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2008年3月31日 (月)

おめでと☆

おめでと☆

福留ハムの冷凍コロッケ。
四個入りで120円くらい。
なんでこんなに安いのかな。
一個の値段で四個も入ってる。
んで、きづかなかった。上のほうに
「2007年ドイツ食品コンクール銅賞受賞」!

2008年3月30日 (日)

いしをなげる。

九大法学部を途中でやめて、長崎の大学の医学部へ入りなおしたいとこの子がいました。かれはなぜそれほどまでして医師になりたかったのか。母(私の一つ上のいとこ)が原因不明の難病であったからではないかと思います。

では、竹橋乙四郎は、せっかくいろんな迷いの果てにたどりついた山口大学医学部を出ても、なぜ医師にならなかったのでしょうか。知りたいですね。

とおくで、石投げをしているかみさまがいます。石は水面をぴゅっぴゅっと切って辷(すべ)ります。

串良基地慰霊祭における追悼文

串良基地慰霊祭における追悼文

       渋谷 幽哉

さきの大戦以来、すでに五十年になんなんとする今日、平成四年度串良海軍航空基地の特別攻撃隊出撃戦没者三百五十九柱及び二五四空関係四十九柱、計四百八柱の追悼慰霊祭が執り行われるに際し、当時宇佐海軍航空隊派遣の特別攻撃隊八幡隊要員として、当基地に在隊し、諸兄の出撃を眼のあたりにした生存者の一員として、慰霊のことばを申し上げることは、まことに感慨無量のものがあります。
ここに、つつしんで祖国日本の安泰と、民族の永遠の繁栄を願って、敢然と出撃・散華されたあなた方の御霊に、衷心よりまことを捧げるとともに、あなた方を家の中心として、将来を期待しておられたご遺族の思い切なるものを感じます。

顧みますと、あなた方が特別攻撃隊員として、全国各地の艦上攻撃部隊より、当基地に進出され、作戦に参加されたのは、「神風特別攻撃隊の記録」によりますと、四月十二日発令の菊水二号による九七艦攻十九機、四月十六日発令の菊水三号による九七艦攻八機・天山艦攻七機・四月二十八日発令の菊水四号による九七艦攻六機・五月四日発令の菊水五号による九七艦攻六機・五月十一日発令の菊水六号による天山艦攻十機、同じく五月十二日の九七艦攻一機。五月十七日、命によって、宇佐空関係、大宮飛行長、山田飛行隊長等、小生を含め九七艦攻六機原隊復帰。五月二十四日発令の菊水七号による白菊機練十一機、同じく五月二十八日発令の菊水八号による白菊機練七機、同じく五月二十九日、白菊機練四機、六月二十二日発令の菊水十号による白菊機練三機、及び六月二十六日の白菊機練六機を最後に当基地からの八十二日にわたる、突入と認められる総数百二十五機による特攻攻撃は終っています。私達が当基地であなた方と生活を共にしたのは、菊水二号より六号に至る四十日でありましたが、平常時に於いては、決して長い期間ではありません。然(しか)し、あの当時は、時々刻々自分の出撃命令を今日か、明日かと待つという極度に神経が張りつめた状態の日々でした。おかしいかもしれませんが、毎日の三度の食事の一度一度が自分の生きていることを確認する唯一の手段だったような気が致します。そういうように、常識では考えられぬ生活の中に、出撃命令が下るのは、決まって夜の九時頃だったように思います。

      (つづく)

この文章は、筆者の故・渋谷幽哉氏の息子さんで、たまたま竹橋乙四郎の学生時代の友人であった渋谷展太氏から、乙四郎が受け取ったメール添付の書類を、姫野もゆきがかり上いただくことができましたので、展太氏にはお断りをいたしてはおりませんが、参考のため供させていただきますことを、どうかおゆるしください。

2008年3月29日 (土)

はたらく車

はたらく車

国道3号線納楚信号付近

青森ナンバー「澁谷運送」と読めます

森鴎外の文学性

今朝いちばんで夫が営業中もっともお世話になっていた、八女郡立花町の中村医院(中辺春のお父上の医院とずっと手前の息子さんの医院)ふたつへ夫を乗せて走りました。滅多にしごとのはなしはしない夫から、この中村先生(大正うまれのお父上)のことだけは聞かされてました。夫の父(平成九年没)も大正末年の生れでしたが、どこか夫のこころをひきつけてやまぬものがこの先生にはあり、尊敬していたようです。私は車中で待っていました。いったいどんな会話をしてきたでしょう。

さて、先日とりこんでいるときに、東京の青木昇さんがコメント欄に立ち寄ってくださいました。奥医師・青木春岱(あおき・しゅんたい。春岱のたいの字は、袋の旧字です)を先祖にもつ歴史研究家で1954年うまれのともだちです。かささぎの旗では一切リンクをしてないんですが、その理由はただ単に面倒くさいから(笑)でして、。できるなら、リンクをはりたいブログはたくさんあります。そのなかの一つです。号・多田乙山。そうだ、これは俳人・竹橋乙四郎のなかまだと気づき、あらためて彼の書いた文章から一本紹介させてもらいます。以下、コピーです。文章の硬さが内容にマッチしていて、独特の魅力があり面白い。なお、題名はかささぎが勝手に改ざんしました。これはかささぎの文学性です。すみません。

