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2008年3月12日 (水)

除籍謄本

靖國神社の敷地内にある遊就館にわが家の戦没者である伯父の遺影を奉納せんと、資料を作成す。だが生年月日が分からない。どうしたらいいのか。ふと思いつき、市役所で除籍謄本を取る。石橋秀野を調べていたころ、市の文化財保護委員長だった杉山洋先生が除籍謄本をとれば過去へ遡れることを教えてくださったのを思い出したのだ。
ー記載は以下のとおり。生年月日もわかった。祖母から少し聞いてはいたが、活字になった事実(だろうか?)をはじめて読んだ。

姫野正義 

大牟田市明治町壱丁目弐拾五番地戸主九郎丸政行男姫野茂平同人妻ハルヱト養子縁組届出昭和拾四年壱月拾五日受附入籍
昭和拾八年壱月拾弐日午後四時弐拾分ソロモン群島ガダルカナル島アウステン地点ノ戦闘ニ於て戦死ニ因り西部第四拾六部隊長可西清二報告同年拾弐月弐拾四日受附


出生 大正八年弐月弐拾五日
父 亡 九郎丸長太郎
母 亡 九郎丸シカノ
養父 姫野茂平
養母 姫野ハルヱ
本籍 福岡縣八女郡上妻村大字納楚○番地(斜線抹消)
  (上から修正)八女市福島町納楚○番地

ガタルタナルhhttp://www.geocities.jp/honiara_kai/

       http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/Guadalcanal.html

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コメント

こういうのがきちんと存在するって事、以外にも国は一人ひとり生きた証をちゃんと保存してくれてると思うこと私もしばしばありました。
一行のニュースにもならないけど、千鳥が淵墓苑では、今もガダルカナルやら、シベリアから収集した遺骨を手厚く収める納骨式を粛々と行ってる厚生省役人・収集団の大学生が居るんですよ。
当たり前のことで儀礼的ではあると思うけど、だーれも思い出してもくれないのに、少なくとも役人さんがその日だけは思い出してくれてるってその儀式を見て思いました。
それにひきかえマスコミ、あざらしのたまちゃんがどうした(ふるい)こうしたをニュースにするなら「戦死者のご遺骨がお帰りになりました」の一言ぐらい報じろって思った。

ご紹介のガダルカナルのHP、読みふけってしまった。忙しい最中に!


「同窓会」「橋爪章、」だけに投稿をとどめる覚悟(じゃないと、ここ、面白すぎて居着いてしまいそう)でしたが、我慢できず、場外投稿です。

厚生労働省に山登り(にかこつけた飲み会)をこよなく愛する「山酔会」という少人数のサークルがあり、私はその会に所属していました。その会長さんは、長いこと遺骨収集業務の責任者でした。すごい人格者で乙四郎は退職した今でも親交があります。遺骨収集は海外出張が長くなるのですが、ちょっと長くなると通勤手当だとか管理職手当だとかが容赦なく切られてしまう、と嘆いていました。そりゃ、出張中は職場へ通勤もしないし部下の管理もやらないので当然といえば当然でしょうが、定期券は半年割引定期を使うことを前提に通勤手当が支給されているのだし、出張中でも家族は大黒柱の給与で留守を守っているので、そりゃ痛いですよ。生活を犠牲にしてでも滅私奉公している者も役人の中には大勢いることを知っていただきたくて投稿しました。

もうひとつ、場外投稿をお許しください。

杉山洋先生!!

ひょっとして、画家の?
乙四郎は小学校低学年の頃、杉山先生んちに絵を習いに行ってました。
杉山先生は坂本繁二郎先生に絵を習ったとかいうことでした。従って、乙四郎は坂本繁二郎の孫弟子ということに・・・ならないか。

