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2008年1月31日 (木)

朧大橋

財務相をつとめた谷垣禎一・自民政調会長は、財政通といっても法学部出身だから、ケインズの弟子カーンの乗数理論をまともに勉強したことがないのではないか。乗数効果の低下を主張して、道路予算を削ろうとしたのは財務省ではないか。堂々と「私はケインジアン」と胸を張っていた師匠の故宮沢喜一と比べてあまりにお粗末と思えた。小泉政権下で右往左往した古賀誠・元幹事長も、およそ乗数理論とは縁がなさそうな面構えである。これだから宏池会は駄目になったのだ。

いい機会だから、新訳「一般理論」を読み直し(?)てみたら。ケインズを金科玉条にするつもりはないけれど、第三篇「消費性向」8~10章は古びていない。古代エジプトが暮らしの役に立たない貴金属探しとピラミッド建設に血道をあげ、その巨富を築いたというケインズの皮肉(?)のきいた文章を味読するがいい。里山を蹂躙するあの醜い道路こそ、日本のピラミッドなのだ。   
以上、阿部重夫ブログhttp://facta.co.jp/blog/(1・27permanent link)から無断引用。

さてと、おぼろ大橋、出ました。
八女郡上陽町です。じょうよう。

二年前だったか、私も「まことばし」とはどんなものか、見に行きました。八女も山の中となるとまだまだ行ったこともないところがたくさんあり、ここもその一つでした。谷が折り重なる地にある虚空蔵菩薩まで一人ででかけた(縁を頼みに)ときに、ついでに見学してきました。感想?「は~。こげなとこにこげんか橋ば造って、いったい誰が通ると。たぬきしか通らんめえが」 でした。笑。一日二百台通るという話ですが、ほんとうかな。少なくとも私が訪ねたときには、二台しかすれ違わなかった。驚くべきことに黒木方面へは行き止まりでしたから。(まだ建設途中なのですか?)

古賀誠議員、彼は遺族会長だし、魔王的というか、イメージは阿部しげさんも書かれている通り、田中角栄や北海道でぽしゃった人と同じ土建屋肌の政治家です。政治家は裸一貫からのし上がるためには、映画監督とおんなじようにお金をかき集め再配分する能力がないとだめみたいで、裏にドスがきかないと務まりませんものね。その能力がこの人はすごいんじゃないかしら。・・勝手に想像するだけです。

橋の現世的な存在価値は目下、皆無です。
でも、あの地、あの場所、あそこからしか見えないモノがあるに違いない。
それは朧月夜に見えるのではなかろうか。
見にいらっしゃいませんか。
何もない里山に、何のためでもない大橋が架かる。
それはこの世のものではない。

凍雲のやゝ焼けて来し遠い橋  柴田白葉女

虚空蔵菩薩を尋ねて

穀雨の虚空蔵の黒闇闇たる暮色     恭子

朧大橋:

http://nobuyoshitaka.com/report/oboro.htm

http://www.dokokyo.or.jp/ce/ce0606/essay.html

http://homepage2.nifty.com/isibasi/hasi/40fukuoka/04tikugo/4013_7_oboro.htm

2008年1月30日 (水)

キララ おめでとう

キララ おめでとう

誕生

誕生
誕生
誕生

記録として:

きららは三十日の早朝、出産した。私はまいあさ九時に事務所へ到着する。この日行くと、きららはいず、社長が獣医さんとこへ出産に連れて行ったとボスがいう。未明すでに自力で二匹の子を出産、しかし逆子だったのと陣痛微弱により窒息死したという。やはり自然分娩は無理と、獣医をさがし、遠方に見つけて連れて行ったとのこと。

月末で事務は忙しいのに、そっちのけで犬の出産騒動にまきこまれる。その遠い獣医さんちに姫野さん迎えに行って、といわれて地図をみながら車で駆けつける。すると、社長が目を泣きはらして、箱に入ったきららと二匹の赤ちゃんを抱いてまっていた。五時間を自然分娩させようとしてじっとお医者さまと二人できららのそばにはべって待っていたそうです、たちんぼうで。でも、まだおなかにいるのはわかるけど、陣痛が来ず、体力が弱っているので、帝王切開しか方法がなく、ここではできないから別のところを紹介するといって、別の医院へ移りました。上は移動の車中で撮ったものです。

着いたところは犬猫専門病院で設備も看護婦さんも整っていました。はじめに行ったとこはどうも馬や牛が専門の獣医さんだったみたいです。さて、すぐにきららのおなかを超音波で診察なさいました。(写真)そして血液型を調べ、麻酔をうち、帝王切開をなさったのですが、超音波撮影では心臓が打ってないといわれた赤ん坊が、取り上げられたとき、看護婦さんのマウストウマウスの人工呼吸により、息を吹き返したのです!二匹も!

看護婦さん、すばらしい!(手だけ写ってます)わんだふおぉ。

出産は、犬も人も、同じく命をかけた(おかねもかけた)、崇高なものだと思いました。それと、さかごというのが命にかかわるのだと身にしみてわかり、私を逆子で生んでくれた母と、とりあげてくださった黒木の産婆さんに感謝するのみです。

2008年1月29日 (火)

妊婦の青

妊婦の青

きらら、マタニティブルー。見るからにつらそう。
犬は二ヶ月で出産する。はじめて観察してるけど、人間よりもつらそう。ここ二三日、ものもいわないし、食べなくなった。うごきもにぶい。欝状態。あおむけになったり、よこむきになったりしている。おちちが片側四個あるのがわかります。あしたは生まれているかな。毎日そう思って出勤してます。ダックスフントは足が短いので、おなかがおおきくなると、おなかを擦るかんじになり、だから余計苦しいのでしょう。

2008年1月28日 (月)

後鳥羽院

昨夜書いた後鳥羽院と眞鍋呉夫のほぼ同年齢のころ(二十歳そこそこ)の作品についてですが、後鳥羽院のこの歌、検索ではヒットしません。後鳥羽院という研究対象についての論文自体、例のブロガーにして編集人のひとのがめだつくらいで、あまり出回っておりませんでした。ということは、少し書かなきゃいけないような気がしてきました。『新古今集新考ー斷崖の美學』(花曜社、1981年刊)。無心に引用させていただきます。