〈森鴎外の資料引用にみる文学性〉

           多田 乙山



鴎外の作品中、高い評価を受けているものに「史伝」というグループがあるのをご存じでしょうか。

「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」などがその代表作で、江戸末期
の「儒医」と呼ばれる人物を取り扱ったものが多く、医師にして文人である鴎外自身の投影であると感じられる点も少なくありません。
ふつうの伝記とはやや体裁を異にするため、あまり一般受け
しているとは思いませんが、個人的には愛読措く能わざる作品です。
それは緻密な考証と『原典の引用』によって、
史学を志すものの教科書としての重みを持つものだからです。
最近、私の購読している雑誌「日本歴史」(吉川弘文館)に
「森鴎外の資料引用」という記事が載りました。
梅谷文夫さんという帝京大学の先生が書かれたものです。
それによると、伊沢蘭軒の自筆本と鴎外の『原典の引用』には隔たりがあるというのです。
もちろん実例を挙げて
「・・校訂というより添削に近い本文の改定を、ことわりなく、しかもたびたび行なっているのである」
と結論しています。(引用部分がすべて改定されているわけではないらしいのですが)。
文芸評論家とくに鴎外研究家などと呼ばれる人たちは、
いちども原本との比較をしなかったのでしょうか。
これも信じられない怠慢です。
ところで話は変りますが、ビタミンの発見以前、脚気は恐しい病気でした。
特に白米偏重の陸軍では多くの兵士が命を落としました。
高位の陸軍医官であった鴎外は当然その対策を建て、流行を防ぐべき
責任がありました。もちろん、戦場で発生するその他の疾病を防ぐために彼が全力を尽くしたであろうことは疑いませんが、こと脚気に関する限り、有罪を免れません。 それらの事情は「脚気の歴史」「模倣の時代」等の諸書で明らかになりました。
私はそれらを読んでいますが不思議にも私の鴎外に対する敬仰は揺るぎませんでした。
鴎外は多方面の天才でした。
しかし惜しいことに彼の天才は医学方面にだけは発揮されなかったのです。
ところがこの度の「森鴎外の資料引用」はちょっと事情が違います 。
はっきり言って、抽斎・蘭軒らは鴎外によって発掘された人々です。
彼らは儒医にして中国古典医書に通じた考証家と呼ばれる人々でした。
彼ら考証家の立場は『古典の原典』と、後世に書き入れられた部分とを
峻別するものです。鴎外は無名の彼らを世に出し、著名な文人である頼
山陽や菅茶山と並べて「わたくしの目中の抽斎やその師蘭軒は、必ずしも山陽茶山の下には居らぬのである」とまで評価しています。
これほど高く評価しながら、彼らのもっとも忌むであろう、ほしいままの改竄をなぜ鴎外は行なったのでしょうか 。

いよいよもって鴎外は底の知れない人物になりました。

註)かささぎの旗に引用するに際し、行を改め句読点をうちました。
ブログの書式にあわなかったためです。
筆者にはおわびもうしあげます。

追記(三月三十一日朝に記す)

訂正:

かささぎの間違いを多田乙山さんが指摘してくださいました。

コピーでしつれいします。確認を怠った私の怠慢です。

>>東京の青木昇さんがコメント欄に立ち寄ってくださいました。
>>奥医師・青木春岱(あおき・しゅんたい。春岱のたいの字は、袋の旧字です)
>>を先祖にもつ歴史研究家で1954年うまれのともだちです。

1.青木昇は青木春岱の子孫ではない。そのような理由で研究をしているわけではない
2.岱は袋の旧字ではない。岱は中国一の名山である泰山の意である。ただし江戸時代には
 しばしば「台」の替え字として用いられている
  (以上、青木昇氏の返信より。)

引用出典)http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/2244/siden-nazo.html

2008年3月28日 (金)

決戦の金曜日

今日は大事なだいじな市の仕事の入札日です。
かけもちでいくつかあるようです。

きのう第一陣がありましたが、惨敗におわりました。
話をききますと、獲ったとこは利益度外視の超安値で勝負をかけてきてたって。うちもぜんぜん安い値段で入れていたのに、あっちはさらにきいてあきれるほど安かったって。口あんぐりしたそうです。

「はなしにならへんわ」

こういうときの大阪弁は妙にきまります。(うちの入札係は、大阪のゼネコン出身)。

こういうなまぐさい話を全くしらずに生きてきたんですが、実況で体験でき、わくわくします。いやもうほんま、おもろい会社でっせ。

ほなら、いっちょう気合入れて、いきまっか。

「とるぞ、おーっ!」

〈結果発表〉

いつつの仕事のうち、三つとれました。気合だ。
入札に臨んでいた営業から結果の電話を私がもらったのですが、「○○、落ちました」と言われ、「えーっ。○○が落ちたそうです。残念でしたよねえ。取りたかったですよねえ!」とボスに伝えると、ちゃうちゃう。落ちたいうんは、入札がうちに落ちたってことやないの?との返事。あらためて確認すると、ほんとにそうでした。(落ちた、なんてことば、この時期、縁起がよくないです。次男は行きたかった高専に落ちてしまったのですけど、そのとき真っ先に脳裏にうかんだのは、なんで靖国神社で合格お守りもらってきたかいなってことでした。なんとなく、さくらちるイメージです。まあ単に実力がなかったってことなんですけど、逆恨みのばか母でありました)。

2008年3月26日 (水)

夫へ

きのうはお給料日でした。

夫はどうやら依願退職扱いされるらしく、お給料ももらえないとおもっていたのですが、お情けで、ちゃんと普通どおりに一月ぶんいただけました。会社の方々、ありがとうございました。おわびもなにも申してはおりませんが、夫は勤続30年を棒に振ったわけでもなかったのです。しかし、これが最後のお給料だと思うと、感慨深く、泣きそうになりました。互いに26歳で結婚をして、ずうっとずっと毎月振り込まれてきたお給料。10万ちょっとのときから、私が管理してきました。たくさんの通帳はそのまま家の27年間の家計簿です。

ところで、なぜ、夫の無免許運転を知っていながらとめなかったのか、説明するのは複雑です。そんなの、とてもわるいことに決まってる。一つはっきりしている命題があって、車にのれないなら、営業はできない。死ねというに等しい。夫はなんどもトップセールスをとったほど、営業の仕事がすきでした。同期のひとたちが次々にやめていっても、どんなに苦しいことがあっても、決して愚痴をこぼさず自分ひとりの胸におさめて、乗り越えてきたおとこです。私とは正反対の強い性格が、結婚の理由でもありました。だから、その苦衷をおもうと、わたしごとき世間知らずは、なにもいえませんでした。今年、好きだったたばこをやめたのも、そのことがあったからだとおもいます。

まあ、でも、いまは凪ぎの海のようにおだやかです。
いっしょに車でどこかへでかけるなんてこと、これまで絶対なかった。
いっしょに夕食をたべるなんてことも、絶対なかった。
それができるだけでも、うれしいのです。
毎朝きっかり七時に出てゆき、帰宅は遅かった。
もう若くない体にそれは、きつかったことでしょう。
ひとりでずっと生活を支えてくれましたね。
社名は合併で三回もかわったけど、ずっとおなじ会社で辛抱して、私たちを養ってくれました。
お疲れ様でした。そして、ありがとう!!
夫の会社へも、深い感謝の意を捧げます。
これまで、長いあいだ、本当にお世話になりました。

