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2008年3月29日 (土)

森鴎外の文学性

今朝いちばんで夫が営業中もっともお世話になっていた、八女郡立花町の中村医院(中辺春のお父上の医院とずっと手前の息子さんの医院)ふたつへ夫を乗せて走りました。滅多にしごとのはなしはしない夫から、この中村先生(大正うまれのお父上)のことだけは聞かされてました。夫の父(平成九年没)も大正末年の生れでしたが、どこか夫のこころをひきつけてやまぬものがこの先生にはあり、尊敬していたようです。私は車中で待っていました。いったいどんな会話をしてきたでしょう。

さて、先日とりこんでいるときに、東京の青木昇さんがコメント欄に立ち寄ってくださいました。奥医師・青木春岱(あおき・しゅんたい。春岱のたいの字は、袋の旧字です)を先祖にもつ歴史研究家で1954年うまれのともだちです。かささぎの旗では一切リンクをしてないんですが、その理由はただ単に面倒くさいから(笑)でして、。できるなら、リンクをはりたいブログはたくさんあります。そのなかの一つです。号・多田乙山。そうだ、これは俳人・竹橋乙四郎のなかまだと気づき、あらためて彼の書いた文章から一本紹介させてもらいます。以下、コピーです。文章の硬さが内容にマッチしていて、独特の魅力があり面白い。なお、題名はかささぎが勝手に改ざんしました。これはかささぎの文学性です。すみません。

〈森鴎外の資料引用にみる文学性〉

           多田 乙山



鴎外の作品中、高い評価を受けているものに「史伝」というグループがあるのをご存じでしょうか。

「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」などがその代表作で、江戸末期
の「儒医」と呼ばれる人物を取り扱ったものが多く、医師にして文人である鴎外自身の投影であると感じられる点も少なくありません。
ふつうの伝記とはやや体裁を異にするため、あまり一般受け
しているとは思いませんが、個人的には愛読措く能わざる作品です。
それは緻密な考証と『原典の引用』によって、
史学を志すものの教科書としての重みを持つものだからです。
最近、私の購読している雑誌「日本歴史」(吉川弘文館)に
「森鴎外の資料引用」という記事が載りました。
梅谷文夫さんという帝京大学の先生が書かれたものです。
それによると、伊沢蘭軒の自筆本と鴎外の『原典の引用』には隔たりがあるというのです。
もちろん実例を挙げて
「・・校訂というより添削に近い本文の改定を、ことわりなく、しかもたびたび行なっているのである」
と結論しています。(引用部分がすべて改定されているわけではないらしいのですが)。
文芸評論家とくに鴎外研究家などと呼ばれる人たちは、
いちども原本との比較をしなかったのでしょうか。
これも信じられない怠慢です。
ところで話は変りますが、ビタミンの発見以前、脚気は恐しい病気でした。
特に白米偏重の陸軍では多くの兵士が命を落としました。
高位の陸軍医官であった鴎外は当然その対策を建て、流行を防ぐべき
責任がありました。もちろん、戦場で発生するその他の疾病を防ぐために彼が全力を尽くしたであろうことは疑いませんが、こと脚気に関する限り、有罪を免れません。 それらの事情は「脚気の歴史」「模倣の時代」等の諸書で明らかになりました。
私はそれらを読んでいますが不思議にも私の鴎外に対する敬仰は揺るぎませんでした。
鴎外は多方面の天才でした。
しかし惜しいことに彼の天才は医学方面にだけは発揮されなかったのです。
ところがこの度の「森鴎外の資料引用」はちょっと事情が違います 。
はっきり言って、抽斎・蘭軒らは鴎外によって発掘された人々です。
彼らは儒医にして中国古典医書に通じた考証家と呼ばれる人々でした。
彼ら考証家の立場は『古典の原典』と、後世に書き入れられた部分とを
峻別するものです。鴎外は無名の彼らを世に出し、著名な文人である頼
山陽や菅茶山と並べて「わたくしの目中の抽斎やその師蘭軒は、必ずしも山陽茶山の下には居らぬのである」とまで評価しています。
これほど高く評価しながら、彼らのもっとも忌むであろう、ほしいままの改竄をなぜ鴎外は行なったのでしょうか 。

いよいよもって鴎外は底の知れない人物になりました。

註)かささぎの旗に引用するに際し、行を改め句読点をうちました。
ブログの書式にあわなかったためです。
筆者にはおわびもうしあげます。

追記(三月三十一日朝に記す)

訂正:

かささぎの間違いを多田乙山さんが指摘してくださいました。

コピーでしつれいします。確認を怠った私の怠慢です。

>>東京の青木昇さんがコメント欄に立ち寄ってくださいました。
>>奥医師・青木春岱(あおき・しゅんたい。春岱のたいの字は、袋の旧字です)
>>を先祖にもつ歴史研究家で1954年うまれのともだちです。

1.青木昇は青木春岱の子孫ではない。そのような理由で研究をしているわけではない
2.岱は袋の旧字ではない。岱は中国一の名山である泰山の意である。ただし江戸時代には
 しばしば「台」の替え字として用いられている
  (以上、青木昇氏の返信より。)

引用出典)http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/2244/siden-nazo.html

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コメント

強固はんの日常というのはどうなっているのかと思う。主婦の部分もあるわけだから、私とそんなに変わらないことをしていると思うのだけれど、ブログを開くと、いつも違ったことが書かれていて、ショックを受ける。会って話すと、包み込んでくれるようなやさしさを感じる。かなわんわー。これからも尻尾の先を握らせてもらって後からついていきます。

ぼん。
きもちわるかー。そげなこつばいわんでくだせえ。けちょんけちょんにいわれたほうが気がやすまるとです。
今日は、三十分もおくれてしまいすみませんでした。商工会議所、初めて行った。どこだどこだと二階三階をうろうろした。一室しか使ってなかったのにね。笑
なんかさ。そっとのぞいてみたら、学術講義でもあってそうで近寄りがたく、素通りしてしまいました。

お疲れ様でした。会議は食いつかんけん、心配せんでヨカよ。広告取り、当たって砕けろと意気込まなくてもいいです。取れなくてもともとと、軽いのりで良いです。そのほうがいただけます。これ、実感。よろしくね。

はい。かるくがんばりまひよ。

これどす
杉浦古典教室の杉作日記に、函館の裏夜景が見えるヒゴタイ山までドライブした記事あり。
シロタイ山でした。
そのタイのじが青木シュンタイのタイと同じで。
またもや
袋の異体字と思った。だけど青木さんから訂正されたっけ、それが何だったかをとうとう思い出せず。
どなたかここを開いて下さって、ありがとうございます。
これで分かりました。

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