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2008年5月20日 (火)

大石政則日記について

大石政則日記ですが、一点疑問におもうことがございます。

それは一度出撃して油漏れがひどくて爆弾を海上に棄て

帰還したとき。すごい冷静な判断だなあと私はとても感心したのですが、

というのも、もし自分が特攻隊員であの立場であれば、油漏れしていようがいまいが、

とにもかくにも海中でもどこでも突っ込んだという気がするからです。

それをちゃんと引返すとは、なんと勇気ある行為であったことか。すごいなあと感心します。

じぶんの死を無駄にはしたくないとの思いが、人一倍強かったのだと思いました。

でも、須崎さんの書かれたものを読んでいましたら、そのことで上層部にどういわれたのか

火を見るより明らかだ。というように書かれています。ということは、やはり厳しくなじられたの

でしょうか。どんなふうに教えられていたのかわかりませんけれども、飛行機の調子がよくな

いときには、引返す勇気をもて。と教えられていたのではないのですか。それをなじるなど

正気のさたではありません。

カタカナ漢字まじりの無骨な文章を、ひらがな文に編集なさったときの戦友のこころと情感

が、例の「バーデス」のおかげで生き生きと伝わりました。これははからずも竹橋乙四郎が

ころんでくれたおかげです。それも伏線だったのかもしれませんけれど。

よくわからないことだらけではありますが、ただひとついえることは、たしかに飛行機を後輩

の新しいのと交換したとき、政則さんには又これは油漏れするだろう。でもそのときは堂々

と引返せるからね。じぶんが先例を示したように。・・というような確信があったのですね。

悲惨ではぜんぜん、ない。むしろスカッとした爽快感があります。

これはいったい、なぜなんでありましょうか。

これまでとは全然ちがう文脈で、特攻隊を描くことが出来てるからだと思います。

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コメント

飛行機の粗末さで最後まで飛べず引き返した人や不時着した人はたくさんいます。

引き返した人達は、ある特別な寮(博多)に監禁状態にされたようです。
船が沈んでも隠されたのと同じでしょう。
そこでは「命が惜しくて引き返したのだろう」と言ったような事を上官に散々言われたそうです。
(鳥栖で製作された映画「月光の夏」に描かれている)
今の状況からみたら正気の沙汰ではない。
当時、東大や慶応などの最高学府の人達(世界の状況は良く勉強して知っていた人達)がそういう状況を受け入れたほどに、いや、受け入れなくても、世界状況が逼迫してたという事だと理解していいます。

それも承知で引き返し、2度目の出撃に対して抜かりのない備え、その通りにきっちり事が運ばれている事は姫野さんの言うとおりですね。

そうでしたか。
戦争という集団ヒステリーのような非常時に、平常心を保つことがどんなにむずかしかったかを思います。
大石トク「思い出草」を読むと書かれている、二晩もむすこを抱いて寝た。という記述は、なんの事前知識もないひとには違和感があるだろうと思うのですが、昔の本を読んでいたおかげで、なみだがこぼれそうになりました。と同時にトクさんも書かれているように、この親子はほんとにしあわせな親子だったと思うのです。
それに対するてれもあったのではないかな。妹夫婦への遺書に童貞のじぶんをわらいとばすくだりがまじっていたのは。せつないことですね。

ことしよんだ新聞投書で、特攻隊員の兄が特攻に行く途中、撃ち落とされたために「名誉の戦死」の英霊として遇してもらえなかった、それがとても悔しい、と、なんどもなんども国へその不当なあつかいを訴えたが聴いてもらえなかった、という妹さんの声をよみました。
それは初耳でした。しらなかった。戦死に階級があったことを。

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