霜もおきあへず

       塚本邦雄

後鳥羽院の若書きの歌に関しては、ほとんどの人が筆を費やしていません。見るべき後鳥羽院研究は少なくありませんが、残念ながら殊に、若書きの傑作に関してはあまり言及されていません。たとえば、「白菊に人の心ぞ知られける移ろひにけり霜もおきあへず」、これが二十歳の時の歌です。これの本歌をいろいろ考えてみましたが、例の凡河内躬恒の「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花」くらいしか考え及びません。ということは、先蹤のない歌です。しかも、この歌を承久の乱の前年に作ったと言っても、誰も疑わないでしょう。承久の乱は、彼が厄年の42歳の時の筈ですけれども、その年に詠んだ歌としてみても、おかしくない。読者の胸を刺し貫くような憎しみと、悲痛な調べに満ちています。三句、四句で切れ、しかも体言止めでなく、打消しの助動詞で終る。こういう破格な歌は稀です。後鳥羽院の歌は、調べの上で大胆不敵なものが多いのですけれども、この歌には特にそのような特徴が表れています。この一首を二十歳で詠んだという事だけでも、後鳥羽院の性格、あるいは和歌に関する才能が、充分に語り尽くせるのではないか。それに、私はこの歌が大好きです。『新古今和歌集』に撰入されていても、すこしも不思議ではない、そういう歌を二十歳で詠んでいる。

連句的  眞鍋呉夫と後鳥羽院

哀しみつのりくれば白靴はきもあへず  呉夫

眞鍋天魚の若いころの句に、こんな句があった。(句集に確認しなければいけない、いますぐ。なのに私は佐々木家の嫁さんみたいにずぼらで、家のどこいらへんにあの小さな句集がいったものやら、皆目見当がつかない。)
記憶ではこうだが、ちがっているかもしれない。なにしろ先日も記憶から句を取り出す過程でずいぶん自分の色に変えてしまっていた。(それは宮部鱒太翁の正月の句だったが、さくらさんのブログに引用するとき、原句に確認しなかったもので、かなり違っていた。しかも、それを訂正していない、いまだに。宮部鱒太先生、すみません。)

この句が忘れられない。句を読めば現前する鮮明なイメージが、ずうっと遠いところでリフレインしている。それが今日、この句にかぶさるような詠み振りの後鳥羽院の若い頃(二十歳くらい)の、次のような歌を和歌の解説本でみつけ、あっと声をあげてしまった。

白菊に人の心ぞ知られける
     移ろひにけり霜もおきあへず  後鳥羽院

内容は、まったく違う。
しかし、なぜか連句的にひびきあうものが根底にある。
きっと眞鍋呉夫先生は、この後鳥羽院の一首をご存知で、それに唱和なさったのがこの一句ではないだろうか。
どなたか、それを眞鍋先生にお尋ねになっては下さるまいか。

小説家・眞鍋呉夫の青春を私は知らない。本もまったく読んではいないし、経歴もほとんど知らない。しかし、これまでのノリで、連句を通じて、ほんのちょっとだけ句をかじって知っている。

ああ、どちらの句も歌も、なんという痛さだろう。
どちらか一つだけだったなら、こんなにいてもたってもいられないような感じにはならなかったかもしれない。わたしのかなしい習性として、いま、この二つのうたの裏にあるものがしりたくてたまらない。
とるものもとりあえず、これを書いた。

          

2008年1月27日 (日)

「し」その2

「し」その2
「し」その2
「し」その2

ね、この「し」、すごい細さでしょう。

あんまりきれいな「し」だったから、どんぐらいちからを矯めれば、あるいは抜けば、あるいは、・・れば、こんな「し」が書けるか、自分でもやってみました。しかし、なんど挑戦してもとうとうできませんでした。二十年以上の研鑽がいるものと思われます。それと、ある種のいきおいが。

上二葉

柴田白葉女「凍雲のやや焼けて来し遠い橋」

宮部鱒太先生の筆跡です。(家宝にしている。)

2008年1月26日 (土)

鳥 11

essay 鳥づくし⑪

     

            姫野 恭子

前回の「鵲」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_628d.htmlでの間違いを訂正したい。
鵲は白と黒の鳥である、とあっさり書いてしまったが、実際は風切羽の部分が底光りのする藍色なのだ。毎日間近に鵲を見ていながら、なぜあんな嘘を書いたかといえば、権威ある本二種にそう書かれていたからだ。だが、やはり私は確信をもって、かささぎは白と黒と藍色であると書き直す。鵲にはあいすまないことだった。

 流されてたましひ鳥となり帰る  角川春樹

わが家系には弱虫の血が濃い。ただ一人の弟は二十歳そこそこで薬物死を遂げたし、アル中治療中の従兄もいる。彼は私のこどもたちから「ざりがにおっちゃん」と呼ばれ慕われている心優しい男だ。酒さえ飲まなければ。

そんな訳だから、なにかに依存するたちの人を見ると、つい身内めいたものを感じて少しく同情してしまう癖がある。この角川春樹氏への思いも同情が大きいのだが、それだけではない。強く惹かれるものがある。

この人はかつて吉野の天河神社で鳳凰を見たという。(『宗教時代』米山義男編・晶文社刊より)。そもそも世に鳳凰なる鳥が実在するか疑問だし、しかもその目撃者は薬物中毒者だったわけであるから(当時は逮捕前)一層怪しげな話なのだが、なぜか私はそれを信じてしまうのである。平井照敏編『現代の俳句』(講談社学術文庫)に上記の一句を見つけた今は、尚更だ。

アンデルセンの『パンを踏んだ娘』には、まさにこの句と同じ鳥が登場する。心の冷たい意地悪な少女インゲルが、地獄に堕ちて改心する場面は、童話とはいえ真剣に生と死、善と悪、そして仏教にいうところの自然(じねん)を考え抜いた詩人の深みを感じさせる。一個の魂の再生。その陰にあるのは、実在界の少女のインゲルへの同情の涙だった。

これを読むと、本当にアンデルセンの優しさに涙が出る。親不孝の限りを尽くして死んだインゲルが、鳥となって可哀想な母の処に行き、罪をつぐない、最後は光り輝く鳥として天国へ昇るという物語。

