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2008年6月 8日 (日)

福岡市東区原田

福岡市東区原田

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コメント

原田と書いて、はらだと読みます。九州圏外の読み。ちくしのの原田ははるだですものね。
これ、どうしても書いておきたい。
星野の公道になるべき祖先がらみの土地がねずみのひたいほどあって、それをゆずるためには直系一族のはんこがいるってんで、もう1年近く係りの人がうちにみえるものですから、気の毒で、いつまでも印鑑証明がそろわない最後の若い一人分を、行ってもらってきた次第です。かれのはんこだけがそろわないので、祖先によばれている気がしてた。これは私がもらいにいかなきゃいけないんだろうと、かんじていた。
やわらか戦車をまいている最中、いとこがじしでなくなった。その命日がおとうとの命日とかさなっていたことのおののき。(青々脊振に書いた)
さらに。
かれの仕事は、花市場の菊係りでしたよ。

菊は重いのです。ダンボール箱に何百本と入っていて、持ち運びに腰を痛めます。

生きたまま脳に届いて殖ゑて菊 蛉
 赤とうばうを放ちやる空  恭子

ふたおやとも、じしでなくなって、それでも、けなげにいきていた。とかいのすみで、きょうだいさんにん、かたよせあって。それを、かくにんできてよかった。なにもできないけど、血をわけた一族、かげながら、おうえんしているから。

青々脊振
それから、ここ。

なぜなのかはだれにもわからない。

でも、行空にからむかささぎ一族のものがたりは、ここらからはじまっていた。

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