薔薇をもらふ。

まっちゃんが薔薇をくれた。
薔薇の赤い花束。

きれいだ。

まっちゃんはまっちゃん。
現場でも親切にしてくれた。
その現場がきのう、おわったらしい。

いろんな隊員さんがいる。
ひとりものばかり。
京大卒の人がいる。
ワインを日に二本あける。
依頼すれば、どんなきつい仕事でも出る。
私に「軽車両を除く」の意味を教えてくれた。
タクシー運転手あがりの人がいる。
愛想がよく如才ない。人のこころの先をよむ。
対馬から来た青年がいる。
たこべやでよく辛抱している。
長崎の小さな名も知らぬ村から自転車で来た
親も家族も離散してしまったという
そんな青年もいる。
かれは人がよく
頼まれれば自分も貧しいのに金を貸す。
どの人もどの人も
菩薩の顔をしていて
どの人もどの人もとても優しい。
また今日も石は
ダックスフントのキララをつれてお散歩にでるだろう。
そして山さんは
常務と決して負けない碁を打つだろう。
そんな会社で
わたしは壁際にはりついて
今日も事務を執る。



2008年3月25日 (火)

在りし日の

在りし日の

雄鶏二羽。いつのまにか檻の外へ出ていた日。
月曜日に出社すると、もう彼らの姿はなかった。
その行方をきかないでください。
きのうもきょうも、はと・すずめたちが来ません。
さびしいことです。
いきものを飼うのは。

2008年3月24日 (月)

連句的 1

 

連句的  

  連載 (1)

             姫野恭子

 お風呂場にボヨヨングモのたこをどり  

あれは学名なんという蜘蛛だろう。身丈五ミリくらいの頭部というか上半身に、三段階で折れ曲がる全長四センチほどの脚部を有する極小サイズの蛸(たこ)のような蜘蛛。図鑑で調べるのは気乗りせぬので、仮にボヨヨングモと名付ける。このボヨヨンがわが家の浴室の四隅に長らく居座っておるのだ。その営む巣は、おんぼろで緻密で、何ともいえない味わいがある。一般的なクモの巣は、中心を意識して張り巡らされる楕円形をとる。が、ボヨヨンの巣は複雑というのも憚られるほどめちゃくちゃで、遠目には大きな埃が垂れているような感じなのだ。中心点など、どこにもない。それでいて近づいてみると結構手が込んでいるのである。粋なやつである。

はじめは見つけ次第、スポンジで巣をふき取っていたのだが、その瞬間に奴がパニックになってちっちゃな体をボヨヨンボヨヨンと震わせるのが感動的で、それが見たくて、殺生には至っていない。

            ◇

九鬼周造はボヨヨングモの巣を「いき」と評するだろうか。
「いき」を現すには無関心性、無目的性が視角上にあらわれていなければならぬ。放射状の縞は中心点に集まって目的を達してしまっている。それ故に「いき」とは感じられない。ーと、彼は言う。

            ◇

野暮なはなしだが、十三になった次男が夏休みに包茎の手術をした。私は男の子を二人持ちながら、今まで全く気づかなかった。本人が気にして、手術を受けたいと言い出さねば、めんどうな事になるところだった。久留米の聖マリア病院の小児外科医・赤石先生が診られ、手術すべきとの診断で、塾が盆休みとなる週に一泊入院で手術を受ける。夫はさすがに気づいていたようだが、もっと先でいいと思っていたようだ。先生がおっしゃった。「ほうけいは、小さいときに切ったほうがいいんです。大きくなるほど、大変になるから。白人男性は百パーセント切ります」。

まだ声変わりもせぬ次男なのに、中学に入ったとたん、性的な事柄に対して耳ざとくなってきた。サッカー部のみんなと、着替えするときにちんこの見せっこをしたりするのだそうだ。想像するとおかしい。術後数日は、鉄人28号のような歩き方をしていた。

            ◇

  看護婦と娼婦のしぐさ似て寒し  星野石雀

次男の手術には若い男性の看護師がついていてくれた。手術の前日に、手術が怖くなってもう止めようと言い出した息子の心をなだめ、勇気づけてくれた。若い女の子じゃなくてよかった。
知人に清純な看護婦さんがいる。彼女はむかし、医師に患者の性器を持っておくよう指示されたとき困ってしまって、ピンセットで挟み持ったら、医師に激怒されたという。ちゃんと手で持ちなさいと。そりゃ当然だ。ひどい話だ。でも、職業的無関心って、なかなか装着できるものじゃないのだと、おもった。年季がいる。

 連句誌れぎおん(前田圭衛子編集)51号より  

2008年3月23日 (日)

大石政則日記 その17

六 串良海軍航空隊(特攻基地)
      ー現・鹿児島県鹿屋市ー

昭和二十年三月二十三日

天気相変らず不良、宇佐は晴なり。〇九〇〇過ぎ艦爆隊発進、一〇〇〇艦攻隊発進、気流不良、途中より中国山脈を横切りて宇佐に帰る。時に一一四五なりき。
飛行場には予備学生ほか出迎え、列線をとりてくれて嬉しさ大なり。また思えば十八日我等発進後、三十分にしてグラマンF4Fの銃撃、ロケット爆弾発射、また午後襲撃を受け、格納庫は穴だらけの体なり。デッキに帰りて後はグラマンの銃撃を語り、我々は美保での生活を語りて気大いに融和す。
また午後、姫路の特攻隊(「天山」、九七艦攻)来る。我が宇佐空も九七艦攻の全機を挙げて特攻隊「宇佐八幡隊」を編成す。予もまたその名誉ある一員に加えられ、老朽せりとは雖(いえど)も、九七艦攻に爆装して、敵空母艦船に体当りするなり。予は生命は考えず、一に死を期す。願くは一身爆弾となりて自爆せん。皇国爲(ため)に幾何(いくら)か安からば幸なり。一身一家亦(また)国家の生命に比すれば軽き哉(かな)。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

参照)

「列線をとる」・・飛行機を出迎えるのに、きれいに隊列を組んで、並びて出迎えることを指すのではなかろうか。

グラマンF4Fhttp://military.sakura.ne.jp/world/w_f4f.htm
九七艦攻http://military.sakura.ne.jp/ac/kate.htm
「天山」http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-nakanisitatuji1.html
そうして必ず皈(かえ)って来ます。あの靖国神社にあの護国神社に、又父上母上の枕元に。(「遺墨集 中西達二」より一部引用)・・この印象的な一文中の「(かえ)る」の文字に目が釘付けとなる。調べても、何の史料も出てこない文字。わずか戦後六十年で完全に喪われてしまった精神文化の片鱗である。似ていることばに、魂魄(こんばく)があるが、調べると「魄」は、肉体に宿る魂をさすようだ。であれば、「皈」は、どういった意味がこめられたことばなのであろうか。

魂魄:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%82%E9%AD%84

春のとびかた

春のとびかた

福島高校より八女市街を見晴るかす。
正面には裾広き飛形山がみえる。

2008年3月22日 (土)

