無料ブログはココログ

« 『悲母なりし』 高木一惠第三句集 | トップページ | 『悲母なりし』 2 »

2008年3月 4日 (火)

橋爪章、

「同窓会」にコメントしてくれた元官僚の同級生、橋爪章の写真を発見。

http://www.healthcare-m.ac.jp/university/guide/president.html#new

これなら新聞記事とちがって、参照につけても消えることはなかろう。
それにしても、おとうさんとおなじ顔なのには笑った。当然といえば当然にしても。えらそうなかんじがあまりしなくて、ほっとする。でも、やっぱあれですね。底にある、橋爪章独特のふしぎなあったかい笑みは、かわりませんね。
経歴をみて、へえと思った。知りたかった出身高校。
真和学園高校卒、とあったから。浅学菲才のかささぎが不覚にも知らない学校である。調べた。すると、宗祖法然上人の像がましますのでありました!しかも、正岡子規や高濱虚子の出身地、愛媛。

かんけいないけど、かんけいあるかもね。

追伸)

今日は3月11日です。上記記載には間違いがありました。コメント欄でご本人が訂正をしてくださいました。ほかに、いろいろと興味深い体験談を書いて下さったのですが、ことに今日書いてもらった外地でのご心痛を読んでいて、ふと蘇った記憶があります。それをすぐ読めるよう、さがしてきました。もっと詳しく知りたい方は、カテゴリーで一番上にある『円交五号』を開いてみてください。君が代を国歌とした人の孫がオオムラサキを国の蝶とした昆虫学者だったことなど、おもしろいことに気づきます。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_2cdf.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_a355.html

« 『悲母なりし』 高木一惠第三句集 | トップページ | 『悲母なりし』 2 »

コメント

違うよ。
熊本市の高校です。
宗教教育が重点の「鎮西学園」という学校法人による高校で、外向きには中高一貫の進学校として評価されているようです。
この学園に、福島中から転校しました。
中1の3学期の2月の12日のことでした。どーしてこんな切りの悪い日に転校したのだろうか。このあたりから人生が屈曲し始めたような。
本名で登場するとキーワード検索で生徒や家族に見つかっちゃうので、改名しようと思ってた矢先、しっかりタイトルになってしまった・・・

自分の名前で画像検索してみたら、こんなところも。別角度です。ちょっとだけ若い。雑文おまけ。
http://www.jica.go.jp/jicapark/frontier/0410/02_d.html
そんなに父に似てますか?思想的には父の影響を強く受けて育ったのだと思います。わが道をゆく、というか、世間体より自分の信念、というか、要するに自分勝手なだけですが。
ブログの読者の方々には、橋爪の姿も経歴も思想もほとんど興味がないでしょうから、私的にメールでやってくれ~といわれそうですが、メアドを知らないので広場で大声で叫び合っています。会わずに、あるいは電話等で接触することなしに、メアドを知らせあう方法はないものか。広場でメアドを叫ぶと迷惑メールの嵐になるしね。
最近、「暗号解読」(サイモン・シン、新潮社)という本を読みました。公開の場でいかにして目的の人だけに情報を伝えるか、というテーマ。それによると、たとえば二人だけが共通に持っている限定書籍の何ページ何行目何文字目の文字・・・みたいな符牒でやれないことはない。さて、そんなものがあるのやら。上妻小学校沿革誌? 面倒臭いので、しばらくは広場で叫び続けます。

akiraさん、はじめまして。
一面識もないのに、かささぎさんと昨年夏ごろから友人になったつもりでいるさくらです。
もうしばらく公開の場で叫んでいてください。
大変興味深いです。

以前、久留米で働いていましたので、瀬高柳川・聖マリアンナ病院とちょっとだけ無縁ではありませんが、みやま市とは初耳です。
合併による市なのでしょう?

まちがえましたなあ。朝ばたばたと調べて打ち込んだから。敬称を名前につけるべきか?「さん」「氏」「先生(あんたは政治家か!)」等々考えてはみたんだが、どれもいまいちで、呼び捨てになってしまいました。すまん。ペンネーム作るなら、いっそ俳号にしよや。ついでに俳句もやろう。そやそや。ハイクするならいっそ連句だ。橋章山とかどうどす。はし・しょうざん。弱い力士の四股名風。笑

さくらさん。
章山先生、さくらさんは東京のさくらさんです。鳥栖出身で、甲四郎先生の鳥栖高校時代の教え子です。詳しいことは、ぼちぼち見えてきます。
みやま市は瀬高附近です。
古賀誠議員の故郷です。敬愛する古賀誠議員と環境を愛する正義の人、鳩山邦雄議員の力をもって、なにとぞ有明海の堰をこっぱみじんにし、もとの豊かなありあけの海を取り戻しましょう。いま、この場をお借りしまして、有明のバゲ回復作戦と名付け、運動本部を設置することといたします。(笑)
では、いまから、ごはんをつくります。

くっぞこの煮汁で炊きぬふだん草 恭子

章山は却下です。俳号は俳人と認めていただいてからということで、今しばらくはakiraです。

さくらさん、はじめまして。こんな感じで人の環が繋がってゆくのはいいですね。

大学運営に携わると、この季節は、サクラの語感に敏感になります。でも、たとえば大学に受かってもそれが第一志望校でない場合(たとえば西南に落ちて保○医○経○大学だったりした場合)の17歳の複雑な思いは、akiraには俳句で表現する力はありません。そんな私の心情を詠んでみました。

サクラサク 心いかほど 十七で
  伝えきれねど 喜び重ね

(補足解説)
十七 は 五七五 を
喜び重ね は 七七・・・ を掛けてみました。
 
  

前置きと補足をぐだぐだと書きましたが、さきほどの歌は、実は、さくらさんと知り合いになれた喜びを詠もうとして考えたもの。素直じゃありませんね。そういう視点で、もいちどごらんください。素直でしょ?
数字を多用したのは、「数学」つながりの着想。
数学が好きになるのもならないのも、数学とどういう出会いがあったかによります。高橋先生の授業はいかがだったでしょうか。akiraが数学に嵌ったのは、中1の時、フェルマーの最終定理に出会ったこと。それ以来、数学ばっかりやって、いつのまにか理系人間のコースを歩んでいました。でも、高校でも大学でも文芸クラブに出入りし、医師になっても精神科医そして行政と、実は自分は文系人間なのかなとアイデンティティがなくなってきました。
なお、「暗号解読」の作者サイモン・シンの代表作は「フェルマーの最終定理」です。先に「暗号解読」を紹介したのは伏線でした。
へへへ・・・。

へえー。やっぱり橋爪章は橋爪章だ。ふぇるまーの最終定理。なにそれ。フェルマーとクレッチマーは兄弟?なまえ、脚韻をふんでる。
理数系あたまの人はいい句をつくるよ。寺田寅彦とか東妙寺らんとか。笑
数学はわからんけど、でも、十七と喜寿がいっぺんにきたような歌は、わかりますわかります。笑
それから、文中にさりげなく書かれた第二志望というか欄外だった学校へウンのはこびではこばれた子のきもち。ふくざつだけど、ほんとは単純だとおもうよ。じぶんがそうだった。あっち向いてた視線をこっち向けるだけのこと。そうしたら、しあわせになれる。いま、ここ、この場所、このとき、このひとたちがいちばん大事だってことよね。(問題はそれに気づくのはたいがい年をくってからなんだけどもさ)

九州自動車道が大雪で規制のニュース。
天気予報でも、今夜は八女も雪とか。
でも、降る気配はないよ、akiraの屋根にも姫の屋根にも。ここらへんだけ、さっきサクラが咲いたからかも。

桜咲く 止む時を知る なごり雪

ペンネーム、変えました。

大学時代の私のペンネームが「北山四郎」。この名前で名刺も作り、部誌に作品を発表し、少なからず四郎ファンが付いたりもしていましたが、四半世紀以上も前のこと。さきほどネット検索したら、同じ名前の人がいたのでもう使えません。幻の作品群はネット検索しても出てきません。将来、松延さんくらいの著名人になれば、同人誌からせっせとネットへ引用(?)してくれるような奇特な方が現れるかもしれませんが。ちなみに、松延さんの同級生だったという方が、今もしばしば私の実家に来て思い出話をしてくれます。あいつは本ばっかり読んでた、みたいな。

このブログでは、「四郎」の響きが特別の意味がありそうなので、復活です。「乙」は、自分はパロディ(本歌取り?)が好きで、一番ではなく二番目のポジションが落ち着くため。2×4=8ということで、このブログでの縁起かつぎでもあります。(また数学かよ!)
そういえば、小学校では一度も「い組」になったことがなく、成績も下津浦君の後を追っていましたっけね。

この屈曲した性格ゆえか、文を綴る時には伏線を仕込むのが癖になっています。ご用心を。

えっ誰。乙骨太郎乙一族のお方だろうか。と、びっくりしました。
「乙四郎」さん。
屈折してない人は面白くない。この世の人はみな、同じ量のプリズムをもってる。
小学校時代の組わけは、い組ろ組は組でしたね。さくらさんや整子さんや呆 夢やbudさんや宙虫さんのとこではどうだったろう。戸畑の夫のところでは。そういう話を一度もしたことがなかった。
3月20日にふくしまで連句会をしますから、案内状をお出しします。暇があればどうぞ。座ではみな平等です。えりーとだろうが元官僚だろうがちやほやしません。発句を一つ季語をいれて作ってきてください。ではこのへんで。
実は取り込み中(たいへんだ状態)でして、数日ブログを離れなければいけないようです。また、もどってまいります。そしたら、たたかおうぜ、ともよ。笑

ふっふっふ 行儀作法は わきまえぬ
  主いなければ 我が物顔に  (乙四郎)

