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2008年6月20日 (金)

サンカの血をゆりおこす

     暦論  その九

  皇孫御誕生を喜びたてまつりて

大宮のかたよりひびく號砲に
   なみだぐましき喜びをする

いと殊に近くかがやく星のあり
   めでたき宵をことほぐがごと

   文化學院中學部四年生  藪 秀野

大正十四年十二月九日、国民新聞に掲載された、当時大正天皇の摂政であったのちの昭和天皇に、第一皇女照宮が誕生した祝意をうたった十六歳の少女(のちの石橋秀野)の歌である。

和歌は与謝野晶子に、俳句は高濱虚子について学んだ秀野の記念すべき作品デビューは、今の時代とも共時性をもつこの和歌だった。関東大震災から二年ほどしかたっておらず、国際政治においても米英にうとまれてゆく暗い世相の中で、唯一の光明がこの件だった。
そして平成十三年十二月一日、今上天皇に皇孫・敬宮愛子内親王が誕生した。

      ◇

この冬もまた、有明海のバゲことたいらぎのわた入りのだごじるを食べ損ねる。海苔はめぐみの雨に救われたようだが、諫早湾干拓の行方が思われる。ダム建造もはやらなくなった。新聞では太平洋上の島ツバル(なんて象徴的な言霊)が温暖化で水没したため一万二千人の島民が難民化したと伝えている*。
転換の時代に来合わせ、九州という日本のもっとも基底部の島で、服わぬ民の子孫である血を強く意識しながら暦論を書くことは、いったい何からのEXODUSになるのだろうか。

      ◇

源鑑述百首和歌の続きにはいる。私はふしぎでたまらない。何も知らずにこの和歌を始めたのに、つぎつぎに面白い発見がある。「天文年間」まずこの元号にしてからが謎だ。いったいどこからこのような元号はふってくるのだろう。時代につく名、それらはみな、カミの領域からおりてくるのだと思いたくもなる。

大友能直(12~13世紀)が次なる謎だ。この人こそ豊後大友氏の祖であり、うまれは関東相模の一豪族ながら源頼朝落胤説がつきまとう伝説の人である。外山幹夫『大友宗麟』 をよむと、それは怪しく、おそらくは能直がみめうるわしく病弱な頼朝の愛童だったから生まれた伝説だろうという。しかし彼はこのお陰で頼朝の無双の寵仁となり、豊後・筑後の守護職ほか、鎮西奉行職まで任されていた。
この異能の人、大友能直(大伴と記す史料もある)が著したとされる『上記(うえつふみ)』 は、神代文字の一つ豊国文字で書かれている。それは漂泊の民・山窩=縄文人ののこした文字だ。

       ◇

九州というでかい島を横断するには山又山を踏破するしかない。それは昔も今も同じである。昔は馬で、今は電車や車で大山脈を人が往来する。その際きっといたであろう、いまもいるにちがいないサンカに出会い、自分たちとは全く違う文化に触れたのだ。けっして時の支配者にまつろわぬ民。大和朝廷に支配される前の永い民族の記憶。サンカの血よ、蘇れ。

        ◇

三十四    荒和祓(あらにこのはらひ) 鑑栄

月すヽし川瀬のなみの夕はらへ
こひをせましと人はいふとも

前々回(九州俳句誌123号)は、ここまで紹介した。
この歌はもっと深く読まねばならぬ。
荒和祓は別名、六月祓(みなづきはらへ)、夏越祓(なごしのはらへ、名越祓)とも言い、陰暦六月末日に神社で行われた。茅の輪くぐりやひとがたをつくって川へ流した。夏祓。-これが歳時記や辞典のもっとも簡単な説明。陰暦六月末は陽暦の八月中旬頃になる。
これについて考えてみたい。
手もとに伊勢神宮司廳が発行している神宮暦がある。神道では年二回の大祓があり、夏至から十日後、冬至から十日後。陽暦は六月末、十二月末。

