法を教える。手話を教える。あなたたちだって、人の役に立てるんだよ。あなたたちは社会のれっきとした一員だ。パソコンの使い方を教える。まだパソコンに触れる人がほとんどいない時代のこと。あなたたちだって、人より優位に立てる。誇りを失っちゃいけない。
がむしゃらな日々であったが、そんな日々はあっという間に過ぎてしまった。昭和57年4月より、乙四郎は厚生省で働くことになった。精神保健関係の部署への配属が希望であったが、霞ヶ関の人事には、新米の希望を聞き入れてくれるような優しさはない。

毎日、暑い。
逃げたくもなる。

・・・というわけで、今夕からしばらく出張。行き先はケニアです。南半球なので今は真冬。うらやましかろ?

乙さん。ほんまにうらやましかですw。
冷たい風、冷たい空気、送ってくだされ。

えっケニアって真冬なの。
なにしにいくん。まさか避暑なんていうなよ。ぶっころす。
おととしの冬同時期に入社した狩人(あずさ二号歌ってた)みたいな兄弟がいます。とても上品で高貴なかんじ、なのに、なんにもおはなしなさらない。あたまは正常なのに、なにかトラウマ抱えているのか。でも、寮に入ってずっとみんなと支えあってきたら、なんとなくなじんで、そうしたら、だんだんとよくなってみえた。勤務先の、こういうところが私は大好きなんだ。

From Dubai airport lounge.
Here, I am waiting the next flight for Nairobi.

>なにしにいくん
Mid-term evaluation of JICA project concerning to AIDS.

>まさか避暑
Just to work (at the cool place).
Now the highest temp. = 21
And the lowest temp. = 10 at Nairobi.
Cool? Cold?

乙さま。
最低気温10度ってあなた、そりゃ避暑どころではないですわね。
coolを通り越してcoldです。

と頭では理解できても、今日のちっご地方の最高気温35度を体感してると、「がばよか。うらやましか」と体が先に反応してしまうのでございます。

うーん。わかんない。ケニアって私のイメージでは、みなパンツいっちょうで走り回ってる国なんだ。少年ケニア。ジャングルブック。それなのに、まふゆがあるのけ。いやだなー
おつしろうってわかんない。なんしょん。エイズ防止の会議かなんかあるん。
そういや、俗の細道だったか連句的だったかで調子に乗って書いた書いてしまったおちんこのはなしで、聖マリアの小児外科の先生のおことばを紹介しましたが、あれはそういう活動とつながっていたんだなあって、さくらさんが紹介なさった本「スーチー女史は善人か」のラストの章でよくわかりました。エイズ防止にてきめんだってさ。それが数字で出て、つまり割礼をするゆだや人にそのやまいが極端にすくないことから、世界はそのことに気づき始め、そうなった。と書かれていた。で、日本人はまぬけで気づいていないって。ひそかにまんえんしつつあるって。(いや、そこまではかかれていなかったか)

勤務先のお頭にはイランで十年現地人をつかって建築しごとしてきた経歴がある。アルジェリアやスイスにも住んでいたらしい。そのはなしがしみじみ面白い。
たさいなあいじんも勉強になる。
(以前書いた)きれいはきたない、きたないはきれい。ということを無言で教えて下さる。きれい好きで動物好きでにんげんすきの慈悲深いおかしら。言葉に依りかかる人間としては、そうじゃない人を尊敬する。夫とおかしらはそこが似ている。

かささぎメモ:連句的に
evaluation 評価、見積もり。
なんしょん
えばるえーしょん
悪はいやーと善を得る
咲く→笑う
イサク(旧約聖書)→笑う
少年ケニヤ→山川ワタル&ケイト
八女役場の学芸員は→中川ワタル
 
そうか。そうだったのか!!(笑)


なんじゃそりゃ?わからんわからん。

いえね。連想ゲームしよると。笑

英単語おぼえるとき、しなかった。
えばるえーしょん。をみたとき、
ん。どっかでみた。とおもって。そしたら、そうだ!あの連れだとおもって。
威張る・ええション、評価する。
そりから
悪は嫌と善を得る。acquireだったっけ、つづり。意味は「得る」、こうして覚えた。連想すれば覚えやすい。ってか、おなじ脳のへやにはいってる。
中川ワタルってなまえをおもいついたとき、なんでかなあ。
ってずっと考えてたけど、ここにきて、やっと、ああ、こどものころの少年ケニヤのヒーローのなまえだった!って気づいたわけ。すごくない。あほみたいやろ。笑

