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2008年5月11日 (日)

釈迢空と連句

池田弥三郎・文

『折口信夫全集』第十五巻

 月報文『「あとがき」の周辺』11より抄出

前段中段略。

先生(釈迢空こと折口信夫)と蘿月氏との付き合いは、雑誌「日光」時代から、同人付合いとして深くなったのではないかと思う。「日光」の同人たちは、集まるとよく連句を巻いたらしいが、それを「俳人としてただ一人の萩原蘿月」は、くそみそにけなして興がったようである。蘿月氏は、歌人たちばかりの同人の中に、一人だけまじって、「自由律の俳句を書」いていた。(北原白秋「日光の思ひ出」短歌講座第十二巻『現代結社篇』昭和七年九月刊)。

この頃、膝折武助なる忍術者が現れて、「溝のはた」といふ独吟一巻を上げた。

目の前にぽったり蛭の血を吐いて*
   誰を怨みむ乳のしこりぞ*

ああら怪しやなといふところである。何と釈の迢空。(白秋・前掲書

蘿月氏のことは、もっとほかに多くを知る人があると思う。手もとに、内田南草氏から寄贈を受けた『小説・詩人蘿月』 (耕治人著 発行内田寛治 昭和三十九年十一月刊)がある。伝記の、ほとんど唯一のものであろうか。     

           ◇

研究会の相互研究の折に、わたし(池田弥三郎)のとったノートから、星野敏郎君が原稿を作ってくれたが、本巻の校了後に、わたしが当時使用した改造文庫本が出てきた。それにはさまざまな書入れがある。それを、改めて、星野君に点検してもらったところ、次の二か所の書入れが、ノートの方にはないことがわかった。その書込みと、ノートの方の筆記と、どういう関係なのかわからないが、先生(折口信夫)の片言として、記し留めておく。

いつはりのつらしと乳をしぼりすて
   きえぬそとばにすごすごとなく

この荷兮の付句に、「或は流れ勧請の如きものか」とある。
「流れ勧請」は、布に死んだ子の戒名を書き、流れのかたわらに、細い竹を四本立てて、これにその布をはっておく。通りすがりのものが、ひしゃくで流れの水をくんで、この布にかける。
やがて戒名が消え、死んだ子もゆくべきところへゆく。わたしは、大和と若狭とで、偶然これを見た。二度とも、先生(折口信夫、釈迢空)と一緒の旅行の途次であった。「流れ勧請」の、布に書いた戒名を、そとばと言ったかどうかはわからぬが、『冬の日』のことだから、そのくらいの「はいかい」はあろう。

もう一つは、

わがいのりあけがたの星孕むべく
   けふはいもとのまゆかきにゆき

この付句の野水の句に、「妹の成女戒の式か」と書き入れてある。妹の(「の」は領格)眉を、年長者がかきにゆくのを、成女戒の儀式であろうか、と想像したのである。ふだんの生活にあることだが、ことさら「かきにゆき」とあるのだから、あらたまった儀式の折と推測されたのであろう。

思いついたときの引用、書き込みをお許しください。

*

近代の俳句には結核での血を大量にヒルに吸わせるため、何十匹も捕らまえたという句がじっさいにあります。つい最近読んだばかりです。「西の季語物語」(茨木和生著)、その句は松瀬青々の養生俳句でした。茨木和生の師にあたる俳人で、茨木には「松瀬青々」の情細やかな名著あり。

流れ勧請:参照
ながさき:http://nagasaki-r.seesaa.net/archives/20080105-1.html

東郷町:http://www.yurihama.jp/kouhou_kako/togo-yo/gyouji/

流れ勧請は、しょうろう流しの原型であり、雛流しとも通じるようです。

池田弥三郎の句の提出のしかた、まさに連句的です。
折口先生の独吟のつけあいに、芭蕉「冬の日」歌仙がひびいているのをその耳は聴き取っています。

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コメント

ここへおいでくださった方、ありがとう!!
あることで、目が開けました。
これに、山口せいしと野尻抱影の句文集とが響いていました。古い古い本で、昭和二十年戦後すぐの。写真をとって、アップしようとしましたが、機械が拒否してます。

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