大石政則日記 その16

昭和二十年 三月二十二日

隊員訓練、天候極めて悪く、風速強し。二回に分ち行う予定なりしが、一回にて中止。宇佐より「適宜帰還せよ」の命ありたればなり。艦爆が先ず発進せしも、途中の天候極めて悪く、視界不良のため引返す。博多は風速二三メートル、宇佐は雲量一〇曇なりき。今晩も雨降る。貴島中尉来られ寝室にて笑談をなす。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

あべしげさん。

FACTAの編集長、阿部重夫さんのブログを半年ほど読んでいますが、なぜかこのひと月はたりと筆がとまっていました。どうしたんだろうか。なにか筆禍かなにかでオドシでもあったのだろうか・・などと想像しておりましたら、風邪をこじらせ入院なさっていた模様です。全快なさったようで、安心しました。ひさしぶりにあべしげさんの感傷的な文章(ちょっと好きです)を読みました。こんな俳句が引用されていて、手元の『芭蕉俳句集』を確認すると、表記が違いますが、三種類ほどありました。あべしげさんは、なにから引用なさったんでしょうね。

もう急ぐまい。ふらりとHMVに立ち寄って、久しぶりに音楽CDを衝動買いした。タンザニア出身の女性ジャズ歌手リャンビコ。まったく知らない人だが「ニーナ・シモンに捧ぐ」の惹句が効いた。冒頭の曲は40年前に聴いたDon’t let me be misunderstood(邦題「悲しき願い」)。ああ、そんな時代があった。不覚にも身が震える。悲傷はいきなり訪れ、いきなりまた去る。芭蕉はそういう瞬間をよく知っていた。(阿部重夫ブログより引用。)

誰人か菰著きています花の春  芭蕉

たれ人かこも着ています花の春
こもをきてたれ人ゐます花のはる
菰をきて何國(いづく)に御座(います)花の陰

      上の三句『芭蕉俳句集』より引用

ところで、ニーナ・シモンの「悲しき願い」と、尾藤イサオの歌っていた同名の曲は、おんなじものなのでしょうか。

源心 『鬼の本籍地』

 源心『鬼の本籍地』

白壁の影となるひと蝶生るる  中山 宙虫                                    

 遊糸蕩ける人形の里     姫野 恭子

野焼跡長き川辺に歌ありて   東妙寺らん 

 握手のぬくみそっと確かめ  山下 整子


 

麦打ちて月も打ちたり風の陣   整子

 ぶよ追ひ払ふ目の前五寸   整子

「ボンネット開いてます」と美青年  恭子

 旅のかたちに眠る女よ     宙虫 

音もなく降りみ降らずみ夢の奥  らん

 はふりのあとの葬式饅頭     恭子

筑後川大動脈のごと流れ     整子

 オリンピックに毒を持ちこむ   宙虫 

名を残す砥師の庭に石蕗の花    宙虫 

 道人の碑の仮名に小春日     恭子

ナオ

オルゴール雨だれの午後間延びして  宙虫 

 塩も砂糖も白くてきれい      らん

貝塚のやうに芥を積む漁港      整子

 膝で伸してる開襟のシャツ     恭子

夕立が来るらし鬼の本籍地      宙虫 

 あっけらかんと恋情を受け     整子

贓物(ぞうぶつ)は盗品のこと君返す  恭子

 腕が淋しい朝涼のころ      らん

望の月水底に魚動きをり     沢 都

 芒の原に母の手を引く     呆 夢

ナウ 

木製の風の切れ目に停まる汽車    宙虫 

 何を信じて 生きてきたのか   竹橋乙四郎

裾広き飛形山の花の宿      らん

 幼子の声遠く麗か       呆 夢

 

 平成二十年三月二十日彼岸中日
  (八女福島の町は雛流し)

     於・ 八女サロン「虹」 

2008年3月21日 (金)

大石政則日記 その15

昭和二十年三月二十一日

午前十時より複編隊の訓練を行う。六二〇号若麻績(わかおみ)少尉教官たり。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

※参照

複編隊:http://minekuatoti.hp.infoseek.co.jp/minekukai/hikokyoiku_aramasi.html

連句的参照:

若麻績:http://210.153.103.148/kinobunka/j/kikou/2004.8.26/wakaomi.html

2008年3月20日 (木)

大石政則日記 その14

昭和二十年三月二十日

飛行機は出さず。少雨あり。八時より体技、野球を行う。本日は始めて上陸を許される。昼食後外出、天気快晴。松江の広澤氏宅を奇襲、大いに喜ばる。しかもその日は正純氏の誕生日とてご馳走を陰膳にて供えあり、それをそのまま戴く。綾子さんも県庁より帰られて談笑に花を咲かす。風呂を頂く。第二美保空は風呂なきを以て、久方振りに蘇生の思いをなす。二十時二十五分の汽車にて小母様、綾子様の見送りを受けて松江を離れる。隊にその晩は泊る。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

美保空:http://www.asahi-net.or.jp/~UN3K-MN/kankou13-renmiho.htm

連句的参照)
会津八一の梵鐘銘:

http://members2.jcom.home.ne.jp/mta5-8hg3yd7/watatumino.html

2008年3月19日 (水)

大石政則日記 その13

三月十九日

飛行場外周より、ドラム缶を各自一宛ころがし来るに、忽ち警報出(い)で、飛行機分散をなす。六百四十号鼻をつき、ぺラ翼曲る。他部隊の天山一機一脚、根本まで柔軟地にはまる。
十六時より飛行機分散もとえをなす。一空の予科練大勢加勢に来る。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

春の嵐

今日は珍しく朝から吹き降りの雨でした。木の芽起しという言葉にぴったりの天気。こういうとき警備会社に勤めていますと、さすが○○建設は大会社だけあって、読みがはずれることはまずないなあと感心します。なんのことかというと、現場仕事はお天気勝負ですので、きっちり天気予報を調べて、明日はあるいは今夜の夜勤は、仕事をやるかやめるか、白黒はっきりさせるということです。そうしないと、やると決めていて途中で雨に遭って中止となった場合(専門用語で上番後中止といいます)、一日料金の半額を支払わねばならないですからね。天気即死活問題ということになると、現場監督は早目はやめの決断を迫られるわけです。大きな工事現場ですと、一つの決断で動く人員はそりゃあ大変な人数です。決断ミスで被る損をできるだけ少なくすることも、監督の手腕なのです。

