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2008年3月13日 (木)

竹橋乙四郎、

雛まつり思い出せないことばかり  乙四郎

俳人・竹橋乙四郎の誕生を祝し、ここに一項を設ける。

竹橋の地名の由来を乙四郎が調べてくれたなかに、大奥への道には竹橋がかかっていた。というのがあった。それ、いきます。関係ないけど関係あるんだ。

夢通ふ道さへ絶えぬ呉竹の
  伏見の里の雪の下折れ   藤原有家

この新古今集のうたをフランス詩人が絶賛したそうで、フランス語への韻文翻訳を詳しく解説した文章が、先日『後鳥羽院』 で紹介した歌人の故・塚本邦雄の著にある。じつは私はこの歌人の短歌作品を読んだことがない。前衛的な歌詠みだと思っていたし、あまり読む気がしなかったんですね。(それなのに岡井隆を読むふしぎさよ。)

ところが後鳥羽院が気になりだしてから、ばったり出会ってしまう。

竹について。
塚本の文章を引用する。

植物の「竹」は同時に「伏見の里」の枕詞です。枕詞としての抽象的な「竹」と、現実に伏見に生えている「竹」とが微妙に重なり合うことをルーボーは分りながらも、フランス語訳にはその点を活かせない。「伏見の里」についても同様で、「伏」は固有名詞でありながら、竹が雪の重みで「伏す」ということにも懸けているのですが、フランス語にはこの微妙なニュアンスが移し切れていない。訳者はそのことを十分に識っているのですが、フランス語に移そうとすると、どうしようもない言語の障壁にぶつかってしまう訳です。
逆もまた同じで、たとえばボードレールの詩を、鈴木信太郎さんや堀口大學さんがいかに名訳されようとも、とうてい原詩の美しさには及び難く、とりわけ押韻を日本語に移すことは至難の技です。移しきれないということは、結局ボードレールの詩の三分の一も味わったことにはならないということです。

『新古今新考ー斷崖の美學』 塚本邦雄

※ カテゴリーは「君が代研究ノート」とも重なり合ってるかも。

いま、おもいだしました。笑。すみません。
呉竹寮のこと。永井友二郎先生の奥様、つまり乙骨太郎乙の直系の孫に当る永井菊枝さまは独身のころ、天皇家のおひめさまを養育する呉竹寮に出仕なさっておられたことをです。なぜ呉竹寮とよんだのか。私は呉竹といえば、筆ペンしか連想できなかったのですが。この解説にであって、また、乙四郎のうんちくをきいて、なるほどとやっと腑に落ちました。

すごいな。こんな繋がり方があったとはねえ。・・(ずずーっとお茶をすする)。

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コメント

早速ありがとう。

孟宗の 竹馬の友が 紡ぐ縁  (乙)

乙四郎のためのコーナーを設けていただき感謝です。
乙四郎は孝行者の孟宗と違い、これまで自分勝手な人生を歩いてきました。ここでは大学時代以降の人生を顧み(省み)、エッセイ風に綴ってゆこうと思います。
恭子さんに俳人・竹橋乙四郎と言っていただき光栄です。敬意を表し、なるべくエピソードごとに俳句(もしくは俳句もどき)を添えるよう努めますので、下手糞!と侮蔑せず暖かく筍俳人の成長を見守っていただけたらと思います。
なお、大学ではhygiene(ハイジーン:衛生学)を学びました。

竹橋乙四郎

からからから (走馬灯を逆回ししている音です)

エピソード:南極物語(1)

乙四郎が気象大学校へ進学した、というニュースは、尾ひれをつけて田舎を駆け巡りました。尾ひれの中には「勉強ばっかりしすぎて気のふれたげな」というのもあったげな。八女の格言にこういうのがありましたね。
げなげなばなしはすらごつげな。
親身になってくれる人もたくさんいました。恩師だとか近所のおっちゃんだとか、乙四郎を小さいころから可愛がってくれた人たち。この人たちが気象大学校への進学を嘆くのです。東京大学って、人を●●●(→精神障害者)にしてしまうくらいすごかと?

しるしか日 むぞかじつなか せからしか

解説をしなければ味わえないような句からは脱却したいのですが、こればっかしは解説しないと八女以外の読者にはいっちょんわからんでしょう。
(解説)
雨降りの日に思うことです。私のことを愛してくれる人たちが嘆くのですよ。面倒くさいことですな。

原句のニュアンスはどう標準語に翻訳したって伝わりにくいですよね。

雨降る日 愛でて嘆くは 煩わし

としたって八女の人の三分の一も味わったことになりません。

当時、いろんな人に真意を尋ねられ、説明してもわかってもらえず、面倒くさいので、こう答えることにしていました。

「南極で仕事ばしたかけん。男のロマンたい」
これで、たいていの人は(呆れて)二の句が継げなくなります。便利な口実でした。
でも、言葉の神様(言霊)っているのでしょうね。何度も唱えていると自分の言葉に自分が洗脳されてゆくのです。

(閑話休題)
呉竹

呉といえば三国志の時代。この時代の竹にまつわる有名な逸話が『楚国先賢伝』という書にあります。八女市納楚の楚は楚国の楚です。呉の孫権から孫皓の四代に仕えた孟宗という人物の親孝行話。そして孟宗の俗名(字)は恭武。そう、恭ちゃんなのでした。恭ちゃん、筍俳人を大事に育ててくださいな。

け。
じぶんで勝手に育つんだ、俳人はみな。竹みたいにね。

伏線ばかり仕掛けてる伏見の竹は雪の重みで折れるほどひ弱なんだよっ!

じぶんで勝手に育て、などと突き放す御仁はさておき、今晩、ともだちが教科書を二冊貸してくれました。気がふれない程度に勉強します。

南極物語(2)