弟と死に別れてからずっと考えてきたことへの答えのような話だ。うまくいえぬが、彼岸と此岸はいつも私の内で感応しあう。

 鳥の死へ芒ちりぢりに尖って  前田圭衛子

今年読んだ鑑賞文のうち、最もこころ動かされたのが、この句に付された北迫正男氏の文章であった。いわく、我々が普段眼にするあの夥しい数の鳩や雀などの鳥達は、何時何処でどのようにして死んでいくのだろう・・。そういわれれば、滅多に鳥達の死骸は眼にしない。実際にはほかの動物にそれらは食べられてしまうのかもしれないが、そうは思いたくない私たちがいる。

神社の鳥居をくぐるたび、鳥はたましいそのものだと感ずる。山の民だった母が、戦前は土葬で、お棺に鳥の形の木と枇杷の葉を入れたと教えてくれた。太古から連綿と続いてきた鳥杆を捨て去った、たましひの行方が気になる。

連句誌『れぎおん』20号
1998年1月号より引用

※鳥杆(ちょうかん):検索しましたけれども、ちょっとでませんでした。民俗学用語としてあるとおもうのですが。鳥杆(ちょうかん)は鳥のかたちをした呪物です。うちの母は黒木町笠原村の出ですが、葬儀のときはそういうことをやっていたそうです。

2008年1月25日 (金)

犬死

15日夕刻、明治大学紫紺館であったアメリカ大統領選を百倍楽しむ法という名のフォーラムで、手嶋龍一氏が司会者の阿部重夫ファクタ編集長の求めに応じて話してくださったアメリカ予備選のおはなしのなか、もっとも印象に残ったのは次のようなくだりでした。

ヒラリーはここぞというときに圧倒的な力を発揮して窮地を脱する能力をもつ。すくなくても(手嶋さんは「少なくとも」とはおっしゃらないのです。なぜでしょうね、それかなり気になる)今まで二度もだめ夫の窮地を救った。対するオバマは、この人はまだ46と若いのですが、人間的に出来た人で、こういう場面を手嶋氏は眼の前でみたそうです。ある老婦人がイラク戦でなくなった息子を「ではわたしの息子は犬死だったのでしょうか」といって詰め寄ったとき、かれは彼女をぎゅうっと抱きしめて、「いいえそんなことは決してありません。あなたの息子さんはお国のために尊い命を捧げられたのです」と言って慰めたとのこと。それがとってつけたものではなくて、本当に真情がこもっていたといわれました。

こういう話をじっさいに聞いてますと、手嶋さんがいわれるように、あめりかという巨大な国家(選挙法ですら、州によってそれぞれ異なり、全部知ってる人など一人もいないとのこと)のふところのふかさに思いを馳せることができます。

ひるがえって日本はどうか。

おなじ日の昼、靖国神社におまいりしてきました。
犬死とよばれる死に方をした兵士たちをたくさんまつってあります。
さくらさんのコメントで、その日参道である事件がおきていることを知りました。報道は一切なく、闇に葬られたようです。動画がありましたが、ことばがききとれませんでした。

 昭和館出て靖国の青き踏む  恭子

2008年1月24日 (木)

高専

高専
高専
高専

高専というのは国立の学校なんですね。へえーなにも知らなかったなあ。筑後川のすぐそばにあります。裸木がとてもきれいな学校でした。なんだか北海道ってかんじ。このいいかたは幼稚ですけど、昔からここの横を通るたび、ああほっかいどうみたい。とかんじていた。なぜかな。笑

ごみ

ごみ

きれいでしょ。
生垣が笹なのもとても珍しい(笹や竹は無闇にはびこるから管理が難しいんじゃないかと思うよ)し、なんだかきもちいい。二時ごろごみ収集車がきます。それがものすごい速さ。風とともに去りぬ。

久留米市のごみ袋は透明みたいですが、内容が見えないようにどちらさまも工夫されてるようです。ちなみに佐賀市のごみ袋はみどり、八女市はきいろです。

現場 2

現場
現場
現場

ひさしぶりの現場です。
だいぶ景色がかわっています。
コンクリートの箱物がすっぽり入って、輪郭がついてきましたね。
ここの写真をずっと撮ってますが、このすぐ横に展開していた市の発掘隊は、もう仕事を終えて、いなくなってました。さびしいですね。ドサ回りの芸人さんたちを見送ったこどものようなきぶん。ここに二時過ぎまでいました。代わりの隊員さんがきてくれるまで。めちゃくちゃ寒かった。

2008年1月23日 (水)

杏子サンとらんちゃん

もとバービーボーイズの杏子がずっと気になっていた。去年・・もう、おととしかな?田村正和主演のホームドラマ(おかまに市民権を与えた社会性のある画期的なドラマで、また、洗剤ボールドの宣伝で有名な、えーと名前が出てこねえ・・玉木こうじじゃなくてフィンガーファイブでもなくて、ほれ、あの「手紙」で泣ける演技をしていた俳優さんだよ。京菓匠長生堂のわらび餅が好きっていってた人・・がほんとにおならをしたドラマ)の主題歌を歌っていたのは。笑。

福耳ってコラボ名で、歌は『惑星タイマー』。(←このタイトル、最高。すごいセンスだよね。スガシカオって人の作詞かよ。これ、やまじゃきましゃよしも参加しとったんやね。元ちとせもかー。ふうん、ベストメンバーやねえ。)

あるとき詩の雑誌を立ち読みで読み飛ばしてたら、杏子サンが歌詞をどうやって書くかってのを書いててね。自分の連句のつけ句の作り方とほぼ同じだったからうれしくなって。へえ、このひとって元銀行員だったんだ・・とびっくりした。あたしは、もっとこう、ずっとやらかい、はすっぱな職業であってほしかったわけで。それはもうあこがれでもあったわけで。だから、えーっ銀行員・・はらひれほろはれってかんじ。世の中、そんなことばかりだなあ。

らんちゃんはこの夏連句に引きずり込んだ幼なじみだけど、彼女も銀行員だった。相当ながくやってた。おつぼねさまを通り越してしまうまで。こないだ黒木の奥に行ったとき、彼女が黒木バス停近くの神社の前でこんなことを言ってた。