この年に二度のみそぎは何を意味しているのだろうか。
もしかして、古代の1年は今の半年だったのかもしれぬ。なぜなら「年とは稔りのこと」だからである。つい近年まで「みのり」は米と麦の二毛作だった。豊作を祈って、あらたな年玉=年の霊をおむかえするために身をきよめたのだろう。

ところで、この荒和祓の歌だが、どんな意味だろう。月の涼しい夜、河瀬でみそぎをしている。恋をしてはいけないと人はいうけれど・・・。「こひをせまし」が「すまじ」か「なさいませ」なのかよくわからない。方言なのかも。博多祇園山笠の期間中は禁欲し潔斎することからもわかるように、たぶん、そういう意味だと思う。恋の歌でありつつ神祇の歌でもあるが、夏の歌に入っている。

       ◇

最初は夏日待(なつひまち)を九州に昭和四十年代まで続いていた夏休みにこどもたちだけで一晩お宮におこもりする祭りの原型かと考えた。あるいは荒和祓は九州の割にひろい範囲の地方に残る「よどまつり」の原型かもしれないと。新聞の投書欄でときどきヨドについて綴った文をみかける。熊本の主婦が九月のよどまつりについて書いてる文章を先日みかけたが、筑後のよどと同じだった。夜店もなにもない鎮守の杜に筵をしいて、くるま座になって村人が歓談するだけの祭り。小さい子達にとっては闇のこわさを知る機会であり、大人たちにとっては自分の中の縄文人の血を確認するようなそんな宵祭りである。 

       ◇

三十五  立龝    嵐竹

昨日までふくとも見えぬ秋風の
簾にさはる初秋の空

三十六   七夕    弘俊

七夕のあふ夜のとこは天の戸を
をし明かたもいそがさらなん

三十七    萩     覚元

ほのめかす軒端の萩を来てみれば
露うちなびく秋の初風

三十八   女郎花    鑑述

ひとしくも手ふれてやみむ女郎花
をなじ花野の秋はあれども

三十九   薄       鑑栄

花すヽき音信わたる秋風に
あだにやなびくゆふ暮の空

四十     蘭       宗右

秋の野に主あればこそふぢはかま
色香を露のやつさざるらめ

七夕のうたはなんとまっすぐな恋の歌だろう。
七夕の夜は牽牛と織姫の年に一度の逢瀬だから、夜が明けるのをせかさないでおくれ。

このうたをよんだとき、ふっと岩明均の漫画『七夕の国』を思い出した。かれの漫画は霊的示唆にみちており、かささぎと太宰府と大伴家持とはるかむかしの九州王朝説とをなぜか思い起こさせる。

かささぎの渡せる橋に置く霜の
白きをみれば夜ぞ更けにける  家持

(新古今・冬・620)

かささぎは、佐賀・福岡、長崎など西日本の一部にしか見られない。なぜ、昔の鳥とかくのだろう。

   『九州俳句』誌125号より引用

この前号124号の暦論八は省略。
ちょうどアメリカで9・11事件がおきた時だったため、そっちに気をとられ百首和歌にはふれていない。それでもやや面白いところもあるので、引用しようとしたが、半分入力したところでとんでしまった。イスラム暦(回教暦)とグレゴリオ暦とユダヤ暦との違いと関連(和歌俳句川柳みたいなかんじといえばもっともわかりやすい。基底部にユダヤ教がまずあり、それを批評するかたちであとの暦が生まれた)を書き、それに「くるす野」で引用した後ろ半分。

9・11事件:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

追伸:

あれから「スーチー女史は善人か」を読んだ。
「包茎が世界を揺るがす」の題の最終章、それ一文をよむためだけに本を買った。アメリカは多民族国家だが陰で国を動かしているのはユダヤ暦だと思っていたので、そのことがこの題をみて、瞬間的に浮かんだからだ。政治思想にもキリスト教の慈悲はないように思えるし、九月に始まる新学期、新年度といい、ユダヤ暦だ(陽暦九月がユダヤ暦の1月)。数年前聖マリアの小児外科医の先生からきいた、白人はみな手術します、との一言が謎として胸に残っていて、割礼という宗教儀式をもつのはユダヤ人だけだったはずなのにいったいそれはどういうことなのかと知りたかった。これでよくわかった。著者の高山さんありがとう。教えてくださった東京のさくらさん、ありがとう。内容は教えません。しりたいひとはお買い求めください。

