無料ブログはココログ

« 福島高校下の池 | トップページ | 大石政則日記について »

2008年5月20日 (火)

只本

只本

« 福島高校下の池 | トップページ | 大石政則日記について »

コメント

ミャンマーのこと、中国のこと。
古巣のJICAが頑張ってるので国際緊急援助はひとごとではありません。乙四郎の頃は津波災害でおおわらわした想い出があります。万単位の被災者があるのに救出者数がゼロだったり一桁だったりすると空しさいっぱいなのですが、皆、精一杯、力の限り頑張った結果です。救出者数が少ないのは、救出可能性のある場所と時機を逸するため。国際援助の際には当事国政府の意向に従わなくてはならないので、信頼関係が樹立してないと、救出可能性のある地域は自国救助隊のテリトリーとされたり、やたら手続きに時間を要したりと、うまくいかないのです。
乙のこれまでの訪問国(35か国くらい)の中で、最も国民が好きになれた国はミャンマーです。根っからの仏教国だからかもしれませんが、素行にも言動にも、直感的に「善人」を感じる人々でした。軍政が批判の対象とされていますが、乙が業務上接触した軍人さんたちも、政府の役人たちも、皆、一様に「いい人」ばかりでした。一度はハンセン病対策の仕事で田舎のハンセン病患者の集落を訪問したのですが、そこにいた親を失ったハンセン病の患児を同行の政府の役人さんが養女にしていました。そんな人々です。田舎の保健施設を訪問して貴重な統計資料を見せていただき、なにげに乙がこの資料のコピーが欲しいと呟くや、施設を出る時には、細かい字をすべて手書きで書き写した「コピー」を手渡してくれた、そんな人々です。第一線で保健活動に汗流してる人々に、日本からどんな援助があったらいいか、と質問すると、施設建設やら車両やらの要望はせず、文房具がもっとたくさんあればもっといい仕事ができる、と答える、そんな人々です。この善良な人々が、十万人以上、サイクロンで被災して生死不明となっているというのに、日本の緊急援助隊はいまだ派遣できずにいます。
乙のミャンマー滞在中、乙の一挙手一投足は監視されていました。尾行されるのには慣れている(?)とはいえ、そう気持ちのよいものではありません。「外国」に対する国家的なトラウマがあるようで、いろいろと勉強すると無理なからぬ心理が理解できます。首都ヤンゴンには乙のような外国人がしょっちゅう出入りするようになったので、唐突に、外国人が容易に入れない奥地へと首都移転しました。ネーピード Naypyidawというのが新首都ですが、ここはマラリア多発地帯です。そのくらい「外国」に国家を晒したくないのです。心底。歴史が彼らにそうさせているのです。報道写真家を射殺するのは許されないことですが、これも歴史が、トラウマが、この善良な人々に狂気をもたらしているのだと思います。
マスコミ的には、日本ではミャンマーという国の印象は悪いようです。米国がミャンマーを嫌っています。米国寄りのスーチーさんが軟禁されていることが非民主的であることの象徴とされています。基本的に、日本世論は米国追従です(ただし、珍しく、ミャンマーの国家承認に関しては米国と対立し、日本はミャンマーとある程度の国際協力ができるくらいの国交を樹立しています。米国はこの国の軍政を承認していないので、いまだにこの国をビルマと言っています)。
ミャンマー軍政からすると、スーチーさんはトラウマを刺激する存在なので、言論封じを行っています。でも、スーチーさんは困った存在とはいえ、善良な人々は、人としての扱いまで封じたりはしていません。スーチーさんは拘留されているのではなく、彼女の自宅(乙の大学くらい広い大豪邸です)から外出を控えるよう命じられているだけで、スーチーさん自身の生活や思考の自由を奪うような干渉はなされていないように思えます。ほんの何度か訪問しただけの印象で間違ってるかもしれませんが、訪問せずにこの国を論評している人たちよりはましかと思います。
中国のこと、これも書いたら長くなりそうなので、今回はここまで。この国には片手の指では足りないくらい訪問しました。

