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2008年4月 8日 (火)

春の寺田村

弥生の寺田村

寺田天満宮遠景。桜が満開です。
藪秀野の実家があった辺りを四年前に訪れたことがあります。天理市西井戸堂(にしいどんど)。記憶では、近鉄二階堂駅*で下りて、そこから地図をみながらせっせと小一時間も歩き、とうとう位置が分らずに天理市街まで出てしまって、そこからタクシーで西井戸堂まで行ってもらいました。藪姓の近縁のかたがお住いで、おうちに上げてくださって、いろんな話をしてくださいましたっけ。そこからわずかに離れた墓地へもまいりました。

(* 前栽駅で下りると近くだった。)

その記憶を、じぶんの村のお宮をこの位置から見ながら、ふっと思い出しました。なぜかといいますと、似ていたからです。村の雰囲気、お宮が家の近くにあったこと(そこのお宮には万葉歌碑がありましたけど)、道をたづねた農家の人が農小屋で米を精白している途中を休んで、連れて行ってくださったことなど。いっぺんに蘇りました。よい土地でした。懐かしい土地でした。
弥生の寺田村

この写真は光が明るすぎて暗い写真になりました。家のうらのほうから写したものですが、二人の男の子が土筆をたくさんつんで、ぽっちらぽっちら歩いてくるのに出会いました。私達のこどものころは、暖かくなると、家人におべんとをつめてもらって、「おべんともっだし」っていうピクニックを遊び仲間とよくやりました。野原のなかでお弁当をたべるだけなんですが、これがとても楽しかった。思い出せば、自然はいつも身近で、意識するまでもなくそこにあり、こころは満ち足りていて、とっても幸せな少女時代を送っていたんだなあって、敬虔なきもちになります。

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コメント

こんばんは いらっしゃいませ

今朝の西日本新聞に、乙様のお写真と談話がのっておりました。船出から厳しいようですが、頑張ってください。お手伝いできることといったら草むしり程度ですが、お呼びがかかればでむきます。

いらっしゃいませ。ごきげんよう。

ぼん。そげなこついうたら、ほんなこて、あてにされて、こきつかわれるよ。

そげんいうたっちゃ、大学やらぜんぜん縁がないっちゃもん。通りすがりに世老後たる罰点、寄ってよかろうか?変換がおもしろいので、このままにしとく。

こんばんは。ただいま~!

ひめどんの周りには魅力的な女性がいっぱいやな。
せいちゃん、らんちゃん、そしてぼんちゃん。
ぼんちゃんは、愛嬌があるばい(笑)
妄想ば膨らましとるばってん、連句には誘わんでよ(爆)

世老後たる 罰点酔って 余暇ですよ (ぼん + 乙)

酔らないかんとかいな。困ったなあ!budさん今日湖畔から恋句に駄目だしされたけん、恋ば経験せやんとばってかねえ。時の流れにまかせて、自然にいきましょう。

昨朝けいりんじょうの隊長から、「きょうのカワサキは関東が大雨で中止になった。あすに延期です」との通知。まだよく光栄ギャンブルのしくみも事情ものみこめてない私はなんのこっちゃと思った。
四月から入札で市の仕事が三つとれた話をしましたが、その一つが競輪場の警備。まだ一度も競輪場にはいったことがない。とても古い森があって、桜がみごとらしい。一気に隊員さんも倍増でとても忙しい。でも今日は休みをとった。ボスの顔色みながら。
ぼん、しごと休んでまで広告鳥に回るんだからね。それでこれまでの不義理、ちゃらにしてや。いよろしく!

budさんの言うごつ、ほんなこて熟女の集まりもよかねぇ。


このごろまた風邪引いて、そしてまた今日明日は通夜に告別・・と取り込み中。
でも記事はぢぇんぶ読みよるよ。

乙の大学ですが、昨日から学食がオープンしました。さっそく、利用してみたところ、メニューも豊富で安くて美味い!
職人さんたちが心意気を見せてくれました。利用者数が少なくても手抜きはしないと。(ただし、昼食時間帯のみ。これは致し方ない)
外来者の利用も大歓迎です。ていうか、ど~んどん利用してほしいところ。

