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2008年6月21日 (土)

古の闇を漂う

   暦論    その十

はなはだ私的な事だが、家業の苺出荷で二月~四月はしぬほど忙しい。本稿のために集めた本が十分よめぬ。それが最も辛い。
最初に前言訂正。まだツバル島は水没していない。読んだ記事は幻だったのだろうか。自分が季節を人工的に操る現代農業に携わる一員であるため、温暖化が気になり、良心の呵責がある。
まぼろしといえば、前回書いたサンカこそは幻の漂泊民である。先が読めない時代にはどうしても不確かなもの謎めいたものに心が動く。陰陽師しかりサンカしかり。

        ◇

時代が動く前には、先ず底辺で闇が蠢く。この闇は太古の闇と通じている。闇の世界にはなにがあるか。前号で紹介した岩明均の漫画『七夕の国』にはその窓がある。
では、七夕とは何かご存知だろうか。歳時記類やインターネット検索で得る知識は、画一的な死んだ動かぬ知識だ。だがこの漫画には、その原型のような祭りが生きて提示され、私のなかのなにものかがしきりに扇動される。この物語の中の七夕は、夏至の瞬間をはさんで前後七日間の夕方、ある山の山頂で村人が行う祭りである。私はこの祭りに、岩戸山の伊勢宮の夏日侍を重ねたり、白夜の国フィンランドが生んだ童話ムーミンに描かれた夏至の夜の火祭りを重ねたり、最後にはアイルランドのストーンサークルまでが浮かんできた。岩明均はどこでこの発想を得たのだろう。彼の漫画はスプラッタ趣味で残虐で非情だが、なぜか琴線に触れるものが私にはある。想像力だけで描いているのか、もし史料があるのなら、知りたい。

        ◇

天文廿四年卯月廿五日の日付は、いまに置き換えたら夏至のころだ*。この時代の陽暦換算表が入手できておらず、断言できぬが、想像でものをかけば、祀りに奉納せんとして、和歌を年号である年玉の数の二十四人に割り振って詠み、連句でいえば捌(さばき)にして執筆(しゅひつ)の源鑑述(みなもとのあきのぶ、と仮に読んでおく)がまとめた。夏至の日が昇るのを夜通し起きて「お待ち受け」したのだ。マツリのことたまの正体を。

        ◇

わたしは岩戸山古墳の伊勢宮跡に、ハルマゲドンの語源でもあるメギドの丘の面影を重ねる。ハルとは牛の角をもつ神の名であると同時に、日の当たる丘の意味をもつ言葉だと、以前ユダヤ物のとんでも本で読んだ。ハル=牛神=キリスト=弥勒と、日本語ハル=春とが同音なのは偶然であろうはずがない。そして九州島では原を「はる」となまる。これもまた偶然ではない。九州は源(ハル)だ。

        ◇

源鑑述奉納百首和歌「夏日侍」

龝*の部

四十一   萩    鑑述

龝の野や千草の色にひきかへて
錦をかざす萩の白露

四十二    鴈(雁)   弘智

いつもきくここちこそせで玉手箱
二見の浦をわたる雁

四十三     鹿     鑑実

さをしかの妻こふ野路の朝な/\
咲ける小萩の露こぼるらん

四十四     雰(霧)   鎮光

明更を遠方人のこころとや
雰うちはらふ袖のゆきかひ

四十五     露      鑑實

をく露は萩の上葉にとヽまらで
つれなく残る秋風のこゑ

四十六    槿(あさがほ)  嵐竹

あだなりと見しは残らじ槿は
世にはてしなき秋ごとの花

四十七    駒牽       松寿

今しばしかげを留よる望月の
駒の行辺も走り井の水

四十八    月         塩亀

あまてらす月を清水にうつしきて
猶かけまつる伊勢の神垣

四十九    擣衣(とうい)   宗房

秋といへばさびしかりけりむば玉の
夜わたる月に衣打つなり

五十     虫      鑑栄

女郎花露にやどりやかしつらん
こころのかぎりしのぶ虫の音

五十一    菊     鑑述

作りなす砌の菊のした水は
くむともつきじ万代のかげ

五十二    紅葉     頼運

玉鉾の道の山かげふきおちて
をらぬ紅葉を袖に見るかな

五十三    秋田     鑑教

種まきし難波の小田は夢なれや
をどろきあへぬ秋かぜの音

五十四    九月尽    通次

長月もけふにうつろふもみじ葉の
かぜの跡とふ友のうれしさ

         ◇

秋の部はこれで全部である。
今はない珍しい字の季題がいくつかあり、槿はあさがほと読みつつも、今のむくげだと言う。四十番目の蘭が藤袴だったように、詠まれている植物が今のものに当てはめると違うものがある。
江戸中期の芭蕉捌「冬の日」第二歌仙、杜國の脇句、

