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2008年6月29日 (日)

たちきの俳句から

笑ふてもよぎる想いや五月闇   久留米市 呆 夢

のどもとのいがら取り除く新茶かな  〃

電波時計よ狂ひたくはないか   〃

夏の雨掩体壕に苔立ちて    宇佐市 松本 茂

蜘蛛の巣のまるごと揺るる若楓  広川町 山下整子

青小梅はらひれほろと落ちてくる  〃

南天のさみしき花が咲きました   〃

南天の無口な花のかなしかり    〃

五月雨に皇太子妃の笑窪かな 日野市 依田しず子

母の手をとって蛍の宙に起つ  大分市  足立 攝

不如帰不眠不休の救助かな  川崎町  井塚 誠

人は前を蛍はうしろを照らすなり 北九州市 太田一明

麦秋の涯(きりぎし)へ割る握り飯 宇佐市 沖 隆史

腰太く足首太く五月の森  北九州市 鍬塚聰子

筍を食っちまった中年の輝き     〃

さなぼりや労り合いて老二人  玖珠町 合原正利

ホトトギス砲音の野に呼び交わす  〃

この村を抱くが如くに若葉かな  中津市 後藤愛子

犬ふぐりまだある余白をうめている 大分市 佐藤綾子

背なに陽をうけて苺箱洗い終え  九重町 佐藤いわお

見てごらんジャジャジャジャ雨降り芝が立つ 
                  日出町 佐藤 敏彦

風の少女葉っぱのような陰(ほと)をもち   
                  福岡市 鮫島康子

豪雨来る信号機みな魚のよう      〃

傷を舐めれば傷が癒えるか長崎忌   〃

皐咲く明日の愁いと今日の幸福   八女市 島 貞女

青嵐女の道は一本道   北九州市 末永晴海

ばば鶏の生みたる玉子春の月   中津市 宗 五朗

肉体を棒で支える豆に花  中津市 瀧 春樹

麦秋や鳥の棲む樹が高くなる  〃

昭和の日五徳七輪汀子兜太 北九州市 竹内卓二

初燕酒なみなみと馬上杯   〃

麦秋や一気に過ぎる無人駅   福岡市 田中 恵

名人と我(わが)で呼ぶなりらっきょ漬け 
                   八女市 東妙寺らん
雨蛙けふは何して過ごすやら   〃

ケロケロと話しかけらるかきつばた  〃

水無月や宮崎の空号泣す  〃  (宮崎にて)

日向夏通は醤油で頂きます  〃

照る月の峠黙々引揚列車   宮崎市  徳永義子

とかげさんあんたのお目々ちっちゃいね  
                    宮崎市 夏田風子
本をよむはえが一匹とびまわる  〃

あそぼうと空とぶ鳥に猫がいい   〃

一人身の満期退職夏の雲  北九州市 広重静澄

少年と老犬並ぶ夏の海   中津市  古永房代

三ヶ月、俳句を作っていない。
投句をはなれる。
よみに徹する。

気に入った句をひっぱった。
なかでも一番こころうばわれたのは、次の一句である。

蜘蛛の巣のまるごと揺るる若楓  山下整子

なんと動きのある、色彩感ゆたかな句であろう。
みなづきのみどりもの、みな勢いづき、うっそうと繁り始める、まさにその気息が一気に放出されたかのようで。
蜘蛛の巣がまるごと揺れる。それに配するに若楓の鮮やかなさみどり。一句に人の姿は何処にもないが、なにか濃いエネルギーの塊が下を通過していったのが見える。風とかではない何か。ひさしぶりに俳句らしい俳句に出偶った。山下整子、おそるべし。なんでこんなすごい句がさらさらっとできるのに、本職の歌ではいまひとつなんだろう。きっと俳句と短歌はちからのだしどころがちがふのね。世の中はそんな皮肉にみちている。

ひとつ、どうしても景がつかめぬ句がある。

デエーの室荷物の紐で金魚かな 川崎町 伊藤キクエ
夏風に転ぶ不覚を猫が見る      〃
翁草散歩のたびに銀髪み        〃

デエーの室というのは、デイケア施設のへやだろう。荷物の紐で金魚かな、ってのがわからん。紐で金魚を造るのかな?うん。きっとそうだ。そんな気がしてきた。おきなぐさの句も、さいごの「み」になんともいえない素朴なあじわいがある。いいなあ。