きょうはココログフリーのメンテナンスで、ずっと繋がらなかったようで、ごめいわくをおかけしました。当方は別段なにも変わりはございませんです。ただ春の風邪なのか花粉症なのか、わからない症状になっちまいました。ああ、そうだ。ふっと今、みょうな記憶がよみがえりました。高校受験の日のことです。私のすぐ前の席に、先日柳川に尋ねた友が座って受験してました。彼女はとても大胆なところととても神経質なところがあって、その日、びっくりするような行為に出ました。洟をすするのがよほどいやだったんだと思います、試験中、ずっと洟をかみかみ、かんだちり紙を窓からポイポイ捨てるんです。笑
そこは二階の窓際の席でした。わたしは、ほんとにびっくりして、ふしぎな感動を覚えて、友のその手際のよさというか、大胆さに感じ入ったものです。窓の下ではちり紙の山だったんじゃないかしら。でも、どうでもいいことにかぎってよく覚えていますよね。

2008年3月18日 (火)

大石政則日記 その12

三月十八日

敵機動部隊、日本の近海に出現、先ず鹿屋、大分を空襲、第二波の宇佐来襲必須と見られければ、当隊、早速空中退避準備に入る。艦爆は飛行隊長、艦攻は山下大尉指揮官たり。
予も学生の身なれども、二大隊、四中隊、四小隊三番機操縦を命ぜらる。六二四号機体は新しく自信あり。山下大尉より「もうあと二時間すると第二波がやってくる。その前に艦攻は全機第二美保に撤退、機を見て宇佐に帰還、燃料爆弾を積み、特攻隊となって敵空母に突込む予定なり、しっかりついて来い。不時着した者は勝手に処置をやれ、云々(うんぬん)」 と予もこれにて最後となるやも知れずと覚悟を定め、家に葉書を袂別状のつもりにて認(したた)め、シャツを更め、一種軍装を下に着し、竹内大尉より贈られし白のマフラーを巻き、禎子(妹)に貰(もら)いし「マスコット」と「裁縫道具入れ」をポケットに入れ、カバンと軍刀を機内に収め、整備兵を後席に一名乗せて、艦爆隊の発進に次ぎ発進す。関門上空にて脚を下し味方の識別を行う。それより日本海を海岸伝いに向う。レバー固く、操縦桿の重かりしと、小便の耐えられざるとに苦心をなす。筩温(とうおん。シリンダー)、湯温(ラジエーター)、動力計器すべて申し分なし。約二時間半にて第二美保(鳥取県)に降着。艦爆は一機(山下中尉。整備兵)相島付近にて不時着、二名とも戦死す。
24号は終始エンジン調子良し、筩(とう)温190度、湯温60度。士官舎にて一泊す。学生六名一室。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

今朝、いそいで打ち込みました。ブログココログのメンテナンスがあり、もう見直す時間がない。参照など、いろいろ付けたし、されど時間なし。

相島へ、学生時代、二度わたったことあり。無医村研究。社会部在籍。

2008年3月17日 (月)

大石政則日記 その11

三月十七日

日は我等にとり最後の上陸日なり。如何にすべきと思考せしが結局○三三○起床。○四三八の汽車にて行橋乗換え、後藤寺乗換え、(一時間待ち合せ)にて新飯塚駅に着す。同僚渋谷幽哉少尉の妹の嫁入先*を二人して訪れしなり。丁度彼岸の三日目にて馳走になり、一五時の汽車にて発ち、無事帰隊す。

編集者脚注

谷少尉の妹の嫁入先 :渋谷幽哉少尉は大石政則の同期生であり、訓練を共にする艦攻操縦員である。二人は休日を使って、渋谷少尉の妹さんの嫁ぎ先の飯塚のお寺を尋ねた。飯塚は、大石少尉にとっては生まれ故郷であり、中学一年秋までここで育った。渋谷幽哉君の妹さんは曄子(ようこ)さんで、嫁ぎ先のお寺は飯塚市川島八一四番地所在の正恩寺、ご主人は住職の井上啓一師であった。喜びの訪問であったが、今はご夫妻とも故人となられ、現在は啓一さんの子息正見(しょうけん)師が住職を継いでおられる。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

参照)

筑豊の路線:http://hp1.cyberstation.ne.jp/nishimoto/yamaguchifukuoka-5.html
       : http://www.geocities.jp/ohori_models_travel/15/account_6.html

正恩寺

http://homepage1.nifty.com/hiro-sentoku/2004/20041016.htm 

柳川の雛祭り

柳川の雛祭り

おきあげ人形 羽子板のお人形には綿が入ってます 
柳川の雛祭り

女のあかちゃんの初節句です 盛大に飾り付けて人を招きます
この日は近所のおばちゃんたちもちょっと見せてくださいとやってきました
さげもんがばさらか  ごんたさん人形(絶滅寸前の人形だと聞いた)や
↓のうつ伏せのさだこ人形(がばりえすか)やいろいろ いろいろ

柳川の雛祭り

2008年3月16日 (日)

花前、月前

二つの歌仙を前に悩んでいる。

はいはい、現実はそんな場合じゃぜんぜんないのだが、回ってきたものはウンのめぐり、なんとかしのがねば。
一つは花前、一つは月前。

花の前にきんぴをだしてしまった。
きんぴらごぼうじゃない。金肥。
はやいはなしが人糞のこやしのことだ。
いちどやってみたかったんだよね。
で、ついどさくさにまぎれてだした。
次にどんな花がくるかなと思って。

月前は、川柳家の付け案を前に頭を抱えている。
三つの案がある。流れが違う。

 「きぼう」支える町工場の技   伽具耶
みな同じ向きに居並ぶラマの群れ  整子
 ロウソクだけで料理する母    ばど

これが1案。
伽具耶句はさっそくの時事句だが、視点がいい。

 「きぼう」支える町工場の技  伽具耶
刺し子縫うあねもいもとも口閉じて 整子
 ゴミ要らないと何も食べない  ばど

これが2案。

人情句ばかりがつづく歌仙、ほとほと困ってしまって、そのたびに沢都にすがりついている。彼女もまた、超多忙。でもきっとたぶん大丈夫でせう。笑

2008年3月15日 (土)

ポスター

ポスター

芽木の雨

芽木の雨
芽木の雨
芽木の雨

2008年3月13日 (木)

竹橋乙四郎、

雛まつり思い出せないことばかり  乙四郎

俳人・竹橋乙四郎の誕生を祝し、ここに一項を設ける。

竹橋の地名の由来を乙四郎が調べてくれたなかに、大奥への道には竹橋がかかっていた。というのがあった。それ、いきます。関係ないけど関係あるんだ。

夢通ふ道さへ絶えぬ呉竹の
  伏見の里の雪の下折れ   藤原有家

この新古今集のうたをフランス詩人が絶賛したそうで、フランス語への韻文翻訳を詳しく解説した文章が、先日『後鳥羽院』 で紹介した歌人の故・塚本邦雄の著にある。じつは私はこの歌人の短歌作品を読んだことがない。前衛的な歌詠みだと思っていたし、あまり読む気がしなかったんですね。(それなのに岡井隆を読むふしぎさよ。)

