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2008年6月 1日 (日)

九州俳句の野生 その1

五時、夫が起こしてくれた。しまった。五時に東妙寺らんを迎えに行く約束だった。
夫にだけ行先を告げ、八女インターから高速道に乗ったのが五時十八分。二回の休憩をはさみ、無事に宮崎に着いた。ときに八時。少し橘橋を渡ったあたりで迷った。迷わねば二時間半で目的地、プラザ宮崎ホテルに着いていた。狭いんだな九州島は。

朝ごはん、聳え立つホテルのパン屋でごぼうとえびのサラダがはさまったパンを買って食べる。会場に着いたのは九時半近く。会はすぐ始まった。今期限りで九州俳句誌の編集を退かれる中村重義氏にお礼の挨拶をせねば・・と思っていたのだが、とうとうできなかった。わがままな文章をずっと載せていただいていたことが、ありがたく、一言お礼をいいたかったのだが。一度も九州俳句大会に出席したことがなかった。自分の不義理を恥じていた。中村編集長から、これが最後になるとお聞きしていたので、今日行かねば、会わす顔がないと思ってたのだった。
連句につきあって下さった熊本の中山宙虫さんが九州俳句大会賞の宮崎県知事賞を取られたとブログで読んだので、これも行かねばという気にさせた。

講演がおもしろかった。
『九州の脊梁と椎葉の四季ー唄・芸能・食文化』と題して、宮崎公立大学教授・永松敦氏が熱のこもったおはなしをなさった。民俗学の話である。興味深い話だったので、メモをとった。

椎葉村の民謡のいくつかを村人が唄ったものを聞くことができたし、歌詞もきっちりとプリントされたのを配布なさったので、意味が読めた。それが驚いたことに、なんと恋の歌なわけです。わたしはほんとうにびっくりしてしまいました。そこに聴衆がいなければ、講師にかけよって、質問攻めにしているところでした。

たとえば、労働唄とばかり思っていた「茶摘み唄」。歌詞をつらつら読みますに、合コン風、出会い系風の口説き唄なのです。すごい。こんな生き生きとした卑猥な歌詞を、なぜか微妙に哀調を帯びたメロディーにのせて、アラ、コライショなんて合いの手入りでうたう。
わたしは、これを聞いたときに(もっとも講師の先生はそれを口にはなさらず、すっとばされた。恥ずかしかったのだとお察しもうしあげる)、すぐ、八女市の老連広報に山内の木附大子氏(80代後半ぐらいか。従姉の姑です)が書かれていた、むかしむかしの茶つみ風景の点描を連想してしまいました。

周知のように、椎葉も奥八女も九州の脊梁ともいえる山脈上にあります。山の人であるマタギやキジシ(民芸品のきじ車は木地師からきている)は山の脊梁を驚くべきタフさで驚くべき距離、移動していたという。四季の仕事の移ろいにつれて、あちこちの山々を猿のように移動するおとこたち、またおんなたち。女たちは木こりをするのではなく、茶摘などの季節労働者として移動していました。そこで自然と出会い唄がうまれたのです。つらい労働を唄でもてなしていたのです。なるほどなあ。いつか私の暦論でもとりあげた、中国の雲南省に残る男女の唄の掛け合いも、これに繋がっていく、と先生はおっしゃいました。私は聞きながら、わくわくし、山人の血がさわぐのを自覚しました。どこかにまだ眠っている血があるのです。

先生はまた、稗と粟と米の殻について教えてくださいました。脱穀に最も労力を要するのは、稗である。3.5斗ついても、1斗しか取れないのがヒエだそう。米は6から7割。山の民は飢えない。川には魚が泳ぎ、山地には雑穀を蒔くからだ。焼畑農業がなぜいいのか。それは焼くことで土のちからをきよめるから。循環型焼畑農法は自然な農法である。焼いた畠はヤボといったりカンノ(刈野?)といったりするが、西米良ではこばといった。山の下のほうから火を放つとすごい勢いで火が燃え移るので、よその山まで延焼の恐れがある。だから、野焼きをするときは、なるべく山頂部から下へむけて焼く。火は下から上へあがるからだ。こうしないと、命があぶない。壮大な野焼きはまさに命がけの作業である。

もうすぐ麦畑が刈り取りされるのですが、では、八女で「コンノ」と呼ぶ刈り取り作業は、カンノの転なんだろうか、と、初めて納得がいった次第です。

はあ~民俗学はおもしろいなあ。まだ書きたいのですけど、きついし、もうやめましょう。あしたに続きます。

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コメント

 小生の拙い講演を、お誉めいただき、誠にありがとうございます。九州脊梁山地は椎葉も八女も含めて本当に文化の奥深いところです。小生の親戚も八女におります。永松姓は、父が田主丸の出身なのです。
 俳句も民謡とともに大切な日本の文化です。是非、後世に多くの方々に伝えていっていただきたいと思います。
 本当にありがとうございました。

返信いただけるなんてびっくりです。
遠路来た甲斐があったと思いました。話される一つ一つが、心の奥底に眠るものをゆり起こしてくれました。毎日ばたばたと暮らしておりますが、始原的な記憶を時によびさますのは大切です。夜神楽に興味があってもいけるものじゃありませんし入り口を教えて頂けた気がして嬉しかったです。
御礼申し上げます。
独特の民俗学用語が先生の口からぽろっぽろっとこぼれるのを拾ってたら妙なきもちでした。俳人は俳人にしかわからない世界が、民俗学者には民俗学者にしかわからない世界が、民謡歌手にはその独自の世界があるんだけれど、ただの山のもんには、そげなもんは、なーんもなかとですよね。だから、なんかもどかしい。

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