ついしん

高木咲耶の咲耶はこのはなさくやひめもかんけいしてるんやが。
その咲くって字は笑うって字とおなじ。異体字っていうより同じ意味って。そんで、イサクってなまえも意味は笑う。

学生(気分)に戻りたいあなたへ

保健医療経営大学では後期(9月29日~)から単位履修生/聴講生を受け入れる方針で、目下、募集要項等を整備しているところです。後期から始まる科目限定ですが、好きな科目について、学生と同席して勉強し、試験もレポートも学生と一緒、新たな恋が芽生えるかも・・・。ただし、受講料はしっかりといただきます。
これとは別に、受け入れの準備運動として、ただいま、一般向け英語公開講座の受講生を募集しています。(これは時間外開講で学生とは別。)
締め切りは8月4日(月)で、開校式は8月6日(水)。
受講料は、みやま市民5000円、市民以外10000円(テキスト代込み)。
各コースとも募集人員20名(先着順)です。

「基礎英語講座」(入門者向き)コース:英語を根っこからやり直し
開催日:8月20日(水)より隔週水曜日(計10回)19:00~20:30

「英語表現講座」(初・中級者向き)コース:基本的な慣用句や構文が適切に配置された英文が書けるようになります
開催日:8月27日(水)より隔週水曜日(計10回)19:00~20:30

申込先は、保健医療経営大学事務局(0944-67-7007)

うーん
英語習いたい気もするが


私行こうかな。8月6日もちょうど休みだし。学校に電話すればいいんだよね?

うちは、パス。

電話して申し込み用紙をFaxで取り寄せてFaxで申し込むなり、大学窓口で直接申し込むなり、何なりと。
夜7時からの開講で帰宅時間がかなり遅くなりますが、それでもよろしければ大歓迎です。上級者コースは来年度開講予定です。

教えるのは、佐藤教授です。
プロフィールを私の名前に貼り付けました。(他の常勤教員のプロフィールも、このページを辿れば覗けます。なかなかユニークな先生方を取り揃えてございます)

霧島英友会顧問 これ、なんだろ。きりしまじんぐう英霊会?みょうに気になります。
それと↑のもと英会話部ってだれ。せいこはん?
ぼん。いこうか。動機が不純なんですが。

だなもし。

強固半、一緒に行っていただけるなら心強い。場所を今から検索して確かめてみる。あした休みなので、申し込みに行ってもいいし。

ぼんさんありがとう。ぺこぺこり。

オープンキャンパスの日(3日の日曜日)も事務局は開いてるので、乙の漫談(?)冷やかしがてら大学へ来てもいいよ。

おう、いけたらいく。

ばってん、ばばちゃんたちば温泉つれていかないかんかもしれん。そんときはかんべんな。

訃報
赤塚不二男氏が逝かれたと。
3月に、シェーでこのブログに誘い込まれた者としては感慨深し。

えっつ   絶句

ガリガリ君のキャラクタのとこで、ダ・ヨーンのおじさんがもろみえだったんで、それについて何度も文章を書いてみては消し、やっていた。(きのうもやった)
気になりだしたらどうしようもない人間としては。そうだったんですか
偉大なアホ道をおしえていただいた導師にして同志でした。

学生(気分)に戻りたいあなたへ 第2弾!

保健医療経営大学では、後期授業(9月29日~)より、科目等履修生・聴講生の受け入れを始めます。20日ころに募集要項を公開しますが、概要は、本日、ホームページに発表しました。名前に貼り付けてます。

ははー。かたじけないっす。

こんどはたからさんもこれそうね。
英語の公開講座、とても安価でよかった。
ふりかえれば、天神に勤めてた若いころ、毎日遠距離通勤だったのに、思いつきでECCに入り、まとめて受講料を収め、たしかそれが四万円くらい。んで、二回しかいけなかった、きつくて・・・がるる!!もどせかえせいうてもだめだった。