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コメント

そう言われたら私も買いたくなるじゃない。
て、言うか、週刊誌記事を集めた本だから大半は読んだはず、himenoさんが興味を持ったところも、うん、確かに読んだ。立ち読みで。でも内容は忘れました。

わたしの住むむらには、熊野神社の座組ってのがあって、年に2回、願立てという慣習がのこってる。夏場の6月末と冬場の12月。これってやっぱり豊作の願いを神さんに申し上げるみそぎじゃなかと?

よど祭りものこってるけど、いまは地域の夏祭りに様変わり。これはみそぎというより、娯楽の無かった時代の娯楽の場だったのではないかと思うっちゃけどね。

さくらさん。いつもよまれているんですね。ほかにひとつ、はっとするようなことがかかれていました。
せいこさんところは、わたしのところよりもっと古いものがだいじにされてますね。
願たてか。おしろいまつりみたいなものを連想しました。

本日、荒和祓(あらにこのはらひ)でここへ見えた方。荒ぶるものを和ませるのがあわにこのはらいかとおもいますが、もともとは荒たへの御衣、和(にぎ)たへの御衣を天皇に奉じたことによる、と書かれているものもありますが。夏と冬にある意味はおお昔半年が一年だった時代があったのではと思われる。

書道をする従姉が拙句を軸装してもってきてくれました。義母上が広報に書かれたサンカの文章を今年アップしたのですが、大きな反響があったそうです。ぜんぜん存じ上げませんでした。どうか、長生きなさってください。

「サンカ」については、30歳の頃、研究というほどではないけど、久留米図書館にある範囲の本で勉強したことあります。折しも1月余前に読んだ「幻の漂泊民・サンカ」、これこそアカデミックで実証主義的なサンカ研究の決定版みたいなので、お時間とどっかの図書館にあればどうぞ。

沖浦和光のその本、持っています。
ずうっと前に読みました。出端。
あんまり面白い本ではありませんでした。
むしろ、かささぎお奨めの本は、『古神道入門』
深見東州他二名、共著。これは面白いです。
はい、お察しのとおり私はアカデミックな本はあんまり好きではない。古神道入門には上記うえつふみの詳しい記述がありました。大友能直。あ!今おもった。能直って名前だけど、黒木助能とも似ていますね。よしなお、すけよし。もしや親戚。苦笑。
サンカ文字、豊国文字。↓

恥ずかしながら、この記事が出るまで「サンカ」という言葉を知りませんでした。ググってみたら、放浪の民のことで、ホイトと呼ばれた地域もあると記述があり、腑に落ちた。山家とも書くのだとありました。「山家(やんべ)」・・・短歌仲間の苗字でもあります。がぜん興味がわきました。ひめが貼り付けてくれた、その文字にも。
アカデミックなものでないと読みとおせないという自信があるので、そのアカデミックな一冊を探してこようと思います。

cloudraincloudおはようございます。
>>その本、去年読みました(文庫)でも残念、湯船読書で何度もぼちゃんと落として最後は処分しました。
お下がり本だったけど、文庫でまだ売ってると思います確か2002年製でしたbook

せいこさん、今度の連句の時かしてあげるよ。
単行本2001年。
表題には、「幻の」がついている。
これだって検証的なものとはいえんという謙虚な思いがこめられている。立派な本です。
くぐつ=さんか=山人という柳田國男の説とは別にこの人は、近世の時代の流動期に農山村民の一部が定住生活に見切りをつけて漂泊生活にはいったものとする。「人別帳から消された無宿、野非人、が急増した時代に、サンカ発生の大きな契機があった」と予想する。それは幕末期の数十年間だって書かれているのですが、。
きのうの竜馬伝で、やっと岩崎弥太郎がお金をもうけることができましたね。材木が売れた。
あの人が初めて籠をしょって出てきたとき、ああこういう人たちがサンカだったんじゃないかな。っておもった。

bookお借りしてた卑弥呼の本、私も持参します。

ところで、ろいりさん。しばらくぶりでございますね。
三十歳くらいのころ、なぜサンカが気になったのですか。かささぎはちょっと個人的に興味があります。
ショーケンと倍賞美津子の瀬振物語って映画はサンカものらしいのですが、これの影響ですか。