俳句は不得手なので、場外乱闘では血祭りになりそう。20日は欠。
JICAに勤務してたころ、国際協力の国際約束のための話し合いに、毎月のように海外へ出掛けていました。出張中はほとんど外国語に埋もれているため、日本語をこよなく愛する乙四郎としてはストレスがたまります。この異文化体験は日本語で表現しなくちゃ、と、合間合間に三十一字をメモしてました。季語込み十七字での表現は、これまた私にとってはまったくの異文化です。大学高校での発表作品も皆無。

ところで、小学校で恭子さんは小川先生の「い組」、私は穴見先生の「は組」。接点は何年生? 別組でもテレビ授業は一同に会してたので接点だらけではありましたが。(注:各組に備えつけのAV機器は「幻燈機」でした。幻燈の明かりはほんぼりの明かりに似てましたっけね)

ひな祭り 思い出せない ことばかり (乙)

このコメント欄には時々、甲四郎先生も登場なさいますが、乙を選ばれたのは賢明ですね。
私より10年も若い世代の強固はん(恭子さんはここでは時々こう呼ばれます、ぴったりです)の世代で、いろは・・・と古めかしいわ。
わたしんとこは、A組B組C組です。
GHQに完全に囚われてた時代だもの。



乙四郎さんよ。
まだおきてますか。
ジャイカにはいとこがいました。もう還暦だから抜けたかも。姫野靖征といいます。
そうそう。今日は警察で姫野という名の警官にあいました。つい聞いてしまった。あなたの里はどこの姫野ですか、と。するとかれは答えた。矢部村です、と。これはおはつでしたね。八女では広川町とわが住む寺田村、あとは大分県に同姓がいます。それから、靖国神社のゆうしゅうかんでみた戦没者のなかに、東北(新潟?)の姫野さんが一人。
橋爪姓は役場バイトをしたときに一人あいました。吉田のひとでした。
それから質問のおこたえ。接点はたぶんないです。同クラスになったこと、なかったと思う。でも知ってた。あなたはいつもえへらえへら笑って「ひとりしちふくじん」みたいだった。シェーも、下校時か昼休みにふらっと入ってきてやってたのをたまたま見て、つよく印象にきざまれたものと思われます。たしかに、下津浦くんとはしづめくんはトップを競い合ってたみたいだね。
おわり。

さくらさん、
アルファベットのクラスとは!!
それはそれですごいもんですね。なにか、時代の香りがたつような。占領時代。

ああ、つい乗ってしまった。いかんいかん。もうしばらくひらくまい。することがいっぱいだ。

ひな祭り 思い出せない ことばかり (乙)

これはなかなかいいとおもいました。

上妻小学校は、い組ろ組は組でしたが、八女の他の小学校は1組2組3組だったと記憶しています。古めかしいですが、好きでした。上妻小は校歌も味わいありますよ。

学びの道を   ふみわけて
朝夕つみし   教えぐさ
いしぶみ深く  きざまれし
名も高山の   いさおしお
村のかがみと  あおぎみて
はげめ世のため 人のため

もうひとつ、生徒数に応じて歌詞が変わる第二校歌も。少子化のあおりで最近は固定したそうですが。
姫も乙四郎も、こういう言語環境に育まれました。ちなみに、乙四郎は、1年から6年まで「は」組でした。はははははは。

ほっほっほ 褒めても俳句は できません (乙)

さてと、主はゆっくりとお休みください。
その間、思わずコメントしたくなる事をたくさん書きますね。こうやって人にストレスを与えることに快感を覚えるようになると、人間おしまいですね。

「同窓会」のコーナーでいっぱい質問されたことに答えるための伏線が溜まってきたので、明日から、小出しで答えてゆくね。おっと、忙しいでしょうから、しばらく開かないで!

へへへへへ hihihihihihihi ふっふっふ
  ははははははは ほっほっほっほ  (乙)


>なぜ南中じゃなく福島中学だったの?
>そっからどの高校にいったの?
>なぜお医者さんにならんかったの。
>ブログはやってないの。
>クラブ活動ってなんだったの。

こんだけの質問に、直接答えずにここまで引っ張るのも忍耐。答えると宣言してしまった以上、主が不在の間に答えちゃいましょう。

春一番 向かいて叫べど 誰ぞ聴く (乙)

物書きの端くれとしては、答えるための構成を考え、リサーチをし、と結構骨の折れる骨太郎なのです。姫のコメントに知らない名前が出てきてもリサーチです。隙あらば伏線に。

姫野靖征さん・・・私がいたころは青年海外協力隊事務局の技術顧問をされていましたっけ。面識はありませんが、理系頭の方です。私も協力隊員応募者の面接などしていましたから、面接会場で擦れ違ってるかも。若い彼らの人生狂わしちゃあいかん、と逃避思考で応募してきた若者たちに説教してばかりでした。

東妙寺さん・・・「妙子」さんのフルネームが香ってきます。妙香寺ならリサーチ済みだけど。
乙骨太郎乙・・・当然、ペンネーム付ける前にリサーチ済みですよ。この方のリサーチの延長線上に妙香寺が出てきて、そこに
>クラブ活動ってなんだったの。
の回答が潜んでいます。
上妻小学校の鼓笛隊で乙四郎は小太鼓でした。下津浦君は総指揮で格好よかったなぁ(スネスネ)。音楽、好きです。吹奏楽部でした。

掛け軸に 油絵の具で 描く桜  (乙)

俳句ネタです。挑発です。コメント我慢できるか、強固はん。

俳句と和歌は、水墨画と油絵ほどの違いがあるように感じます。乙四郎はどちらも描けませんが、油絵なら自分の心理を表現できるかなという気分になるのに対し、水墨画はどうも。どちらも、鑑賞するときには、その味わいを楽しめるのですが、描くとなると話は別。

青い葉が 茶色くなって 浮かんでる

これは娘の小学生の時の作品です。親ばかですが、すごく感動したので、いまだに覚えています。秋雨が作った水溜りに浮く柿の葉を見て一句、といった風情。「青い葉」は晩秋の季語にはならないと思いますが、たとえば「柿の葉」と置き換えた途端に、感動が消えてしまいます。「青」は記憶の中の色、これに見たまんまの情景を重ねただけ。これが感動の源で、下手に加工してはいけません。
これまでの私の文章を見ていただいてもわかると思いますが、短い文章や字句で思いを表現しようとすればするほど、策を弄する癖が沁み付いており、感じたままを素直に描写して素直な感動を与える、といった技ができないのです。その裏返しですが、策を弄した俳句はあまり好きになれません。古池や、のようなビジュアル系のが好きで、(乙)の、ひな祭り、だの春一番、だの掛け軸だのといった句は、つくづく駄作に思え、自己嫌悪です。俳句をやれば素直な人間になれますかねぇ、強固はん。

名も高山の いさおしお

校歌、わざと間違えたのですか。いみを考えると、名も高山の勲を。でせう。「村の鑑と仰ぎ見て」に続きますから。
この歌詞はこどもにとって昔から謎でして、ある友は高山いさおって偉い人がいたんだよね。とほんとみたいなうそを信じていたし、私も合い槌をうってた。へんねえとおもいつつ。笑
畏友の畏、斎藤の斎で畏斎という名の数学者(儒学者?)がいたんでしょ。高山一族の高山利文さんや共隆さんのお顔が浮かびます。

今日たまたまこわい同窓会のはなしを聞いてしまいました。還暦同窓会にいったいとこが話してくれた。写真がどれも心霊写真になってたって。ある写真にはまっかな筋が友のからだの真ん中を走ってた。またある写真には雲の上にいるように上半身が浮遊していた。で、おもいあたる理由と言うのがこわくて、ここにかけません。それ聞いたらねむれないよ、。友が集まるところに亡くなった友も集まる。という話でした。写真は業者(行者)に頼んでお祓いしたそうです。

こどもの俳句に感動する親でありたし。
乙四郎はまっとうですなおな親ですね。

ひな祭り思い出せないことばかり 乙四郎

この句のよさを解説します。
思い出せないと書いてる作者は、なにかを忘れられずにいる。鍵をかけてしまった記憶を取り出そうかどうしようかと躊躇する間も自分に与えず、思い出せないことばかりだと決め付ける。そうするとなぜか逆に言葉はイメージを裏切り始め、一人歩きしだす。
乙四郎はひな祭りのときの懐かしい思い出を遠くから近くから眺めている。とても大事な思い出で、だれにも触らせたくない。

今日もでした。あすもまた。
『般若心経秘鍵』『人間の医学への道』二冊をさしいれしてきました。

強固はんの友人です。連句に最近参加した新参者です。あー私よりはるかにお上手です。次回の連句の会には、ぜひ参加してください。それと、20日出席するのは午前中だけでもいいですか?強固はん返事まってます。

いさおしを でしたね。他のHPからそのままコピー&ペーストして持ってきたため失敗しちゃいました。「高山いさお」君の呪いかも。
校歌には二番もありましたね。今度は、心を込めて沿革誌から拾います。

春に花あり 秋に月
夏はほたるに 冬は雪
自然をおのが 友として
からだをきたえ きもをねり
きずきかためよ もろともに
国と家との いしずえを

作詞は「本荘季彦」という方でした。検索すると、昭和9年に「掬水詩鈔」というのを出されています。その頃に書かれたのでしょうか、GHQの検閲は免れているようですが。

呆夢さん、はじめまして。

友来たる 主のいぬ間に 祝宴だ (乙)

・・・と思ったら、様子見に帰ってきた!
 