エピソード:カンボジア

インドは仏教の発祥国だが、仏教は廃れてヒンズーが栄えた。
カンボジア(現地読みカンプチャ)の建国者はインドのバラモン僧「カンプー」。「チャ」は子孫の意。バラモンの子孫の国。ヒンズー遺跡が豊富。
ところがカンボジアでは、ヒンズーは廃れて仏教が栄えた。時の国王の信仰次第で、仏教が栄えたりヒンズーが栄えたりとか。ヒンズーの時代には仏像が破壊されている。仏教の時代にはヒンズー遺跡は壊されていない。仏教徒のほうが寛容かも。日本の仏教徒なんか平気でクリスマスを祝うし。帝釈天や弁財天や歓喜天はヒンズーの神さま。寛容というか節操がない。
アンコール・ワットはビシュヌ神を祀るヒンズー教寺院。が、なぜか仏教遺跡と言われることもある。江戸時代初期にアンコール・ワットを訪問した熊本人、森本右近太夫一房は仏教遺跡と信じ込んでいるが、その頃の国王は仏教を信仰していたのかも。徳川家光に祇園精舎視察を命じられた長崎人、島野兼了は、しゃぁしゃぁとアンコール・ワットの見取り図をもって祇園精舎だと復命している。
ちなみに、アンコール・ワットより新しいアンコール・トムは仏教寺院。時の国王は仏教徒。
さて、かような国カンボジアへ、数度、国際協力の仕事で訪問したことがある。国際協力の仕事というのは、相手国の政府高官と折衝するのだが、どこの国へ行っても、国を実質的に動かしている幹部は乙と同世代。乙の場合、保健医療関係の仕事が多いので、同世代の医師と折衝することが多い。
ところが、カンボジアでは違った。折衝相手はひと世代若い。ある意味、頼りない。乙と同世代の支配階級・知識階級の人々はみ~んなポル・ポトに殺されてしまったとのこと。1975~79年の4年弱の間の出来事。170万人が虐殺された(当時の人口は800万人)。
カンボジアが独立したのは1953年11月9日。乙のひとつ年上。はたちをようやく過ぎた頃、この国は狂ってしまった。
1970年、ベトナム戦争に中立の立場を堅持していたシアヌーク元首がクーデターで失脚するや、米軍がカンボジアに侵攻した。このクーデターのアメリカ関与説は根強いが真相は謎。米軍がカンボジア国内に投下した爆弾の量は、大平洋戦争で日本に投下した量の数倍。これがポル・ポト勢力を育てる結果となった。なんか昨今のタリバン情勢に似ていると言えんでもない。
ベトナム戦争終結後も、ずっと内紛で人が殺され続けていたカンボジア。1993年にシアヌークが元首として戻ってくるまでの23年間の狂気が残した爪痕は大きい。
何の縁か、このベトナムやカンボジアの復興の仕事に携わるようになった乙であるが、当時の駐カンボジア大使の娘だったというベトナム人と知り合った。ほぼ同世代の、地獄を見てきた人。その地獄を知らずにのほほんと生きてきた乙。
5年前に書いたエッセイです。読んでください。
   ↓

貼り付けへうまく飛んでくれないようなのでコピペします。国保新聞の「晴雨計」というコラムからの依頼原稿でした。
=====================
「戦 争」
 小さい頃、戦争があった。
 小さい頃の記憶など、ほとんど残っていない。そんな中、比較的鮮明に覚えている記憶の断片がある。戦争が始まる、たいへんだ、という大人たちの会話を耳にした記憶である。すごく怖かった。7歳の頃のことだと思う。米国の爆撃機がサイゴンに続々と到着していた時期である。
 まだ、「国家」というものが理解できない年齢である。テレビでは、アルファルファ少年だのサンダース軍曹だの、米国人が日本語を喋っていた。米国の戦争は、よその国の戦争ではあり得なかった。
 8歳の頃、米国からの初めての生放送で、ケネディ大統領の暗殺を知った。通訳がそのように喋っていたせいかもしれないが、自分の国の指導者が死んでしまったように感じた。当時の米国人の1人あたり国民所得は日本人の5倍以上。米軍機が我が物顔に福岡の空を飛んでいた。
 父は力道山のファンだった。米国人が空手チョップでマットに沈むのを心底楽しんでいた。父の足に残る古傷は、戦地での手榴弾によるものだった。ケネディ暗殺の翌月、力道山が死んだ。
 翌年、東京でオリンピックが開催された。国と国とが競っていた。ようやく「国家」が理解できたのか、私は日の丸を応援していた。米国は、まだ戦争を続けていたが、いつのまにか「よその国の戦争」になっていた。日本人の国民所得は欧州諸国と並ぶくらいに成長していた。
 年ごとに、米軍による北ベトナムへの爆撃が激しくなってきた。九州大学に突っ込んだ米軍機の尾翼を見た。相変わらず米軍機は福岡の空を跋扈(ばっこ)していた。
 14歳の頃、アポロ11号が月面に到着した。心底、人類の快挙だと感じた。しかし、月面には星条旗が立てられた。米国はまだ戦争をしていた。
 翌年、米軍はカンボジアに侵攻した。その出来事の記憶はないが、数年前に依頼したベトナム語通訳の方から聞き知った。カンボジア大使のお嬢様が、日本へ亡命して通訳で生活していた。
 20歳の頃、サイゴンが陥落した。ようやく戦争が終わった。