ところが後鳥羽院が気になりだしてから、ばったり出会ってしまう。

竹について。
塚本の文章を引用する。

植物の「竹」は同時に「伏見の里」の枕詞です。枕詞としての抽象的な「竹」と、現実に伏見に生えている「竹」とが微妙に重なり合うことをルーボーは分りながらも、フランス語訳にはその点を活かせない。「伏見の里」についても同様で、「伏」は固有名詞でありながら、竹が雪の重みで「伏す」ということにも懸けているのですが、フランス語にはこの微妙なニュアンスが移し切れていない。訳者はそのことを十分に識っているのですが、フランス語に移そうとすると、どうしようもない言語の障壁にぶつかってしまう訳です。
逆もまた同じで、たとえばボードレールの詩を、鈴木信太郎さんや堀口大學さんがいかに名訳されようとも、とうてい原詩の美しさには及び難く、とりわけ押韻を日本語に移すことは至難の技です。移しきれないということは、結局ボードレールの詩の三分の一も味わったことにはならないということです。

『新古今新考ー斷崖の美學』 塚本邦雄

※ カテゴリーは「君が代研究ノート」とも重なり合ってるかも。

いま、おもいだしました。笑。すみません。
呉竹寮のこと。永井友二郎先生の奥様、つまり乙骨太郎乙の直系の孫に当る永井菊枝さまは独身のころ、天皇家のおひめさまを養育する呉竹寮に出仕なさっておられたことをです。なぜ呉竹寮とよんだのか。私は呉竹といえば、筆ペンしか連想できなかったのですが。この解説にであって、また、乙四郎のうんちくをきいて、なるほどとやっと腑に落ちました。

すごいな。こんな繋がり方があったとはねえ。・・(ずずーっとお茶をすする)。

はたらく車

電車通過で遮断機がおりて混み合っている旗崎近く。
くるま、プレオじゃなく夫が乗っていたホンダのフィット。
自分的にはすばる車のほうががいいかんじ。
スバルは昔むかし、父がはじめて乗った車だった。
スバル360!

2008年3月12日 (水)

除籍謄本

靖國神社の敷地内にある遊就館にわが家の戦没者である伯父の遺影を奉納せんと、資料を作成す。だが生年月日が分からない。どうしたらいいのか。ふと思いつき、市役所で除籍謄本を取る。石橋秀野を調べていたころ、市の文化財保護委員長だった杉山洋先生が除籍謄本をとれば過去へ遡れることを教えてくださったのを思い出したのだ。
ー記載は以下のとおり。生年月日もわかった。祖母から少し聞いてはいたが、活字になった事実(だろうか?)をはじめて読んだ。

姫野正義 

大牟田市明治町壱丁目弐拾五番地戸主九郎丸政行男姫野茂平同人妻ハルヱト養子縁組届出昭和拾四年壱月拾五日受附入籍
昭和拾八年壱月拾弐日午後四時弐拾分ソロモン群島ガダルカナル島アウステン地点ノ戦闘ニ於て戦死ニ因り西部第四拾六部隊長可西清二報告同年拾弐月弐拾四日受附


出生 大正八年弐月弐拾五日
父 亡 九郎丸長太郎
母 亡 九郎丸シカノ
養父 姫野茂平
養母 姫野ハルヱ
本籍 福岡縣八女郡上妻村大字納楚○番地(斜線抹消)
  (上から修正)八女市福島町納楚○番地

ガタルタナルhhttp://www.geocities.jp/honiara_kai/

       http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/Guadalcanal.html

2008年3月11日 (火)

今日、三時二十八分。

ともだちがエンデバー号で宇宙へ発つ。

土井隆雄。

ともだち。

しらないけど、ともだち。

八女ではおないどしのことを、「ともだち」といいます。

真幸くあれ
無事で帰れよ
けふ三時友が
エンデバーにて空へ旅発つ   恭子

打ち上げを待つ米スペースシャトル「エンデバー」。国際宇宙ステーション(ISS)に建設される日本実験棟「きぼう」の第1便となる船内保管室などを搭載。土井隆雄さんが搭乗する(10日、ケネディ宇宙センター)

土井隆雄:http://iss.jaxa.jp/astro/doi/

エンデバー:

エンデバー” (Endeavour) の名前は、キャプテン・クック南太平洋探検の第一回航海の帆船エンデバー号に由来している。意味は「努力」。なお endeavour は英英語式のつづりで、米英語式のつづりでは endeavor となるが、本船は固有名詞であるクックの船名に由来するので英英語式になっている。(ウィキペディアから引用しました。)

2008年3月10日 (月)

地下鉄九段下駅付近

地下鉄九段下駅付近

無意識にすごいことしてた自分に驚かされます。

これもその一つ。昨日書いた文章に入れた歌、松平盟子の竹橋駅の歌。1月15日午後2時15分撮影のこの写真にわずかに写っているような気がして、アップしてみました。地理、分かりませんが、公文書館が見えたことは記憶にあるんで。

竹橋・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%A9%8B

2008年3月 9日 (日)

虫のうた

蜘蛛の巣に二の砦あり掛かりけり

蜘蛛の囲の弛び具合の油断なし

        高木一惠
         句集『悲母なりし』より 

一句目。
蜘蛛はジョロウグモ。複雑な多面体の囲を張る。その仕事ぶりをじっと観察していたことがある。しゃかしゃか動き、せっせせっせと糸をめぐらし、よくはたらいた。沈黙のような深い長い休憩。そしてまた彼女は取り掛かる、二の砦に。
去年○○組の下水道掘削現場にはりついていたとき、人も車も軽車両もなにも通らず暇で暇で、退屈しのぎに道端の椿の木のジョロウグモを見ていた。
掲句を読み、中くらいの大きさのジョロウグモが、二本の木の間に壮大なおうちを作ろうとして、まずは一面、つぎにもう一面と別邸を構えんとする瞬間が浮かんだ。観察眼の行き届いた写生句である。
二句目。
これも高木一惠らしい味わいの一句。ゆるびぐあいのゆだんなし。頭韻も踏んできもちいい。ぴんと張られた蜘蛛の網と、だらんとした蜘蛛の網と。自在な網を張って蜘蛛は獲物を待ち受ける。近づいてよくみれば、手が込んでいて芸が細かい。ひかりの反射角度で見えたり見えなかったりする。その弛み具合の先に蜘蛛の強靭な顎がある。

