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2008年2月10日 (日)

一俵の重さと筑後の農民

河田宏(かわた・ひろし)の『朝鮮全土を歩いた日本人ー農学者・高橋昇の生涯』 。非常におもしろい。日本が朝鮮にどういうことをやってきたのかを始め、知らなかったさまざまなことが次々に明らかにされ、そうだったのかと恥じ入るばかりである。

たとえば、高橋昇博士はわが家の亡き祖母とほぼ同年代だが、その明治生まれの日本人がどういう教育を受けたのかを、これまではっきりとは知らなかった。尋常小学校という名の学校があったのは知っているが、そこで、小学三年ころに農作業をならったとは知らなかった。

でも、待てよ。

今でも小学校四年生で、必ず田植えの実習があっているよね。少なくとも八女市の小学校では、実習田というか学童田というのがちゃんと農協青年部の管理で確保されているものね。

年金がある今だからこそ、オヤは米が売れなくてお金が入らなくても一向に平気な顔をしているが、ここまでくるのにどれだけの苦労をしてきたことだろう。一年中、ずっと休みなく馬車馬のように働いていたのを私は知っている。(そういえば、馬車馬のように、という例えは、ヤメリカンピーポーのみに通じることばかもしれない。馬による農耕は筑後地方でことに盛んであった、と河田の本にあった。)

ところで。

一つ、規格が昔とちがっていることを思いついたから、書いておきたい。
それは米一俵の重さである。
河田の本にも、朝鮮の農民は二俵(120キロ相当)をチゲ(背負子)に載せて軽々と運ぶ・・と書かれていたし、常識では、こめ一俵とは六十キロなんだろう。でも、農業の現場では、だいぶ前から一俵は三十キロになっている。


その意味を、どうか想像してみて下さい。

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コメント

一俵は60キロと覚えているけどぉ。
今は30キロ?
スーパーで買った米の5キロなら手で持って帰れる。
あのころ年取ったばあちゃんでも、わらで作った袋に入った一俵を背負って馬車まで運んでいました。
今考えるとすごい。
でもスーパーで買う10キロを6個分だったのか?と思うとその重さは想像できる。
前で抱えるより背負ったほうが楽。
子供でも抱くより背負ったほうが何時間でももつ。
今と違って、気概が半端じゃなかったから
ばあちゃんでも背負えたんじゃない?

そして馬車と馬がなくてはならないもので、馬車と馬は黙って何度でも何度でも往復してた。

うちではほんの五六年前まで家に籾摺りさんが来てくれて家族の作業で籾摺りまでをやっていたのですが、そのころすでに一俵30キロでした。持ち運ぶのが大変だから。トラックに積み下ろしするのも60と30では違う。専門の農協職員も、今時の若い子はひよわで、そんなに重いのはかかえきれないようです。30キロを一俵と呼ぶのか半俵と呼ぶのかは知らないけど、昔の人たちの力はすごかったなあと実感できる規格変更でありました。

現代人はひ弱だとよく言われるけど、非常に具体的な証拠ね。

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