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2008年4月10日 (木)

大石政則日記 その25

昭和二十年四月十日

特攻訓練を受けたる者にて飛行機の割当てのなき学生六名、練習生約十名陸行にて串良に向う。○七四五見送りをなす。
宇佐神宮参拝をなす。バスにて向うときあれほど盛に降りたる雨も、着するや上がりて帰隊するまで雨降らず。神の加護と感謝す。午後尾沢の本田(医院)氏宅に行き盛大な送別の宴をなして下さる。有難しとも有難し。一泊す。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

以下、同期生・渋谷幽哉氏(故人)の追悼文の続きです。

二度の出撃日記に綴る苦衷

四月十日には、小生・渡辺・十河(特攻戦死)ら六名は「串良基地に行け」の司令の命令があって、二十分後には、取るものも取りあえず串良基地に向った。そして翌十一日に大石君らは搭乗機を受領して再度串良に向い、先に着いた小生等と合流したのも束の間、翌四月十二日には、菊水二号作戦発令で大石君は第二次八幡護皇隊の一員として正午串良基地より出撃した。ほんとうに「アッ」という間のことだった。然るに彼の搭乗機は離陸直後から潤滑油洩れが甚だしく、遂に彼は八十番爆弾を海上投棄して、基地に帰投せざるを得ないというハプニングに見舞われた。彼はそのことを「会う人ごとに声をかけられるのが、身を切られるようで、まして一番機故、更に辛かった。戦友たりし、村瀬、富士原、堀之内三少尉も遂に突入し、自分一人、また生き永らえ、私の心中何とも表現するを得ません」と更に「翌十三日、第三次攻撃隊出撃で田平少尉も行く、予はもれる」とその苦衷を日記に記しています。
実際彼の焦燥は見るにしのびないものがありました。それから十六日後の四月二十八日、彼は八幡盡忠隊として、小生と共にここに来た十河君らと出撃して見事突入に成功した。

彼の辞世

○待ちわびし 身に甲斐ありて大君の
 御盾ととびたつ今日のうれしさ
○もろもろのよそほひつけて國のため
 いで立つ姿母に見せばや

(渋谷氏追悼文の参考文献)大石政則日記・吉井巌君日記
(平成三年十二月十日付けの九州十四期会報への寄稿文)

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