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2008年3月 3日 (月)

『悲母なりし』 高木一惠第三句集

慈母なりし悲母なりしとも冬椿   高木一惠

慈母も悲母も同じことである。鬼子母神の母も仲間に入れてよい。母は所詮鬼にも悲母にもなる。それが運命なのだ。(倉橋羊村)

「屍なら積もらむ」

てのひらの春雪屍なら積もらむ  一惠

高木一惠の句は、深い深いところから詠みいだされる。
この句、句跨りで、字余りのような字足らずのような。
なれど、じつに思いの深い句である。
春の雪は手に享けるとすぐに消える儚いものだ。その儚さが、この句の中ではなぜか永遠の停止、ストップモーションをかけられて、冷ややかにぎらぎらと氷床のような輝きを放っている。
理詰めの句に見える。しかしそれはそう見えるだけ、奥に隠されているのは、あふれるほどの抒情だ。わたしはその哀しみの深さに、おもいのふかさにうたれる。
ああ、そうだ。いまわかった。
この句は眞鍋呉夫(天魚)の若い頃の句、

かなしみつのりくればしろぐつはきもあへず 天魚
        『花火』 所収

と同じリズム、同じこころだ。

かなしみつのりくれば・しろぐつはきもあへず。

てのひらのしゅんせつ・かばねならつもらむ。

・・・ね。

『悲母なりし』 高木一惠第三句集
 平成二十年二月十九日ふらんす堂刊

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