花宗の 溜池あたりが 八女の雪 (乙)

先週の日曜日、アメダスの観測所番号82317がどのあたりにあるか見てきました。北緯33度13分4秒、東経130度38分8秒、標高144mのところで自動観測装置が動いているそうな(部外者は近づけないので確認できず)。ここは納楚や寺田より寒いよ。天気予報では明日朝6時の八女の気温は3度とか。へぇ、そうですか。

   何を信じて 生きてきたのか  (乙)

一人来て花宗川に雛流す 恭子

ぼん、ありがとう。
乙四郎、ありがとう。

>ブログはやってないの。

やってませんねぇ。
やるとしたら、自分自身の創作発表の舞台として運営していることでしょう。でも、最近、創作してねーし。
人のブログに乱入して実験小説を展開するってのはどうだろう。読者にはそれが小説だと悟られないよう、慎重に、慎重に伏線を仕組んで、途中で、ああこれは連載小説だったんだぁ、と気付かせるような。ネット小説の特性を生かし、ブログ管理人にも読者にも小説に登場してもらってプロット進行のキーを担ってもらうようなのもいいですな。こちらの期待通りのコメント返しが来るように仕込むのも楽しい。あ、読者を欺くのはよくないので、前もって伏線仕込んでるから用心してくださいよーくらいの警告はしておいたほうがいいかな。
小説は、俳句や和歌に比べると字数が冗長なので楽だろう、と思われるかもしれませんが、小説の表現技法というのもなかなか難しいですよ。たとえば、読者に、ある歌詞の二番の中ほどにある句を示したいと思った時、一番から二番までを一気に紹介して、ほれここ、と指し示したりせず、まず一番を紹介して話題を派生させといてから、おもむろに、そうそう二番もあったっけ、とさりげなく紹介するような技法。
小説の良し悪しを決めるのは、主題の一貫性です。一見関係ないような別々の話題も、特定のテーマに集約させていかねばなりません。たとえば主人公の人生の紹介、17歳の進路選び、数学、俳句と和歌、アメダス、校歌・・・みたいな一見脈絡なさそうなことが、実はすべてが主題を際立たせるための仕掛けだったんだ・・・みたいな。そんなことできんの?

>乙四郎はひな祭りのときの懐かしい思い出を遠くから近くから眺めている。
>とても大事な思い出で、だれにも触らせたくない。

姫野さん、ありがとう。
八女へ帰郷すると、とても大事な思い出を忘れていたことを思い出します。(複雑!)

あさっては、ぼんぼり祭りで大勢の八女っこが着飾る日。この日、あの子にもこの子にも、いろんな思い出が刻まれるんでしょうね。

心にも 灯かりを点けましょ ぼんぼりで  (乙)

>なぜ南中じゃなく福島中学だったの?

小学校の卒業式間際までは、全員一緒に南中へ進むものと思ってた。下津浦君がラ・サールへ行くと聞き、何?その猿、と思ったのを思い出します。彼も一緒に南中と信じてた。花形満は星飛雄馬の近くにいなきゃ駄目じゃろうが。あ、今、ちょっと自分を美化しちゃいました。当時はガリガリでしたが、今の自分の体型は左門豊作です。クレッチマーに言わせれば、性格も豹変してしかるべきところ。

卒業式の頃、近々吉田に住所が移るかも、ということになって、急遽、福島中学へ入学することになりました。吉田は橋爪のルーツです。上妻小学校では、橋爪姓は兄と私だけでしたが、吉田を校区に含む福島中に進学した途端、同クラスに英典だとか聖子だとか千佳子だとか、あっちも橋爪、こっちも橋爪、最もメジャーな姓に変貌しちまった。

>橋爪さんを思い出すとき、いつもフルネームで思い出すのはふしぎだね。

上妻小学校は同姓が多く、牛島に至っては7人に1人。ところが、名前が被っている同級生はほとんどいなかったので、名前で呼び合うのが普通でした。何人もいたのはヒロユキくんくらいかな、だから下津浦君は苗字で覚える。
ふたりだけ、という名前がほんの何組かいました。この場合、普段は名前だけど、区別のためフルネームを使うこともしばしば。アキラくんとキョウコちゃんはそれぞれ二人いたね。だから、姫野さんを思い出すとき、いつもフルネームで思い出すのはふしぎじゃない。

さて、その後、事態が変わり、やっぱり納楚に留まることになった。されど、父は教育委員会支配下の厳格な教師。我が子を越境入学のまま放置しておいていいはずもなし。南中へ転校、という選択肢もあったかもしれないが、父は熊本の私立中学を探してきてくれました。ホームラン教室、というテレビ番組の影響で寮生活に憧れを抱いてたこともあり、乙四郎は吹奏楽部への迷惑も顧みず、そそくさと転校してしまったのであった。クラブ存続の危機を招いてしまって、美恵子さんも千治さんも腹立っただろうなぁ。

南中へ行ってれば、姫と同クラスになったかもしれず、恋が芽生えたかもしれぬのう。ぁ、そりゃないか。
ま、かくのごとく、ふとしたことで大きくぶれるのが人生。フェルマーと邂逅したのも転校した直後。タイミングがほんの少しずれてたら、数学を究めようとも思わなかったでしょうに。

桜見て サイコロ振って 遊ぶ神々  (乙) 

帰って来ました。
一段落。
これでちゃんとわかってすっきりした。中学で忽然ときえた「優等生の妙な少年」のゆくえ。今や田舎でもお受験組は普通になったけど、当時はどうだった。入学試験は受けた?下津浦さん、ラ・サールだったよね。当時そんな遠いとこにある学校を知ってるってことだけでも、すごい情報網を得ていた特殊な家庭環境にあったといえるとおもうよ。下津浦さんちはおいしゃさんちだし、エリート教育されてたんだろうなと想像しますが。
かたや、乙四郎はどんな親にどんな教育環境を与えられたのでしょう。それ、知りたい。というのも、高橋甲四郎先生を知って、お父上の偉大な農学者・高橋昇博士が上妻小学校卒で東京帝大を出ておられることをすごいなあと思って、甲四郎先生に、こんな田舎で都会の子達と競うほどの学力を獲得するためどんな勉強をしたんでしょうねと聞いたことがありました。すると甲四郎先生は、親の親も学校長だったから、うんと勉強する環境がふつうだった、みたいなことをおっしゃいました。なるほどなあ。量と質、両方そろっていたのですね。

でも、私は今日はじめてしりましたよ。乙四郎のチチは教師だったの!それすら知らんでよくも友だちづらするよね!人のいい頭のいい人格者のおりがみ名人。それが私にとっての君のチチの像でしたよ。職業なんて考えたこともなかった。笑。フーン。そうかー。きいてみるもんだね。うちの親にもお父上のこと聞いてみたら、ああ、そげんそげん。おとさんもおかさんもあたまのいい人たちだったからね。との答え。しかも、わが父がいうには、マルマルに買物にいったとき、駐車場のすぐ近くのおたくのトイレをお借りしたことのあるばい・・とのことです。なんじゃそりゃ。笑

橋爪エイテン!ちかこ!せいこ!
うっわーそうだったね。おなじ姓だったよね。なんでか思い出しもしなかった。ごめんごめん。一族か~錚々たるおかおぶれではごじゃいませんか。思い出させてくれてありがとう。ミータンもちはっちゃんも吹奏楽部だったって初めて知ったことです。


お帰り!
行儀よくお留守番してたからね。

そのトイレとやらが、ここに写ってます。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_4f26.html#comments

下の写真の左の白壁の内側がトイレです。

このブログに来てまだ6日しか経ってないのに、ずいぶん長くいるような気分になるのは、一足先に家ごとお邪魔していたからでしょうかね。
お礼の挨拶したらすぐに立ち去るつもりだったのに、居心地がよく、つい長居してしまいました。もちっといてもよかですか?

この中の 誰かが一番 背比べ  (乙)

勉強環境ですかぁ・・・
どんな集団であっても、何かをモノサシにして順位つけをすれば、必ず一番の人が出てきます。その、何かをモノサシとして、上妻小学校の不文律では、1番が「い」組、2番が「ろ」組、3番が「は」組、4番がまた「い」組・・・とクラス分けがなされているとの説を聞いたことがあります。男子では、名も高山の末裔と下津浦くんとが、い組とろ組を争い、それを定位置のは組から乙四郎が眺めていたという構図。
さて、構成集団が変わると、井の中の蛙たちはどうなるかというと、数学(統計学)的には、その集団が母集合(日本全体)からそこそこ外れていない限り、別集団の中でもそこそこのポジションに位置することができます。だから上妻小学校を卒業して東京大学に入ること自体は不思議なことではなく、ああ高橋大先輩はきっと上妻小で特別の頑張り屋さんだったんだろうな、そして小学校の時の頑張りをずっと維持されたんだろうな、と思いを馳せるだけです。
 点数化しやすい学校の教科でいうと、乙四郎は福島中という別集団に移って最初の頃の定期テストではずっと2番でした。2番というポジションが、頑張らにゃ、という意識をやたらとかきたてます。これが乙四郎の勉強環境じゃなかったかと思います。今も、恭子ちゃんに負けたくない、という意識がメラメラです。でも、どうせ負けちゃうもんね、基礎が違う、という諦念が先立つようになってきました。年取ったものです。

福島中では1番が定期テストのたびにころころ変わる群雄割拠状態でしたが、中でもひときわメラメラ感を燃やしたのはN川政子さんでした。だって、福島の商店街の普通ぅ~の親孝行(乙四郎の勝手な印象です。裏付けはありません)でチャーミングな娘さんなんだもの。スポーツ万能で格好よかった下津浦君に続いてこうですから、天は二物を与えず、という格言が嘘であることを確信しました。なお、政子さんは乙四郎のことを知らないと思います。1番の人は2番以下を意識しなくてもいいもんね。
お笑い芸人ですが、やはり二物を与えているとしか思えない天才、鳥居みゆきさんの人格憑依コント「ま・さ・こ」を観るたび、政子さんを思い出す日々です。

鼻持ちならぬ成績談義ではありましたが、こどもが持つ可能性を伸ばすのは、遺伝的素因だったり勉学環境だったりすることは否定しませんが、もっとほかの要素も大きいと思います。枠にはめても枠から飛び出すのが、こども。飛び出しやすいように枠を頑丈に作らないのが、親。乙四郎は両親から勉強を強要された記憶はありませんし、紆余曲折の大学選び(好評連載中。請うご期待!)も好き勝手にさせてくれました。

蛙の子 鯰の孫かも 知れないぞ  (乙)

>そっからどの高校にいったの?
>なぜお医者さんにならんかったの。

質問が二つ残りました。順番通りに行きましょう。
>そっからどの高校にいったの?