おつしろう。カンボジアの歴史解説、ありがとう。
まったくしりませんでした。興味もさほどありませんでしたが、これを読んで俄然出てきました。

映画「キリングフィールド」(これは主演が助かるのであんまり)
それと
近藤紘一「目撃者」
それくらいです。


あ。
それでいまおもいだした。筑紫哲也がなくなった。

おつしろうの父上は、戦争経験者であられたのですね。
うちはぎりぎりで行っていません。
そういえば、らんちゃんと話していて、彼女の父上は高校時代になくなったんですが、海軍だったと聞いた。たいてい、ともだち、同級生の父は従軍経験があるようです。これは(親の経験あるなしは)大きいのだろうね。
よく覚えていますね、こどものころの政治的な匂いを。
こうづましょうがっこうの図書館にあった原爆の分厚い写真集をみたことあるでしょう。あれをみて、しばらくうなされた。しばらくどころか、ずっと夜に悪夢をみた。原爆が落ちる夢。死んで、目がさめて、ああよかった生きてた、ゆめだったんだ。というような。
で、みんなで映画に行ったときには、前ふりに白黒のニュース映画があって、必ず米ソの原爆実験のニュースだったよね。くらかったよねえ。今おもえば。ほんとに戦争の余燼がくすぶってる時代だったんだとおもう。
鼓笛隊にしろ、体育会の練習での一糸乱れぬ行進の練習にしろ、先生の往復びんたにしろ、軍隊みたいでした。とおいとおいきおく。24のひとみみたいな。

エピソード:米大統領選
1984年春、米国政府(保健福祉省)に机を借り、3か月間の武者修行(研修)をした。スポンサーはWHO(世界保健機関)。途上国の政府役人が先進国で学ぶための経費を出してくれる制度。日本も途上国の時代があり、その名残の制度適用で、乙が日本の歴史上、最後の一人。
研修期間中、民主党の大統領候補指名選があった。たまたま黒人居住区の行政機関を訪問していた日、訪問先で世話になった黒人女性が「これから投票に行くからついてこい」と。彼女は、その一票にかける思いを熱く語り、黒人公民権運動指導者のジェシー・ジャクソン師へ投票した。結局、彼は黒人票しかまとめることができず、大統領候補指名争いに敗れた。(ジャクソン師は昨今、オバマ氏を「黒人を見下している」とののしっている。オバマ氏は「黒人のアメリカでも白人のアメリカでもない」と一貫して黒人寄りの姿勢を示さなかった。)
2004年10月31日夜、乙はペルーから米国へ向かった。ペルー滞在中、鬢螺鈿による米国攻撃予告がアルジャジーラで流れたために情勢分析に日程が割かれ、米国入り日程が当初予定より数日遅れた。そのため、超厳重警戒中の米国へよりによってハロウィンの夜に移動する羽目に。乙の場合、鬢螺鈿の生誕地イエメンや潜伏地アフガニスタンの出入国記録がパスポートにあり、しかも、ミャンマーやらカンボジアやらベトナムやら中国やらウズベキスタンやらカザフスタンやら・・・米国の機微に触れる国へもしばしば出入りしているので、別室でみっちり取り調べを受けての出入国審査。いつものことなので覚悟していたとはいえ、この夜の空港職員や乗務員の衣装はハロウィンのお化けモード。お化けたちに取り調べを受ける乙。
さて11月1日夜から数日間、ハーバード大学の教授との協議が目的の米国立ち寄りだったので、宿泊先は大学所在地のボストン。事情もわからず慌てて予約したホテルは、中心部に位置するマリオットホテル。ようやくホテルへ辿り着くと・・・
なんと、ホテルが位置するブロックをぐるりとテレビ中継車が取り囲んでいる。警備態勢も厳重。なにごと?
ボストンは、民主党のケリー候補の本拠地。街中がケリーのプラカードで埋め尽くされている。乙の滞在ホテルは、ケリー候補が当選した時に祝勝集会が開催される広場があるブロックの一角に位置していたのだ。
11月2日は大統領選の投票日。911後、初めての大統領選。歴史的瞬間に米国にいる乙。ケリーとブッシュの白熱戦。ホテル周辺が俄然慌しくなってきたが、下手に外へ出てパスポートをチェックされたらおしまい。部屋に籠ってテレビを見るしかない。コンサートが始まった。歌声が漏れてくる。テレビでも中継やってた。シェリル・クローとボンジョビとレッチリがすぐそこで歌ってる。外へ出れば生で聞けるというのに・・・
やがてケリーは破れ、ネオコン寄りのブッシュが勝った。地球の歴史が、また、悪いほうへ動きはじめた。

