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2008年6月22日 (日)

臺上の蟻

    暦論  その十一


臺上に餓ゑて
月高し    

            横光利一

石橋秀野が一時小説の師と仰いだ横光の句だ。昭和初期の句である。現在は台という字をこの旧字にあてるが、台と臺では印象がまったく異なる。
前回文末に引用した大伴部博麻呂の美談は日本書紀本体からの引用ではなく、荒金卓也著『九州古代史の謎』(海鳥社)からの孫引きである。邪馬壹国(魏志倭人伝表記、臺タイでなく壹イチ)の本はたくさんあるけれども、これがいちばんおもしろかった。

著者は古田武彦を師とする在野の研究家である。冒頭にこのタイとイチの字の混同を糺すために古田武彦氏がなさったことを紹介されている。魏志倭人伝が記載された本編の三国志(小説とは別)全六十五巻にすべて目を通して、その用い方を調べたという。するとこの二つの漢字、壹と臺はきっちり使い分けがされており、誤記されている箇所はなかった。

臺は皇帝の宮殿を指すことばらしい。邪馬台国が邪馬臺国ではなかったことにまず驚き、大和朝廷の日本国統一以前にすでに太宰府を都とする九州王朝(倭国)があったとする論の建て方に、あらがいがたい魅力を感じた。

そして私は連句的にこの横光の蟻の句を考えずにはおれなくなる。臺上の蟻句は、時代霊への存問の句だ。芭蕉の血をひくと信じて疑わなかった、昭和初期を代表する作家の句である。この「臺」一字に、かれはどんな想いをこめていたのだろう。もしも彼と同時代の人に聞けるものなら、尋ねてみたい。思えば昭和の大戦後、国語の表記はあっけなく変革された。敗戦の体験が痛ましすぎて、すべての記憶を一度無にせねば耐えられなかったかのように。だがなにか肝腎なものを取りこぼしてしまったのもまた、事実だ。

ほんとうは邪馬壹国なのに邪馬台国とよびならわしてしまったような間違いを、ほかにもたくさんしているにちがいない。

      ◇

亡き祖母の箪笥から、昭和十三年師走の「家の光」誌付録の「大東亜鳥瞰絵地圖」が出てきた。大判の絵地図で、日本列島は右端にちいさく描かれ、中央にはでんと中国大陸がある。大陸各地の特産品が絵で描かれ、別枠で「皇軍占領區域」を赤で色分けしてみせている。当時は大日本帝国だったのだ。まるで陣取り図のように、牧歌的ともいえる欲望をまるだしにした地図が、全国の農家に届いていたのかと思うと、時代を支配するモノの存在、時代霊ともいうべき実在の通過がふっと感知され何やらおそろしい。

この恐れはまた、歌仙を座でさばくときのおそれにも通じる。みえない糸を見ることにおいて。

去年、日本青年館で『芭蕉俳諧の真価』 と題して熱のこもった講演をなさった光田和伸氏の「わたしたちは、二条良基という天才が作ってくれた連歌式目を、世界に誇ってよい」 ということばが突然記憶によみがえる。現在の連句式目や俳句歳時記の源には、この式目がある。天然界と人間界のすべてを整然と分類し緻密に秩序だてた、うたの哲学。

源鑑述百首和歌の冬の部に入る。
それにしてもこの百首和歌に名を連ねている武士たちは、うたの教養を身につけた当時の文化人であった。いまだに私はこの24人のうち、ひとりの素性すらわからない。だが「柳川市史」「大和町史」*などで当時の古文書に似た名前の武士をみつけると、みな弘治~天正年間に戦死している。佐賀で、あるいは豊後で討ち死にしている。当時は九州の広範囲が豊後大友氏に制圧されていて名前に鑑と鎮がつく武士がやたらと多い。だからこのなかの連衆だと確認することはとうてい不可能だが、骨肉相食む戦国の世に、かくも優雅な歌を残した二十四人の天文歌人を、わたしはこころから尊敬する。

      ◇

 「夏日侍」  冬の部

五十五   初冬   鎮續

山姫や手染の色を白妙の
雲の衣にかへてたつらむ*

五十六   時雨    鑑教

むすぶてふ柴の庵のとこの上に
まなくしぐるヽ雲のよな/\

五十七   霜    鎮時

天つ星ひかりつつゆくあかつきの
空よりやがて霜やをくらむ

五十八  霰    鑑実

閨近き楢の枯葉の玉あられ
音してかへす夜半の夢かな

五十九  雪   鑑述

かきくもる雪に出で立つ朝あけや
枩に花さく岡の辺の山*

六十   千鳥   鑑教

霜さむきよるはすがらのうらなみに
なきたつちどりいづち行くらむ

六十一  氷    牧也

氷るかとかけひの水のたえ/\に
寝覚めさびしきあかつきのとこ

六十二  水鳥   鑑実

打羽ぶくこゑこそたゝね池にすむ
をし明かたの霜やさゆらむ

六十三  網代    鎮續

氷魚のよるながれも見えて田ノ上や
まもるあじろのとこはなれせぬ*

六十四  神楽     覚元

祈てふ事はおろかにあらし世に
しらゆふかけてうたふ御神楽

六十五  鷹狩    鑑栄

ふる雪に狩場の鷹の一つがひ
花をはらへる袖かとぞ見る

六十六  炭竈     鎮時

さしこもる小野の炭がま都にも
こころしられて立つけぶりかな*

六十七   埋火    宗右

さゆる月の老のおもひを埋づますは
何にかからむ夕べならまし

六十八   寒梅    廣吉

木ヽにつむ雪をはらへばはるをまつ
むめの匂ひにをどろかれけり

六十九  歳暮      鑑栄

忘めやあか井の水にとし暮て
わが身のかげをなにとくむらん*

冬の歌はここで終り、恋の歌が始まる。

「九州俳句」誌127号より引用

*  当時柳川古文書館で月二回無料の古文書解読講座がひらかれていて、八女市民にも開かれていました。初級と中級、二年ほど通いまして、実際のテキストをなんとなく読めるようになるまで指導していただきました。先生は九大の教授と古文書館の学芸員さんでした。その当時は柳川市史編纂中で、ちょうど大和町史が出来上がったばかり、四千円で買わされた記憶があります。もんんんのすごく分厚い!つけもの石にできる重さ。内容はふつう。が、相撲の歴史というのがついていて、それはおもしろかった。雲龍ってひとがでているんですよね、この地からは。

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