え? もう知ってる?
はいはい、じゃ質問を変えましょう。時間軸的には、 >なぜお医者さんにならんかったの。 との間にもう一つ加えないと完結しません。

>そっからどの大学にいったの?

え? もう知ってる?
いえいえ、まだ書いてません。どの大学を卒業したかは公開済みですが、(真和)高校からどの大学に進学したかは、ここではまだ公開してません。
さあ、17歳の進路選びの巻、いよいよクライマックスです。はじまりはじまりぃ~

 フェルマーの最終定理に魅された乙四郎は、数学を究めんと、高等数学に明け暮れる日々であった。中高一貫校は高校の受験勉強が不要なので、中3に少しばかりのゆとりができる。数Ⅰ、数Ⅱ、数Ⅲといった受験数学は中3のうちにさっさと独学で終わらせ、高校では、和分だの差分だのといったおよそ大学受験とは無関係の領域の数学に没頭した。勉強というより、趣味に打ち込んでいた、という方が当たっている。
 いや、数学に明け暮れるといっても、四六時中数学ばかりやってた訳ではない。人間、根を詰めるにも限度がある。乙四郎の息抜きは読書であった。書店には、魅力的な本がたくさん並んでいる。しかし高くて買えない。乙四郎は考えた。学園で最も歴史がある宗教クラブに入部しよう。歴史を反映して部費も多い。しかも部員は少ないから、部費の使途は言った者勝ち。乙四郎は企みを実行に移した。人間を知る、思想を知るという大義名分さえあれば、自在に書籍を購入して楽しむことができる。やがて宗教部長の座をも射止めた乙四郎は、類稀なる恵まれた高校生となったのである。
 書物から良いインスピレーションを得ると、その感動を誰かに伝えんと居ても立ってもおれなくなるのは、励め世のため人のためと繰り返し洗脳された小学校教育の影響だろうか。やがて乙四郎は、文章を綴ることも趣味となり、その感性を原稿用紙にぶつけ続けた。
 乙四郎が小さい頃よく遊んだ吉田地区には精神科病院があった。病弱ではなかったので病院やお医者さんとの縁は薄かったが、精神科病院だけは違った。読書を通じて人間観察にも興味が増した乙四郎は、漠然と、精神科医になりたいと思った。
 葛藤。乙四郎は自分に問うた。おい、お前はいったい、フェルマーを追いたいのか、クレッチマーを追いたいのか。
 乙四郎は数学の成績はいつも満点近かった。一介の受験生を通りすぎて出題者側の境地に達しているのであるから、当然といえば当然である。加えて、国語の成績もトップクラスであった。Z会の通信添削の国語では、東大文系志願者に混じって上位グループの常連として目立っていた。国語が好きだとか得意だとかいうわけではなかった。乙四郎には出題者心理が手に取るように読めたのだ。
 乙四郎は、数学と国語の成績が突出していた。しかし、突出しているのはこの2教科のみだった。世の中には、どの科目も満遍なく優秀な者がいる。負け惜しみではないが、そんな人間に人間的魅力があるのだろうか。 (つづく)

[設問]
この後の展開を予測せよ。
(回答が来たら、「つづく」を執筆します)

(ヒント)
伏線は既に仕込んでいます。

乙四郎。
書く分量でわれをしのぐ人物にはじめてであった気がする。けさ大事な用があってでかけ、そのご、仕事場に仕事にいった。さっき帰宅した。ひらいた。うわわ。占領されとる・・。こらいかん。いますぐくちくせねば。アームストロング砲だフマキラーだあめがただ。ばってん今日はちからがでん。つかいきってしもた。
乙四郎はんよい。よかか。
あんた、よしだのせいしんびょういんでなんばみたとや。それ、てきかくにことばにできるか。おいどんにきかせてくれへんか。
それとな。真和という学校、宗教教育ってなんばしたとや。ぼうさんの読経をきかせたや。それとも説教ばきかせたや。宗教概論みたいなんもあったんかい。がっこへはお数珠もっていってたや。お経持って行ってたや。紫衣がにあいそうな面構えだが、
ヘルマン・ヘッセの「知と愛」って読んだや。どっちえらぶていわれたら、あたまがよくてきりょうのわるいむすめと、きりょうがよくてあたまのわるいむすめ、どっちえらぶや。

以上、簡潔にまとめた。
きみの質問の答えである。さあてと、ごはんのよういでもするかね。きょうはだごじる。

じんせいがにどあれば
このじんせいがにどあれば
おほほう(くりかえし)

紫衣は聖マリアグループの一翼を担う組織の責任者としては似合わないのでは?

あ、それから言葉狩りの一環で、精神病院→精神科病院、精神病棟→精神科病棟 と置き換えることになってるみたいです。言葉置き換えはニュアンスが変わるから好かんけど、そのニュアンスがいかんという人が多いからしょんなかたい。
精神科病院については、>なぜお医者さんにならんかったの。の巻で書きます。

質問増やさんどいてね。いつまでも抜けられんようになっけんね。
こっちも大学の開学準備で忙しかけん、ほどほどにせにゃいかんとよ。

聖マリア。すごくお世話になってます。次男が病弱なたちで、定期的に行ってる。小学一年でひと月半くらい入院し、あとはほぼ毎年していた。ぜんそく。おやのつきそいは禁止だった。さっさとなじんで、私がいくとバイバイと手を振り、帰ってイイヨといってた。あっちでお勉強もやってた。勉強室があった。
いまはぜんそくは完全に管理できてる。脳波異常も目下沈静。小児科おおぶ先生はいい先生ですね。橋爪先生。もし医師であったらどんなおいしゃさんになってたでしょうね。精神科医。ブラックジャックの外科医。うあ。おもいだした!うちのすぐまえにいるよ、すみくん。とても腕のいい黒木町の外科医です。乙四郎と同じ福中同級生。

一週間 これは私の 一週間
  そしてあなたの 一週間  (乙)

ともよ
乙四郎にとって、この一週間は、激動の一週間。記憶の糸をほぐす機会なんて、人間、ありそうでそうあるものではない。
ありがとね。別の込み入った一週間が動いていたのはわかってたんだけどね。

福岡県人は、自分の家が燃えていても、「あちゃぁ燃えてしもた、みーんなのうなってしもたたい」と笑って話すとか。武田鉄也が言ってた。
その友人も笑って答える。「生きとっけんよかったたい」

なにごとも なきかのごとく げらげらと
  笑う二人は 影抱き合いて  (乙)

乙四郎は、このコーナーで暴れ続けます。ともよ。

おう。きにいった。

月かげのいたらぬ里はなけれども
  ながむる人の心にぞすむ
            法然上人御歌

 これは乙四郎が最も親しんだ歌である。好きな歌だからではない。宗歌として、学校行事のたびに節をつけて全校生徒が歌った。宗教の時間というのもあって、週に1時限が割かれ、釈尊や法然の生涯を学んだ。釈尊は16歳で結婚し、29歳の時に子どもが生まれ、その子をラーフラ(障碍)と名付けた、などなど。この学園の卒業生であれば、釈尊であれ釈尊の母であれ、その本名を諳んじている。こんな教育環境では数学一辺倒だった乙四郎が精神世界を意識するようになるのも無理はない。

みほとけのみめぐみにより
今日の一日(ひとひ)を人としての過(あやま)ちなく
互(たが)いに睦(むつ)み互いに譲(ゆず)り
己(おの)が業(わざ)を励(はげ)みて
世の文化(ひらけ)につとめ
社会(よ)に光明(ひかり)を捧(ささ)げむ
御仏(みほとけ)の加祐(みまもり)を給(たま)へ

 これは、一日の節目節目、たとえば食事の前とか朝礼のたびに、全校生徒が合掌して唱えた言葉。乙四郎も在学中に何千回となく唱えた。小学校校歌の一番と相通じる世のため人のため精神。小学校ではそういう人になりなさいとの命令形、学園では、そういう人になりたいので仏様見守ってください。数学を究めるのと精神科医になるのと、どちらが世のため人のためになるのだろうか。乙四郎の葛藤は続いた。
 長い休みは禅寺に泊り込んで寺坊主の真似事をした。般若心経を唱え、心を空にして座禅をし、高僧へ禅問答を挑んだ。それでも乙四郎の心は定まらなかった。
 やがて、時は流れ、ついに受験校を決定しなければいけない時が来た。数学と国語さえ受験科目から外さなければ、乙四郎は日本中どこでも受かると担任は太鼓判を押してくれた。東京大学はどうだ、これが進路指導担任の勧め。数学を究めるんだったら東大がいいかな。でも精神科医になるんだったらどうだろう。悩むまでもなかった。理科Ⅱ類というところにいけば、入学後の希望と成績次第で医学部へも理学部へも進むことができるのだ。結論先延ばしではあるが、東京大学理科Ⅱ類を受けることにした。          (つづく)


