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2008年1月28日 (月)

後鳥羽院

昨夜書いた後鳥羽院と眞鍋呉夫のほぼ同年齢のころ(二十歳そこそこ)の作品についてですが、後鳥羽院のこの歌、検索ではヒットしません。後鳥羽院という研究対象についての論文自体、例のブロガーにして編集人のひとのがめだつくらいで、あまり出回っておりませんでした。ということは、少し書かなきゃいけないような気がしてきました。『新古今集新考ー斷崖の美學』(花曜社、1981年刊)。無心に引用させていただきます。

霜もおきあへず

       塚本邦雄

後鳥羽院の若書きの歌に関しては、ほとんどの人が筆を費やしていません。見るべき後鳥羽院研究は少なくありませんが、残念ながら殊に、若書きの傑作に関してはあまり言及されていません。たとえば、「白菊に人の心ぞ知られける移ろひにけり霜もおきあへず」、これが二十歳の時の歌です。これの本歌をいろいろ考えてみましたが、例の凡河内躬恒の「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花」くらいしか考え及びません。ということは、先蹤のない歌です。しかも、この歌を承久の乱の前年に作ったと言っても、誰も疑わないでしょう。承久の乱は、彼が厄年の42歳の時の筈ですけれども、その年に詠んだ歌としてみても、おかしくない。読者の胸を刺し貫くような憎しみと、悲痛な調べに満ちています。三句、四句で切れ、しかも体言止めでなく、打消しの助動詞で終る。こういう破格な歌は稀です。後鳥羽院の歌は、調べの上で大胆不敵なものが多いのですけれども、この歌には特にそのような特徴が表れています。この一首を二十歳で詠んだという事だけでも、後鳥羽院の性格、あるいは和歌に関する才能が、充分に語り尽くせるのではないか。それに、私はこの歌が大好きです。『新古今和歌集』に撰入されていても、すこしも不思議ではない、そういう歌を二十歳で詠んでいる。

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コメント

ここですか?

あった!そう、ここ。
あれ、みじかいね。もっと書いたような気がする。
れぎおんにもなにか書いてたような。
でも、ありがとう。なんで私の検索だとなんも出ないんだろ。

塚本邦雄の『新古今新考ー断崖の美学』と『菊帝悲歌』の二冊、神田の古本で求めました。後者は小説。前者は和歌のていねいな解説にして手引き書。それにしても、塚本邦雄はなぜ後鳥羽院がすきなんだろう。わたしもこの本をよんで、後鳥羽院がだいすきになったほど、強いエネルギーを放っている本でした。

承久の変の後鳥羽院は後厄なんですねえ。
シンクロも、なにか意味があるのでしょう。

今から英語の宿題をします。ひと月さぼっていた。

後鳥羽院 塚本邦雄 検索で一頁目に出ますね。

塚本邦雄 『新古今新考?斷崖の美學

検索4位

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