人はなぜ南極に憧れるのだろう、とか書くと、「何ば言よっとね。だが南極に憧るっか、このふーちげ!(何言ってんの、南極に憧れる人なんていないよ、ばーか)」と言われそうだ。宇宙飛行士になるという選択肢が思いもよらなかった頃のこと、宇宙を職場にするのと同じくらいの憧れを南極に抱く人間がいたとしてもおかしくはない。遠い将来、海の彼方に思いを馳せながらしみじみと
じろたろや 竹橋乙四郎や けふの海
と詠む俳人が現れないとも限らない。
 とにかく、理屈抜きで、乙四郎は南極に憧れた。気象大学校は、卒業した先輩たちが、毎年、何人かずつ南極観測隊員に選ばれているので、確率的には、ここに入学したことは南極への最短切符を手に入れたのと同じこと。望まないほうがおかしい。
 ところが、乙四郎の行く手を阻む障害があった。南極という厳しい自然条件の職場を選ぶものには、山岳経験が必須なのだ。乙四郎は、さっそく、山登りグッズを買い揃え、山の会の先輩たちに登山のてほどきをしていただいた。
 乙四郎の初登山は、三つ峠という関東の山。山頂から眺める富士山のこれまた雄大なこと。朝焼け時、ほんの数十秒間、山肌がピンク色に染まる、かの赤富士の美しいこと美しいこと。乙四郎は自然をおのが友とする気分を満喫した。
 富士山が山開きとなると、学年全員で富士山を登った。これは個人活動ではなくて、気象大学校一年生の授業の一環。富士山頂には気象庁の観測所があったので、先輩方の職場訪問という次第。なお、この大学の学生は国家公務員扱いなので、給与を毎月いただけるほか、このような遠出には出張旅費が支給される。富士山頂に出張した経験がある人なんて滅多にいないでしょうね。乙四郎は富士山も大好きである。富士は日本一の山。“一番”コンプレックス? そうかもしれない。
 後日談だが、いかに乙四郎が富士山が好きかというと、役所勤めの頃、つまらん会議の最中、出されたコーヒーをブラックで飲み干した後、シュガーをコーヒーカップの底にさらさらと落として積み上げ、冠雪の富士山の箱庭をこさえていたほど。後片付けの職員に叱られたけど。

 さて、かように南極に憧れ、着々と山岳経験を重ね始めた乙四郎であったが、自分の意志ではどうしようもない大きな大きな壁が出現したのである。

難局を 乗り越えたくも 雪の壁  (乙)

さがしてきた。孟宗竹のはなし。http://blog.livedoor.jp/amakusa3594/archives/27279433.html
なあんだ。これ24孝だ。それならしっとった。このなかの喪に服す話は常務が話してくれた交通刑務所に服役中の飲酒運転二度(べつに事故をおこしたわけではなく)で一年半の実刑をくらった男xの話を思い出させた。刑がまだ一年しかたたないとき、父親が死んだ。だが刑務所の中。男は喪主だ。喪主がいないと葬儀はできぬ。そこで家族が知り合いの高名な政治家に働きかけて、お情けで六時間だけ出してもらったという。おわり。
それから八女弁しからしか。子が卒業文集にこうかいとった。小学校の先生はせからしいだけだったが、中学校ではいい先生だなあと思った。っていまさらおべんちゃらゆうてもおせえんだよ・・

(閑話休題)←ここでは(も?)用法間違い。(×本題→余談 ○余談→本題)

ともだちから借りた教科書に、石橋秀野さんの旧姓は「藪」とあった。「藪」姓は、そう多い姓ではないが、福岡で一人、和歌山で一人、知己あり。
山口大学文芸部の部誌は「藪思」。そうし、と読みます。内輪発行のものなので、まさかないだろうと思って検索したら、あった。
三康図書館というところの蔵書に
藪思[山口大学医学部]文芸部 3号(S51(1976).7) 請求記号:3N-7-3
と一冊だけ。昭和51年7月というのは乙四郎が文芸部長をやってた頃の発行。さすれば「北山四郎」作品をいくつか掲載しているはず。三康図書館HPによると、
「三康図書館は芝公園の緑に囲まれた閑静な一角、増上寺の裏側、東京タワーと向かい合った場所にある小さな私立図書館です。見かけは小さくても約24万冊の蔵書は、古いものでは江戸期の版本・写本類から、明治以降の図書や雑誌、最近のものでは仏教関係の図書まで多岐に渡っています。研究者の方には言うまでもなく、昔読んだ懐かしい本や雑誌に再会したい方にとっても、実物に直接手を触れてご覧いただけるうれしい図書館です。また、お仕事やお勉強にもご利用できます。どうぞお気軽にご来館下さい。」と。芭蕉自筆跋文が収められているようなところに四郎作品も収まっている不思議。どうやって東京まで旅してきたのかも謎。
どうぞお気軽にご来館の折、何かのついでにでもご覧ください。
ところで、教科書、読んでるところを母が覗き込んで、面白そう、と奪われてしまった。

、おつしろう。
そやそや。おっかさまがでてみえて。びっくりの若さ。
帰ってから母にきいたら、うちの母(昭和5年)より年長でらした。どこか助産婦さんみたいな雰囲気のかたですね。ばたばたとしていて、ろくなあいさつもできませんでした。すみませんでしたとお伝え下さい。写真で家の説明をしてくれてたから、どのおうちかすぐわかりました。いいね。駐車場が超ひろくてさ。三百台いけそう。笑
いまからたいちゃんとくんちゃんち、いくよ。このはなしはまたいずれ。
それから、上の図書館、興味ある。増上寺は、ところで、なんでこの名前かな。増上慢とかんけいあんのかな。しってたらおしえてくれ。どうでもいいことたくさんしってそうだから。笑

増上寺の名の由来は増上慢でしょう。ネットで検索確認したら、そうみたいです。
ここで増上寺が出てきたのは乙四郎への戒めに違いない。偶然ではなかろう。

(忙話休題)
邪馬台国と三国志
 146年 倭国動乱、邪馬台国に女王「卑弥呼」が立つ
 204年 「曹操」、華北統一
 221年 「劉備」、燭漢の「昭烈帝」となる
 229年 「孫権」、呉の「大帝」となる
 247年 「邪馬台国」と「狗奴国」の交戦・卑弥呼の死亡
卑弥呼の長すぎる治世には疑問あるものの、あっちで恭ちゃんが親孝行している時、こっちでは八女で女王様が君臨している。
邪馬台国が謎だらけなのは、当時、こちらに文筆家がいなかったから。恭子も乙四郎も生まれるのが千八百年遅かった。あっちはすごいね。いっぱい残ってる。
なかでも草々さん、もとい曹操さんは筆達者。兵書『孫子』を現在残る十三篇に編纂したのは曹操とのこと。漢詩にも卓越し『文選』に収録されているとか。
中国のことわざ「曹操の話をすると曹操が現れる」
日本の「噂をすれば影」と同様の意。このブログでは「伏線を敷けば本線が現れる」の意。

