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2008年4月16日 (水)

大石政則日記 その31

「大石政則日記」編集者(伊東一義*)註

私が大石家よりお借りした大石君の日記(原本ノートは傷みが甚だしく、コピーしたもの)はここまでである。従って十四期会が遺稿集「同期の桜」 を編集した頃は、四月十二日出撃前の文章が遺書として扱われたようだが、昭和五十一年頃次の遺書が出て来た。

後掲のお母様の手記にあるように、ご両親は四月二十五日に串良を訪れ二泊する。その際持参して大石君に読ませたお父様の一代記「荒波越えて」 のノートの末尾に、この最終の遺書は書き込まれてあった。

四月十二日の菊水二号作戦に参加し、引き返した大石君が、十六日の三号作戦には下命なく、四月二十七日に翌日の出撃を命ぜられるまでの十数日は長い長い苦悩の日々であったろう。「さすがの大石君も最後は乱れた」 という同僚の話を聞いたこともあり、私にはそれで当然と思えるのだが、しかし最後の遺書は晴れ晴れとしている。

昭和二十年四月二十七日最後の遺書

(最後の遺書は四月二十七日に打ち込みます。)

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

伊東一義氏:

大正11年11月21日生まれ
東京帝国大学法学部並びに第十四期海軍飛行科予備学生で大石政則と同期生。(渋谷幽哉氏も同期生でしたよね。これで「九州十四期会報」の十四期の意味がわかりました。

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コメント

「十四期海軍飛行科予備学生」と言うのは、大学生を召集して特攻隊などに抜擢した最後の学生達なのです。
ひとつ上の13期と共に、特攻戦死者が一番多い人達です。

久留米在住の伊藤一義さん、展太さんのお父さん、大石政則がちょうど今頃、毎日毎日生きるか死ぬかの緊張の連続の中で過ごしていた。
後世の者がこうやってそれを語りあうだけでも有意義な事と思います。

時に同伴した娘や息子達に当時の滑走路跡を散策しながら、戦友の思い出を語るとき、彼らは異口同音に「ほんとうに惜しい、立派な人達を死なせましたね、この人達がもし生きていたら、きっと日本はもっと変わった国になっていたかも知れませんね」という。(幽哉氏の遺稿より引用)
幽哉氏の息子達ということは、テンダ君達の発言ですね。
大石政則氏が生きてられたら、外交官としても、乙四郎の大先輩ということになります。昭和2年生まれの緒方貞子さんがいまだJICAで現役ですから、乙四郎の上司だったかもしれないわけで、渋谷父子それぞれの友人ということだけではなく、こういう点でも強い縁を感じます。
そして今、乙四郎は、五十四の瞳の先生として、次の世代へ夢を託します。ところで二十四の瞳って、たしか「大石」先生でしたよね。

さくら先生。
「少しずつうちこみつつ読む」という読書は横着とは思いながら、その日ぐらしのしのぎをおくっております。このスタイルですと、読者が一般的にたどるであろう素朴な疑問がそのまま表出できますから、(なにもいいわけできる間なく)本を送りだす側にとっても、何かの参考になるかもしれないと思いました。こちらもすぐさま疑問にこたえていただける利点があり、よかったです。

毎晩、何時ごろに日記をかいてたんだろうかと、これをはじめてすぐ考えました。場所は、吊り床のなか?

ここではふれられませんので想像するだけですが、生き残った渋谷幽哉さんたちは精神的にずっと過酷な状況におかれ生きてこられたのでしょうね。

181ページ、最後の遺書の後に、 四谷巌兄(東大法・無二の親友)とある方は、戦後東京高裁裁判長となっておられます。

197ページ、一度目の出撃で死んだと落胆していた両親が「マサノリオルクシラヘイケ」と電報をもらい、劇的な再会を果たした。電報の主は本には出てきませんが、渋谷氏なんですよね。(前にも書いた)
青春の真っ只中でこんな経験をして戦後どうやって生きてこられたんだろうと、そこに非常に興味があります。表には絶対出ないでひそかに農業をやってこられた方なんかいらっしゃるんですよね。

一番好きな映画を一本と言われたら「二十四の瞳」なんですね。子供達と先生の無邪気な画面なのに全編涙が流れます。 
五十四の瞳と聞いただけでもう涙・・・。

電報を打って下さったのは正確には、渋谷氏が両親に頼んでくださった・・・・です。

そうでしたか。

きのうの西日本新聞朝刊読書欄に、ふたたびの紹介があっておりました。
「ペンを剣に代えて 特攻学徒兵海軍少尉大石政則日記」大石政隆編。
>タイトル「ペンを剣(つるぎ)に代えて」には、外交官への夢を抱きながらも学業をあきらめ、国のために命をなげうった兄への思いが込められている。

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