かささぎ紹介の『古神道入門』この中で吾郷清彦って方が述べられることがおもしろく、まるでこの人自身がサンカみたいに思える。意識の古層からやってきた人みたいなね。70年間も島根県で古神道を研究してこられた方です。もう故人。読みもしないうちから、とんでも本などに分類しないでほしい。
この方の言葉をいくつかご紹介します。
「ヘブル文字を説明する前にですねえ、さっき言いました日本の豊国文字ですが、これを徳政金吾は『古代埃及(エジプト)と日本』(カムト社・昭和八年)で、この文字は、エジプトから来たんです。エジプト古字が日本の豊国文字となったといっています」
「近代の言霊学の原典は、『水穂伝』といってもいいでしょう。岡本天明先生は『水穂伝』上下巻をガリ版で立派につくっておられます。」
最後に、「中今」についての吾郷さんおことば。
ちょっとながいなあ・・・、いずれまた。
その道の人たちには有名らしいたくさんの古い文献が出てくる、それを見ているだけでもひどく面白くて。やはり、島根という古い深層意識をもつ地が生んだ人です。
この本もおなじころの本。平成12年。

book>>
一畝不耕
一所不在
一生無籍
一心無私
プロローグがこの言葉で始まる五木著「風の王国」は大好きな本です。
古代、飛鳥時代、奈良の山々、翔ぶ女、サンカの末裔・・開いたとたん一気に読みました。
名作です(^_-)-☆

えめさん、そうですか。いつかそれよまなきゃね。
五木ひろゆきはサンカについての確固としたイメージがあるんでしょう。

ところで昼に引用した古神道入門の吾郷さんのお話に出てきた徳政金吾って人をしらべて行き着いたサイト。
『秘史のケーススタディ』

 サンカに興味持ったのは、もっと昔の25歳の頃からで、「瀬振物語」は、私がサンカ関係の本を読み漁った数年後~当時は月間20本ぐらい映画見てたけど、この映画は見るチャンスなし。なんで興味持ったのかは…忘れました。当時はトンデモ史観の類に惹かれていたからでしょう。戸来のキリストの墓とか、遮光式土偶=宇宙人説とか。
 へ~「幻の漂泊民・サンカ」を読みなさったの。私は「幻の」とは謙虚さの表現ではなく、その真の姿が見えにくいのと、虚構めいたことがさも真実であるかのように伝わっているという批判の気持ちが込められているのだと思います。
 古田武彦氏も「邪馬壹国説」や「九州王朝説」まではまだわかるが、「東日流外三郡誌」を信じたり、記紀の、都合のいい部分は真実として都合の悪い部分は虚構としたりするところは、どうもね。
 森浩一氏、松本清張の古代史発言に対して、「あの人たちはたいした論拠もなく好きなこと言うてるからね」~そんなふうな意味のことを聞いたのを覚えてます。

炉いりさん、どうもありがとう。
ありゃー。ついに炉入りだ。殿堂入りも近いぞ。
古田たけひこは好きな考古学者ですが、いくつかわからないところがある。
いまもやまいちこく、いっていらっしゃるのでしょうか。自分は原文を読んだことがないので、本当のところはどうなのかを知らない。だけど、古田氏の本を読むと、妙に説得力があるんでそっちを信じます。
だけど、こないだ新聞連載の森浩一氏とか、やまたいこく、で通しているし、やまいちこく、なんておくびにもだされません。読者としては、あれ?どっちがほんと?!と戸惑ってしまいます。
それだけでもいいから、ちゃんと新聞は世間に対して古田氏に説明をさせてほしいと思います。いま、古田史学はどういう説を展開しているのか。ずうっとおんなじ論を展開しつづけるほど若くはないと思うから。というより、いろんな発見、思考があって、徐々に変化していくのが普通だと思うからです。
でも、ね。好きなこというても、いいんじゃない。夢があっていいよ。古代を見てきたひとなんて、どうせおらんのやし。