蜂の巣を見上げてをりぬお面売り

        櫻岡素子
        句集「野の花」より

これは原句に未確認。記憶である。
昨日、呆 夢(ぼん)から届いた夏の付け句に「トリコロールのカキ氷売り」とあった。それをみて思い出した句。テキヤのおにいさんがお面を売っている。屋台は境内の樟の木の下。しばらくするとどこからともなく蜂がうなり声をあげてやってくる。あれえ?蜂の巣があったのか。男はきょろきょろとあたりを見回す。みあげれば樟の木には小さな洞ができていて、蜂の巣が掛かっているのだった。

虹はなぜ虫偏であるか
 熱風の
地下鉄〈竹橋〉駅に立ちゐて

        松平盟子

この最後の歌の出典をしらない。現代短歌だが、つくりが俳句に似てい、二句目と三句目のあいだには明確な切れがある。この歌を思い出そうとして、完全には思い出せなかったのは駅の名。竹橋駅!この名であった。熱風の地下鉄まではきっちり出てきたが・・。歌の出典を知らないが、この歌にであった本はまだ持っていた。『女うた男うた』という本。歌人・道浦母都子と俳人・坪内稔典の共同編集による優れたアンソロジーである。
この本をわたしに下さって、なにか書いてごらんなさいといってくれた1991年時の天籟通信の編集者筑網敦子氏。あれから十八年たちました。わたくしはあいかわらずさとりのない日々をおくっております。

参照:地下鉄竹橋駅(たけばし)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%A9%8B%E9%A7%85(このなかの地名の由来を開きますと、竹橋事件という珍しい事件がでてまいります。また、橋のすがたも見れます。それをみて、なるほど、虹を思い出す橋の姿だ!と合点がいった。具象のうたでありつつ、暗喩の歌でもあったわけです。それと、この写真をみて、はっとした。1月に靖国神社の九段にいったとき、反対側に見えたような気がしますが。あれはそうじゃなかったのかな。)

連句会のご案内:

とき:3月20日10時から4時ころまで

ところ:八女サロン「虹」(ふつうのおうちです)
    八女市宮野町花むらさき(和風レストラン)前。

もってくるもの:筆記具。歳時記。

歌仙をまきますので、今の季語入り発句を一つ用意下さい。

眠るラッキー

眠るラッキー

しあわせなかおでねむるラッキー。

三匹の子犬になまえがつきました。
おでぶさんの茶色がハッピー。
やせっぽちの茶色はさくら。
一番かわいがられる白のオス犬はラッキー。

2008年3月 8日 (土)

罪とは

書けなかった。

でも、もういい。

書くことにする。
もののみえたる光、いまだ消えざるうちに言い留むべし。

はっきりいって、どう考えても、なにも悪いことをしていない。
人を殺したり傷つけたりしたわけではない。
ただ交通ルールをはみだして、点数がなくなっただけのことだ。
罰金はこれまで、気が遠くなるくらいに払ってきた。
警察員のお給金が数人分それで足りるくらいに。
ずいぶん遠いところまで毎日送迎もした。
免許取り消しになった夫のために。

事故を予防するための制度だ。
とかれらはいう。
しかし、わたしはおもう。
あれは警察がもうかるための制度だと。

夫が免許がない期間なのにもかかわらず、仕事で乗り、その途中、交通違反(信号が黄色でとびだした)の現行犯で逮捕された。
三日拘留された。
その間夫には厳しい取調べが行われ、妻である私にも詳細な供述調書が一日がかりでとられた。

なにをやったというのだ。

せいぜい、信号無視(たいがいどうでもいいとこの信号じゃないか。女郎蜘蛛みたいにまちぶせしやがって。やりかたが姑息だ!!ものすごくはらたつわ)とか、一時停止をきっちりとやらなかったとか、ちょっとスピード違反したとかのたわいないことじゃないか。だんだん腹がたってきた。そうだ。私は反社会的といわれてもいい。夫をかばうぞ。

なにもわるいことはしていない。罪の意識におびえながら、それでも生活のためにあえて犯した罪。それを裁くのですか。裁判長。

なぜ、会社をくびにならねばならないのですか。

三十年も勤続した会社を。

むすこたちにはきっちり話しました。おとうさんはわるくない。せいいっぱいおまえたちのためにたたかった。わかるね。

こどもは泣いていった。

おれ、とうちゃんしんじる。
かっこわるいとかぜってえおもわないから。

2008年3月 6日 (木)

無量壽院

無量壽院

料峭や北向きにたつ閻魔堂

連句会連衆のひとり、天野おとめの思い出。共同風呂へ通うときや学校の帰り道、この横を通るのがとてもこわかった。
無量壽院

石橋氏の墓がある無量壽院境内(臨済宗)裏をくるりと左回りに一周。樹木の古さ、大きさに圧倒される。
無量壽院

無量壽とは限りなくめでたい命ってことだろうか。
お寺は西向きにはるか有明海をむいて、たつ。
(石橋氏の墓は東を向いており、以前も書いたが、真正面には樹齢百年くらいのさざんかの樹がある。冬には白い花がさく。)

2008年3月 5日 (水)

『悲母なりし』 2

コスモスや遊びのやうに支へ合ふ  高木一惠

高木一惠は俳諧の座での俳号を咲耶(さくや)とおっしゃいます。私が存じ上げているのは、連句での咲耶さんでして、俳句の結社でのご活躍は遠くから仄聞するだけです。連句では佛淵健悟氏からと高木咲耶氏の両巨匠から、サシでじっくりかわいがられた記憶があります。この意味は、おずおず出した付け句を「こりゃつまらん!」と駄目だしされて、彼らの求める高い位置まで句を敲(たた)かれたという意味です。早い話が、しばかれたわけで。笑

さて咲くという字には笑うという意味があり、咲耶さんが笑うと小さな笑窪ができるから、なるほどな美しい俳号です。長崎の俳人前川弘明氏(俳句誌『拓』編集者)はこの俳号を、しょってるなあと言ってましたが、言わせておきましょう。笑。咲耶さんを思い出すとき、いつも出てくるお姿は、東京駅のホームで待ち合わせをして、階段をあがったり下がったりしてやっと集合場所が腑に落ち、ホッとしてその姿をみつけたときのお姿です。雑踏の中、静かに椅子にかけて本を読んでおられた。その周囲だけ異質な空気が流れていた。横顔が気品があって美しく、やっぱり咲耶さんだと思いました。眞鍋天魚先生の命名ではなかったでしょうか。(ほかに天魚先生の命名でお美しい連句人に福岡市在住の工藤繭さんがいらっしゃいます。滅多におおやけの連句会には出て見えませんが、雰囲気のある美人でした。句もとてもうまいかたです。)