増上寺の名の由来は増上慢でしょう。ネットで検索確認したら、そうみたいです。
ここで増上寺が出てきたのは乙四郎への戒めに違いない。偶然ではなかろう。

(忙話休題)
邪馬台国と三国志
 146年 倭国動乱、邪馬台国に女王「卑弥呼」が立つ
 204年 「曹操」、華北統一
 221年 「劉備」、燭漢の「昭烈帝」となる
 229年 「孫権」、呉の「大帝」となる
 247年 「邪馬台国」と「狗奴国」の交戦・卑弥呼の死亡
卑弥呼の長すぎる治世には疑問あるものの、あっちで恭ちゃんが親孝行している時、こっちでは八女で女王様が君臨している。
邪馬台国が謎だらけなのは、当時、こちらに文筆家がいなかったから。恭子も乙四郎も生まれるのが千八百年遅かった。あっちはすごいね。いっぱい残ってる。
なかでも草々さん、もとい曹操さんは筆達者。兵書『孫子』を現在残る十三篇に編纂したのは曹操とのこと。漢詩にも卓越し『文選』に収録されているとか。
中国のことわざ「曹操の話をすると曹操が現れる」
日本の「噂をすれば影」と同様の意。このブログでは「伏線を敷けば本線が現れる」の意。

こののブログのシステム、よくわからん。また二重投稿。気が向いたら消してね。

南極物語(3)

小学校の同窓生(同級生)全員が鮮明に覚えている思い出って何だろう。上妻小学校の「ともだち」は、雪うさぎという言葉に敏感に反応する。校庭で雪うさぎを作ったのだ、それが思い出。北海道・東北や北陸の「ともだち」は首を傾げるかもしれない。何でそんなのが思い出に残るのか、と。
 その年、大雪が降った。こどもたちは、いや先生たちも、総出で巨大雪うさぎを作った。授業そっちのけ。九州だって雪は降る。しかしこんなに積もることはない。とにかく雪像が作れるような雪を経験することは珍しい。
 乙四郎は九州出身、九州育ちである。先輩が言った。「九州出身は不利だよ」
南極では、毎日が、いや毎時間が、巨大雪うさぎとの格闘なのだ。学校総出でウサギ一匹しか作ったことがないような経験で、生きてゆける道理がない。

歯車が落ちた。乙四郎の人生という巨大精密機械を動かしている、夥しい数の歯車のうちのひとつが、ポロンと落ちた。乙四郎は南極への夢を語ることを止めた。

炭みかん 雪のうさぎが 跳ねたあと  (乙)

たっだいまー。

柳川へ行ってきた。雛祭りが人生の一大事であることがよくよくわかった。すごい。
くんちゃんちで同窓会写真をみた。乙さんも写っていたで。へええ。平島寿美江先生!ご健在でなにより、ちっとも昔とかわらないです。穴見先生(一度も習ったことはありませんが)もね。雪うさぎ、写真があります。平島先生スカーフ真知子巻き。あれがあるから、記憶があるのかも。雪降りの日より霜の日のほうが寒かった。しもやけがたくさんできた。かぜをひいたら下津浦先生に黒い水薬をもらった。薬はあまくておいしかったので目盛りの倍の量のんでた。看護婦さんのきれいなおかあさんがうらやましかった。

欠席と公言していたのに、あらためて「連句会のご案内」が届いた。書かれた住所が“八女市納楚○○○近く”。○○○には、我が家の野外巨大冷蔵庫の名前。それにしても、宛名に“竹橋乙四郎様”はないでしょう。いくら実名を併記しているとはいえ、まだ乙四郎の住民票(正規の住所)は関東(茨城県の利根町)にあり、よくぞこの葉書が届いたものです。届いたは届いたで、母が不思議な顔をしていました。竹橋乙四郎て誰ね。説明するのはばさらかせからしかたい(very troublesome to explain)。
あらためて、20日の連句会は欠席です。多忙のため、などという月並みな理由ではなく、また、変なのが乱入して雰囲気を壊すような迷惑をかけたくない、みたいな殊勝な理由でもありません。いまいち気乗りがしないため。失礼、これは乙四郎のこだわり。乙四郎の表現活動は“気”を象するものゆえ、気が乗るかどうかというのは重要な因子なのです。このブログだったら大いに気が乗っています。
さて、俳句、という表現型に、なぜ乙四郎はしっくり馴染めないのでしょうか。お借りしている教科書の中ほどに、ありました。これだ。

柳田「なにしろ肩が張って仕様がない。読者にお察し願うことばかり多くて、それはどういうわけだなんて言えないのだから」

柳田國男記念公苑というのが利根町にあります。國男が少年時代を過ごした旧小川家の母屋と國男が書物を乱読した土蔵(資料館)。乙四郎に柳田の気が憑依しているのかも。

連句の決まりごと(式目)が面倒なわけでもありません。決まりごとが日本語を洗練し、文化を深めるのだ、というのは乙四郎のかねてよりの持論でもあります。乙四郎が自由詩に気乗りしないゆえんでもあります。
やまぐち連句会のHPに歌仙式目のわかりやすい説明がありました。

「式目」があるから起承転結あるいは「序・破・急」のメリハリも出るのかな、ということにほんの少し気付きます。それは、人間の暮らしと同じです。

異論ありません。連句は「座の文芸」であると同時に「究極の文化」だとも。「座の文芸」というのは、いわば乙四郎が実験小説で模索していたものと相通じますね。式目も、これは相当に奥が深く、世界の創作文化では比類なきものだと思います。チャレンジするのは面白そうです。肩肘張らないように心がければ、柳田憑依乙四郎も納得です。
やまぐち連句会は、さらにこう続けます。

技術(スキル)や経験(キャリア)の有無も不要です。芭蕉が明言した「三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」。この心構えさえあればOKです。

「一歩も後に帰る心なし」。
何だこれは?
この心構えが前提条件ということは、この基本精神に馴染めるかどうかが「気乗り」を左右することになるのでしょう。やまぐち連句会の解説です。

●「句づくり」の心構え●
参加する人は、「連句は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」の「基本精神」で句づくりをすすめる心構えが必要です。
式目のページでも説明しましたが、連句のミソ、醍醐味はここから生まれます。
句を付けていく時には、発句と脇句以外では、重複、粘着、停滞、同種・同趣・同景などは「許されない」ものとなります。いま今いま、なのです。そして、すべて前へ前へとすすめ、同じ場所に停滞したり後に戻ったり、以前のものに固執したり、無効な使いまわしをすることは御法度です。

えーっ!
乙四郎の“芸風”が否定されてる。以前のものに固執するのは御法度なるか。乙四郎は、ものすご~く、過去の表現に粘着するのが好きなのですが。

(忙話休題)
宇多野病院と天理

母から奪い返して教科書一冊読了。本来、著者が執筆に要した時間をかけて読むのが礼儀でしょうが、借りっぱなしというわけにはいかないので。読了後またもや母に奪われたので、まだ返せません。母はゆっくり味わって読んでいます。
宇多野病院、行かれたのですね。乙四郎は訪問したことがないのですが、前職(国立精神・神経センター武蔵病院)とは特に最も密接な関係にあった病院です。副院長(女性)は宇多野病院からの引き抜きで、宇多野病院のことをよく話しておられたので親しみがあります。
天理市は、天理市にお住まいの学識者を訪問するために行ったことがあります。強烈な異文化体験。天理市で幼少時を過ごした方への天理の宗教文化の影響は、天理教の信者でなくとも強いでしょうね。藪秀野さんの頃はどうだったのでしょう。
天理教というのは、異教徒に寛容な、興味深い宗教です。そもそも天理教には「全ての人間は神の子であり分け隔て無く助ける」との教えがあり、信者という定義がありません。最も重要な教義は「おふでさき」というもので、1711首の和歌体で書かれています。天理の町は早朝から歌に溢れていました。