nightこんばんわ
ネット時代になって、色んな人の邪馬台国論のエッセンス部分がちょいちょいと読めるので楽しいです♪長生きしてよかった^^
今年、「ななつさやのかたなツアー」にサンカできたのは大事な思い出です♪長生きしてよかった^^
古代は文献がないに等しいので、空想で膨らます楽しみがありますね。

book風の王国は手元にあります。いつでもどうぞ。


えめさん。どうもありがとうござんす。
ほんとにななつさやのたちつあーは出色でしたね。
たんぼのなかにぽつんとあって。
さくらもきれいかった。あんなにたくさんまんかいのさくらをみたことがなかった(不覚にも)ので感動しました。
長生きですか。まだまだ。これから今までと同じ時間生きなさい。といわれたら、どうしますか。

nightこんばんわ。そう、「かたな」じゃなくて「たち」でしたsweat01
桜ほんとに満開でした。桜は日本人の心にぴったりしますねcherryblossom
長生き>>長生き=幸せだとは思っていないのですよ。
短くてもどう生きたかのほうが大事かなと勝手に思ってます。
信長は人生50年と謡いました。 
50年はかなりくぎりの年齢かもしれません☆
>>もう十分です(^_-)-☆


きのうだったかな。最近は日付の記憶があいまいになるんでいやになりますが。
母とぼんやりテレビみてたら、ハイチに配置された老かんごふさんが取材されていた。83歳。ハイチのマザーテレサといわれているお方らしかった。
あ、すみません。看護婦さんではなく、この方、お医者様でした。今確認。国民放送です。みていたら、それぞれのこどもたちをとりあげてくださった、助産婦さんの雰囲気そっくりで。こころが「おおきな愛」に対して開かれている。そんなかんじでした。

cloudおはようございます。
それ見始めていたらチャンネルを変えられてしまいました。再放送があったときはぜひ☆

クローズアップ現代は、ときにみますが、キャスター国谷裕子、すばらしいと思います。バランス感覚がね。そしてなにより、きれる。三つ下ほぼ同世代ですね。
こういう記事を発見。
2008年12月9日放送では司会者としての発言の中で、田母神俊雄元空幕長の論文発表について、「航空自衛隊トップとしての自覚というのが無い」と発言した。また、「自衛隊内部に政府見解と異なる意見を許容するムード」があってはならない、という前提で司会を進めた。

 『魏志』倭人伝の写本には「邪馬壹(壱の旧字体)国」と書いてあるけど、他の文献には「邪馬薹(台の旧字体)国」と書いてあるので、「壹」は「臺(台)」の間違いじゃろうというのが通説です。でも「臺」という字は、どっちかというと尊敬字?それに対して「倭」も「邪」「馬」の字も、卑弥呼の「卑」の字も卑字(差別字)。だから『魏志』倭人伝の写本通り「邪馬壹国」とすべきだというのが「邪馬台国はなかった」という題の本意です。言っちゃ悪いが、この点だけが古田説の鋭い指摘だけど、それに常識的古代史学者がどう反論してるかは、勉強不足で知りまっしぇん。ただし「やまたい」が「やまいち」だとすると、邪馬台=山門説の根拠も半ば失われてしまう、邪馬台国福岡県南部説にとっては痛し痒しですね。
 ちなみに蘇我氏一族の馬子・蝦夷・入鹿、いずれも卑字が使ってある、これは『日本書紀』の「藤原氏史観」によるものであって、とにかく蘇我氏のことをやたら悪者扱いしています。最近は、俗に「聖徳太子」(実際は厩戸王)がやったと言われている業績も、本当は蘇我馬子との共同政治によるものとされてます。高校の教科書なおもてそのように書く、いわんや、歴史学界をや。

炉入りさん、産休。

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