ほへ。


なんにもしらないので勉強になります。
昔いとこのふくおかの家にミャンマーの女性が下宿してました。さんさんもう というなまえだった。

週刊新潮の連載で高山正之さんと言う方の記事があって面白いので毎週読みます。
それは、テレビニュースの裏側から眺めたことが分かり易く書かれているからです。

ミャンマーについても何度と無く書かれており、それを読んでから、テレビのニュースとあまりにも違うなと思うのがミャンマー問題だったのです。
乙四郎さんの実体験からみたミャンマーの国の人達のことと合致して確信しました。

乙四郎さん、いいコメントありがとうございます。

また、私は戦争中にビルマで大変な苦労をしたおじいちゃんたちと会合などでたくさん会いました。
そのご縁からパソコンを教える事になって、パソコンやりながらビルマの話になり、泣き泣き講習をやった事もあります。
そういうおじいちゃん達は、ビルマでお世話になった恩を忘れず、現在までビルマの若い青年たちを日本に留学させて資金を出している人だっています。

参考記事
http://blogs.yahoo.co.jp/nipponko2007/18611420.html

アウンサンスーチーさんの本当のことを知ると「ほへー」ですよ。

浅学にして高山正之さんという方を存じ上げませんでした。教えていただきありがとうございます。
たまたまスーチーさんの豪邸のすぐ近くに、当時、日本大使館とJICA事務所があったので、通常は通行が許されていないアウンサン家の横の通りを乙の一行は毎日通っていました。アウンサン家の一辺を通過するのに車で何分もかかったので、少なくともこの女史は庶民サイドの方ではないな、ということぐらいはミャンマー政情に疎い乙にもよくわかりました。一所懸命に信念をもって活動されていることに嘘はないでしょう。彼女も善良なミャンマー人のひとりですから。印象としては、田中角栄の娘が庶民を代弁して活動しているような感じ。

へえ。この本の最終章がよみたい。
よその国はよくわかりませんが、日本の食糧事情はとってもいやだ。どこぞの老舗があまりものを棄てずに使いまわしたと言っては非難し、中国の食べ物を安く売ってもらって食いつないでいるくせに、ちょっと問題があると中国がすべて悪いように非難する。いやらしい。とてもげひんだ。じぶんをなにさまとおもっているんだろう。そんなにふまんなら、じぶんでなにもかも作ってみれば。とおもう。いまに飢える。

中国のこと
杞の国の男の話。天が崩れ落ちるのではないかと、心配で食事が喉を通らず、夜も眠れない。友人が、天は絶対に崩れることはないと説明しても、月や星が落ちてくるかもと心配する。杞人の憂。杞憂。
この故事のせいかどうか、中国の人々は、取り越し苦労を好まない。13億の民を十把一絡げに「中国の人々は・・・」と論評するのは不遜でしょうが、乙が接したことがある中国の人々に限っては、なかなか予防思想が身に付いていない印象を持っています。予防接種の徹底がなかなかうまくゆきません。感染して発病までに何年もかかるAIDSやB型肝炎の予防対策も難航しました。がん検診もダメ。症状もないのに病院へ行くなんて、彼らにしてみたら杞憂なのでしょう。
中国は、訪問のたびに街の様相が大きく変貌してゆきました。意匠を凝らした高層建築物が、次から次へと聳え立ちます。当然、建築中の建物が五万と目に飛び込んでくるわけで、それらの工法の貧弱さに不安を覚えました。耐震のための建築基準みたいなものがないはずはないのでしょうが、基準の有無と、それが守られているか否かとは別問題。直感的に、これは相当にヤバいぞ、と思えるものばかりでした。北京在住の日本人の間では、まことしやかに、「北京がひと揺れしたら、残る建築物は日系企業が建てたものだけだろうよ」と噂しています。何でも、日本人は数百年に一度起きるか起きないかの地震に備えて膨大なコストを掛けているが、数百年に一度の地震で壊れた時に建て直すほうが安いじゃないか、日本人て杞憂だね、みたいな反応があるのだそうです。
今回の地震の大きさは、確かに震源地では相当に大きかったものと思われますが、震源地から数十キロも離れたところだと、おそらく日本ではよくある程度の揺れだったのではないかと思います。それでも建物のほとんどが崩壊しているというのは、建物の構造自体に地震への備えがなかったのだろうと思います。
最近は、海外で事件事故が起きるたんびに「なお邦人の犠牲者は・・・」と報道されるのがお決まりなのに、今回は、これだけの人々が巻き込まれた大事件だというのに邦人報道がありません。今どき、こんなに広大な「鎖国」地帯が存在していたのか、と驚きです。これも中国の真実なのでしょう。乙も、外国人が初めて足を踏み入れた、ような中国の辺地を何ヶ所か訪問したことがありますが、誰も書かなかった中国、みたいなことをいくつも見聞しました。北京や上海は決して中国という国を代表していない、ということです。