梅香る 生まれて生きて うたの縁  (乙)

乙四郎。
きっちり受け止めてくれてありがとう。
天理教、そうでしたか。

おっしゃていることはみんなよくわかります。柳田國男の言、まさにその通りです。
気乗りせんけ断ったって分ったから、はがきば出したんだべな。すわりがわるいとおっしゃる俳句(この2日、かたちがついてきましたね。びっくりした)、それよりさらにマイナーな文芸である連句に誘うのですから、。四郎は知ろう。

うたのれうやうしよ

と彫られた石碑がある玄関角にたたずむ。また、病棟の屋上から眼下にひろがる景色をみる。

よびかけられている気がした。
だれに?
なにを?

(創作ノート)

梅香る 生まれて生きて うたの縁  (乙)

そもそもは、言葉選びの勉強になりそう、と思ってこのブログに立ち寄ったのでした。
「縁」というのは、前回の挿話のキーワード。とりあえず、安易に「縁」をどこかに置いた句を作ろうと思いました。ここでは、石橋(藪)秀野さんが取り持つ(恭子と乙四郎の)縁ということで、秀野さんに関する二人の共通項は「宇多野」病院なので、これまた安易に「うたの縁」という語句を思いつきました。「歌の宴」とも音がおなじなのがいとおかし。
亡くなられた場所が宇多野だったら、誕生地はどこだろう、と。これも素直な発想。天理、と知ってインスピレーションがピカッ。天理って「歌」が動かしている町ではありませんか。時代考証は必要ですが、ひょっとして、秀野さんの生涯そのものが「うた」の縁で繋がっているのでは、という着想を得ました。生まれた場所が「うた」の町で、亡くなられた場所が「うたの」病院。「縁」というキーワードが、単に恭子と乙四郎の横軸の縁に留まらず、秀野さんご自身の縦軸の縁をも表現できるかも、という可能性に胸踊りました。
「生まれて」という単語は、これまた安易な思いつきです。それに続く語を探しました。亡くなられたのは「うたの」病院ですから、「うたの」に被さるのは「死んで」じゃないかな。これまた単純な発想で、とりあえず「生まれて死んで うたの縁」としてみました。また、俳句には季語が必要ですから、秀野さんが誕生された頃の情景を勝手に想像して、これまた安易に「梅香る」を頭につけました。乙四郎は、ちょうど彼女の誕生日頃に、みやま市の「座敷梅」を鑑賞しており、記憶に新しかったもので。
梅香る 生まれて死んで うたの縁
どうも「死んで」のところがしっくりきません。死ぬことをあらわす他のことばを模索しましたが、どうもよくありません。死んで、の意だと、耳で味わう時に「うたの縁」が「歌の宴」となるおかしさが死んでしまうからかも。乙四郎のこだわり。
「生まれて」という語を見直すべきか、もう一度「生まれて」に着目してみました。この語は最近、見たことあるぞ。そうだ、菜の花の句、「生まれてきた理由」だ。ここでまた、インスピレーションがピカッ。この句の対句として「生きてきた理由」を提示したんだっけな。時間軸上は、「生きてきた」の左端が誕生、右端が死。「死んで」を「生きて」で置き換えてもいいかも。英語でいえば、現在形を現在完了形で置き換えるようなもの。恭子さんの句と乙四郎の句とを結び付けることで、さらに「縁」を強調することができるぞ、伏線仕込み作家乙四郎の面目躍如だ。
・・・とまあ、こういう創作過程で作ったものです。「生きて」以外の部分は、ちゃっちゃっちゃっと安易だったんですが、「死んで」を「生きて」にした推敲で、句に魂が入ったような気がします。言葉選びの勉強になりました。

梅香る生まれて生きてうたの縁
白梅や生きて生るるうたの縁
白梅に明る夜ばかりとなりにけり
こぶし咲く昨日の今日となりしかな
梅白し昨日や鶴を盗まれし

さあ、いっちょう、やってごらんなさい。
いみ、わかるかな。どれがだれの句だ。

正解のかたに抽選で宝くじ一枚。

おつしろさん。
増上慢が増上寺の名の由来ってどこにあります?教えてください。さがしたけどなかった。ずっと気になっていて知りたかった。ちょうどおつしろさんの文章にでてきたんで渡りに船と聞いたんです。だから考えすぎだよ。あなたはちっとも増上まんじゃないとおもいます。わたしはしょっちゅういわれますが。笑

増上寺
http://www.blogoon.net/search/?key=%C1%FD%BE%E5%BB%FB
に、「増上寺-Wikipedia」を出典として紹介してあったのを流し読み。今一度読んでみたら、珍説としての大きな括りの中にある記載でした。現在のWikipediaの記述にはありません。
以下、その部分の引用です。
―――――――――――――――――
なお、「増上寺(ぞうじょうじ)」と呼ばれる名称は、仏教用語でいうところの「増上慢(ぞうじょうまん)」から来ており、ここのお寺の修行僧らはこのような民たちの性質を忌んで戒めに寺の名前を名付けた。なお、浅草弾左衛門を戒める目的であった可能性も非常に高い。
―――――――――――――――――

不確かな回答をしてしまったのを反省し、ちゃんと調べてみました。ありました。増上縁のほうが由来としては正しそうです。

法話図書館ブログ 第30話「縁を大切に」
http://houwa-sato.jugem.jp/?eid=32
「縁」についてのいい話が書いてあるので、読んでください。
ここの下のほうに、次のような記述があります。
―――――――――――――――――
 平地の寺にもみな山号がある。
 芝の増上寺の山号は三縁山。三縁とは、親縁・近縁(ごんえん)・増上縁で、本来の意味は、念仏する者が仏から受ける三種の特別の利益のことなのだが、(以下、略)
―――――――――――――――――

今回、あらためて増上寺を調べたら、さらに薀蓄が増えました。
当代の増上寺法主は成田有恒という僧侶で、この方は、寺内大吉というペンネームの直木賞作家とのこと。へ~

宝くじ 当たれど五木 呼べません (ちりとて乙)