「ここ。この大楠の下の石に腰掛けて、よくさぼってた。入ったばかりのころ。お得意さん回りするのがいやで。いっちょんすかんかった。おあいそわらいするのが」

そうかー。

(ありゃ。ファクタにトラックバックしようとして、じぶんちにしてしまっとる。笑

2008年1月22日 (火)

「し」

「し」

かな書道歴ン十年のマイボスの作品を昼休みに写す。
「し」って字の細いこと。ま、どの文字もみなすんごく細いんですが、しは格別ですよね。ほかに、有名俳人の肉筆の「し」を、つくづくすばらしい細さだと感動して打ち眺めたのがありまして、それを写真にとって、アップしたいです。

自分でもやってみるとわかりますが、細い線を毛筆で書こうとするとき、気の使いかたは繊細を極めます。一朝一夕にはぜってえできねえ。いえいえ、滅相もござんせん。

芭蕉のいったほそみって、このことじゃないかとすらおもう。気のつかう部分が、。脳天のてっぺんらへんからちからをだすかんじ。

2008年1月21日 (月)

土  4

   essay   土 4

             姫野 恭子

 虫喰ひの苺ばかりや初出荷  恭子

十一月二日、博多豊の香いちごの初出荷を済ます。正規の農協市場へ43パック、民間市場へ62パック、全てB級以下の苺。とにかく、暑い。台風十号は福岡をかすっただけで大した雨も降らなかったが、苺の花が咲く頃、暑さで虫が増え、消毒をしたために変形果が多かったのだ。やはり台風はきっちり通過してくれたほうがいいような気がする。このような事をいえば、東北の林檎農家にあいすまないのだが。

 秋不作くるしすべなし逃れたし
  〈南無通用金神〉と刻みたりけり  
             斉藤 史

この歌は日本農業新聞に草野比佐男氏*が連載されている「くらしの花実」欄で拾った。解説では信州筑摩郡修那羅峠に残る古い石の像に、当時の多種多様の困窮を読み取り、古人の祈りに触れて詠める歌であるとのこと。減反はきつい上、天候不順で東北は雨が多く、冷夏となった。そこへ台風が襲い、秋不作である。現代に餓死はないものの、歌のこころは充分今でも通用する。

石橋秀野はかつてこの斉藤史と並び称された事がある。俳句と短歌、分野は違うが、その才能、力量において似通うものがあったためだろう。さて、私は十月二十六日から二十九日まで、京都、奈良と簡易保険の旅にたまたま母の代理で回ることができた。こども3人、しかも下の子が6歳になったばかりで、こんなに長期に家を空けるのは心配だったが、16歳の長女が幼稚園への送迎を引き受けてくれ、また腰痛の母に代わって毎晩の夕飯もこさえてくれ、大変助かった。

ご近所の方々ばかりの団体旅行だったので、途中抜け出して、秀野さんの生国の天理市に行こうと決めていたのに、機を逸してしまい、適わなかった。だが、二十八日の朝、京都市右京区にある宇多野療養所(終焉の病院)を訪ねることは出来た。事前に何の連絡も入れておらず、何も伺うことは出来なかったが、それでも、二階の庶務課で昔の話を知りたい旨、伝えることはできた。想像していた山中とは違って、随分家並みがある高台の閑静な病院。十分ほど歩いて下れば仁和寺がある、という場所柄だったのに驚く。やはり歩いて回らねば土地は見えてこない。

それにしても、翌日伊丹空港ロビーで見ていたテレビニュースに、宇多野病院が映ったのには本当に驚いた。訪問した日にかの病院では医師八人がアジ化ナトリウム入りのポットの湯で具合が悪くなる事件が発生していたらしいのだ。もう半時間はやく行っていたら。また発覚直後でも庶務課へ出向くことはできなかったのじゃなかろうか。そう思うと、たまたまの旅、旅行社のたまたまの行き先変更で実現した今回の宇多野訪問には鳥肌たつようなものがある。

    ◇

 裸子をひとり得しのみ禮拝す  石橋秀野

昭和二十二年、秀野三十八歳、最晩年の句だ。さて「禮拝」は「れいはい」か「らいはい」か。レイだとキリスト教っぽいし、ライだと仏教くさい。秀野にはまだたくさんの謎がある。学歴も全貌は分らないのだが、東京の文化学院へは大阪のウィルミナ女学院からの転入学らしいことが八女市の杉山洋氏の奔走で判明したらしい。ミッションスクールだ。私もミッションスクールに二年間通った。独特の雰囲気は魂に強烈なものを付与した。仏教や神道や民俗信仰も強い土地、家に生まれ育ちながら、若き日にキリスト教の洗礼(じっさいにそうではなくとも)を浴び、死病の床に就いておれば、枕もとにはさまざまな神仏が訪問しただろうし、キリストも来たろうか。ならば、れいはいと読むのが自然だろうか。とも考えてみるのだ。

 連句誌れぎおん24号より引用。
   1999年1月
   前田圭衛子編集発行

* 草野比佐男氏は数年前に亡くなりました。お世話になりました。合掌。

補足をすると、この年から私は一人旅へ出かけるようになる。このときの旅は本当に不思議なたびで、行く先が京都奈良だったこと、ツーリストの最初の予定表が急に途中でキャンセルになり、たまたま「うたのれうやうしよ」近くへ行くコースに切り替わった。おまけに、事件まであってくれて、忘れ難い旅行となった。

平成15年に石橋秀野ノートの連載を本にまとめて出版したとき、小倉の秋山敬氏から、既に秀野本は一人子の安見子さん監修の富士見書房本と学者で秀野研究家の西田もとつぐ本が出てしまっていたのに、よく最後まで投げ出さずに書いたものだと妙な褒め方をしていただいた。たしかに人様の仕事は一向に気にならなくて、自分の秀野像をおいかけることだけに夢中だった。その後、秀野の生家のあったあたりを尋ねたが、八女市の雰囲気ととても似ていることに不思議な感動をおぼえた。

2008年1月20日 (日)