月かげのいたらぬ里はなけれども
  ながむる人の心にぞすむ
            法然上人御歌

うどんうつ里のはづれの月の影 荷兮
   すもも持つ子のみな裸虫 越人
    芭蕉七部集「ひさご」より

うら若きころうける宗教教育は強いですね。乙四郎。だんだん興味がでてきました。いよいよ東大受験。
そげなむつかしか大学ばうけるあたまって、やっぱさ。シェーだよな。笑
ご詠歌とは呼ばないのか。樋口不可思師率いる合唱団はちすの会が暮れにコンサートをなさいましたが、きれいで荘厳な宗教歌を聞くことが出来ました。私が歌える宗教歌は、「如来大悲の恩徳は」と、つぎの讃美歌だけです。

慈しみふかき ともなるイエスは
つみとがうれいを とりさりたもう
こころの悩みを つつまずのべて
などかはおろさぬ 負える重荷を

あーおもしろかった。

 揺れているもの、不安定なものがあると、視線はそこに釘付けとなり、周りに心が及ばない。しかし、ひとたび揺れが収まり安定すると、世界が急に広くなり、これまで見えていなかったものが見えてくるものである。乙四郎は志望校のぶれがなくなったことで、進路について、客観的視点を得ることができた。自分自身を出発点としなければ自分の行く末が想像できなかった乙四郎から、大いなる運命の流れの中に自分の行く末を見ることができる乙四郎へと変貌したのである。乙四郎は、いろんなことを考えた。東京大学に落ちたとしても、それも運命。いろんなところを受験して、受かったところが自分の運命。数学だけじゃない。精神科医だけではない。運命として受け入れて、それなりに意義があるところであればどこを受験してもいいじゃないか。そういえば美術も好きだ。乙四郎の父は体育と美術の教師だった。父はよく生徒の作品を家へ持ち帰り、この中でどの絵がいいと思うか、と乙四郎に批評をさせていたものだ。東京芸術大学に美術評論を専攻する学科がある。受験日は東京大学とは重ならない。よし、東京芸術大学も受けてやろう。受験科目に数学がないのが難点だが。  (つづく)

 何か、吹っ切れるものがあった。が、同時に乙四郎を、何か忘れたような気がするがどうしても思い出せない時のような、もどかしい、理由も無く落ち着かない気分が襲った。

春に花あり 秋に月
夏はほたるに 冬は雪
自然をおのが 友として

 これだ。忘れ物はこれだった。
 小学校では自然を友とするよう命令されていた。自然を忘れてはならぬ。これは原点である。
 数学も、人間観察も、美術評論も、四季折々の自然と直接向かい合うものではない。雪を、春一番を、桜の開花を友とするような、歳時記を常に脇に置く、そんな進路もいいではないか。運命の選択肢から除外する理由はない。
 俳人?それは却下。生活できない。
 大学受験案内をめくって、めくって、めくると、あった。
 気象大学校。気象庁の管轄下にある高等教育機関だ。よし、ここも受けてやろう。
 そういえば、気象には人一倍興味がある。天気予報は、数学理論の最先端の応用分野なのだ。気温や湿度の条件がほんの少しずれただけで、雪になったり雨になったり。気圧配置の妙で春一番が吹く。気温変化の妙で桜が開花する。何十ものパラメータを使った最適の関数を編み出して近未来に起こる自然現象を予測する、それが天気予報。
 気象学。この響きが乙四郎の魂を捉えた。もし天職というものがあるのであれば、この進路こそが天職ではないか。乙四郎は思った。東京大学受験を決めた時にはないワクワク感があった。 (つづく)

これをよんだおかげでちこくしそうだ

「ちりとてちん」のおかげで毎日が遅刻しそうな橋爪です。日曜日は中断するので朝寝坊できます。

読者のみなさま。臨時連載中断のお知らせです。本日は職場の評議員会やら理事会やらで深夜まで七転八倒の忙しさ。とてもパソコンの前に座っておれるような余裕がありません。(なのになんで、今、書けてるのか・・・? 人生には謎が多いものです)

連載中断なんかの時に、読者の興味が離れてゆかないように出版社がよくやる手法が「読者アンケート」
大手がすなる アンケートなるもの 雑魚の私も してみむとて してみよう

(アンケート1)
乙四郎の進路として、次のどれが適切だと思いますか。あなたが乙四郎になってほしいものを次の中から選んでください。複数回答の場合は順位をつけていただければ幸いです。

1 俳人  2 歌人  3 詩人  4 小説家  5 美術評論家  6 楽団員  7 気象予報士  8 数学者  9 精神科医  10 お笑い芸人

(アンケート2)
乙四郎の俳句、短歌、文章の中で、特に印象に残った句、歌、フレーズは何ですか。また、心が揺さぶられるようなものはありましたか。あれば教えてください。

(アンケート3)
この連載では、本歌取り(パロディ)を多用しています。一番気に入ったものを教えてください。

ではまた。
乙四郎でした。

けっ。だれがそげなんにこたえるかって。
あ~つかれた。今日は社の命令で取引先の不正工作にたずさわった。伝票書き。おもとめにおうじて、一日中書いて書いて書きまくり。これの深い意味がわかるあなたは建築界の裏に通じていなさるおかたじゃ。わからん人はわからんでよい。おや、そこなお役人さん。言っておくがな、さほど大掛かりな不正ではない。水増し伝票でわからないよう出来るのは多寡が知れておる。かわいいもんじゃ。知ったのは、こんなことをやったとてまったく潤わない業界だということ。
また○建設さんは手形だった。連続四ヶ月。会計はいますぐ契約を切ってと頼む、だが営業は今切ったらすぐ控えてる仕事のない季節に仕事がもらえないという。入金のあてのない労働をやっているみんなの疲れた顔がうかぶ。残酷物語だろ?
ところで。
人が生きるか死ぬかという瀬戸際で、なんでこんなへんてこな校長とあったんだろうな。これ、なんという運命なんだろ。
今日の↑のコメントをみて、びっくりした。えーっ、もう学校へ行ってたの・・あたしゃてっきり楽隠居じょうたいかと思ってたよ。ほれ、読者のみなさんも相槌をうってなさる。

わがやの一大事を会社の人たちに相談してみた。実例をあげて常務が助言してくれた。
「もうこうなったら、あのおかたにすがりつくしかない。」「あのおかたってだれですか?」
「鳩やまさんだ!」といわっしゃる。
なななんでそうなるとやー。じょうだんでしょ。こんなときにそんな冗談いわんでくださいよねえ。

楽隠居にはまだ早い。これはこれで苦労も多かと。
わーっ、しくじった!
ニュースで東大の合格発表やってる。
タイミングを合わせようと思ってたのに・・・中断するんじゃなかった。

疲れてるので今夜は書くつもりなかったけど、タイムラグを短くするために、すこし進めます。中断解除(ただし、少し手抜き)。

気象大学校、一次試験、二次試験合格。三次選考の結果待ち。
東京大学、一次試験合格。二次試験の発表待ち。
東京芸術大学、一次試験不合格。

 これが東京大学の合格発表を見に行く直前の乙四郎の戦果。気象大学校は日本一小さな大学で、入学定員はわずか15人。一次試験は二千人以上が受験しているが、二次試験で60人くらいまで絞り込まれた。三次選考というのは、一次試験、二次試験の成績と内申書等の情報を総合的に勘案しての最終選考。気象大学校生は国家公務員扱いになるので、形式的には国家公務員採用の手順が踏まれる。60人を成績順に並べて、最初の15人を正規合格とし、辞退者が出るごとに次点の者を合格にする仕組みらしい。例年、辞退者続出なので、結果的には60人くらいが合格するとのことであるので合格通知が届く可能性は高い。
 東京大学も東京芸術大学も二段階選抜。東京大学の一次試験の二日後に東京芸術大学の一次試験。その直後に東京大学一次試験の発表、そして二次試験。東京大学二次試験を終えたら直ちに東京芸術大学の二次試験の練習。彫像デッサンの実技試験に備えての練習だったのだが、まもなく、練習が無駄だったことが判明した。東京芸術大学の学科試験には数学がなかったのだ。国語力だけでは他の科目の不得手をカバーすることができなかった。
運命のサイコロの目は、東京大学と気象大学校に絞られた。さあ、今日は東京大学の合格発表日。   (つづく)

乙四郎。
きみは強いね。
ひたむきだね。

では、予想しよう。
東大合格は・・

やっぱ八女た。つい先日の子の合格発表場面をおもいだす。

昨日の理事会は聖マリア病院の会議室を借りた。開学直前の荷物搬入とか何とかで大学構内がしっちゃかめっちゃかなため。
聖マリア病院には、要所要所に「聖マリア病院の原点」というのが掲げてある。校歌や合掌歌同様、いたるところで従事者の目に留まることがポイント。紹介します。(出典はマタイ)

「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、わたし(神)にしてくれたことなのです」
1.私が空腹の時に食べさせ
2.渇いていた時に飲ませ
3.旅人であった時に宿を貸し
4.裸であった時に着せ
5.病気の時に見舞い
6.牢にいた時にたずねてくれたからである

今日も地元の有力者対応等、いろいろあるので、あまり時間がない。

 合格発表の時節は、未だ桜は堅い蕾であるが、サクラサクは合格の符牒。乙四郎の受験番号にもサクラが咲いた。掲示板の前に人はまばらだった。発表時刻は数時間も前。合格を期待した「ともだち」たちは、その時刻に勇んで駆けつけ、そのともだちが胴上げをし、それを報道陣が映像に収めて全国のともだちに見せつける。乙四郎は夕刻にひとりで出かけた。喜びを共有する者もない。公衆電話から八女の母へ一報を入れた。
「受かっとった」
「おめでとう」
「気象大学校から通知来とう?」
「まだたい」
 数日後、気象大学校から合格通知が届いた。