検索カンニングしたので下の三つはわかりました。なお、ひとつは堺屋で見ました。
最後の句は「一歩も後に帰る心なし」と諭すご当人が、ここでは乙四郎に似た芸風なのが面白い。
二つ目の句。秀野さんの鎌倉の梅の句、白梅の、白梅に、白梅や・・・と白梅が並んでいましたね。秀野さんの句かと思った。
カンニングは不正行為なので応募は遠慮します。

エピソード:新聞部

大学へ入るといろんなサークルから勧誘を受ける。気象大学校にも、超ミニ大学とはいえ、いくつかのサークルがあった。マンモス大学と違い、どのサークルにも所属せず我が道をゆくなんてことをすると、即、人格が疑われる。たいてい複数のサークルに入部することとなる。
乙四郎は軽音楽部と新聞部に入った。軽音楽部はともかくとして、新聞部は、文章を綴る活動ができるクラブがそれしかなかったため。いまいち気乗りがしなかったのだが、気乗りがしないことをやったりするととんでもないことになる。
新聞というのは、社会で起きていることを読者に伝える媒介。事実をそのまま伝達するのがいいメディアかというと、少なくとも当時は、そんなメディアはナーンセーンスと相手にされなかった。社会で起きていることに解釈を加えて読者へ伝える、これが当時の大学新聞の使命だった。大学ごとに、オピニオンリーダーたる新聞部には、特定の思想的路線が敷かれていた。気象大学校新聞部の思想的バックグラウンドは、当時、全国の学生運動ネットワークの中でも先鋭的な○○派。セクト間抗争で死者が出るような、あの○○派。○○派の虎の穴へ乙四郎はのほほんと入っていったのである。議論、統括、議論、統括の日々。永田町デモにも動員された。立て看書体も覚えた。
やがて乙四郎にも担当頁があてがわれる日がやってきた。乙四郎はその紙面いっぱいに一年生の富士山出張記を書いた。そんなことしても退部はままならないのだが。

えいままよ レジスタンスも 山開き (乙)

立て看書体も覚えた。(乙)

たてかんしょたい。
友の家の雛祭りで、あかんぼの名が冠された○○○雛という看板(名人のお雛様に付随してあるような)が立派だった。それ、鉄工所のかんばんかきやさんに頼んだっていってた。それおもいだしました。
学生運動、経験できてよかったですね。私達の年齢では最盛期はもう終ってましたからね。
増上ってことばを深く考えたことがなかったので、調べてもらってとても勉強になりました。ありがとうございました。

梅白し昨日や鶴を盗まれし 芭蕉

これですが。れぎおんで以前よんだことに、ある門弟の家を訪ねた芭蕉、その家の大事な跡取りが若死にしたばかりだったことに心を寄せて詠める一句だとのこと。高見芳子さんの随想でした。そういうことを知ってよめば、よくわかる句です。

白梅

蕪村の、白梅に、は辞世の句。梅白しもそういう解釈ということであれば、白梅という語には「死」を暗示するようなニュアンスがあるのでしょうか。もしそうなら、乙四郎の句には白梅はマッチしないような気がします。みやま市の座敷梅では紅白入り乱れての世紀越しの生の競演に心奪われたので、あえて色彩を定めず、視覚より嗅覚を秀野さんの生涯に漂わせました。

梅白し昨日ふや靏を盗まれし

気になって、もいちど調べてみました。
芭蕉は「鶴」よりも異体字「靏」をよく使ったそうです。なぜでしょうね。閑話休題、乙四郎の検索では亡くなった跡取息子の背景は見当たりませんでした。鶴と梅をこよなく愛した林和靖の故事(梅を妻とし鶴を子として生活していたそうな)を伏線として、訪問先の三井秋風を林和靖になぞらえた挨拶句、みたいなことしか乙四郎検索サイトには書いてありません。鶴が死んだ跡取息子を指すのであれば、秋風の脇句は芭蕉の弔意に応えるような位置付けになるのかなぁという気がしますが「杉菜に身擦る牛二ツ馬一ツ」をどう味わったらよいものやら、少し混乱します。

梅白し 國男怒れる もどかしさ  (乙)

ところで

”石橋秀野ノート”はどこで買えますか? Yahoo!ブックスにはなかったし、アマゾンでは品切れだった。乙四郎ではなく、母が買いたいそうです。

ありがとう。そんなこといってくださる方がいて素直にうれしいです。三百部刷って全て配りました。笑
あれは手元においていた最後の一冊でした。自慢じゃないがまちがいがとても多いんです。それは手探りで書いていたからですが、そういう間違いのほかに、誤植の山だし、出版するとき既にこれは違ってるけどと知っているミスもありました。(島根県庁焼討事件は赤の思想犯の起こした事件ではない、戦争を続行せよと迫る急進派のおこした暴動)。
まあ、なんといいましょうか。
若気のいたり、自分にとってはとても大事なかたみみたいなもんです。

(忙話休題)
人生の短さについて

自分の年齢を意識する機会があるが、そのたびごとに、知らぬ間に自分は歳を取ってしまった、人生って短いなぁ、と思うのが常。
このところ、縁あって、自分の人生をふりかえる作業をしている。エピソードをひとつ思い出すごとに、自分の人生がぐんぐんと長くなってゆくような不思議な感覚。こりゃ何だ。
最近読んだ伊坂幸太郎の「死神の精度」の中に、次のようなフレーズがあった。いい小説家は、どの作品の中にも、心が揺さぶられるフレーズをひとつふたつ仕組むものである。(乙四郎だって実験小説中に仕込んだつもりだけどな・・・)

人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ

これは、主人公が二千年ほど前に仕事で会った思想家から聞いたこととしての設定なので作者自身が創作したフレーズではないようだが、いい言葉を教わった。どうも古代ローマのセネカという人の「人生の短さについて」とかいう著作からの引用らしい。

忘るれば ただの時間ぞ ひな祭り  (乙)