ぬかは生きてる。

玄米を精白していると、百姓としては父より上の母が父に言った。

「ヌカはそのまんまホウレンソウの根元にふりかけちゃいかんよ。そげなこつしたら、ホウレンソウが腐るやんね。」

「おーそうかー。」

精白でふっくらとしたヌカが残る。寒いので、それをそのまま肥料としてホウレンソウの根っこに毛布のようにかけてあげたくなる父であった。でも、そうすると逆にホウレンソウは枯れるんだって。ふーん。バイオのことはよくわからないけど、生のぬかは発酵させて熱を放出させ、なにか、いのちのあついぶぶんを殺してからじゃないといけないんですね。ということは、ぬかは生きているっていうことですね。

わがやの農園では、いま、ホウレンソウが旬です。とても甘くて柔らかい美味しいホウレンソウです。大根もキャベツも白菜も大葱も水菜も春菊もたいがい鍋の材料はあるので、買わなくても済みます。父よ母よありがとう。

2008年1月19日 (土)

祝れぎおん創刊十五年

連句誌れぎおん60号。
創刊十五年記念号、108ページ。

連句についての六つの提言が読ませる。

川野蓼艸捌歌仙からは次の恋の付けあい。

 座禅の僧の袖を引く指  俊彦

やがて吊る首とは知らずしがみつき 天魚

 また灯したる小夜といふ闇  粗濫

蓼艸さんの得意満面のお顔がひょいとうかびます。日経九月二十七日付夕刊に載ったそうでアル。蓼艸氏の随想『詩々拾録』もますます筆がさえわたっている。

ほかに飯塚修三『蛇の民俗学』・・吉野裕子の本でかがみは蛇であったという分析を読んだことがあった。そのことをふくめ、きっちりまとめてある。

妙島秋男歌仙とめがき「ある少女」、つぎのエッセイ内容とどこかが連句的にひびきあう。これはたましいの根幹にかかわることだから。http://mainichi.jp/feature/sanko/news/20080119org00m040001000c.html?inb=yt

2008年1月18日 (金)

無題

無題

久し振りに飛行機にのった。時間がかかるから乗りたくない。乗っている時間は1時間半くらいでも、ね。ネット予約で特割の切符を前日にばたばたと買う。新幹線よりずいぶん安かった。あんまり急だったので、通勤バッグのまま行ってしまい、筆箱にカッターナイフが入っているのをすっかり忘れていた。過去の自分に糾弾された。かれらはよく仕事をしていますねえ。右ポケットに入れていた携帯でもベルが鳴った。行きも帰りも無駄な時間と手間をおかけし、情けないことでした。

ところで、機内もちこみ制限品として取り上げられるとき、かいてもらうチェックシートをみたら、いろんなナイフの一覧表があって、その最初に「アーミーナイフ」ってあるので、ぎょっとしました。そういうのを持って乗り込むお方もあるんでしょうかねえ・・・。(カッターナイフはふだん赤青鉛筆をとぐときに使っています。必需品なので。)

やすくに

やすくに
やすくに
やすくに

靖国神社の靖国通りに面した側の門を守る狛犬。ほかに、写しそびれたもう一対があります。その写しそびれた最後の一対は、同じく靖国通りに面してありますが、西牟田靖著『写真で読む 僕の見た大日本帝国』の冒頭にある、ユジノサハリンスクで西牟田が見た狛犬と同様の、建築家・伊東忠太がデザインしたものです。西牟田靖のこの本は、とてもよく調べて書かれた労作であります。さまざまな事実を教えてくれます。

過去に撮影した狛犬

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_638c.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_177b.html

2008年1月17日 (木)

だんだら粥

小正月だんだら粥の小豆煮ゑ  恭子

十五日の朝食に母が作っていました。炊飯器をあけると餅がべたーっと上のほうにのびてまして、小豆も入ってるし、これはいったいなんなんだ!と聞けば、「だんだらがゆたい。」との返事。へえ。昔から15日には炊いていたそう。

きのうの昭和館4階図書室で、たまさか見つけてしまったんです。「聞き書き福岡県の食事」農山漁村文化協会編。全県のが揃っています。豊富な写真と現地取材にもとづく貴重な本です。筑後地方の項目を開きますと、ちゃんと記載がありました。以下引用。

だんだら粥:1月15日  赤飯にお供え餅をいれ、その中に小さな竹の管に作物の名を書いたものを入れて炊き、管のなかの飯粒の入りぐあいで作物の吉凶を占う。

ついでに、呆 夢(ぼん。俳号です)が先日連句会で言及していた「あお」もちゃんと説明が出ていました。森崎和江さんの文章にあったように記憶しますが・・。

大潮の日のアオは特別に神聖なものであり、それを汲みあげて、御茶をたてたり、特別な料理を作った。大潮の日、有明海から潮が川底を溯ってくる、その表面にあるきれいな水がアオということです。

2008年1月16日 (水)

昭和館

昭和館
昭和館
昭和館

今朝は五時前に起きて日本青年館8階から見える朝焼けを写そうと思っていたのに、パソコンに熱中して旭のことを忘れた。ざんねんだった。

きのう東京についてまっすぐ九段の靖国神社に参拝し、二年前に見ることができなかった遊就館を見て回る。ある展示室に入ったとき、まっさきに眼に飛び込んできたのは、母親が出陣して戦死してしまった息子のために、花嫁人形を作って奉納しているものでした。近づいてみると、ただ一文字のかわった姓の下の名前が「正義」だったことにぎくりとしました。うちの「兵隊おっちゃん」と呼びならしてきた亡き伯父と同じ名前だったからです。まるであちらのほうから呼びかけられたような気がしました。

母親なればこそ、およめさんももらわず死んでいった息子のことを不憫に思ってそういう人形を奉納してもくれるのだなあ。そうなら、死んでもきっと寂しくはないだろう。でも、うちの兵隊おっちゃんは、さびしいだろうな。と思った。養母は十年前になくなったし、・・。

さくらさんの戦死されたお父上と伯父の大石政則さんの遺影はすぐ分りました。お父上、とてもきれいなお顔で、豊かな愛情を感じ取れるのでした。見てたらとても生き生きとした表情に、こちらがつらくなるほどに。何か語りかけておられるようでした。・・・

