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2008年4月 7日 (月)

大石政則日記 その22

昭和二十年 四月七日

第一配備となる。敵機動部隊よりの艦上機宮崎を空襲。六一八号宇佐まで要務飛行(○八○○発)の予定なりしもそのため見合せとなる。昨日雷撃隊は全機帰還せり。
死するときは黙って死ぬことなく、一言でも別れの言葉を言って死ぬべきなりだから電信機の整備には注意を要す。姫空の通信状況不良なりき。また、列機には電信機なかりしため戦果は確認すること能(あた)はず。従って第一次総攻撃の戦訓にかんがみ、列機たる飛行機にも電信機を搭載することとせり。電信機をダグラスに搭載し、直ちに串良に向はしむること。
昨日ダグラスに乗りて串良に来りしため飛行機なき予ら五機のものは、宇佐に帰ることとなる。されど天気悪化し、雨も降り来り、この分にてはダグラスも望み薄きを以て、陸行を以て飛行機をとりに帰ることに決定。十九時串良駅発、都城に一泊す。鯉田少尉のペアは一機(六二三号)スペアありしため戻らず、四組なり。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

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