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2008年4月26日 (土)

筍の

いつもなら、もう今時分は、くるめのおばが甥とともに笠原の竹林にのぼって、たくさんたけのこを掘り出し、うちあたりにも、とうまいぶくろ二つぶんほども分けてくれてた。でも、ことしはそれがまだ。

星野の山に母の父の名前で猫のひたいよりも狭い土地がまだ残っていたらしく、こんど道がはしるので、その土地を公道にするには、一族の承認がいるというので、去年の暮れからずううっと何度もなんども星野村のお役人さまが、わがやにいらして(なにしろ、母が子孫の最長老になっていたので右代表のかたち)は、手続きをなさろうとしますが、二十数人の子孫、そのうちの若い一人からどうしてもまだ印鑑証明がもらえずに、往生しているようです。

母の父は、山口朝次といったようです。笠原のまえは星野にいたようです。見た目、笠置衆みたいでした。炭焼き小屋のまえでいとこと写っている写真をみたことがあります。私が五つの四月八日、くるめの娘のうちでご馳走をたべて、厠にいき、脳溢血で大往生したそうです。
こんどのことで、ながながしい系図をみることができました。星野だったとは知らなかったなあ。

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コメント

私には姉妹のように仲のいい従妹がいて、その従妹は昭和29年生まれ、himenoさんも同じでしょ?
鳥栖の叔母、鳥栖の叔母っていつもここに書く叔母がこの従妹の母親で(私の母の妹)、昭和5年生まれだけどhimenoさんのお母さんも同じくらいかなと思っています。
だから私の祖父と笠置衆みたいな朝次さんとは明治生まれの同じ年代のはずだよね。
私の祖父は、その叔母が生まれてすぐ若くして亡くなったそうだけど(もちろん私は影も形も無いうちに)、あのど田舎でヴァイオリンを弾いたりしてたらしい。
昔の男は贅肉がまったく無くて、一点を見据えたようなシンプルで柔和な顔というか笠置衆のようなタイプの人多かったような気がする。

それにしても道ひとつ作るのに、どんなにせまい面積でもそこまでして了解を得るとは民主主義だねぇ。
時間かけて手間かけてこぎつけるんだから容易に計画がやめられないって言うのもあるんだろうね。

実家の田んぼの一部が私の名義になってるらしくて、貸与して耕作くれてる人との賃貸契約更新の了解をもらう通知がご丁寧に私んとこにくるんだよね。

この叔母について、もうひとつ。
この叔母は私の母が長女で三姉妹の一番下なんだけど、生まれてすぐ父親が死んだので顔も知らないと言うけど、叔母が生まれた時父親がはいた言葉が、「またおなごか」って言ったそうだ。
その言葉を唯一父親との繋がりに思ってるんだよね。かわいそ。今78歳だけどね。
この叔母とさっきも長々とで電話で話した。鳥栖の情報を一部始終を知らせてくれる。

夕方らんさんからtelがあって、筍をほりに行ったそうですよ。強固はんの所にもまわってくるといいね。
丸山消去でしたっけ。会ってきましたよ。もうぬけられないからね、と宣言しておきました。くふ、今度の句会が楽しみだね。
さくらさん、はじめまして。主人の亡くなったお父さんも昔ヴァイオリンをひいていたそうです。やはり、昭和2,3年の生まれです。よく、喉自慢大会で演奏や審査員をされていたそうです。

ぼんさん、はじめましてってあなた、ずーっと知り合いの気分ですよ。

あーたたちの会話はこっちも愉快になりますですよ。

ヴァイオリンそのころから流行っていたんでしょうかね。

母方の祖母は星野出身の旧姓「山口」でした。おいおい、親戚かよ。
ちなみに、母方の祖父は北川内出身の「あさじ」(浅次)。尺八が得意でした。

強固はんに乙四郎。ルーツにまで共通点発覚。いやいやどうして、逃れられんサダメだったのでございますね。笑
必然の再会。つくづくエニシを感じます。ひとごとながら。笑×2

さくらさん。その鳥栖のいとこさん、同い年です。それにうちの母も昭和五年です。明治のおとこは贅肉がなくて・・たしかに。あんなにほそくても、米俵かつぐことはできたんだよね。いやこの表現はいかん。ほそくてしなやかだからこそ、ですね。
さくらさんはたんぼをもっておられるわけですね。年貢米みたいに一部を今も上納されます?
たからさんの実家(愛媛)ではいまも年貢米っていうらしい。昔庄屋だったそうで、その名残がいまにいたるまでずっとあるっていうのも、なんだか不思議な土地柄ですよね。正岡子規や高濱虚子など偉大な俳人を生み出した地だし、興味があります。

ぼん。きのうはごめん。きつくてきつくて、またまた寝てしまった。かぜがぬけなくて。らんちゃんから電話かかってきた。

乙四郎。浅次って名前、古風でいかすね。

いいよ、いいよ。かぜひいてるんやろ?無理せんとき。5月10日の会議(八女市文化会館)にはきてほしい。よろしく。

はい。
もう十日になります。
からだ強そうで弱い。
五月十日には何をおいても参ります。

早く糸の夢にきて。

いや待てよ、そういえば連句会したときからずううっとだ。それで思い出した。ぷ。
おかしい。
洟がでる風邪でね。咳もときにはげしい。きのうかえりがけ、子犬三匹を放し飼いにした事務所で、いぬのうんちをふんづけてしまいました。きづかなくって、そのスリッパのまま室内をうろうろしたので、みんなが「ん、な、なんだこのにおいは!」って大騒ぎになってね。せっかく鳥栖の八起(やおき)のアイスを営業のえむさんがみんなに買ってきてくれて食べてたとこだったんで、申し訳なかった。嗅覚ゼロ。ははは。ぞうきんでふきまわりましたとも。

ぼん。
糸の夢って検索をなんどしたことか。
夢判断のコーナーにいってしまうよ。
なんでそんなまぎらわしいタイトルにしたんや。

1月にひいた風邪のあと、まだのどの一部がちくちくっとするところがあって、すごい咳き込む時があるよ。
今年の風邪は咳が長引くってみんな言ってるよ。
お大事に。

今、最後の遺書読んで号泣。
「想いで草」まで書いて頂いてありがとうございました。

強固はん、このココログの名前のとこにブログ全体で検索って欄があるでしょ?そこから、糸の夢で検索するとたどりつけましたよ。

すまん。登録はしたものの自分のブログにたどり着くために、右往左往したのもじじつです。niftyのトップページにアクセスできるとかんたんです。

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