エピソード:露語-気象大学編

大学では、英語以外に第二外国語を選択する。乙四郎は、言語学上の興味から、高校時代にエスペラントとドイツ語を齧ったことはあったが、独学なので全く身についていない。言語はコミュニケーションの道具として発達してきたものであるので、コミュニケーションと無縁の環境で語学を勉強しても身に付くはずがない。人(講師)と言葉のキャッチボールをしながら学ぶというのは、外国語の正当な学習法である。
当時、気象大学校で選択できる第二外国語は、仏語と露語。数学界の先達はフランス人に多い。数学理論の原典を紐解く際に仏語が理解できたら便利であるということで、仏語のコースがある。かたや露語、ソビエト連邦の気象情報が傍受できれば、シベリア上空の大気の状況が把握できるので、日本の天気予報の精度が上がる。学術肌の人は仏語、スパイ肌の人は露語というわけである。
乙四郎は露語を選んだ。一年生11人のうち、仏語コースが9人、露語コースが2人。数学大好き人間として仏語にも興味があったが、文芸人としては露語も捨てがたい。なにより、生きた露語を学べる機会なんて、そう滅多にあるものではない。乙四郎がスパイ肌だということではなく、露語が面白そうだったから露語を選んだだけのこと。
仏語コースのテキストは「コントラクトブリッジ入門」、かたや露語コースのテキストはわけのわからん事件の裁判記録。ちょっと後悔、しかしこれも運命。
露語コースは受講生2人に対して講師3人。こんな恵まれた学生はなかろう。乙四郎のスパイ力は否応なしに向上する。気象大学校を12月で中退したので、露語も中途半端にしか身に付かない結果となったが、この教養が後にとんでもないことをもたらすことになるとは、この時の乙四郎には知る由も無い。 (露語-山口大学編(いずれ書きます)につづく)

おつさんおつさんおつしろさん。
ろご。ろごときましたか。
伏線はりめぐらしすぎだぞ。
はりたおしてやろか。
はなづまりだとあたまがはたらかんので、いらっときとるとです。ちょうどそこにおつしろうがいて、なぐりたいわたしがいる。なんてすてきなこみゅにけーしょん。
ところで。あしたはにじにきまりだな。
虹。ちょうどのときにちょうどの虹でしたねえ。あれはじつにふしぎじゃったのう。

露語エピソードに句を添えるのを忘れてました。桜が散った後もロシアの気象情報を諜報する気象官です。

ちりぬれど シベリア桜 いろにほふ (乙)

画竜点睛を欠くべからず、とて、もどってきてめをいれるおつしろう。
そういや、魚拓。
あれですが、さかなのからだにすみをぬりたくったりうろこにさからわずにとくふうをこらす時間と、それがおわって、めをいれるじかんて、おなじくらいかかるんだそうです。
おつしろうはん。
そうどしたか。
今日はきたれ、虹に。

はりたおされそうだから欠。
いい会にしてください。
(乙を知ってる)皆様によろしゅう。

エピソード:コンピュータ - 気象大学編

竹橋の気象庁を訪問した日、コンピュータ室を見せていただいた。日本で二番目に大きいコンピュータ。二番に縁がある。一番は東京大学にあるとか。ふぅん。
コンピュータが自動で天気図を描いてた。わずかな観測点から送られてくる風向、風力、気圧、天気の情報をもとに、想像力をフル回転させて、等圧線を描く作業。乙四郎も頭をフル回転させて時間をかけて完成させていた。それを、ほぼリアルタイムに、機械が描ききる。なんだ、なんだ、なんだ。乙四郎の人生において天気図を描くのに割いていた時間は、人生ではなくてただの時間だったんだ。
コンピュータへの興味は以前からあった。中学生の頃、将来の希望を訊かれて「プログラマー」と答えたこともある。中学2年の時、「子どもの科学」という雑誌で、どこかの知らない「ともだち」(同い年)が計算機の配線図を投稿し、メラメラと対抗意識を燃やしていた頃の話。単純計算は機械に任せるような時代の到来は予感していた。
実家の古い書類を整理していたら、乙四郎の上妻小学校の「連絡簿」(通信簿、成績表のこと)が出てきた。6年生の所見。「各教科共理解が早くて確実である。特に算数は他にぬきん出ている」。賞状もでてきた。「あなたは算数の成績がたいへんよくなったのでこれを賞します」。算数の成績というのは、計算力、すなわち計算の速さと間違いの少なさがモノサシである。これはいずれコンピュータに奪われる人間の能力。人生はただの時間となる。
気象大学校では、先輩たちがミニコンピュータを自在に操っていた。膨大な量の紙テープが乙四郎の環境に溢れていた。

春一番 今日キャンセルと コンピュータ

※ 春一番とは、立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄りの強風のこと。昨日今日は強風でしたが南寄りの風ではありませんでした。今年は、今日までに強風がなかったので春一番はなかったことになります。

エピソード:ハワイ大学

夏休み、乙四郎はハワイで過ごした。7月末から26日間。初めての海外。この年の2月、円は変動相場制に移行し、急激に円高が進行した。円高になると、輸入品は安くなり、海外旅行は安くなる。逆に円安になると輸入品は高くなり、ガソリン代も高くなる。(平成20年の乙四郎は、かつて円安が進行した時に、それを理由にガソリン代が高騰したことを決して忘れない。昨今、円高が顕著だが、ガソリン代は高止まり。なぜなんだ!!)
円高といっても、当時は1ドルが280円前後。1ドル100円の感覚からすれば、安すぎる円。海外旅行は高嶺の花の時代だった。なぜ、学生の分際で乙四郎はハワイへ行けるのか。
乙四郎は国家公務員として給与を貰っていた。これをすべて貯め込んで、旅行費用に充てた。足りない分は親の脛も齧った。宿泊はハワイ大学の寮。これで宿泊代を浮かせた。食事も学食。これで食費を浮かせた。名目は、ハワイ大学の夏期講座の受講。実際はワイキキの浜での日々。帰国の頃にはすっかり色黒のビーチボーイと化し、よく日本人女性から英語で声をかけられた。大和撫子は海外では大胆になる。日系人女性と日本人女性を見分けるのは簡単。タバコを吸ってるのが大和撫子。
海外体験から、いろんなことを学ぶ。たとえば日付変更線を跨る不思議さ。乙四郎は、往路の飛行機の隣席の人がちょうど誕生日だった。誕生日を二度祝った。復路も、隣席の人が誕生日だった。飛行機が飛び立つと、誕生日も飛んだ。
8月末、帰国したら、お土産と土産話を携えて、浪人して頑張っている高校の友人たちの陣中見舞いに行脚した。医学部を目指して浪人している天草のともだちの所へ行った際、あいにく台風が直撃し、ともだちの家に一泊するはめになった。そこで、ともだちの両親と親しくなった。両親ともに医師。天草の地域医療を支えている。お父さんは、海外ならアフリカへ行きたいと言っておられた。
ところで、気象大学校には、実は、夏休みというものはない。講義が開講されないだけで、給与をいただいている以上、毎日を自主的な研修に充てなければならない。海外旅行などもってのほか。9月になって乙四郎がこっぴどく叱られたのは言うまでもない。国家公務員法違反なのやら出入国法違反なのやら、とにかく重大な違反をしでかしてしまったらしい。大学には内緒で行ったつもりだったが、日本国の諜報力はたいしたものである。天網恢恢疎にして漏らさない。未成年に免じて前科者にはならずに済んだが、やっちまったぁ。

冬来る 新高山に 登れども  (乙)

学校へ行きながらお給金をもらえるのは、あと、防衛大も?