そうだったんだ。
歴史は結果論でしか批評できない。
その批評にしてからが、なにを基準に評価するのか、かささぎにはよくわかりません。
きのう、昼からのたかじんの番組みていて、田母神氏への批評を出演者はどういうだろうと思っていたが、・・・みんなずるいなあ。批評する資格なしだ。なにも失うことなく高みの見物するしかねえんだな。けっきょく、ひごろどんなに立派な威勢のいいこと言ってても。自衛隊の人のはなしもいまひとつ精彩に欠けてたね。期待してたけど。現場の人たちはどう思っているんだろう。あの番組は大阪市長になった人が出なくなってから面白くなくなった。
(大学は学園祭でしたね。次男が八女農学校の学園祭へ行ってみかんを買ってきてくれた。笑

週刊社会保障という専門誌の「交差点」というコラムに6年前に掲載されたエッセイです。

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「赤紙」
 役所勤めの宿命として数年ごとに勤務場所を転じている。突然の内示を受けた時には不安に胸が潰れそうになる。突然の召集令状に呆然と立ち尽くす戦時下の青年の心境か。
 戦時体験もないのに召集令状を手にする者の気持ちなど、軽々しく論じてはいけないことは百も承知。しかし、数ある赴任地のひとつで経験したある事件については、是非、紹介しておきたいと思う。
 タイ王国の地方都市へ赴任した当初のことである。任地の言葉を覚え、その地の人になりきるのが私の信条であるのだが、さすがにタイ語は難解であった。ある日のこと、郵便受けに、権威漂う葉書が一葉。隙間なくワラビやゼンマイが踊るこの文字にはお手上げである。翌日、職場でタイ人スタッフに読んでもらったところ、軍へ指定日時までに出頭しなければ罰を科す、と書いてあるとのこと。召集令状である。宛名書きを読んでもらって、数件先の家の者へ宛てた郵便物の誤配であることがわかったが、しばらくの間、召集令状をいただく気持ちを味わうという貴重な経験をさせていただいた。
 自分と関係ないとわかって、押し寄せる安堵感。その余韻に浸りつつ、帰路、例の葉書を手に、本来の宛先の家の戸をノックした。現れたのは母親らしき人。初対面だが、タイ人は、合掌を会釈代わりに、特有の微笑みで応対する。こちらも微笑みを返しながら、合掌の手から葉書を手渡し、カタコトのタイ語で、それが間違って配達されてきたので・・・と言いかけたところで微笑みが消えた。
 相手は呆然と立ち尽くすのみ。そいつは召集令状だった。微笑みながら渡してはいけない代物だったのだ。戦時、役人たちはどんな思いで赤紙を配達していたのだろうか、それまで考えたこともないことを否応なしに想起してしまうひとときであった。
 あれから十年。相変わらず、突然の異動内示に胸を潰しているが、部下に異動の内示を告げる立場にもなってきた。その場は無表情を装うが、内心は複雑である。ようやくわかってきた。そして、わかってほしい。

