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2008年3月 5日 (水)

『悲母なりし』 2

コスモスや遊びのやうに支へ合ふ  高木一惠

高木一惠は俳諧の座での俳号を咲耶(さくや)とおっしゃいます。私が存じ上げているのは、連句での咲耶さんでして、俳句の結社でのご活躍は遠くから仄聞するだけです。連句では佛淵健悟氏からと高木咲耶氏の両巨匠から、サシでじっくりかわいがられた記憶があります。この意味は、おずおず出した付け句を「こりゃつまらん!」と駄目だしされて、彼らの求める高い位置まで句を敲(たた)かれたという意味です。早い話が、しばかれたわけで。笑

さて咲くという字には笑うという意味があり、咲耶さんが笑うと小さな笑窪ができるから、なるほどな美しい俳号です。長崎の俳人前川弘明氏(俳句誌『拓』編集者)はこの俳号を、しょってるなあと言ってましたが、言わせておきましょう。笑。咲耶さんを思い出すとき、いつも出てくるお姿は、東京駅のホームで待ち合わせをして、階段をあがったり下がったりしてやっと集合場所が腑に落ち、ホッとしてその姿をみつけたときのお姿です。雑踏の中、静かに椅子にかけて本を読んでおられた。その周囲だけ異質な空気が流れていた。横顔が気品があって美しく、やっぱり咲耶さんだと思いました。眞鍋天魚先生の命名ではなかったでしょうか。(ほかに天魚先生の命名でお美しい連句人に福岡市在住の工藤繭さんがいらっしゃいます。滅多におおやけの連句会には出て見えませんが、雰囲気のある美人でした。句もとてもうまいかたです。)

掲句「コスモスや」は、コスモスの花が風にいっせいに揺れて倒れて、またゆっくりと起ち上がるそのさまを詠んだものですが、遊びのようにという言葉が生きてます。また次の句、

西行や向井千秋やけふの月  
                 高木一惠

私の大好きな句なんですが、これと同じ味わいも秘めています。理があって、理がない、わからん大宇宙のわかるワンピースをとりいだして、解剖せずに、ただガラス板にならべてみました・・というような味わいの、偉大なる真理の心裏の心理の一句。

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