春一番とは違ってたんだね。
きのうはさむかった。
きょうもさむかった。

エピソード:寿退学(1)

自分に才能がないということに気付くのは、早ければ早いほどいい。乙四郎は、なまじ数学の成績が良かったために、ずいぶん長いことそれに気付けなかった。小学校来、計算は得意だった。難しい公式も、複雑な関数も、比較的自在に使うことができた。しかし、これらの能力は、数学の才能とは全く別のものだということがわからなかったのだ。未知の問題を前にして、新しい理論や公式、関数を次々に開発する能力、これを天性のものとして備えている人こそが数学の才能がある人であり、既知の問題に既知の理論、公式、関数を応用するしか能のない人を才能ある人とはいわない。気象大学校では、寮歌(とんだ数学で苦労する~)の通り、ほぼ毎日が数学漬け。数学の世界は乙四郎の周りにそこそこ広がっているが、本当の数学の世界はもっともっと広く、そこは才能がない者には到達不能な領域であるということに、乙四郎はようやく気付いたのである。
自分に数学の才能がないということに17の時に気付いておれば、そう悩むこともなかった。今頃は、どこかの大学で精神科医を夢見て勉強しているはずである。
南極へも赴任できそうにない。
新聞部の活動は不本意だ。
公務員の規律も窮屈だ。
あれだけ夢ふくらんで入学した気象大学校であったが、今や、自分が追い求めているものが何なのか、見失ってしまった乙四郎であった。 (つづく)

青い葉が 茶色くなって 沈んでる  (乙)

補足:「才能」について

門前の小僧なんとやらで折紙は得意なほうである。海外でも重宝する技術。折り方を覚えるのはしんどいけど、その気になれば覚えれる。展開図(カンニングペーパー)があれば、結構複雑なのも折れる。
しかし、それは「才能」ではない。創作折紙が作れない。先人が開拓した技術を盗むだけ。TVチャンピオンなど見てて、自在に折紙を創作してる若人を見ると、溜息が溢れる。

俳句に「才能」が必要なのかどうかはわからないけど、必要だというのであれば、乙四郎にはその「才能」はないと思う。やってみないとわからないけど、多分。真似事やパロディでそこそこの小技はできるけど、人の心を揺さぶるような創作が作れない。

寿退学(2)

十月、だったと思う。気象大学校智明寮の電話が鳴り、乙四郎が呼び出された。乙四郎の両親は、事件でもない限り電話を掛けてくることはない。事件があったらあったで、余計な心配をかけたくないという理由で電話を掛けない。従って、電話で乙四郎が呼び出されるというのは、相当の一大事のはず、不安いっぱい、乙四郎は受話器を耳に当てた。
今、上京してる。夕食を一緒にどうですか。
電話の主は、天草のともだちの父君。夏休み、天気のいたずらが生んだ縁。
はい。すぐ行きます。
ホテルにはともだちの母君もおられた。美味しいディナーをご馳走になった。
もう遅いので泊まってゆけばよい。
はい。そうします。
乙四郎は素直である。
エクストラベッドが手配された。
お父さんとは、夜更けまでいろんな話をした。医師としての生きがいを語ってくれた。夢を語ってくれた。乙四郎の他愛ない話にも耳を傾けてくれた。乙四郎は大学生活を面白おかしく語った。しかし、生きがいや夢については語らなかった。
やがて会話が途切れた時、お父さんは、こう切り出した。
医師にならないか。
気象大学校を辞めて医学部を受験したらどうか、という意味である。ともだちは、目下、医師を目指して猛勉強中。それにひきかえ乙四郎は大学受験とは無縁な大学生活を満喫中。今から受験勉強を始めて学費の安い国立大学に受かるかどうかの不安もある。お父さんは、私立大学でもいい、学費は出してあげる、とまでおっしゃった。乙四郎の進路について、親身になって考えてくれていた。
「親身」は、親の身と書く。思えば、乙四郎は、自分の進路について、こんなに両親と話し合ったことはない。乙四郎には、進路というのは自分で決めるものだ、というこだわりがある。福島中への進学、真和中への転校は、親が決めたと言えないこともない。上妻小学校のともだちとも、福島中学校のともだちとも、不本意に疎遠となってしまった寂しさを引き摺っている。乙四郎のこだわりの根っこにはそんなトラウマがあった。他人に自分の進路を決められてたまるか。自分のことは自分で決める。
いいえ。医師にはなりません。
乙四郎はそう返事をした。会話は途絶えた。

神無月 ほんとに神は いないのか  (乙)

(寿退学(3)へつづく。いよいよ気象大学校編最終回です)

うん。きみのきもちが、みえてきた。
『鬼の本籍地』に君の句がおさまった位置は、運命だったということもわかった。

寿退学(3)

文芸作品を作るとき、なんとか心揺さぶるようなものを、と意気込むが、18歳の乙四郎がいかに人生の悲哀を綴っても、所詮、言葉が踊っているだけ、人の心にはなかなか届かない。しかし、ともだちの父君の言葉は、乙四郎の心を揺らし、揺らし、揺さぶった。地域医療の最前線で、日々、命と格闘している人が医療を語るのだ、言葉が軽いはずがない。
医師にはなりません、と啖呵を切ったものの、その日以降、父君の、医師にならないか、という言葉が何度も何度も繰り返し繰り返しリフレインして頭を占領した。
乙四郎は決めた。自分で決めた。医師になる。精神科医になる。それが自分の求める道だ。

突然ですが、来月、退学いたします。11月のある日、乙四郎は人事担当へ申し出た。
気象大学校の学生は、大学生であると同時に国家公務員である。大学生なら退学する時に理由なんていらない。その大学の提供するカリキュラムが自分に合わないから、それだけの理由で十分、いや、そんな理由もいわなくていい。講義を欠席し続けて、フェィドアウトするだけで自然に退学することができる。
国家公務員が退職する時にはそういうわけにはいかない。必ず理由が要る。その理由を人事担当がその上司へ伝え承認を得、その上司はさらにその上司へ伝える。
カリキュラムが合わないわけでもない、気象学が嫌いになったわけでもない。他大学へ行きたいから、医師になりたいから、というのは気象大学校に後ろ足で砂を撥ねてゆくようで失礼だ。退職・退学するとはいえ、乙四郎は気象大学校を愛している。
何か適当な理由はないものか。愛する組織を去るときの理由。あった。

