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2008年4月20日 (日)

半歌仙『乳の匂いの』

  独吟半歌仙『乳の匂いの』

        前田 亜弥

春風(しゅんぷう)のとろりと溶ける町をゆく
 箱の中には海峡の蝶
告白は朧月夜にさらされて
 シナプス繋ぐ固い長椅子
駆け続けなお泣きながら駆け続け
 万年筆の頼りなきこと

ウラ 
たのしみをつらねてみせる午餐なり
 きつく帯しめ蘭鋳(らんちゅう)になる
明け易しそろそろ川を渡ろうか
 肢へとつづく赤い発疹
身の内に黙示の月が二つあり
 洋書の上に点る鬼灯
冷や冷やと寝返りをうつ薄曇り
 酒蔵前のバス停留所
色褪せた戸棚の奥のクリームパン
 震える時計掌(てのひら)の中
祝福は一日遅れの凍(いて)し花
 乳の匂いの雪が舞い来ぬ

  留書

祖母は明治の女であった。
いつも背筋を伸ばし、きっとしたところがあった。平家落人伝説のある地方の豪農の家に生まれた。美しい清流を見下す山の中腹に白壁が続いている、その家で生まれ育った。
曾祖母は養子娘であり、いつも座敷の奥に床を背にして座り、家を取りしきっていた。老いても、毎朝陽のあたる納戸に鏡を置き、薄化粧をし髪を梳いていたそうだ。
一族は皆美形であったそうで、親類が集まると面長で鼻筋が通り、大きな二重瞼(眼疾の血筋である)の者ばかりで壮観であったらしい。以前、古いアルバムの中に若かりし祖母とその姉妹たちの写真を見たことがある。当時の写真は多少の手が入っていたとはいえ、一幅の美人画のようであった。祖母は七十を過ぎてもその容貌を窺うことができた。
ただ、子供にとっては窮屈な人であった。
高等女学校卒業後、教鞭を取っていたという姿が常ににじみ出ていた。私は幼い頃から物の名前等を言い換えたり、愛称をつける癖があった。ある時、祖母のことを「おばあこちゃん」と呼んだ。幼稚な愛情表現である。しかし、祖母にはピシャリと拒絶された。
また、大学院の合格を知らせた私の手紙に対する返事には、「もうそろそろ良い知らせが来るころだと思っていました。」とあり、苦笑した。あらゆる意味で毅然とした人であった。
そんな女性を妻に持った祖父は大阪商家の次男坊、日本画家であった。美意識の強い、天衣無縫、自由奔放の人であった。それでも祖母は変わらず祖母であった。相容れぬままに明治の賢女でありつづけた。
母は祖母よりも祖父から多くのものを受け継いだ。
恥ずかしい話だが、私は成人してから『細雪』を読んだ。
読み始めて息をのんだ。そこに描かれている世界は、母からしばしば聞かされていた昔語りとそっくりであった。『細雪』は決して上流志向の虚飾ではなく、あの時代にこそなりたった、関西のある種の人々の華麗な日常であった。母から聞かされ、私が憧れていた耽美的なあやうさの世界の具現である。
二十代の終わり頃のことである。夏の夜、大阪の角座の前を通って道頓堀を渡った。貼りつくような湿気を含んだ空気の中で、川面に映る灯りに、母の過ごした青春を羨望した。

そして、母は私にとっては果てしなく慈母である。辛かろうと言っては胸を痛め、痛かろうと言っては涙ぐむ。いい年をした私のために、まだ母は胸を痛め、涙ぐむ。母の手は小さく丸く、いつも温かい。
同時に、人としてどう考えるか、どう生きるかについて考えることを教えた。私が行き詰った時に「自分が正しいと思うことは胸を張って主張しなさい。そして、その結果受ける不利益は甘んじて受けなさい。世界中を敵にまわしても、私はあなたの味方だから」と言った。
初めて教壇にたつ前夜、母から「大丈夫だとは思うけれど。これから大勢の人があなたのことを先生、先生と呼ぶでしょう。けれど、ゆめ心得違いのないように。」と電話があった。
母は私の生きる力である。同時に十九の娘のように
気まぐれで繊細で優しすぎる。
有吉玉青の『身がわり』という本のあとがきに林真理子が引用している一文がある。
She's survived by her daughter.
(作家はその娘によって生きながらえる。)
おそらく、私達は一編の叙事詩を記すこともなければ、物語を著すこともないだろう。しかし、この華麗で波乱に満ちた彼女達は凡庸な私の記憶の中で鮮やかに描かれ、生き続ける。娘と、その娘の娘と、その娘の娘の娘と。娘達が受け継いできたものを、娘として受け継いでいく。

連句誌れぎおん2000・春 29号より引用

筆者紹介:

前田亜弥(まえだ・あや)
連句誌れぎおん所属  連句会『亜の会』所属
井原西鶴研究家。
母は俳諧師・前田圭衛子。

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