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2008年2月15日 (金)

櫨の葉

  櫨の葉 

      石川 セイ子

目のクルクルっとした少女は
ポンプを115回ついて、
ごえもん風呂に水をいれる。

次はマッチで櫨の葉に火をつけ、
風呂の湯が沸くまで燃やす。

なんととうまい袋に11俵も燃やさないと
風呂が沸かない。
11俵の櫨の葉は
きのう櫨の木の下で、
手で拾い足で踏んで押しつめ、
拾った櫨の葉。


だいだい色、茶色、赤い葉
たくさんの櫨の葉、櫨の葉、
赤い櫨の火に手をあぶり

「母ちゃん、お風呂がわいたよ」

と、少女はいった。

  はぜの実

        石川 セイ子

赤いはぜの落葉をふみながら、
房なりになっている実をみていると、
矢部線の線路を
列車が音をたてて走って行った。

(八女市老連公報40号2008正月発行)

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コメント

himenoさんと私は10年ぐらい年の差があるでしょ。
その10年というのは暮しが一番変わった昭和25年から35年くらいじゃないでしょうか?

だからhimenoさんにはこういう暮しはなかったかもしれない、風呂に水を入れる作業はきつかったよ。
ポンプのもち手が子供には高すぎて持ち上げるのも下げるのも大変。
あと100、あと100と数えながら最後までポンプをこいだあの腕と肩の痛さも覚えてるなぁ。

共同風呂の話がいつか出てたけど、うちの前にも共同風呂があって男女混浴の。

当番で水を入れて沸かすんだけど、それも子供の仕事。
小学校の親友の千代子ちゃんが当番の時、風呂を沸かしに来るわけよ。
千代子ちゃんと一緒に薪をごーごーとくべながら、顔を真っ赤にして焚口でおしゃべりするのがすごく楽しかったので、そのことを最近年賀状や暑中見舞いに書いたら無視された。
千代子ちゃんにとって共同風呂に入っていた事は、屈辱であった、そのことに触れられたくなかったんじゃないかと反省した。
曲がりなりにも私の家には風呂があったから。
その曲りなりの風呂って言うのがまた大変大変。長くなるのでまたいつか。

貰い風呂ってのはゆかしい言葉ですよね。
昔の共同風呂の燃料は石炭だったけど、父の里の高塚ではおがくずだった。小学五年生でやっと自分ちにも風呂ができたけど、ポンプ時代を記憶しない。ずっと井戸の水道だったような記憶。
そうそう、母の里の笠原に行くと、山の中だから真っ暗なんです。その心細さに加えて風呂がごえもん風呂。なんじゃーこれは!!木の底が浮いてくる!!しかもなんか熱い鉄板がある!釜茹でされそうだった。

幼いころの屈辱感は残るみたいですね。近所の十歳年上の知人が、お寺に行ったとき話して下さったことに、ぜったい同窓会には行かない。なぜならいじめられていたから。家が貧しいというだけで、それはそれはひどいいじめを先生からもともだちからも受けた。親が病気で自分が子守や料理をしなきゃいけなかったので、学校へあまりいけなかった。そういうことを先生がかばうどころか、率先してばかにした。だから絶対自分はいきたくない。・・といわれました。分かる気がしました。その人は、とても優しい人です。よく働かれるし、でごとにもおいしい料理をもってみえます。

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