今日も九段に行き、靖国神社の前の「昭和館」を訪ねました。入場料300円です。修学旅行の小学生が何校も来ていて、館の先生のお話を熱心に聞いていました。門司の小学校や、かすかべ小学校とかアナウンスがあっていたっけ。館の先生のお話も、とても心に訴えかけるものでしたので、つい生徒たちの後ろからいっしょに聞いてしまいました。この子達があすの日本をささえてゆくのだと胸があつくなりました。

FACTA

ごくうすいピンク色のシャツに紺色のスーツ。

昨日の夜のあべしげさんのいでたち。派手では全然なく、ひかえめな人であった。いつか書いたことだけど、俳優の奥田瑛二とサザエさんちの磯野波平を足して三で割ったような感じ。そして、あとは剛直な知性ではなく、やわらかなやわらかな知性を感受した。
情報誌FACTAのフォーラム参加を決め(ファクタを購読しているわけでもないのだが)、心苦しくも会社にうそをついて(夫がやまいにかかりましたといった。じっさい彼は風邪ではあるのですが。夫、ごめん。だしに使って。それと会社もごめんなさい。またあしたから現場でもなんでも立ちます)。二日間の休みをとり、さっさと出てきてしまった。誰にも言わず。

東京。何度きても電車に乗り間違う。行きたい駅になかなかいけず、長い階段や通路をうろうろ。なのに、困っている人からはすがられる。黒人青年から「きょうばしってどういけばいいのですか」 ときかれた。差出された名刺には確かに京橋とあるのに駅がないのだ。東京の人みたいなかおの人に尋ねたけど、知らないから駅員さんにきいてといわれた。役に立たずに申し訳なかった。でも、目が遠いおばあさんの役には立てた。路線の複雑さ、駅構内の不親切な構造(ことに飯田橋)、それを度外視すれば、東京はとてもきれいだ。ごはんもおいしいし安い。御茶ノ水の明治大学近くの場所だったが、うろうろしているうちに横丁の小さなビル三階にある麦ご飯を自由におかわりできるごはんやさんを発見。(「牛タンねぎし」という名前だった。狭いのにゆたりとしていた。)こういうのがあるから一人旅は楽しい。

フォーラムの話題はアメリカ大統領選。
すごく面白くて、会場の雰囲気もとても真剣で熱かった。隣にいた大学生の青年にたずねてみた。どうしてきたのかと。すると彼は、阿部さんがすごいからって答えた。テレビにでた阿部さんをたまたま見て、へえすごいなあと思ってファクタを購読するようになった、と彼はこう答えた。購読者だったのだ。へえ、そういう君はすごいねえ。とても真剣できれいないい目をしていた。熱心にメモを取っていた。そういう人ばかりがいた。自分もふくめて。笑

アメリカ大統領選って、オリンピック開催年にある、マラソンよりも長くて過酷な長丁場の「興行」なんだって。みどころはなにか。うまはどううごくか。賭けるものたちの心理は。そんなふうなきりくちでみるためにはかの国をよく知っていなければならない。豊富な体験をもつ手嶋龍一氏(このかたもソフトで面白い人でした)や現地在住の実務者(重要な点だけをとつとつと述べられた)を招いて、かれらに語らせるというスタイル。わくわくした。アメリカの底力も、国際政治の場でのもののみかたもわかりやすく啓蒙してくれた。と同時に今の日本のあやうさが次第にみえてくるようにもなる。

ジャーナリズムがなんの役にも立たないときに、きっちりとしたものの見方をうち樹てること。ー これはすごいことだ。

改造社を興した山本実彦がやったことにすこし似ている。
かたちはちがうけど・・ね。

※ FACTA編集長阿部重夫ブログ:http://facta.co.jp/blog/

(この人の仕事も早!昨夜のフォーラムについてもうアップされてます。私はこの文章を千駄ヶ谷の青年館で今朝起きてすぐ、えーとまだ暁闇のころに打ち込みました。青年館、サービスがいいです。パソコンを千円で貸し出してくれます。ますます大好きになった。また隙があれば行こう。あ、隙があればじゃなくて、機会があれば。それとお金。笑)

※ 山本実彦:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0722.html

(松原一枝氏のこの本は私ももっているが、それを鮮やかにまとめあげ、要所要所のみどころを的確に抑えて見事。松岡正剛ってすごいね。でも、そうじゃないときもたまにある。)

かささぎの旗:阿部重夫関連:
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_c804.html
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_c273.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_79fe.html
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_c72b.html
http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_97c8_1.html

2008年1月15日 (火)

とび

とび

靖国通り 二時半頃

2008年1月12日 (土)

俗の細道 10

「八女郡黒木町」の写真記事にお寄せいただいた、はるなるゆうさんの声に耳を澄ませていたら、ふっと思い出しました。1998年7月の『連句誌れぎおん』22号に書いたものです。詩人黒木瞳へ、そして黒木という原郷へのオマージュ、引用させてください。

▼特集・黛まどかを読む

俗の細道  10

 ー正直五両のブンガク論

           姫野 恭子

「爆発する無意味さ、闊達極まりない言葉の震えと語りの変奏、倦怠と迂回の果ての笑いの横溢。町田康のデビューは、唐突に文学の可能性を切り開いて見せた。だがまたその仕様もない、益体もない、甲斐性もない、身も蓋もなく遣る瀬無い世界は、岩野芳鳴、葛飾善造以来の正統に立つものでもある。十五年前、『メシ食うな』で日本にパンク・ロックを実在させた町田町蔵が、今作家町田康として、日本近代の言葉を清算し、破天荒な建設を始めて、新たな戦慄を蔓延させている。」

くーっ、なんてサマになる文章だろう!これは、町田康のデビュー作『くっすん大黒』の帯に付された文芸評論家福田和也の宣伝文である。帯を裏返したオモテには、「一生遊んで暮らしたいー賞賛と罵倒と二つながら浴びた戦慄のデビュー作!!」と赤文字で打たれ、本体のしごくあっさりとした装丁にとても品よく沿うている。
去年正月、朝日新聞「折々のうた」で、大岡信が「宝船日本からも一人乗り」(誹風柳多留)の解説に、七福神のうち日本出身は大黒天のみである、てなことを書いてらしたおかげで、私はずうっとなぜ信さんが大黒天とまちがえてしまったのか、その理由が気になって仕様がなかった。少しでも神道や仏教に親しんでいれば、七福神のうち国産神は恵比寿だけだと知ってるのが常識だとおもう。それで、意識の隅に大黒天がくすぶっていたため、タイトルのくっすん大黒に惹かれた。