おはよ。こんちは。ごきげんやう。
今日は朝から偏頭痛のため、午前中、寝てました。
母から娘へ、受け継がれた遺伝子。
そして、わたしの血を引く息子も偏頭痛持ちです。

久しぶりの頭痛やった。あー、まだ本調子ではない。
では、おやすみ。ごきげんやう。

学食、外来者歓迎、いいねぇ。
このごろは明るいレストラン風で、ここが大学かと思うほどしゃれてますね。

昔、学食だけ「東大」でいただきました。

seikoさんお大事に。

ラン様、恭子様、臨時のお仕事ご苦労様です。この付けは同窓会終了時にきっちりかえさせてもらいます。飲めや歌えの大宴会をしましょうね。(わては飲めんけど)

後で、メール見てね。

およよ。
みなさまおそろいで、コメントたくさんにありがとさんにございます。
朝九時から友を車にのっけて八女福島と上妻の町を回りました。いわゆる「営業」ってやつです。十数件まわった。二度づつ行ったとこもある。公報が出張中でまたおいでっていわれたとこも。でもどっこもやさしかった。皆さん親切にご協力してくださった。ありがたいっす。乙四郎まで協力ありがとう。うれしかったっす。でもばてた。晩ご飯たべながら、寝ていた。笑

仕事を休んでまでの広告取り。
まあまあ、奇特なお方があったもんだ。笑

皆さん快くお引き受けくださったよね。
わたしも行ってきました。9件ゲット。
あと2件が未集金。明日行ってこようっと。
営業の経験はないけど、こんな感じなんだろうか。
初めてお伺いするお宅の敷居の高いこと。

集金の敷居の高き春日和  整子改め青児

整子改め青児。
あなたもぼんもぶんもほかのみんなも、ずうっと前からがむばっておったとに、それはちゃんと見えてたんだけど。なかなか会議に出れずにごめんなさい。
じつは、元銀行員さんを一人で回らせようと思ってたんですが、一人はいやだって。二人で回ってよかった。らんちゃんの知名度(行員としての)がよくわかったし、私も八女市の商家や医院やいろいろについてわかった。

私もふるさとの友達のことを思い出してると、ふと気がついた。乙四郎さんの友達のテンダさん、お寺の息子さんよね。私の4つ上の幼なじみにお寺の長男がいて、頭が良くて、学芸会は全て主役という美男子で、お行儀がいい、そんな彼が中学に入るとき消えたの。うわさでは、遠いお寺に修行に出されたとか。過酷な修行を想像して、私たちは皆胸を痛めたものでした。
でも、待てよ。彼は大学まで出てから帰って来て、役所に勤めながら今は跡を継いで、立派なお坊さんになってる。皆が口々にほめるくらい立派なお坊さんだから、修行したことは間違いないだろうけれど、もしかしたら、仏教系の学校に行って、恵まれた環境の中で勉強してたのかも。
私らは田舎もんだったからそんな選択肢、想像もしてなかったけど。うん。そうだといいな。

mariさん

乙四郎の高校にはお寺さんのご子息がたくさん、たくさん来てました。彼らは、仏教系の大学(高野山大学とか)へ進学したりしてました。ただ、テンダくんは、乙四郎がそそのかしたせいかもしれませんが、乙四郎の兄が通ってた、お寺とは全く関係ない大学へ進学しました。お寺はお兄様が継がれたようです。

まりさん。ほんとに当時は今と全然状況がちがってましたよね。中学で忽然と消えたともだちが、どこでどうくらしてたかなんてしるよしもなかった。おなじく優等生じゃなくその反対の理由で学校を去ったともだちのその後もまた気になることです。
ところで、昨日届いたれぎおん春号を読んでいたら、妙島秋男さんの面白いとめがきに吹き出してしまった。劣等生のユニークな視点について。「いみじうまさらせたまはむ」という古文を訳す問題で、こう答えた生徒がいたらしい。「すばらしい馬がにげていってしまう」。今日一日思い出し笑いをしてた。(正解は・・知らん。)

小さい時のとんだ勘違いのままでした。なんか安心した。今度本当はどこに行ったか聞いてみよう。

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