嫌いな国民のこと
最も好きな国民のことを書いたので、今度は最も嫌いな国民について。
国民がすべて画一的に同じ性格・性癖であるはずはなく、個人差も大きく、どの国民であれ善人もいれば悪人もいるということは百も承知、頭ではわかっているのだけれど、たまたま出会ったその国民の印象があまりにも胸糞悪かったため、どうしてもその国民、その国が好きになれない。極端な話、こんな国滅びてしまえばいいのに、とまで思ってしまう。
その、たまたま出会った国民というのが、大使館員、すなわち外交官。外交官たるもの、相手国民にこんな悪印象を与えたらいけません。戦争を止めるのも外交官なら、戦争を誘発するのも外交官です。
時は1994年8月、横浜で開催された第10回国際エイズ会議でのこと。参加者は世界130カ国から12463人(国内5140人、海外7323人)。展示会場の一部は無料で一般公開され、こちらには7500人が入場。展示会場には100を越える世界のNGOのブースが出展され、企業や政府機関のブースも多数。こんな大イベントだったので、霞ヶ関からも多数、会議運営要員が駆り出されました。乙は、展示会場要員のひとり、政府機関ブースを担当しました。モーターショーだったらレースクイーンやキャンベーンガールが配置されるようなポジションに、霞ヶ関の管理職やら課長補佐やらが立っています。
ある時、某国のブースにいた二人組が、乙を手招きしました。それ自体、ムッとするのですが、我慢、我慢。用件は、本国の厚生大臣が来るかもしれないのでブースの留守番をしていてくれ、厚生大臣が来たらくれぐれも粗相なきよう、と言うやどこかへ行ってしまいました。きっと二人で喫茶店へでも息抜きに出かけたのでしょう。VIPのためなら仕様がない、他の業務をいろいろやりくりして、乙は、そのブースを守りました。やがて、その厚生大臣とやらが登場。乙はしばらく応対に努めましたが、厚生大臣とSPは、本来居るべき大使館員がいないので相当にご立腹。乙は、はらはらどきどき気が気でない。しばらくして二人組が帰ってくるや、二人は、こんなことを平然と宣う。「この男が、厚生大臣は会場入り口に来られると言ったので、そちらへ迎えに行っておりました」と。そりゃないぜ。あまりにも頭に来たので、自分は留守番を頼まれただけだと主張したのですが、「この男は嘘つきだ」と言い放って、何の礼もいわずに厚生大臣をエスコートして大会会場のほうへ去ってしまいました。日本人は嘘つきが多くて困ります、とか言ってるに違いない。
その国は、ダビデの星を国旗にした国、「死海のほとり」の舞台となった国です。ほんなこて好かん!思い出すたび腹ん立つ!

うん。きいててむかつきますね。国民性なんだかそいつらが単に腹黒いだけなのか。ちょっとわからんばってん、そういう人間を外交官にしてるということだけで、だいたいの見当がつくってもんです。
以前マーキュリーを調べたとき、日本では口がうまくてこずるいのは負の評価しかないが、あっちではそういう口の達者な、嘘も方便式のお調子ものは歓迎されるってことを学びました。緑などなく自然がやたらと厳しいので、そういう人間性が育つんだろうな。そうじゃないと生きていけないっちゃろうね。

マーキュリーはヘルメス。以下、引用。ギリシア神話で、オリュンポス十二神の一。ゼウスとアトラスの娘マイアとの子。神々の使者を務めるほか、富と幸運の神で、商業・発明・盗人・旅行者などの守護神。ローマ神話のメルクリウス(マーキュリー)にあたる。
スティングのアルバムに「mercury falling」っていうのがあり大好きでしたので、マーキュリーってなんだと思って調べてた。いくら何でも水銀落下じゃない。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 只本:

« 福島高校下の池 | トップページ | 大石政則日記について »

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31