ここで不謹慎なことをいっていいかな。
乙四郎。文章うまい!!
かささぎははじめておつしろうの文章に感動した。
じつはへただとおもっていた。ごめんな。
だってさ。かたくてかたくて吐き出したチューインガムが寒い朝にかちこちになってるのよりも堅いと思っていた。官僚って感情はないのだろうとおもっていたよ。ごめんな。ほんとごめんごめん。
それと。さいきん書き出された過去の記憶の記事、日記をつけておられたのですか。(急に敬語)とても詳細ですね。わたしら、お役人が外地でどんな仕事をお国のためにしていなさるのかをまったく知りませんので、とても「へえー」とおもいます。こうべをたれたくなります。そんなに危険な目にあってきたのか。と。

(でも、どうせなら、有馬頼寧みたいな日記をめざしてください。ふぁっふぁっふぁ)

言論の自由
田母神氏がしきりに言論の自由をおっしゃってます。立場がある人に「言論の制約」があるのは社会維持の常識で、公の場で所属組織の見解と異なることを公言したい場合は、乙三郎とか、丙五郎とか、ペンネームで公人と別人格になって発言すべし。匿名も可。実名で発言する場合にあっても、最低限、肩書きをばらさない配慮が必要。さもなくば、世間や所属組織からバッシングを受けるのは必定。過去、役人かたわら小説を書いていた作家は大勢いるが、作者名に肩書きはつけない。それで言論の自由はとりあえず保たれる。堺屋太一は堺屋太一であり、通産省役人とは別人格。
おととい、カンボジアから教育関係者(国を代表する指導者たち。虐殺世代未満なので、20~30歳台)が19名、近くの小学校へ視察研修に来られたので、小学校の上級生、PTA、教員、カンボジア客人を聴衆に、国と国との助け合いの講話をした。カンボジアの真実はアメリカの悪口を抜きには語れないので、言葉選びに腐心。実像としての乙には、いろんな肩書きの経歴がくっついている。さらに、学校教育の場ではアメリカの悪口はタブー。同盟国を悪く言ってはならない。
教育の場においては「言論の制約」が大きい、という事実をまったく知らずにこどもたちを学校へ通わせている日本人に、どこぞの洗脳教育国家を批判する資格などないのかも。
たとえ社会的重大事であっても、与野党が対立するようなことは教えられないし、入試でも出題されない。たとえば、我々の命に直結する、社会保障と安全保障については、常に与野党対立点なので学校教育ではほとんど触れられない。たとえば社会保障は助け合い精神を制度として具現化した「保険」の仕組みから教えるとわかりやすいが、学習指導要領を端から端まで検索しても「保険」の文字はヒットしない。かくして、社会保障と安全保障に関心のない日本人が大量生産されてゆき、関心のない人たちが教師になって次世代を育てている。学校教育の純粋培養エリートが健康保険の仕組みを知らずに医師になれる国、日本。医療が崩壊するのも無理はない。
みやま市の大学は、わが国の社会保障と安全保障を支える人材を養成する特異な大学。世間の関心はどうだろう?

何かせんでええいわれそうやけど 宣伝しまひょう思うて 書き始めましたが あれあれれ わたくし なんも知らんのですわ
ただ 息子が自分を信じるようになったこと とても精神的に安定してきたこと 世の中の動きに興味をもち ひとかどの意見を吐けるようになったこと は
私にも見える大きな変化です
何より
友達が話に出てくるのが ひどく嬉しい
こんな感想はおかしいですか
いじめられっこでありましたから
親子共々 救われたような気がします

「保健医療経営大学」と検索するとこのブログがヒットするのでありがたいことです。知らない人は、乙四郎って誰かいな~?と思うことでしょう。H氏とは別人格。
乙が国内旅行の際に愛用のアパホテルですが、アパのホームページに例の懸賞論文が掲載されていました。田母神氏のは肩書き付きの発表でした。そりゃあかん。中身に自信あるんだったら、肩書きに頼らんと、自分の名前だけで勝負せんかい!
ところで、なぜアパがお気に入りかというと、このホテル、いつも、どこでも、枕元に折り鶴が置いてある。ビジネスホテルというものは徹底的に無駄を排除してコスト削減するのが共通認識である中、この心遣いはうれしい。折り鶴のお迎え、ってのが宣伝文句に使われているわけでもない。社員教育が垣間見えます。

訂正

博多駅前のアパのホームページを見てみたら、宣伝文句に使われてました。
   ↓

おつしろうさんの本名、わからんごとなった。あ、思い出した。

あはは。いや、笑ったらいかんのやけど、おかしいよね。あきらっていうんでしたね。文章のしょうですね。おとうとが義章でしたから、章に目がいく。たしか「章」で文章かいたことがあったなあ。うん。あった。あれは・・クオータームーンだっ!

