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2008年1月26日 (土)

鳥 11

essay 鳥づくし⑪

     

            姫野 恭子

前回の「鵲」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_628d.htmlでの間違いを訂正したい。
鵲は白と黒の鳥である、とあっさり書いてしまったが、実際は風切羽の部分が底光りのする藍色なのだ。毎日間近に鵲を見ていながら、なぜあんな嘘を書いたかといえば、権威ある本二種にそう書かれていたからだ。だが、やはり私は確信をもって、かささぎは白と黒と藍色であると書き直す。鵲にはあいすまないことだった。

 流されてたましひ鳥となり帰る  角川春樹

わが家系には弱虫の血が濃い。ただ一人の弟は二十歳そこそこで薬物死を遂げたし、アル中治療中の従兄もいる。彼は私のこどもたちから「ざりがにおっちゃん」と呼ばれ慕われている心優しい男だ。酒さえ飲まなければ。

そんな訳だから、なにかに依存するたちの人を見ると、つい身内めいたものを感じて少しく同情してしまう癖がある。この角川春樹氏への思いも同情が大きいのだが、それだけではない。強く惹かれるものがある。

この人はかつて吉野の天河神社で鳳凰を見たという。(『宗教時代』米山義男編・晶文社刊より)。そもそも世に鳳凰なる鳥が実在するか疑問だし、しかもその目撃者は薬物中毒者だったわけであるから(当時は逮捕前)一層怪しげな話なのだが、なぜか私はそれを信じてしまうのである。平井照敏編『現代の俳句』(講談社学術文庫)に上記の一句を見つけた今は、尚更だ。

アンデルセンの『パンを踏んだ娘』には、まさにこの句と同じ鳥が登場する。心の冷たい意地悪な少女インゲルが、地獄に堕ちて改心する場面は、童話とはいえ真剣に生と死、善と悪、そして仏教にいうところの自然(じねん)を考え抜いた詩人の深みを感じさせる。一個の魂の再生。その陰にあるのは、実在界の少女のインゲルへの同情の涙だった。

これを読むと、本当にアンデルセンの優しさに涙が出る。親不孝の限りを尽くして死んだインゲルが、鳥となって可哀想な母の処に行き、罪をつぐない、最後は光り輝く鳥として天国へ昇るという物語。

弟と死に別れてからずっと考えてきたことへの答えのような話だ。うまくいえぬが、彼岸と此岸はいつも私の内で感応しあう。

 鳥の死へ芒ちりぢりに尖って  前田圭衛子

今年読んだ鑑賞文のうち、最もこころ動かされたのが、この句に付された北迫正男氏の文章であった。いわく、我々が普段眼にするあの夥しい数の鳩や雀などの鳥達は、何時何処でどのようにして死んでいくのだろう・・。そういわれれば、滅多に鳥達の死骸は眼にしない。実際にはほかの動物にそれらは食べられてしまうのかもしれないが、そうは思いたくない私たちがいる。

神社の鳥居をくぐるたび、鳥はたましいそのものだと感ずる。山の民だった母が、戦前は土葬で、お棺に鳥の形の木と枇杷の葉を入れたと教えてくれた。太古から連綿と続いてきた鳥杆を捨て去った、たましひの行方が気になる。

連句誌『れぎおん』20号
1998年1月号より引用

※鳥杆(ちょうかん):検索しましたけれども、ちょっとでませんでした。民俗学用語としてあるとおもうのですが。鳥杆(ちょうかん)は鳥のかたちをした呪物です。うちの母は黒木町笠原村の出ですが、葬儀のときはそういうことをやっていたそうです。

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