どうしたらこんな見事なキャッチコピーが書けるのだろう。との想いが沸き立つよな帯につられたのも大きい。結局、買ってしまった。へんなマンガのような題だ。扉を開くと、うわっこれがまた、見るからに酷薄そうな(失礼)作者の写真。眼が全然笑っていない。きっとこんなオトコと一緒になった女は、彼の機嫌次第でボコボコに殴られたり蹴られたりするんだろうな。きっとひどい共依存のたちだったりしてね・・とまあ、そんな失敬なことを想像させられながら頁を繰る。そしたらこれが滅法面白いのだ。

    ◇

前田編集長は、黛まどかを読めと言った。ところが困ったことに八女の二つの本屋にまどか本は一冊もなかったのである。こんなときどうするか。ひとつ、図書館へ行く。ふたつ、本屋に発注する。よし、まず図書館だ。著者名目録で検索すると、一冊あるではないか!早速借り出す。『花ごろも』PHP研究所刊。文庫本サイズの乙女チックな本だ。平成八年六月に八女図書館に入庫し、これまでに五人もの市民が閲覧した印がある。これはすごい!山本健吉や金子兜太の本など、延々と置いてあるわりには1~2人しか印が入っていないもの。やっぱり若くてきれいでTV向きの俳人だとかくも違うのか。

さて、読もう。読むぞ。まずお終いの頁から読む。「この集を杉田久女に捧げます。黛まどか」・・・彼女は久女が好みらしい。

 花の冷指より細き魚を焼き
 花ごろも逢ひに行きたき人のあり
 花冷のくちびるをもて黙らさる

(とまあ、中年のリアルおばばにとっては「ゆるふん俳句」にしか思えぬ句が延々と続くのだが、じっとじっと我慢して、とにかく最後まで読み進む。すると)

 花屑をつけて鮪の糶(せ)られをり
 もう声の届かぬ船や春日傘
 下萌に立たされてゐる魔法瓶
 
草笛や父に勝れる人知らず
  ふるさとに付かず離れずサングラス
 戦争をおもしろさうに泥鰌鍋
 挨拶のあとの扇子の荒使ひ
 爆笑で終はる法話や百日紅
 まへがきもあとがきもなし曼珠沙華
 帰りにはなくなつてゐる豆筵
 秋風にトランクひとつ残りけり(寅さんへ)
 着ぶくれて嫌な女になりにけり
 サーフボード立て掛けてある襖かな
 ホットチョコ知らぬで通すまつりごと
 毛糸編む子を宿すとはどんなこと
 久女忌の空に瑕瑾のなかりけり

最後に置かれた久女忌の句にあるごとく、かきんのない句ばかりだ。彼女はとても温厚な感じの美人であるが、句もまた、その容貌に通じる印象を受ける。このひとは上野千鶴子などとは違って、あたまのいい女性と思う。利口な女というと嫌味だけど、自分の引き受ける場所をよく知っていて、けしてはみ出さない女性。だからこそ、私は俵万智に対して感じたような敵意も何も感じないし、人畜無害の砂糖菓子みたいに通りすぎたくなるのだ。人畜無害の文学なんて、何の役にたつ?それより町田康みたいに「仕様もない、益体もない、甲斐性もない、身も蓋もなく遣る瀬無い世界」に浸っているほうがよほどブンガクってものである。

  ◇

ところで先日、私には千円の苺売却代があった。去年の秋に農協市場で虫食いのためにはねられたものを民間の青果市場に持っていって売った五パック分の千円であり、私の労働の貴重な代価だった。これで本を買おうと本屋へ行った。まどか本はなかったので、代わりに「黒木瞳」の詩集を二冊買って帰る。似たようなものに思えたし、二冊でちょうど千円ほどだった。芸能人が書いた本なんてどうせゴーストライターが書いているんだろと普通は考えるのだが、黒木瞳の場合、地元の人ゆえ、本人が書いたものだと分る。二冊の詩集を一気に読んだ。感想はといえば、正直に言って、十中七、八編はつまらないのだけど、最後の芯のところにコツンとした手ごたえみたいなものがある。きっと、それは、私が彼女と同じ故郷を持っているからそう感じるのかもしれない。そしてまた、彼女に詩を書くよう促し続ける何かが、久留米出身の詩人、故・丸山豊先生の言葉だったということも、同じく西日本新聞への詩の投稿からこの世界へ入った私の共感を呼ぶところである。彼女は15~6歳で丸山豊先生と触れ合ったらしい。私はいくつだったろう。彼女より数年あとに違いない。黒木瞳が、「東京は私の憧憬のすべてです。そして生まれ育った田舎は、私の生命(いのち)のすべてです。」と後書きに記したその田舎に、私も幼い頃よく出かけた。なぜなら母の生家が八女郡黒木町の奥だったからである。言葉として抽象化するのを拒否する、懐かしい源郷というものの熱さに溢れた地である。