結婚します。

寿退社。実に便利な理由である。通常なら嫌な顔をされる退職の場面が笑みに満たされる。
これだ、寿退学だ。乙四郎の場合は当座の結婚予定がないことだけがちょっと違うが、理由は理由。婚約者は誰ですか、と訊かれても、いや、ちょっと、えへへ、と答えればそれですむ。これからの新たな人生と結婚するのだ、人に説明するのはせからしか。

嘘つけ、と訝しむあなた、当時の気象大学校の関係者をつかまえて、乙四郎がどういう理由で退学していったか訊けばいい。気象庁の地震対策の課長でもいい。彼らはこう証言するはず。そういえば、あいつ結婚するっていってたが・・・

春はまだ いつかするでしょ 結婚は  (乙)

気象大学校編はこれでおしまいです。(完)

ここまで息をとめて潜るのは少し苦しい。
そんななか、ありがとうございました。
乙四郎のこころはおもしろい。
まよいってだいじですね。

もう一問残ってます。
>なぜお医者さんにならんかったの。

これに答えたら寿退ブログかな。

折紙の設計図ある春の空
蒼帝が折る折紙の設計図

まよい焼きって看板。久留米大学近く通るとある。あれはなんだろ。お好み焼き?
コンビニの青年が気になっていた。チキンサラダ180円を買ったきのう、その子がいたんで聴いた。久留米大学生のバイトだって。男の年はわからん。現場にたっていたとき、声をかけてくれた。それで気になる。ん。この文章、完全におやじ風。笑

http://www.h2.dion.ne.jp/~denchan/

まよいやきは、おこのみやきじゃなくて、回転焼だったのか!
今日、一年ぶりに「日本一のたいやき」をたべた。久留米市山川町の名物。営業のえむさんが買ってきてくれた。たかがたいやきのくせに高すぎ。一個150円て。去年の感激はどっかへ行ってしまいました。
そうそう。乙四郎の母上が手作りして持たせてくださったぼたもちですけど、あんも手作りだったのでしょうか。甘くて、みんなが言ってたことは、昔は砂糖をうんと使うことがぜいたくなことであった。と。もう少し、このはなしをつづけていい?
うちも明治うまれの祖母が元気だったころは手作りぼたもちを沢山つくってました。こしあんをつくるとこから。すこし蚕豆(そらまめ)あんもまぜると独特の匂いがしますが、すきでした。でも最近は忙しいのとだれもたべないのとで、中村屋で買ってきます。これがちっとも甘くないんですよね。わたしは甘いほうがすきです。それでひさびさに甘いぼたもちたべました。あらためて、ありがとうございました。

あんも手作り。焦げないように見張るのは乙四郎の役目。

注文していた車両が届いたので、今日は初乗り。見通しの悪い交差点、青信号になったのでスピードを緩めずに進んだら、突然、左から軽自動車が飛び出してきた。思いっきりの急ブレーキ。ボディに傷が付かないくらいの軽い接触ですんだ。マシーンの性能に助けられた。

人は皆 恭子と思へ 八女の道  (乙)

今後、心して乗ろう。人は信じることができても、車に乗った人を信じてはならない。
その後、交番へ立ち寄ったら、警官総出で物珍しげに車両見物。なるほど八女ではなかなか見ない車両だ。職務質問(?)がいくつか。「どこで買ったんですか」「いえ、輸入品でして」「いくらくらいするんですか」「いえ、その、へへへ」
一段落し、職場へ出勤。往復三十数キロだったけど心身ともに疲れた。地球に超優しすぎる車なので、やはり通勤には従来通り、走行10万キロの出世した(八女では、使いこなして古びたことをこう言います)軽自動車にします。

車種は、次の投稿でタネあかしします。タネがわかった方は、その前に投稿ください。
あ、こんなことしてると、若き乙四郎の悩み-山口大学編がいつまでも始まらない。

けっ。ほざいてな。
思い出した。
うちの会社の社長。ばっかじゃなかろか。こどもみたいに、「まだ福岡では誰ものっとらんて」ってはしゃいでクラウンの新発売に乗ってる。
だれかににてない。
でもね、たしかにすごかと。近くに車が接近したり壁があったりすると警告を発する機能付き。これ、いいよね。その機能だけ別売りしてくれんかな。千円くらいでさ。

急停車の衝撃で手首を捻挫。まだ痛む。
ヒントだよ。
さっきの投稿、「車」と書かずに「車両」、「初運転」と書かずに「初乗り」。

なんだ。じてんしゃか。そうだったん。
メタボ腹をへっこめてね。わて、触ったもんね。これを歌にしようとしたけど、どうやってもうまくいかなかった。
あたしゃあんたもてっきりしゃちょうなみのおとこかよっておもった。もうほんきだしてつきあうまいっておもった。
鶏舎両いや「軽車両をのぞく」を軽乗用車は除くかとずっと思っていた。まぎらわしい表現をするなって言いたいよね。大八車やリヤカー、じてんしゃを軽車両と呼ぶ。

大当たりぃ!賞品はありません。・・・てゆーか、すぐにピンと来ないのは、まだ乙四郎の伏線読解力不足です。大学入試なら不合格だね。
厳密には、マウンティンバイク。性能もそうだけど、いちおう、デザインだとか美的センスにはこだわるので、イタリアのデザインのにしました。イタリア製品って、いいデザインのが多いね。イタリア、行ったことないけど。先日、メタボ対策のために、皆さんが連句で頭を悩ましておられる最中、こちらはトレーニングウェア選びに頭を悩ましてました。結局、イタリアのデザイナーのに落ち着いた。中国製だけど。
道路交通法上、牛や馬も「軽車両」。大学の事務局に大学で馬術部だったのがいるけど、彼が馬を買って前のような文章を書いたとしても意味は通るね。馬でも防犯登録要るんだろうか。
乙四郎の自転車にプリントされているメーカーシンボルは「猛牛」。やはり軽車両です。
メーカー名は「ランボルギーニ」。これが八女の交番の警官がざわついた理由。ランボルギーニといったって、あのスーパーカーを作ってる会社ではなく、同族経営の自転車販売会社。シンボルマークが一緒なだけ。

はい。わかりまひた。

後鳥羽院はこんなところでも繋がっていました。

赤面。よかった。まだ羞恥心はある。
乙四郎のカテゴリーに編集しなければいけない情報がたくさん残ってる。未編集のまま。でもこそこそっとやりたい。天下布武みたいにはしたくない。
そもそもこれが、あの文章をかいているひとだろうか。むずかしすぎだよ学長ブログ。だれがよんでもきっとむずかしいって。じぶんでもそうおもわない。人も自分と同じと思ったらいかんって。かささぎあたまにもわかるようにかいてよ。しかし、程度はおとしてはいけない。たとえば。アウトカム情報、なんてカタカナ語は使ったらいけない。いかにも官僚。けっ!

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