雪にまた見る蕣の食  杜國

蕣はあさがほとよみ、今の朝顔だそう。同歌仙にはむくげも木槿の文字で出ている。
駒牽(こまひき)は八月に諸国の牧場から献上された馬を天皇がご覧になる儀式と出ている。
擣衣(とうい)は寒さに備えて砧で衣を打つこと。
漢詩に槝歌として多く見られる。李白の『子夜呉歌』「長安一片の月  万戸衣を擣つ声」は有名だ。(連句誌れぎおん・光田和伸の「冬の日」参照)

       ◇

八女は摩訶不思議な地だ。さびれた小さな町を豊かな農林業の郡部が三方からかこみ、唯一山に遮られず視野が開けるのが西の有明海に向く方面だ。筑紫の君磐井がなぜこの地に生前墓を造営したのか、この地から古代ははるかに海も海にそそぐ矢部川も見えたのだろうか。
陰陽五行や風水の思想もずいぶん古い時代から入っていたはずだ。墓地をこの地にきめるためにはどんな条件が必要だったろう。まず、自分の住居の子(ね)の方にあること。だが磐井の居城跡といわれる久留米高良山から八女は裏鬼門にあたる。八女が子(というよりウシトラ)の方角にくる地を地図でさがすと、山門郡(現みやま市)なのだが・・。

前回のオホトモ、大伴氏(大伴家持、大友能直)だが、八女の古代史料での初出は古事記の継体天皇紀で、石井(磐井)を殺すために大和の継体から物部氏とともに派遣された氏族としてだ。継体22年西暦528年だとされる。
次が書記の、持統四年(690)九月二十三日に筑後の国、上陽咩(かみつやめ)郡出身の兵士・大伴博麻の美談。かれは白村江の戦い(百済救援戦争)において唐側の捕虜になったが、同じく捕虜として唐に抑留された主君・筑紫の君薩夜麻(さちやま)を祖国日本へ帰すため、みずからを奴隷として売り、十年間路銀をためて主君を祖国へ帰した。のち自らも帰国したが、すでに三十年がたっており、「九州古代王朝説」などの説ではその間に祖国の倭国は大和にほぼ吸収されたという。

八女郡上陽(じょうよう)町にこの忠君の士の碑はある。

尊朝愛国 賣身輸忠 大伴博麻呂碑

「九州俳句」誌126号より引用

*

秋の字は、のぎへんに亀のややこしい正字でやっとりますが、実物はのぎへんに亀のすっきりした字でした。ふしぎなことにこの変換しかできなかった。どこかにさがせばあるのでしょうが。

七年まえのものながら、いつ、と表記しないのは、じつは手もとに九州俳句誌がないからです。コピーしたものがあるだけで。わたしはほんとにずさんです。

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コメント

今日は夏至。100万人のキャンドルナイトの日。消灯して蝋燭の明かりで語らいましょうという世界規模イベント。日本でも東京タワーはじめ約4万施設が消灯し、800箇所でキャンドルナイトのイベントが開催されました。その中のひとつ、みやま市会場のキャンドルナイトに参加してきました。みやま市会場が他の会場と一味違うのは、石油を原料とした蝋燭は使わず、すべて櫨の実を原料とした木蝋(和ろうそく)を使っているところ。世界に木蝋工場は愛媛と長崎とみやま市にしかなく、みやま市が最大規模とか。すなわち、世界一の木蝋生産地なのでした。

え。そうだったの。しらなかった。ちょうど夏至だったとはすごくない。わたしって超能力者みたい。
六月中旬が夏至、ということは、梅雨真っ盛りに夏至ってあったんだね。

じつは旧暦四月二十五日は夏至じゃありません。まったくほんとにてきとうにかいてました。みなさんごめんなさいまし。(さいごらへんでちゃんと調べるとちがってた)

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