サクラサク 心いかほど 十七で
  伝えきれねど 喜び重ね

 神は乙四郎の進路を定めてはくれなかった。神は乙四郎に選択を強いた。そりゃあ東京大学というのは聞こえがいい。喩えれば器量良しの娘さん。でも、入学後の進路に関しては不透明でどっちつかず。それに対し、気象大学校というのは知名度はゼロに等しい。しかし、何か自分の期待に応えてくれそうなワクワク感がある。
恋人は器量で選ぶのか、通じ合う心で選ぶのか、おまえ自身で選ぶのだ、乙四郎。 (つづく。次回は、いよいよ「17歳の進路選び」の巻、完結篇。乞ご期待)

(閑話休題)
生きるか死ぬか

JICAの仕事でアフガニスタンへ行った。数年前のこと。乙四郎が搭乗する国連機がカブール空港に近づくと、尾翼だとか胴体だとか、あちこち目に入る。一時の大混乱は収まってはいるものの、地雷が多くてまだ片付けられないとのこと。治安維持軍が我物顔で街を闊歩している。街角の兵隊さんは、治安が良好な時は、銃口を空へ向けて立っている。乙四郎が訪問した時は、水平持ちだった。数日前には、現地駐在日本人が通り過ぎた直後に道路に仕掛けられた爆弾が炸裂した。米国寄りの日本は必ずしも好意的には受け入れられてはいない。そんな道を乙四郎の車は日の丸を掲げて平然と通る。目的地へはその道を通らなければ到達できない。車から一歩外へ出ると、乙四郎は銃口の先にいる。あそこの角の兵隊さんの照準は、乙四郎だ。突然駆け出したりしたら、ズドン。
 会議の相手に翌日のアポを入れた。その人は、あいにくその日はカンダハルへ行く予定とのこと。しかし大事な会議なので、カンダハル行きの用事は他の方に交代してもらった。
 翌日、早朝、カンダハル行きのその車が大破して、全員が死んだ。予定していた会議は流れた。代理で行かされた者の親族が役場にたくさんいて、彼らは日本人を憎んでいる。今行くと危ない。滞在中のすべての会議がキャンセルとなった。
死んだ方の葬儀日程が決まった。どんな方なのかは知らないが、乙四郎がその方の運命に干渉したことは間違いない。葬儀に出て弔意を示したかった。ならぬ、と制止された。
乙四郎は数日をゲストハウスで橋爪もとい缶詰となって過ごした。国連機で逃げるように帰国した。

泣いておわびを・・とか、そげなロマンチックな次元の話ではまったくない話をきかせてくれてありがとう。もし、感傷や罪悪感に負けてその場に出ていたら、間違いなく殺されていたでしょうね。八つ裂きに近いやりかたで。

この話を読んで、乙骨太郎乙一族の交友誌「円交」にあったどなたかのエピソードを思い出しました。ちょっとまって、探すから。記憶では、外交官だった筆者が第二次大戦修了間際のドイツから引き揚げてくるときの体験。背後にはすぐそこまで戦火が迫ってい、さあ早く船で日本へ、とせかすが、最初の船はどうしてか人に譲った。が、その船は撃沈されてしまった。じぶんはのち無事に帰りついた。・・というものでした。かぶさるように、永井友二郎先生のおはなしにも、似たところがありました。戦火をかいくぐって生きた人々には、どこか偉大な意志に助けられたというような想いがあるようです。

乙四郎。
東大うかってたんだね。そうだろうな。もし落第してたらここに書く意味ないもの。
 
きみがほしいものはなんだったの。

さあ、いよいよクライマックスへ。

 本物のサクラが舞う時節となった。
 このあたりのサクラは日本一だ。地下鉄駅を出て九段方面を眺めると、視野にピンク色が広がる。乙四郎は地下鉄竹橋駅の前に立っていた。ここから歩いて二分、そこに乙四郎が国家公務員として採用される気象庁がある。
 気象大学校は千葉県柏市に所在するが、気象大学校学生は気象庁所属の職員扱いなので、入学にあたり、気象庁長官へ挨拶にゆくのが儀礼である。関東には無数の駅があるが、その中でも地下鉄竹橋駅は乙四郎の記憶に満開のサクラとともに深く刻まれる特別の駅となった。
 気象大学校に入学した学生は、敷地内の寮に入寮することが強いられる。寮は「智明寮」といった。名付け親は日本の気象事業の父、岡田武松。命名のいわれとして次のように書いてある。
「養成所に入ってこられる青年は好きな道だから概して英才が多く仲仲出来るのがいる。そういう青年に最も禁物なのは自己陶酔である。脇の下に一寸小さい羽根をはやす位ならまだしも,お高くなってはもう山がとまる。老子のことばに『知人者智,自知者明』とある。この智と明とが大切だ。これさえ心得ていれば,自己陶酔におちいることもあるまい。」
 自己陶酔はいけないのだ。乙四郎は肝に銘じた。
 気象大学校は全校生徒60人足らずだが、ちゃんと校歌がある。乙四郎の入学当時は男子校であった。女子は卒業後に南極や富士山頂へ配属するのに支障があるのではないか、との配慮であった。乙四郎は南極勤務もいいかな、と思った。何となくワクワクする。

気象大学校歌
1.みどりの松に  かこまれて
  平和の光    窓に受け
  理想に進む   若人の
  学びの庭に   花が咲く
2.天地自然を   友として
  世界に誇る   日本の
  気象技術を   身に修む
  若木の末に   栄えあれ
3.萌える芝生の  百葉箱
  ノートのペンに 春の風
  額に汗の    実習も
  男子のほまれ  心意気
4.学習おえた   夕やみの
  柏の空に    北斗星
  宿舎に集う   だんらんに
  ふるさとしのぶ 月あかり

  おお我らが母校
  気象大学校 心の故郷よ

 できの悪い校歌だ。乙四郎は思った。校歌で進路を選ぶのであれば、絶対にここは避けたであろう。
 智明寮には「寮歌」もあった。乙四郎は寮歌の歌詞を印刷物で見たことがない。ずっとずっと昔から、口承のみで歌い継がれてきたものらしい。平家物語みたいだ。口承文学なので活字で紹介するのはためらわれるが、その歌い出し部分はこうである。

サイン コサイン ナブラエックス バイスラ ぎんぎらぎん
と~んだ数学で苦労す~る~
と~んだ数学で苦労す~れど バイスラ ぎんぎらぎん
がっこ 出るときゃ エンジニア~
がっこ 出るときゃ エンジニアな~れど
・・・・・

 寮歌で進路を選ぶのであれば、絶対ここだ。乙四郎は思った。
 この大学にしてよかった。 (完)


百葉箱が校歌にでてくることに非常に感動した。
そうか。
炊けば使役嫌だようこの変換能無し機械。
竹橋駅がこげなとこにつながってたとはおしゃかさまでもごぞんじあるめえってば。
姓はきまったな。

竹橋乙四郎、ここに誕生。

管理人には逆らえないので、竹橋乙四郎、事件を起こしそうな姓だけど、これも運命、承諾いたします。
さて、読者の皆様、実験小説はいかがだったでしょうか? 時代は足早にインターネット時代となりましたが、文学・文芸は時代に追いつけないまま、インターネット時代ならではの新しい創作表現が生み出せずにいます。このブログには、感謝いたします。遠い遠い将来の文芸史研究者が、新小説型の起源としてこのブログを発掘するかも・・・いかん、自己陶酔だ。
さて、質問があとひとつ
>なぜお医者さんにならんかったの。
が残っていますが、乙四郎のその後の波乱万丈の人生を小説形式で続けるのはやめておきます。起きた出来事を書き並べるだけなら、ただの日記です。日記と私小説とは別物。乙四郎のその後の人生については、何ら伏線を仕込んでいないので、小説としての面白みを出せません。
小説の小説たる所以そして醍醐味は、どれだけ巧妙に伏線を仕掛けられるか。伏線仕込みの巧さでは伊坂幸太郎が一番です。乙四郎はずいぶん影響を受けていますが、伏線を自分で仕掛けるだけではなく、読者にも仕掛けてもらおう、というのが実験でした。そうでもしなければ一番を抜くことはできません。
また、小説には一貫したテーマが必要です。ここでは「運命」をテーマに設定し、小説からの脱線部分でもなるべく「運命」が浮き立つように意識しました。偶然に思えることも、実は全部、運命が結びつけた必然ではないか、そんな印象を読者に与えることができたら、この実験小説は成功です。乙四郎の意思が働かない管理人コメントは、この実験小説上は、すべて「偶然」なのですが、それを部分的にでも、ストーリー展開上の「必然」と結びつけてゆくことで運命の妙との印象を与えることができます。クレッチマーやヘッセが出てきたときは、いただき!、と思いましたし、他のコーナーも含めトイレや竹橋駅が出てきた時には、むしろ乙四郎のほうが本当に運命を感じてしまいました。
あと、小説を修飾する重要な要素としては、何らかのトーンを貫くこと。ここでは、「さくら」「俳句」「短歌」「校歌」「パロディ」などを、ストーリーを貫くトーンとして採用しました。必然的に馴れない十七字表現をいくつか作ってみましたが、やっぱり乙四郎には苦手です。
う~ん。
竹橋乙太郎でした。

まひるまの百葉箱を氷室とす 恭子

季語 氷室 夏

月あふぐ気象官ゐる海の底  恭子
 
季語 月 秋

北風(きた)震ふとき磨かるる
  雪の月         恭子

季語 北風 雪 冬

菜の花や私が生れてきた理由 恭子

季語 菜の花 ハル

二番目の句がよくわかりません。「海の底」に潜ったことないもんで。どういう場面で詠まれた句でしょうか?
最後の句。矢部川の土手沿いを毎日通勤しているのですが、最近は黄色い絨毯に心奪われています。四季折々の生命の息吹には、生きている喜び、生かされている喜びを感じます。乙四郎の心情を表現するとすれば
菜の花や私が生きている理由 (乙)
といったところでしょうか。
「生まれてきた理由」からは両親の出会いのエピソードが想起されるのですが、乙四郎、生まれてきた理由がわかりません。