筍を食っちまった中年の輝き  鍬塚聰子

鍬塚聰子、本領発揮の一句。
エロスがある。うわエッチ!てなぜか思う、その文体。

伊丹三樹彦の俳句日記より抜粋

花に立ちん棒ながら あやしまれぬ齢

米寿には 米寿の桜があるような

花仰ぎ 花影踏んで立ち去りぬ

わが町もいま桜町 鳥影過ぐ

青木医師死す 最後の診察受けたとは

蒸せ返る花に囲まれ 主治医の家

それぞれに小花を捧げ 春の草

寝ね足りて 日の出の桜見盡して

おおとドライバァ 桜を擦過する度に

天覆う桜 地に沈む墓地

たんぽぽの絮を吹こうか吹こまいか

生き残る 梅を眺める 来年は

港都にも黄砂降る日の 風見鶏

晩年か最晩年か 福寿草

胃袋は薬曼荼羅 でも生きねば

垣間見を許す屋敷の 牡丹の緋

索道は一本きり 先細まりで見え

布引の滝ぬ 天女の眼以(も)て

芦屋奥池 憲吉句碑に見(まみ)えるとは

道行は 紅白交互の花水木

バイキングの卓を縫うのに 皿掲げ

スープにも落花一片 山のグリル

左右は池にて 黄泉への中道か

脚註:

掩体壕:http://album.nikon-image.com/nk/NK_AlbumPage.asp?key=1084778&un=14885

翁草:http://www5a.biglobe.ne.jp/~okina-ut/okinagusa1.html

索道=ロープウェイ。http://cable.cocolog-nifty.com/sakudo/憲吉=中村憲吉。http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/kanko/data_ono/l_yakata/nakamura.html

ありゃ。また、まちがえました。歌人じゃなく、俳人の楠本憲吉です。私の記憶にもちゃんのこっています。テレビに出られる人でしたから。

著名な俳人であるこの方(伊丹三樹彦氏)の句日記がだいぶ前から「樹」に掲載されるようになってた、毎回50句あまりがだーっと1ページに掲載される。それをいつも横目で見て通り過ぎてた、へえ元気のよいじいさんじゃねと思って。それが、なんだろう。無心なよみぶりに教えられるところがあり、写してみようと思った。写したら、知らないことばを教えてもらう。すごか。ほんなこてすごかとです。

「俳句通信 樹(たちき)」195号、2008・7より

バイキングの卓を縫うのに 皿掲げ   伊丹三樹彦

これ。たったこれだけのことばで、動きが見える。
こんなの報告句、あったりまえだと人はいうだろう。

港都にも黄砂降る日の 風見鶏    三樹彦

こうとにもこうさふるひのかざみどり。こうと、こうさ、このひびき。

垣間見を許す屋敷の 牡丹の緋   三樹彦

索道は一本きり 先細まりで見え    〃

どの句もどの句も、ごくまっとうなことをそのまま詠んでいるにすぎない。でありながら、思いがそこからあふれだす。いや、若い人の句みたいにことさらにはあふれない。でも、じわりとにじみだすものがある。じいさん、すげえな。やっぱ、俳句っていいよな。と、しみじみおもわせられるのであった。

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コメント

褒めてもろうたのに、文句言うちゃいかんばってん、失礼ぶっこく人やなあ。笑

>なんでこんなすごい句がさらさらっとできるのに、本職の歌ではいまひとつなんだろう。きっと俳句と短歌はちからのだしどころがちがふのね。世の中はそんな皮肉にみちている。

短歌ではいまひとつ。たしかにそうやけで。へこむわ。

太田一明

人は前を蛍はうしろを照らすなり

味わい深い。

あー、
我ながら、天才的な批評だわ。
感心しました。
申し訳ありませんが、この頃のたちきはさいこうだったよ。
みなさん、素晴らしいです
いい句がたくさんありますねえ

中津市 樹
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