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2008年4月 1日 (火)

大石政則日記 その18

昭和二十年 四月一日

晴、十航艦和気(わけ)部隊(註・宇佐八幡宮にゆかりのある「和気清麻呂」にちなんで命名された部隊名)に愈々(いよいよ)出動の命下る。和気部隊八幡隊第一護皇攻撃隊誕生。明日出発の予定。藤井大尉(福田中尉操縦)指揮官、若麻績(わかおみ)、高橋少尉区隊長、教員三、合計六機。これに姫空の○機(不明)加わる。また艦爆の特攻隊に杉本、上野両少尉を我々の間より送りたり。老朽せりと雖(いえど)も、九七、九九の練習機に爆弾を抱き、必死必中の体当りを敢行するなり。夕食時、艦爆の両少尉のため乾杯を上ぐ。夜、艦攻学生ガンルームに赴き、教官の送別に列す。艦攻も爆撃も全部士官は予備学生にて我等の先輩教官なり。予備士官の実力を今ぞ発揚すべし。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

熊本の故・渋谷幽哉氏の追悼文のつづきを入力いたします。
ふしぎと大石政則日記に重なり、補ってくれます。
まったく時の経過がなかったかのように・・・。

串良基地慰霊祭における追悼文

       渋谷 幽哉
    
(生存者 元海軍第十四期予備学生)

突然「搭乗員整列」とスピーカーから流れると「すわ、出撃だ」と瞬時に廊下に飛び出す。横一列に並んでまつことしばし、コツコツという靴音が次第に近づいて、一片の紙片を持った飛行隊長の姿が見える。我々の前に立ちおもむろに「菊水二号作戦が発令された。本隊からも三名参加する。今から呼ばれた者は一歩前へ」。次々名前が呼ばれる。「堀之内少尉、富士原少尉、村瀬少尉、以上かかれ」。並んだ全員が「俺だ」と思う瞬間である。そして生死の別れる瞬間でもある。こんな光景が、作戦発令のたびに、何回も何回も繰り返されて行きましたね。出撃が決定したものは、別途命令の受領が終わると部屋に帰って、黙々と遺書や身の回りの整理に余念がない。そんな中で、堀之内少尉は「両親が台湾在住のため、東京帝大に在学以来もう何年も会っていない」と言う。まことに気の毒である。遺書をしたため、わずかばかりの身の周りの品を小包にして「どうかこれを送ってくれ」と言う。また、彼は、宇佐を出発する前日、いつも行きつけのN病院の小母さんが、出撃を察して「この人を連れて行って」と贈ってくれた可愛い日本人形を「おぶって行くんだ」と片時も離さない。

やがて、彼と同乗する偵察の予備学生出身の少尉と電信・機銃の本当に若い紅顔の予科練出身の飛曹が来て、地図を広げて出撃前の作戦が始まる。かくて、出撃命令を境に、征くあなた方と、残る私達との間にアッという間に、越えがたい永遠の空間が介在してしまうかのような、なんともたとえようのない気持ちが支配する。丁度、神聖な存在としてあなた方を俗界から見つめるような。何か手伝ってあげたいと思うのだが、全く手が出ないじれったさがありました。(平成四年十月十五日)

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