この「保健医療経営大学への道」続編、さっき一時間もかけて書いた。ながい力作だよ。あした、みてね。

おつしろう。そのホテル、一泊いくら。五千円?
えんなんホテルはパン朝食つき、五千五十円。
書いたっけ。前田師を久留米一の格式の翠香園ホテルにとめようと予約をとったのに、高いからといわれて、ビジネスを探した。しかし師はパンの朝ごはんじゃないとだめなんだよね、ごはん朝食のとこばかりで困ってしまって。迷いの経過があって、三度もすいこうえんに予約いれたり、ことわったりしました。さすが一流、いやな顔ひとつしなかった。立派!

教育の場においては「言論の制約」が大きい、とう事実をまったく知らずにこどもたちを学校へ通わせている日本人に、どこぞの洗脳教育国家を批判する資格などないのかも。
たとえ社会的重大事であっても、与野党が対立するようなことは教えられないし、入試でも出題されない。たとえば、我々の命に直結する、社会保障と安全保障については、常に与野党対立点なので学校教育ではほとんど触れられない。

乙四郎さん、上記のようなことは世界の常識なんでしょうか?日本独自のことなんでしょうか?

自由の国アメリカでも、かつて進化論教育を禁じた州があったり、その州法が最高裁で違憲とされた後でも、いまだに大多数の公立学校では進化論が教えられていなかったりと、教育現場で言論の制約が大きいのは世の東西を問わないようです。日本では、教科書検定と学習指導要領という強力な統制システムがあるので、世界の国々の中では言論の制約が大きいほうかもしれません。社会保障や安全保障についてうっかり口にすると、やれ左寄りだ右寄りだと非難されるので、唇が寒くなります。
日本では宗教教育もタブー。今週の「国際関係論」の講義では、イスラムの価値観を教えます。高校でそんなこと教えたら追放されます。学習指導要領に書いてないし、大学入試にも出題されない。でも、世界の平和を願うなら、各地で紛争の火種となっているイスラム社会について学ぶべきでは。紛争回避は相互理解から。

娘の勤務する保育園では、仏教系なのでクリスマスソングを歌うと注意されるらしい。(今年がはじめてなので。)でも、幼い時通わせたお寺経営の幼稚園では歌ってたのに。変だよね。

○○保障。というと、私はすぐに警備保障を連想します。商売がてら。笑
さいしょの就職で、○○保障という文字に勝手に保険会社と思いこんで入社した若き日を思い出します。いきなりビルの屋上で警棒術の訓練だった。あるいは万引き防止の保安官だった。
もうねむい。柳川は遠かった・・・市役所と合同庁舎まちがえてしまった・・公共工事労務費調査。一発でオッケイ。もんのすごく平和なかおしたおやくにんさんみてたら、なんだかむかむかして、一発なぐらして。といいたくなった。あるいはおかおをびよ~んとつねらして。といいたくなった。(ちょっとそのけがあります。笑)ほんじゃ、おやすみなさい。

元役人がテロの標的となる国になってきました。
広島、長崎、東京大空襲・・・これらが非戦闘員を標的にした歴史的大虐殺事件であるのは明らかなのに、なぜ、そう教えられないのだろう。これが、この国の言論統制の現実。

おつしろう、だいじょうぶか。
ボディガードつけたほうがいんじゃないか。
その節は綜合警備をよろしく頼む。今社名かわってるんだったか。ますぞえさんがお大臣になる前、綜合警備のボディガード(おやじ風の四、五十台の)を時給で雇っていた、秘書もかねるようなかんじで。せこい。(これ以前社長が買っていた警備業マガジンで拾い読みした)
ほんとに戦前のふんいきになってきたね。

おや、かささぎどんが戦前の生まれだとはしらなんだ。うそだぴょーん。恐い世の中になってきたね。匿名さんも、ほんと、気をつけてね。

エピソード:

はここで途絶えていました。
またぼちぼち書きましょうかね。

一年前。なつかしいよね。

このころ、乙四郎は大量に自分史を書いてくれてたんですよね。まったく編集はしておりませんでした。

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