杉山先生、お元気でしょうか? 町内会配布冊子で先生の文章を見たような気もします。

ついでにもうひとつ、お許しを。

ソロモンの厚生大臣を日本へ招待して夕食をともにしたことがあります(彼の本職は漁師だと言ってた)。
ソロモンはマラリアの流行地で、戦死者には多くマラリア死の方も含まれているはずです。
戦争は終わったけれど、マラリアはいまだにソロモンの人々を殺し続けています。乙四郎は、マラリア対策プロジェクト(JICA)の立ち上げを指揮させていただきました。

http://www.jica.go.jp/evaluation/before/2006/sol_01.html

乙さんがおいでなさったとたん高尚なページになったような気がします。わてみたいなあほはまだおってもよかろうか。

ぼん。あーよかっちゃよかっちゃ。
乙さんは「おっさん」、おっさんは総理大臣だろうが山さんだろうが世界中どこでもいっしょ、おっさんのもとの平等。
さくらさん。そういうことを地道になさってるお役人さんや若者に感謝します。わたしはこれまでなにもしてこなかった。ばあちゃんからお小遣いをもらうばかりでした。
乙四郎。交通費がちゃんともらえる職場ってすごいんだよ。うちは一円もでないし、社会保険もなにもない。世の中にはそんなとこだってたくさんあるんだよ。文房具からお茶代まで自腹だし。このところ新入の隊員さんが入ってきたけどもさ。ひとつきもつかなあ。
一人は対馬からたこべや、おおっと「寮」入り。一人はまだはたちのかわいい男子で、いたいけなかんじ、現場に立てるんだろうかな。それよりもっと心配なのは、保険も交通費もなにも、きもちいいくらいにさっぱりつかないって知ったら、どうするかな・・ということ。これは別に会社が強欲でこうなったんじゃなく、そんだけの対価しか取引先から得てないからなんです。入札がもうすぐありますが、競争で安くして自滅するなんてあほらし。談合をしなければいかんと声を大にしていいたい。みつからぬように。でも、どうしたら?知ってたらおしえて、おやくにんさん。
杉山洋先生は、すみ先生ちのひとりむすこのよしのりくんが習ってた絵の先生です。よしくんはたくさん絵で表彰されてるよ。うまいよ。ということは、乙四郎とよしのりくんはおなじ師の弟子だってことだ。

談合は地場産業をまもるための手段でもあると思うのであります。大きい企業が甘い汁吸って、孫請けなどを余儀なくされる地場企業のなんと厳しい条件で」こきつかわれていることか。おやくにんは現場を知らない。机上論でしか物事を判断しないのではないかと思うとります。理に適った談合の方法が見出せんちゃかね。

乙四郎殿
杉山先生はお元気ですよ。去年だったか、坂本繁二郎さん関係の何かで、NHKや新聞に何度も出ておられました。
教室は息子の亜土先生が主にされていますが、大人はじいちゃん先生(洋先生)じゃないかな。風貌はムツゴロウさん(よーしよしよし)だけど、迫力はあります。
乙四郎さんはうちの息子の兄弟子とか。兄さん。なるほど、それが東京芸術大学受験につながっていくんですね。(息子はノートの落書きにのみ、その手腕を発揮しています。とほほ)

東京芸術大学は両親に内緒で受験しました。実は両親はいまだに知りません。ご近所ですので秘密厳守のほど(・・・ってことをこんなオープンな場で言って意味あるのかいな)。
だから、よしくんもわかりませんよ。

子の心 知らぬは親と 仏なりけり  (乙)

内緒!了解(笑)

ねえ。東京芸大って、坂本繁二郎や青木繁がいったとこよね。ほら、いつかヨガ教室でごいっしょだった画伯もだよね?あの写真、若かりしころの小島直記とご一緒にうつってらっしゃる樋口善造画学生とご母堂との三人の、あの上のほうにある白い人影みたいなものはなんでしょうね。ずううっと気になってる。だれかのゆうれいみたいで。私の名前にはりつけてみたけど、出るかな?(2006,11月白壁ギャラリー巡り)

そうそう。東京芸大だった。いつも奥様を車で迎えに来てある。よしが書いた漫画のような善三先生の似顔絵をアトリエに飾ってくれて、ほめてくれる。ありがたいこってす。

白い影は、はてな? ゆうれいは、いるともいないとも・・・
白黒写真なのに金色に見えるから、何かの光かなあ。

乙四郎さんの経歴、楽しく読ませていただいております。
あの男の子どうなったの?って言う子がクラスに一人や二人必ずいますが、その男の子が突然ブログにやってきて、それまでの経歴をくわしく書いてくれるなんてブログ冥利に尽きるというものです。
ソロモンとかホニアラとか今は観光地としての地名かと思いますが、私はガダルカナルとともに悲惨な日本人のお骨が眠っている国としてしか考えておりません。
その国のマラリアに関するお仕事に携わっておられたとのこと、実は八女の渡辺守さんという方がそのソロモンへ戦友を訪ねて何度も行かれていた事を私は知っているので興味深いわけです。