(閑話休題)
生まれてきた理由

といっても名前の誕生について。竹橋乙四郎の誕生理由はわかったとして、じゃそもそも「竹橋」はなぜ?
Wikipediaによると「竹橋の名は、竹を編んで渡した橋だったからとも、また後北条家の家臣・在竹四郎が近在に居住しており「在竹橋」と呼んだのが変じたものとも言われる」と。
おう、ここにも四郎が。
竹橋は、平和な時代には主として大奥への通路に用いられたとのことなので、このブログへ出入りするときに竹橋を使うのは秘密めいてよろしうおます。
竹橋の暴動は、大隈重信公邸への砲撃。大隈くん、無事でなにより。この事件の4年後に大隈くんは東京専門学校(後の早稲田大学)を創設してる。こんなところで死んでたら大学はできなかった。乙四郎もアフガニスタンで死んでたら・・・
ところで、国政レベルで活躍してる大隈くんが、なぜに大学設立を思い立ったのか。乙四郎はおおいに興味があります。早稲田大学HPによると「真の独立を達成するためには国民の一人ひとりが独立した人格を形成することが必要で、それには近代的な国民教育が前提にならなければならないということです。こうして大隈は、将来「学問の独立」を理念とする学校設立の構想を描くこととなったのです」(『エピソード 大隈重信』より)とのこと。おう、きにいった。
名前の誕生の話題に戻ります。
乙四郎は気象大学校卒業後の勤務先として南極を希望していたのですが、南極大陸の入り江のひとつが「大隈湾」と命名されています。大隈くんは南極探検後援会長もやってました。

大儀であったなあ。ごくろうごくろう。くるしゅうないぞ。
俳句をよんでくれたんだ。ありがと。二句目わけわからんてや。そのままイメージしてみりゃよかったい。マンガみたいにさ
。ああ、これはあんたのことだったんだ!と昨日おもうた。十年くらい前の句で、だれもほめてくれんけど、自分では妙にすいとうとたい。
大隈しげのぶ。むかんのおとこで人柄を知り、かっこいいなあておもうた。こういう男がどんどんどん(の森)すくのうなっとるきがする。はらをすえてぶれない男、すかっときもちいい男。いつしんでもいいというような気迫にみちた男、そんなね。

竹橋乙四郎がここにきっちり立ち上がったことにふしぎな感慨をおぼえます。これは神の石だ。

その後の乙四郎

気象大学校入学から
>なぜお医者さんにならんかったの。
までの道のりは長そうです。読者不在でだらだらと書き連ねるつもりはないし、重要な局面では公開の場では言えないようなこともあるので、走馬灯を早回しします。ちゃんとした小説家としてデビューするようなことがあれば、読者に楽しんでいただけるような形で発表するかもしれませんが、今のところはご容赦ください。なお、適宜、御質問にはお答えいたします。

びゅーん (走馬灯が回っている音です)

翌年の桜の候、乙四郎は二度目の大学入学式を迎えました。
母校(真和高校)では、それなりに話題になっています。そりゃそうでしょう。東大ブランドを捨てて、当時はほとんど知られていなかった気象大学校へ進学したというだけでも話題の種なのに、翌年の春には山口大学医学部に通いなおすというのですから。母校からは、学校新聞への投稿依頼がありました。後輩たちへは、こうなったことについて、端的に理由を述べなくてはならないでしょう。山口大学での抱負を述べる文章の前に、乙四郎は端的にこう書きました。

私のような人間のことを「お天気屋さん」と申します。

投稿依頼の短い字数で理由なんて述べきれませんよね。
気象大学校は12月に退学しました。受験勉強の期間は短かったけれど、ただ単に、数学と国語の配点ウェイトが高いという理由だけで山口大学を選びました。山口の気風が何だとかかんだとか、そんなことは一切関係なし。受かればいいんです、受かれば。結果として、山口大学で学んだことが今の乙四郎の人生を決定づけたようなもので、運命の采配って結構面白い。
いったい何があったんでしょうね、気象大学校で。


なにがあったとね。

サスペンス 事件の陰に 女あり  (乙とっと)

・・・とかいいたいけど。残念ながら気象大学校は男子校。色気も何もありゃしない。
艶話はこのブログには似合わないので、今後、乙四郎の生涯を書き進むにあたっても、避けて通ります。

色恋を 書くは小説家に なってから
  小出しにせずに とっとっと   (乙)

4月から12月までの間に、いくつかのエピソードがありますので、それらをおいおい紹介してゆこうと思います。

乙四郎さんへ
きょうこさんの友達(年は1つ下)、陰の読者より。
乙四郎さんとは、残念ながら接点はありませんが(ちりとてちんファンということ意外。あれは伏線いっぱいの名作だと思っております)。
次が気になって見に来ますと、期待を裏切らず、次々と新たな展開が。おもしろい!
ただコメント60いくつとなりますと、スクロールが大変です。どうにかなりませんか?

↑変換まちがいあり。ちりとてちんファンということ「意外」は、「以外」のまちがいでした。

図々しくてすみません。早く読みたいもので。急いでスクロールすると、パソコンが火を吹きそうです。(笑)それはないか。

mariさん、はじめまして。つまらん個人の経歴ですが、読んでいただいてありがとうございます。つまらんものを読み物にできるかどうかは物書きとしての素養如何かと思います。面白いと言っていただけると素直に嬉しいです。
松延寛之さんなんか、ご自身の体験を軸にしながら、あれだけの読み物群をこさえることができるのですからすごいと思います。このブログで松延さんの福島高校新聞投稿文を読むことができ、ああ、プロの作家になる人は違うなぁ、と恥じ入っています。
ところで松延といえば五木、五木といえばちりとてちん。小次郎さんが宝くじで当てたお金で五木さんを小浜へ呼んでくる、といった展開を予想しているのですが、どうでしょう。
ちりとてちんの伏線仕込みには乙四郎も感心しきり。落語の元ネタを知ってる人にはたまりませんね。「Wikipedia-ちりとてちん」に伏線の詳細が解説してあります。登場人物の名前だとか、ほとんどすべてに仕込みがあります。草々さんの上方落語界のライバルが尊建さんに柳眉さん。りゅうび・そんけん・そうそう、三国志の世界。
筋書きとは別にちりとてちんの面白いのは、ドラマと同時並行で現実世界に偶然(!)が重なっていること。オバマが盛り上がったり、福井の恐竜博物館では新種の小型肉食恐竜の化石みたいなのが発見されたり。
ところで恭子さん、八女では、ひとつちがいまで「ともだち」と呼ぶことを許容してましたっけ?ゆるゆるで寛容な土地柄ではありますが、変なところにこだわりがあったりしますよね。
いずれにせよ、もはや見知らぬ人ではなくなったので、mariさんは乙四郎のともだちたい。
浦沢直樹の漫画で「20世紀少年」というのがあり、その長編を貫くテーマが「ともだち」でした。
管理人さ~ん、悲鳴が出ています。
乙四郎も、本名で検索をかけると、一番目にこのブログがヒットするようになり、少々ヤバいです。
この学長さん、どんな人かな、どれどれ・・・

一番は居心地が悪い竹橋乙四郎でした。

さすがに情報が速いですね。小型肉食恐竜の化石、去年は皮膚痕化石、福井で次々出てますね。私は勝山市の恐竜博物館には「恐竜博エキスポ2000」の時、子供を連れて行きましたから、博物館がテレビに出るとうれしくなってしまいます。
保健医療経営大学開校の記事見ました。すごい。どういう人材を育てられるのですか?経営者ということですが。
追伸(小次郎さんはたぶんそうするでしょう。But五木さんは会場には来ないらしい。小草若がどう関わるかが予想できない)
ともだちより
きょうこさん、お仕事中におじゃましてます。

ともだちのmariさん
ちりとてちんの場合、その週間タイトルが週の終わりの展開の伏線になってますよね。
今週は、蛇の道はヘビー
蛇が通った道は、その蛇でなくてもよく知っている。同類は同類の行動をよく知っている。その道に通じ合った者同士にはよくわかる。四草さんの小草若さんの心情への理解、明日の展開、今からうるうるです。
自分なら、残りの数回をどう展開させるか、といった見方で自分なりに楽しんでいます。まさかハッピーエンドじゃない、ってことはないでしょうから小草若さんは落語に何らかの関わりのある人生のど真ん中の道を見つけるという展開かなぁという気がしますが、当初からキャラが立ってた小次郎さんをどう料理するのかが見ものです。小次郎という名前にどういう伏線が仕掛けてあるのかも興味があります。演出的には、ああいう天然キャラを演じている人のために、最も落差のある場面を最後の最後に用意して、うるうる感を増幅させようとするのでは。それが最終回あたりだとすると、もう一回くらい大失敗させてダメ男を強調するという演出もありますね。五木さん招致に成功くらいの展開では、一流の役者にあえて臭い芝居をさせ続けたこれまでの長~い仕掛けが生きてこないかもしれませんね。mariさんの予想に一票!

今日の四草さん、ぐっときました。そうか「蛇の道はヘビー」それを踏まえて予想しながら、土曜日を待とう。

蛇は、またはそれをもじったヘビーは四草さんが主役じゃないといけないのです。算段の平兵衛のサゲ(オチ)は、●●●へいべえに怖じず、で、蛇を平兵衛にもじっているから。それにしてもNHK、算段の平兵衛のサゲが言葉狩り用語だってこと知ってのかなぁ?

