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2008年6月17日 (火)

源鑑述百首和歌 夏の部

    暦論  その七

               

  元禄十一年七月二十日久留米
名月はふたつこそあれ一夜川   各務支考

     ※ 一夜川・・・千年川。筑後川。

芭蕉没後、その俳諧を全国に広めた一番の功労者各務支考。かれは芭蕉の意思を継ぎ、あちこちを精力的に歩き廻った。芭蕉は九州の地を踏むことはなかったが、支考は元禄十一年に筑後、中津、日田、熊本、長崎、博多、北九州・・・とその足跡をいまにのこしている。
活動拠点が故郷美濃だったため彼の俳諧は美濃派と呼ばれ現在もその俳諧の灯は獅子門が守り続けている。
四月、俳句文学館に調べものをするため上京し、翌日、連句協会主催の全国連句大会に参加した。広い会場に三十の座が設えられており、参加者は籤引きでどの座に入るかが決まる。私は美濃獅子門・本屋良子捌の座にあたった。

       ◇

大発見だ。筑後一の宮・久留米高良山のふもとに芭蕉の霊を祀る「松尾桃青霊神社」があった!この事に気付いたのは例の有明の主水と岩戸山古墳や磐井や美濃守源鑑述について調べていた時で、『筑後志』という古文書に松尾桃青霊神社として出ていた。高良大社社務所に伺うと、霊社ではなくて、格が一ランク上の霊神社だとの由。社の名前には格があるのだった。

芭蕉霊神社は全国でもここにしかないと思える。なぜ高良山なのか。

それは寛政三年田主丸の其角門の俳人・岡良山(七十歳)がはるばる上京し桃青霊を勧請して帰り、清らかな湧き水の里であり豊媛命のおわす久留米は御井(みい)の地に祀ったからだ。それほどまでに芭蕉が敬慕されたのは、支考や志田野坡(しだ・やば)、榎本其角(きかく)、服部嵐雪ら弟子の顕彰のはたらきがあったからである。ちなみに支考は元禄十一年初秋、野坡(樗子)は同十五年と享保二年に筑後の門人指導に来たことが、久留米市史等に記載されていた。

はじめに大発見などと書いたことが恥ずかしい。わたしが単に自らの地の俳諧史にうとかっただけだ。

ちょうど今年五月八女市福島町の祇園社境内に、享保元年1716、野坡が当地の若林旦夕を訪ねた際に目にした魚市の様子を詠んだ、

 麦の穂に烏賊の雫や市戻り  志田野坡

が句碑として建立されたニュースを新聞で読んだ。野坡は八女に来ていたのだ。あのかまぼこやさんが軒をならべる古い町並みが髣髴とする。長崎出身の向井去来が八女吉田の岩戸山古墳を詠んだ句、

 稲妻や人形原の魂よばい 去来

は、ある医師の日記に書かれていたから残った句だとか。

高良山の桃青霊神社には案内板もなく宣伝もされず、参詣者はないようだ。ほんとに目立たぬすみれ草のような可憐な祠、芭蕉にはふさわしい。

            ◇

 豊饒美濃守源鑑述百首和歌 

     夏の部

二十  更衣     鑑實

たちきつる春の袂のおしければ
ぬぎかへがたき夏ころもかな

二十一   卯花   鑑述

曇なき月のひかりや卯花の
かきほあらたにかくるしらゆふ

二十二   葵     鑑教

詠(ながめ)よとおもはす露やかヽるらむ
おりにあふひの花の朝更

二十三   郭公(ほととぎす)  鑑述

ほとヽぎす心づくしの空音とも
また聞あへず夜半の一こゑ

二十四  菖蒲       覚元

えにしなき身ハあだ波の菖蒲草
たが家づとのつまとならまし

二十五  早苗       鑑述

小山田の早苗むらむら色つきて
秋にまぢかきかぜそよぐ也

二十六  照射(ともし)   鑑栄

夏山のしげみを頼む小牡鹿の
ともしさすてふいる影はいざ

二十七  五月雨      嵐竹

山川のあさせも此の五月雨に
よしあだなミはたヽじとぞおもふ

二十八  盧橘(ろきつ)   宗右

夢にとふむかしの人の袖の香や
そのまま残る軒のたち花

二十九  蛍        鑑教

うき草にやどる蛍の影もいま
なえをはなるヽゆふ暮の空

三十  蚊遣火      鑑實

まバらなる賎が伏屋のかやり火の
軒よりもるヽ夕けぶりかな

三十一 蝉    鎮時

木間より時雨こヽろになく蝉の
こゑも夕日にほすかとぞ思  *

三十二  氷室     松寿

春秋をわけぬはかりか松がさき
氷室も夏をほかにこそもれ

三十三  泉   宗房

をのずからまたこぬ秋の初かぜや
わきていづみのゆふ暮の空

三十四  荒和祓(あらにこはらひ) 鑑栄

月すゞし川瀬のなミの夕はらへ
こひをせまじと人はいふとも

1 郭公の歌。
むかしの歌には郭公とかいてホトトギスと読ませる物が多い。夏の代表的な季題であり、春の花さくらもそうだったが、このほととぎすも一座のボスである鑑述という捌が詠んでいることに注目したい。

山本健吉に「初夏の野鳥」の名文がある。

 いつきの昔を思ひ出でて 式子内親王

郭公(ほととぎす)そのかみ山のたび枕
   ほのかたらひし空ぞ忘れぬ

健吉はこの歌に源氏物語の花散里の面影とともに内親王の秘めやかな恋情をよみとっている。時鳥の歌には恋にまつわるものが多い。時鳥の名告りは夜のむつごとを連想させるとも言っている。俳諧では其角に吉原遊郭での早朝吟がある。

暁のヘドや隣のほとヽぎす  榎本其角

2 卯月という月の和名と卯花はどちらが古いか。

波流花さかりにひらくる故にうの花月と云ー『俳諧歳時記栞草』に出ている卯花月の説明文である。漢書の『釈名』の読み下しらしいのだが、波流花に「うのはな」のるびは強引すぎないか。もしや「はるははながさかりと開くゆえ、卯の花の月という」とよみ、古代中国のこよみの卯月、すなわち波流(春)二月の説明ではないのだろうか。中国古代の卯月→十二支の四番目→日本には古来四月にウヅキなる和名があり、それは空木の花盛り頃だった。→こじつけたのだろうか。和名卯月の起源、それを知りたい。

            引用『九州俳句』誌124号

*

思 

  
この歌の最後の字が謎だった。
田の下に横棒がいっぽんだけ。みたことない字だった。
読めずに、いろんな人に尋ねた。一人前田亜弥氏が「思うという字だとおもう」と示唆してくれる。たくさん古文書を読んできた人じゃないとわからない。東明雅先生からは冒頭の「夏日侍」という題は「夏日待」と読むのだとおしえていただいた。さむらいはまつ。

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