また、東京駅前の皇居お堀端付近のビジネス街は日本でも一番の美しい職場ではないかと思っています。あのあたりを歩くたびにこんなところで働くのはどんな人なんだろうと思います。そのお堀端の気象庁にもいらしたんですね。
山口大学医学部以降のお話お待ちしております。


さくらさんのこのコメントをよんで、あららそうだったのかと初めてきづきました。うかつながら、私もソロモンは聖書のことばしか知らなかった。それもつい最近調べたっけな。あれ、だれかの付け句で。そうだ、整子はんのじゃなかったかな。ソロモンの栄華さえ野の百合の一輪に及ばない。

ここ。
きのう取った大量の戸籍のなかに、これがありました。なにかにつける書類に、父の生まれてから死ぬまでの生涯が見通せる戸籍一式をつけなければなりませんでした。で、役場にたずねてそろえてもらったところ、手数料にして四千円近くかかる戸籍の量になった。
父がおじの茂平じっちゃんちに養子に来た年もきちんと書かれています。昭和二十二年です。
十八才のまさっしゃんは国民服一枚でこの家にやってきたらしい。佐世保に嫁いだ姉が、母がいきていれば絶対にそんなかわいそうなみなりでは養子に出さなかったにちがいない。とあとで手紙をくれていました。その若くして亡くなった生母も、いつ亡くなったのかわかりました。昭和十八年です。
これまでなにも知らないできて申し訳ない気分でいっぱいです。


葬儀がおわって、火葬もおわって、御坊様ぬきのうちあげを高塚の料亭で遠方の親戚のためにやりました。おぼうさまぬきなのは、葬儀の日に初七日法要をしてはだめといわれたからです。
で、その料亭で。
なつかしい中学時代のともだちにばったり出会いました。
それが、そのひとが、この姫野正義こと旧姓九郎丸正義伯父につながるんです。
いまからそれを書きます。ふしぎだから。
彼女はわたしがはじめてであったころ、安徳という苗字でした。上妻校区の人ではなく、三河校区の人だったので、あまりよくは知らないまま卒業しました。中学二年ころでしたか、一年だったか、その多感なころ。大牟田の兵隊おっちゃんのお里からは例年お盆になるとおばさんが仏さんまいりにわが家に見えていました。
祖母は丁重にもてなしてました。
あるとき、おばさんが息子をつれてきました。彼はちょうど私とおなじくらいの年令でした。なまえはわすれました。はじめて会ったので、どぎまぎしていると、急に家の電話をかしてくださいといいます。文通ともだちに電話したいから。と。
その相手があんとくさんでした。
わたしはとってもびっくりしました。
二重の意味でおどろきました。
1つは私も富山の少女と文通をしたことがあるけど、ふつうは遠い土地の人とですよね。それが大牟田と八女ではどこが面白いんだろうと思って。もう1つはあんとくさんは滅多にみかけないほどの美少女でした。色白く、髪つややかに長く、目は切れ長でつやっぽく、どこか日本人ばなれした、ルノアールの少女を思わせる美貌でした。いまもあまりかわってません。(でもまごがはちにんて。ひえ~~)
長電話で話している少年を横目でみるうち、あらあらっていうよなごちそうさまなきもちになって。
むかしは携帯もありませんでしたからねえ。こんなものです。わたしはうちへはじめてきた、わが家のだいじな仏様である兵隊おっちゃんの親戚の少年が、わたしでさえよく知らないおなじクラスの美少女に電話をかけるというその大胆さにびっくりしたんです。でもそれは文通をしていたからなんですね。
料亭で出会ったあんとくさんに、むかし聞きたくても聞けなかったことを聞いてみました。
ほら、中学のとき、うちから親戚の男の子があなたに電話したんだけど、覚えている?
あ~そういえば、文通していた記憶があるわ・・・

おなじ三河校区で育った従妹に聞けば、彼女の母上は歯医者さんで父上は議員さんだったとか。わたしが覚えているのは途中で彼女の姓がかわったことだけです。
なつかしい。
大牟田の九郎丸の家から養子にきた正義おじさんが戦死したために、わが父が高塚からもらわれ、わたしと義章がうまれた。
九郎丸さんと安徳さん。
連句的だ。義経と安徳天皇を連想させるから。

けっきょく、なにがいいたいのかわからないけど、縁について、書けてよかった。

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