おわわっもりあがってますなあ。ちりとてちん。わたくしみとらんけ、にげよっと。

でも、へびだったよ。虹はなぜ虫偏であるかとのこたえ。

このコメントでカウントいくつ?
海の底で頭上の月光をみあげている気象官のイメージは、コメントがたくさんついたのをよむとき、息をとめて深く深く水中にもぐっていくようなかんじがするよね。それだよそれ。
でも息が続かなくなってきたし、ここらで手を打とう。

これで72件目 すごっ!(笑)
本当だ。潜っていくみたい。

おつしろう。
まりさん、すーみーくんのつま。
よしくんのはは。
よしくんはおつしろうの絵での弟弟子。

月はるか 海の底にて 縁を知る  (乙)

そういうことです。
じつは、連句をまいてるとき、さいご、時間が押してきて、ばたばたとなりました。最後の三句です。みょうなところに一箇所スペースができました。そこ、都さんに埋めてくれるよう頼んだが、彼女も多忙で出来ないとのこと。
さて、こまってしまって、あさから考えた。そのとき、ひらめいた。乙四郎。きみはあのとき、ちょうどのときにきてくれた。母上の手作りのおいしいぼたもちをたくさんもって。
そう思ったら、なぜもっと張り倒してでもひきとめなかったのか、自分のふがいなさが悔やまれた。
で、朝いちばんにここへ来た。そしたら、あったじゃないか。
きみはちゃんと見えていた。それをいただいた。
ありがとう。こころのともよ。

どろぼ~!

何の映像(情景)も浮かばないようなのが一句だけ飛び込んできて、全体の宇宙観を壊していませんか?

いや、よかよか。
真正面をむいて啖呵をきってる一句。すべての詩的なムードががたがたがたと潰えさる。これぞ俳諧。きどってポーズとってるモデルさんのうしろにまわって、膝をコキっとさせる底意地のわるさ。しかも、それすらが詩になっている。これだよ、これ。これが相対性理論。しらんばって。

気象大学校 智明寮

検索で二ページ目の上から三番目に出ます。
ここ久しぶりにひらきました。たずねてくださる方がいらっしゃるとは。

かささぎは。

東大はやっぱり難しいところみたいですね。前田先生のおまごさん、慶應にいかれたらしい。健吉の母校、考えたら私大です。

気象大学校の実験室にミニ竜巻が作れる装置がありました。
学園祭の時には、市民にミニ竜巻のデモンストレーションをやりました。
竜巻のもつエネルギーはすごいです。
しかし、竜巻の研究は地味なので脚光を浴びません。
竜巻に興味を持っていた学生が39年前に退学しています。

こないだわたしは乙四郎車の後ろにぴたっとついて走りました。藤見の帰り。(駐車場のそらんさんをふりかえると、熱心にスマホからブログに送稿していた。)
いつものくせで信号停止のときに働く車の写真をとった。乙四郎車のバックナンバーは土浦でした。つちうらって茨木じゃん。あんたはそんな遠くからきてたのか!しらなかったよ~。ごくろうさ~ん。
今日竜巻に襲われていたところではないっすか。
おうちは大丈夫でしたか。地震はくるは竜巻はくるは、さんざんですね。
最近は気象までアメリカ化してきた。
竜巻が増えた。おっかない。

私も心配しておりました。
お身内は大丈夫でしたか?

ビデオを回している人たちはどんな心境なんでしょう。恐くないのでしょうか?

ぼん、電話ありがとうございました。
なかむらさんには電話かけてみます。
ずうっと先生よりも長く、あの整骨院に勤めてこられた人で、先生を比較して見れるのはあの方だけでした。あのひとづきの患者さんもたくさんいらっしゃった。治療をするのは先生なんだけど、あの方がいられるから、年配の方々の輪があったのです。それにきれいなお花、中村さんがいつも絶やさぬように心配りをしてこられた。自宅からもってみえていたのです。それ、みんな知らないことです。
さびしくなりますね。

おおっと、忘れるところ。
乙四郎とめがきいただきました。
いそがしいのに、ありがとうございました。
竜巻でした。

昨日から今日とずうっとテレビは竜巻報道一色でしたね。それほどひどかったね。いつどこで起きてもおかしくないのか。

5月26日(土曜日)9時半から16時半まで。
古墳資料館2Fを押さえました。
料金は未定。明日にでも聞いてきます。
というのも、町外者が半数のときは町内料金とはならないため。
たぶん、1000円くらいかかるかも?

せいこさん、ありがとうございました。
お手数をおかけして申し訳ないです。
古墳資料館、一度いってみたかったので、うれしいなあ。
広川町、知っているようであまり知らない。

今日も風がすごいねえ。今、。吹き飛ばされそう。
思わず、ふんばってしまう。とっさのとき、とんちんかんな行動しかとれそうもないよ。

昨日、ばっちゃまが急遽入院いたしました。
本人はどうもないというのだが、見るからにきつそうで、動きも緩慢、前の日にはカラダを右に傾けて歩いていた。なんかおかしい。
かかりつけでみてもらったけどはっきりしなくて、市立病院へ紹介状を書いてもらった。検査結果は尿路感染症。おしっこのなかの細菌がでたらめに増えていて、それによる不具合だったみたい。細菌数値が高くてこのままだったら敗血症を引き起こすこともあったのだと説明がなされた。ばっちゃまは暑さ寒さにも、痛みにもしんどさにも鈍感になりつつある。

それはさておき、ばっちゃまが入院はしないと暴れてねえ。
わたしが入院の準備をするため一時帰宅したあいだに点滴の針は抜いて血だらけになる、バッグを持って帰ろうとする、看護師さんの静止を振り切る、病院に戻ったら、四人がかりで説得中のさなかだった。車椅子にしばられようとしてるところで。けっきょく、完全看護の病院でも付き添わねばならなかった。
介護者嫁はばっちゃまの母親でもあるわけで。
わたしの説得のことば。
「おばあちゃん、わたしといっしょにずっと住みたいでしょうもん。セーコさんのつくったご飯ば食べたかでしょうもん。そんならこれから点滴をしてもらうよ。看護師さんのいうことはきかやん。わたしもいっしょに入院するけん、安心して」

で、いまこの時間にとりあえず一時帰宅してきた。
明日の会議資料をつくりに。

うわ、大変なことになってるねえ。
尿路感染症、おしっこが近くなるのかな。
確かわが母も前にかかったことがあるよ。
割合に女性に多い病気みたいですね。
おばあちゃんのその心情剥き出しの「家に帰りたい!」訴え方を読んで、わが父の去年の一時期を思い出してしまいました。
たいへんそうだけどもさ。なぜか笑ってしまうのよね。ごめんね。ごめんごめん。めんご!

追伸、
今日、九州俳句誌が来てた。
巻頭に戸畑の重鎮・本田幸信先生が九州俳句の軌跡を書いておられるのですが、貞永まこと死去について、こんなふうに書かれているのでご紹介いたします。

貞永まこと死去。平成十四年七月三十一日療養先の東京・杉村病院で逝去。五十二歳。貞永は伝統系の「蕗」に投句を始め、六年後の九十三年に「天籟通信」に入会。その後は第三十二回九州俳句賞を受賞した。
なつかしき傷をあつめて石榴かな
うすものや夜のみじかき指あそび
労働祭われ等あの日へ傘がない
そして、翌年の第二十四回天籟通信俳句賞受賞。
先端に犀をのせたる残暑かな
口吸えば鹿のこえする津軽かな
人擲つ手人を抱く手近松忌


橋爪章、のこの記事にコメントを書くのはじつに骨が折れます。
でも久しぶりに読み返してみたら、とっても面白かったし、今読んでも色あせていません。こどものころの橋爪章は、ひとり七福神みたいだったって書いていました。われながらなんとうまいことをいうんだって笑いました。ほんとにそうでしょ?それは今もそうでしょう?
いいよねえ。一人で七福神。うらやますい。

ところで、今回読み直して、あらためてこの人の個性に目が釘付けになった。
それは、東大を選択せずに希少大学にいったこと。気象大学だっけ。その理由がなんともはや、もやもやっとしとるんやけど、わかるような気もするわけよ。(親ごさんはたいへんな思いをなさったのではないでしょうか。)
皆様、お暇なら開いてごらんください。
かなり長いですが、折々にアクセスがある竹橋乙四郎ノンフィクション小説「浜寺捕虜収容所のユダヤ人ロシア兵」よりずっと精彩を放つ傑作です。

あら、ここが乙さん誕生の場だったの?
ちょっと、ちょっと、この大洪水のコメント、初めてきっちり読んだ気がするのですけど、ここで、乙さんが殴りこみかけてきてたのね。
あれ?あれ?あれれ?
このころ、わたくしはこのブログを訪問していなかったのでしょうか。
なんか、ひとり、時間差でかんどーしています。笑
いや、時間差、なんてもんじゃないね。
時代遅れの感動だわ。

え~ほんと~。そういや、ぼんしか名前がない。
みんな、自分の時間しかいきていないのねえ。そしてこういうのはだれも一一説明しないよねえ。

せいちゃん。殴り込みに来たのではないんだ。乙四郎は瀕死の白鳥みたいだったかささぎめを、必死で救ってくれようとしたんだよ。
それをきちんと書けたらいいんだろうけど、諸般の事情でかけません。おさっしくだされ。
あらためて、竹橋乙四郎に深甚な感謝を捧げます。産休。


これはこんど読み返してそう感じたことです。
竹橋乙四郎という人は、やっぱり精神科のお医者さんだったんだなと。
自分では何もそういうことは思わず、ともだちののりで書いてましたが、そうではなかったのですね。

合格への日記 気象大学校

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 橋爪章、:

« 『悲母なりし』 高木一惠第三句集 | トップページ | 『悲母なりし』 2 »

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31