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2008年4月12日 (土)

大石政則日記 その27

昭和二十年四月十二日

六日の菊水一号作戦に続き第二回総攻撃たる菊水二号作戦の日なり。即ち海軍少尉大石政則、この日二十四歳を最後として皇国のため沖縄沖にて玉砕す。今更遺言めきたるものなし。普段の言行、手紙みなこれならざるはなし。二十有四年慈しみを受けし父母に対し何らなすべきなきは恥ずべきなりと雖(いえど)も、皇国危急の折り、この一大作戦において特攻隊員として死するは一大名誉にして、また大孝なりと言うをうべし。父の心血を注ぎたる「一代記」を一読しえざりしことは残念なり。
予の二番機操縦員は水上義明二飛曹にて鯰田時代に記憶ある人なり。父宗義氏は死亡せられし由、氏は中学四年で乙飛に入りしとのことなり。今になりて奇遇を驚くと共に、共に死するを喜ぶ。
また富高時代の藤田氏に会う。氏は二五一の用務士。予は大日本帝国の永生不滅と必勝を信ず。かく信ずればこそ喜びて死につくなり。今次の沖縄沖航空戦をして、皇国攻勢移転、進攻への転機となさばなおなお本望なり。

天皇陛下万歳
政隆元気で
禎子よき妻であれ、夫君に万一あるは覚悟のこと
藤井、菊池の諸恩師に謝す。

父上、母上、
幸か不幸か、今日一日生き長らえて、またペンをとることとなりました。今日の次第を記します。
朝八時、芳井中尉を囲んで作戦上の打合せを行ない、十時、指揮所に整列、先ず司令から「宇佐特攻隊を第二八幡護皇隊と命名す」と命名ありて、それより出陣前の酒を、ペア三名にて一つコップで少しずつ呑みました。しかも大好物の羊羹に寒天がつき、実に嬉しく思いました。と共に、家で母や妹が何かといえば寒天をよく作ってくれたことを懐かしく思い返しました。それより出撃順に報道班員により撮影をしました。一一三○ 先ず百里の六機発進、次に宇佐の十二機が区隊で発進、私達は三区隊一番機として三○三機にて離陸しました。しかるに誘導コースを廻る頃より風防に油がかかりだし、飛行場上空を過ぎて益々風防にかかるので、列機に「油洩れ、飛行場に向う」と黒板にて教え、飛行場に向って旋回、振り返ると列機はそのまま進撃して行くので、一番機として、このまま帰るも本意なしとて、再び列機のあとを追いゆくに全然前方が見透かせなくなったので、やむなく爆弾を投下し(一、○○○メートルより)帰投しました。

会う人毎に声を掛けられるのが身を切られるようで、まして一番機のこと故、一層であります。私の区隊では、あとで二番機が引返し、二機のみで向いました。今日の攻撃は途中にて敵戦闘機に喰われたものが多いらしく「ヒ連送*のもの相当あり。また攻撃目標まで打電し来るものは数機に過ぎず、三時以後は全然打電入らず。多くは空(むな)しく、海中に突入せしに非ずやと思われます。
戦友たりし、村瀬、富士原、堀之内三少尉も遂に死に、自分一人また生き永らえ、ペンをとっております。私の心中なんとも表現するを得ません。
明日は田平少尉が出る。残るは小生のみ。
今日感じたこと、飛行機の整備を心がけること、三○三号機は風防にかかる外筩(とう)温度計不良一○○度~一五○度の間を振る。計器飛行は絶対うまくなければならぬ。高度も大切なれど、保針を第一とす。次に列機の誘導、今日は一番まずかった。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

「ヒ」連送の者・・・前回出てきたとき、なんなのだろうと思ったのですが、今回の文章で、被弾したときの合図だったのかとやっと分りました。なんとなく、飛行機に火のついた悲鳴のヒのように感じていました。どんなに恐ろしかったろう。

(この日の日記が二段構えになっている意味は、渋谷幽哉氏の追悼文 http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_363f.html に詳しいです。)

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コメント

>つけました。おねがいします。<

どこに?
あなたのメルアド見つからない!

「ヒ連送」敵機発見!の信号でもあるようです。なんか物悲しいよね。

いよいよ28日突入時の「ヒ連送」が届くんだけど(himenoさん、ここに書いてくれると思うけど)、当時の受信記録のコピーを持っています。

さくら先生。教えてくださってありがとうございます。「ヒ連送」まだ検索さえできてませんでした。知らない言葉がたくさん出てきます。書かれたことばの下からおもわずにじみだすものが、「え、これはなんのことだろう」というこちらのおもいを呼び起こします。
先週でしたっけ。乙四郎より転送してもらった展太さんからの本の引用。まだその本の名前すらよく知りません。それに一枚ぬけていましたよね。それでいいのかも。

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