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2008年1月28日 (月)

連句的  眞鍋呉夫と後鳥羽院

哀しみつのりくれば白靴はきもあへず  呉夫

眞鍋天魚の若いころの句に、こんな句があった。(句集に確認しなければいけない、いますぐ。なのに私は佐々木家の嫁さんみたいにずぼらで、家のどこいらへんにあの小さな句集がいったものやら、皆目見当がつかない。)
記憶ではこうだが、ちがっているかもしれない。なにしろ先日も記憶から句を取り出す過程でずいぶん自分の色に変えてしまっていた。(それは宮部鱒太翁の正月の句だったが、さくらさんのブログに引用するとき、原句に確認しなかったもので、かなり違っていた。しかも、それを訂正していない、いまだに。宮部鱒太先生、すみません。)

この句が忘れられない。句を読めば現前する鮮明なイメージが、ずうっと遠いところでリフレインしている。それが今日、この句にかぶさるような詠み振りの後鳥羽院の若い頃(二十歳くらい)の、次のような歌を和歌の解説本でみつけ、あっと声をあげてしまった。

白菊に人の心ぞ知られける
     移ろひにけり霜もおきあへず  後鳥羽院

内容は、まったく違う。
しかし、なぜか連句的にひびきあうものが根底にある。
きっと眞鍋呉夫先生は、この後鳥羽院の一首をご存知で、それに唱和なさったのがこの一句ではないだろうか。
どなたか、それを眞鍋先生にお尋ねになっては下さるまいか。

小説家・眞鍋呉夫の青春を私は知らない。本もまったく読んではいないし、経歴もほとんど知らない。しかし、これまでのノリで、連句を通じて、ほんのちょっとだけ句をかじって知っている。

ああ、どちらの句も歌も、なんという痛さだろう。
どちらか一つだけだったなら、こんなにいてもたってもいられないような感じにはならなかったかもしれない。わたしのかなしい習性として、いま、この二つのうたの裏にあるものがしりたくてたまらない。
とるものもとりあえず、これを書いた。

          

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コメント

これです。この眞鍋青年の一句。
後鳥羽院の歌の方は、意味つかめる?
かささぎよみ。

白菊の花の色の移ろいは、まるで、人のこころがわりのようなものだ。まっしろだと思っているうちに、あれよあれよと色あせてゆく。じっくりと、霜も置かないうちに。

しろぐつはきもあへずの方。1941年。
かささぎのよみ。
なにゆえのかなしみがあるというのか。いきること、この戦さ世に兵士として出征しなければならない生をおくることほどかなしいことはない。そしてそのかなしみはだれにも告げることができぬものだ。
かなしみつのりくれば、若さそのものの色のような真っ白い汚れ一つない靴をはこうにも、足を半分つっこんだような心ここにないような有様、上の空で、わたしの憂いは宙をさまよう。うつろなこころ、うつろな日々。

時代背景を知らなければ「白靴」の持つ暗喩を掴むことができなかったろうと思います。ただの「季語」としての白靴でない。
歌姫は「白靴」を日常性としてのメタファと捉えておられましたが、わたしは悲しいまでの白さ、生きるとはそれを汚すこと。そのことへの哀しみ。つまり、惰性で生きる、というより時代に翻弄させながら生きることへの哀しみというものが根底にあるように思いました。戦渦への反句かも知れません。

せいこさん。時代は切り離せないよね。
どういうときにできた句なのか、わからない。
だけど、確かにいてもたってもいられなくなるような、もどかしさを感じる。そのかなしみは次のどんな行為への発火点になるのか、とおもうもの。
天を仰いで、なにもいないのに、天使がみえるといって、異界のものに話しかけるような、。急に突拍子もないことをいいますが、なにか、そんな異次元のかなしみのようにも感じる。天から操られた糸で早くおいでとでも囁かれたような。それに自然とからだが反応したときのような。
おもえば、みょうなみょうな句。
まなべくれお、おそるべし。神秘的。

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