掲句「コスモスや」は、コスモスの花が風にいっせいに揺れて倒れて、またゆっくりと起ち上がるそのさまを詠んだものですが、遊びのようにという言葉が生きてます。また次の句、

西行や向井千秋やけふの月  
                 高木一惠

私の大好きな句なんですが、これと同じ味わいも秘めています。理があって、理がない、わからん大宇宙のわかるワンピースをとりいだして、解剖せずに、ただガラス板にならべてみました・・というような味わいの、偉大なる真理の心裏の心理の一句。

2008年3月 4日 (火)

橋爪章、

「同窓会」にコメントしてくれた元官僚の同級生、橋爪章の写真を発見。

http://www.healthcare-m.ac.jp/university/guide/president.html#new

これなら新聞記事とちがって、参照につけても消えることはなかろう。
それにしても、おとうさんとおなじ顔なのには笑った。当然といえば当然にしても。えらそうなかんじがあまりしなくて、ほっとする。でも、やっぱあれですね。底にある、橋爪章独特のふしぎなあったかい笑みは、かわりませんね。
経歴をみて、へえと思った。知りたかった出身高校。
真和学園高校卒、とあったから。浅学菲才のかささぎが不覚にも知らない学校である。調べた。すると、宗祖法然上人の像がましますのでありました!しかも、正岡子規や高濱虚子の出身地、愛媛。

かんけいないけど、かんけいあるかもね。

追伸)

今日は3月11日です。上記記載には間違いがありました。コメント欄でご本人が訂正をしてくださいました。ほかに、いろいろと興味深い体験談を書いて下さったのですが、ことに今日書いてもらった外地でのご心痛を読んでいて、ふと蘇った記憶があります。それをすぐ読めるよう、さがしてきました。もっと詳しく知りたい方は、カテゴリーで一番上にある『円交五号』を開いてみてください。君が代を国歌とした人の孫がオオムラサキを国の蝶とした昆虫学者だったことなど、おもしろいことに気づきます。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_2cdf.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_a355.html

2008年3月 3日 (月)

『悲母なりし』 高木一惠第三句集

慈母なりし悲母なりしとも冬椿   高木一惠

慈母も悲母も同じことである。鬼子母神の母も仲間に入れてよい。母は所詮鬼にも悲母にもなる。それが運命なのだ。(倉橋羊村)

「屍なら積もらむ」

てのひらの春雪屍なら積もらむ  一惠

高木一惠の句は、深い深いところから詠みいだされる。
この句、句跨りで、字余りのような字足らずのような。
なれど、じつに思いの深い句である。
春の雪は手に享けるとすぐに消える儚いものだ。その儚さが、この句の中ではなぜか永遠の停止、ストップモーションをかけられて、冷ややかにぎらぎらと氷床のような輝きを放っている。
理詰めの句に見える。しかしそれはそう見えるだけ、奥に隠されているのは、あふれるほどの抒情だ。わたしはその哀しみの深さに、おもいのふかさにうたれる。
ああ、そうだ。いまわかった。
この句は眞鍋呉夫(天魚)の若い頃の句、

かなしみつのりくればしろぐつはきもあへず 天魚
        『花火』 所収

と同じリズム、同じこころだ。

かなしみつのりくれば・しろぐつはきもあへず。

てのひらのしゅんせつ・かばねならつもらむ。

・・・ね。

『悲母なりし』 高木一惠第三句集
 平成二十年二月十九日ふらんす堂刊

2008年3月 1日 (土)

大石政則日記 その10

昭和二十年三月一日

 朝より東の風強し、この分ならば天候必ず悪化すべしと予想さる、空を仰げば雨を知らすあり、間違いなし。
 偵察学生一二一五退隊、予はその前に北見中尉を訪ね、別れの言葉を言う。任地先は明治空艦爆なり。当隊に残るは五名。午後、飛行作業の予定にて指揮所前に行きたるに、今日も取り止めを言い渡され、がっかりする。今日にて五日間作業なし。明日ともなれば雨降らんに甚だ心許なし。
 一六○○頃飛行機分散の命あり。続いて第三配備となる。飛行機分散のまま、山下大尉の兵術講義に曰く。

 
「戦は頑張って頑張り抜いた方が勝ちである」「戦は負けたと思った方が負けである」「我々は死すとき恐ろしくても差支えない。死に方を誤らなければよい」。「楠公(なんこう。註・楠木正成の敬称)の言葉に上勇と血気の勇というのがある。上勇の士というのは楠公みたいな人である。血気の勇というのは血の気の多い、戦いの調子のよいときはどんなことでもやるような者をいう。上勇は司令、隊長級の人に大切である。我々若い士官は、血気の勇でよろしいから元気でも何でもよい、がしやがしややる元気がなければならぬ。」「目下の国賊は、海軍の施設部と、空廠(くうしょう)の技術士官である、戦の障害になるような奴等は叩き切ってやる」「お前たちは、今すぐ特攻隊に行けと言われたら心に動揺なく行けるか。それなら攻撃に連れて行ってやる」。

『ペンを剣に代えて』 (西日本新聞社刊)
特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記
          大石政隆編より
表紙写真のある紹介記事:

http://www.geocities.jp/masa030308jp/penoturuginikaete.htm

参照) 

山下大尉:http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/sengo60/sengo5/04.html

楠公精神:
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/tokko-sisou.htm
「神風思想」に紹介されている御製歌が少し違います。正しくは

「四方の海 みなはらからと思ふ世に
なと波風の たちさわぐらむ   昭和天皇」

空廠:
http://www003.upp.so-net.ne.jp/kataritsugu/memoir/004aeronautic.htm

ちびすけ

ちびすけ

やっとひと月たちました。
おとなしくてよちよちしてかわいい。
とりわけしっぽとなきがおにみえるまゆがかわいい。

切手と消印

切手と消印

山口の山本伽具耶提供。
かぐやさんにきたかぐやひめの切手です。ブログにアップしますと、左肩上の三種の小物が凝っていて、とてもかわいい。

そういえば今年の年賀状に「お年玉くじつき切手」がありました。
ふつうの絵葉書などにはりつけ、お年玉付き年賀状とおなじに使えます。民営化して出てきたものかな、以前からあったものかな。

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