    ローリング・ムーン

             黒木 瞳

雲の障子を風であけると
ぽろりと月がころげ出た

それをめがけて
コンパスの針を突き刺し
ぐるりとまわすと月のまわりに
大きな地球が見えてきた

地球のまわりは地平線

僕は地平線を辿り
月の影を踏んで歩く
一周してもまるいので
僕は影からつるりと滑り落ちた
そこは秋のまんなか

君の心も転がってこい

これは『長袖の秋』所収の一編である。月そのものの彼女が、軽やかに転がってくる。
もう一編をひく。

  東京の病院

      黒木 瞳

過去の詰まった日記帳が
胸の谷間にひっかかっている

田舎色した僕のレントゲン写真
医者はへんな顔をする

過去を整理して整腸剤
未来を励ましてビタミン剤

僕の胸の尾根を削ってブルドーザー
僕の体はいきなり工事中

都会色になった僕のレントゲン写真
医者は東京弁で治療する

ほかにも「鮠(はや)を食べる日」や「僕の東京」などいい詩があって、俳人の句集よりもずっとずっと新鮮だ。黒木瞳は優れた詩人である。黛まどかにしろ、俵万智にしろ、それぞれの分野の広告塔になりえても、いまのままなら時代に使い捨てにされるのではないか。本気で人を愛したことがあるのだろうか。すべてをなくしても悔いないような恋をしたことがあるだろうか。ゆるふんというのは正直な感想だ。「正直五両、堪忍四両、思案三両、分別二両」とは、宮城谷昌光の随筆で知った江戸時代の格言なのだが、黒木瞳の詩作品から受ける印象はまさに正直五両のナイーヴさであり、俵万智の短歌からは幼稚な分別臭さを(本人はやっきになってその反対をうたっているのに)、そして黛まどかの句からは「古風な思案のすがた」を受けとるのはなぜなのだろうか。先人がもっとも高いところに置いた正直という価値は、ネイティヴであり、生のままということであり、はかりごとをせぬ自然の姿ということだ。黒木瞳の詩集は文庫本で出ているので、ぜひご一読をお勧めしたい。ジャンルは違うが、黒木、黛、俵と三つの宝石のような魂を、私はこの順番に並べる。

   ◇

時代は半世紀ほど遡る。黛まどか同様に杉田久女を好んだ俳人に、石橋秀野がいる。彼女が生きた時代は、戦争と激動の時であり、いまのこの弛緩しきった時代の私たちには、まぶしすぎる「不幸のちから」を背負った俳人である。その人が結核で倒れる年に書いた「無題」と題する文章を、ここに掲げる。現代仮名にあらためる野暮を、お許しください。

   無題

     石橋 秀野

(前四行略)
俳諧は風雅なりと観じていたが、近頃は俳諧は政党なりやと首をひねることがある。今に句会が反対派のあばれ込みでお流れになるなどと云うことになると、議会に於けるチャンバラ劇とかわりがない。左様に昨今の俳諧は隆昌を極め、宗匠と云い先生と呼ばれる程の馬鹿が氾濫している。口にのぼるのは俳諧の修行でなく、己が所属する××誌の仏様は真物で他誌の仏様はニセ物也と云う議論である。何句当選組という語は卑屈である。自分の作品を芭蕉、蕪村と比肩して云々するだけの自信を持とうとしない。俳句の隆昌は結果に於いて俳諧の餓鬼を生んだ。添削や選句を不必要というのではない。唯それのみに自分の修行を賭けることは危険である。世に頼もしき選者と云うのはそうざらにいるものではない。俳句は作るものでなく俳諧を行ずる精神の底から沸き上がる声なのだから、一言にして説明のできるものではない。過日、鶴と××誌の相違を論ぜよとせまられたことがあるが、私にとって波郷、友二両氏は仏でも偶像でもない。唯、血の通う手をとりあうに足る連衆の一人である。この道にして懈怠あれば波郷友二氏たりともようしゃなくムチ打ち、たおれればその上を踏み越えてゆく。
俳句などなんのためにつくるのか、飯の足しになる訳ではなし、色気のあるものでもなし、阿呆の一念やむにやまれずひたすらに行ずると云うより他に答えようのないものである。だから鶴は阿呆の一念だと答えておいたが怒る者もあるまい。我々の屍はあとよりつづく人々に踏まれなければならぬ。

 故人茅舎の句ひとつ

秋風の薄情にしてホ句つくる

 句文集『櫻濃く』所収「風」
 昭和22年4月号より引用。

   ◇

いまどき、これほどの気概をもって句作している俳人がいようか。おそらくどこにもいまい。こんなことをいおうものなら、くさい、ださいと言ってこきおろされるのがおちであろう。大虚子が俳句など第二芸術で結構、芸術と認識されただけでもたいしたものだと開き直ったようなずるさは歓迎されても、秀野のような気概は敬遠されるにちがいない。しかし。しかし思わずにはおれない。この真正面からの斬り込み、正直そのものの野暮さ。今の時代に欠けている最も大切なものが、ここにはある。
石橋秀野を思えば、胸があつくなるのである。

  連句誌「れぎおん」1998・冬・22号  

参照記事
「スサノヲ」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_c351.html
「八女郡黒木町」http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_5d6b.html

2008年1月11日 (金)

正月休みに読んだ本

『四日間の奇蹟』 原作:朝倉卓弥
           漫画:瓜生花子
           宝島社
   買ったお店・八女市牟田「ミニ・ストップ」 

『かぶく者』 原作:デビッド・宮原
        漫画:たなか亜希夫
    買ったお店・同上

『古代史の秘密を握る人たち』
    関 裕二 著
    PHP研究所

『黒髪考、そして女歌のために』
    日高堯子(ひたかたかこ)著
    北冬舎刊行
    久留米図書館蔵・去年から四ヶ月借りている。
※すごいとおもう。この人の感性。いい歌をたくさん紹介してくださってて、ありがたい。連句人としては、恋歌のヒント集みたいなよみかたをしております。

※ 日高堯子:参照

http://www002.upp.so-net.ne.jp/f-yamaguchi/kajin-kenkyu.htm

追記:

桜ばないのち一ぱい咲くからに
  生命(いのち)をかけてわが眺めたり
       岡本かの子

有名な歌だが、作者名を憶えていなかった。
岡本かの子の第三歌集『浴身』の桜百首、その巻頭歌だということを日高のこの本で知る。

2008年1月10日 (木)

児童相談室長・天野おとめ

連句会予定日が近づいてきた。
暮れに勤め先から電話で場所の仮押さえはしていたが、事務手続きが必要なので、昨日、会社帰りに役場に立ち寄る。

すると係りの人が朝倉出張とかで不在、窓口の人に「連句会で堺屋をお借りしたいのですが、かくかくしかじかで・・」と説明をしていたら、「れんくですか・・そういえば・・うちにもいましたね・・連句をやってるって人が・・」とおっしゃる。「ああ、それ!あまのおとめじゃないですか。あ、俳号ですけどね。名前は・・」「そう、なまえは・・」「タカクラさん、児童相談室長の!」と話がぴたっと合った。

聞けばまだおとめさんはいるみたいだったので、事務棟のはずれにある相談室へ、どんな様子かのぞきに行く。

いた。あまのおとめ。
中学生の女子がひとり、椅子にかけて話をしていて、それを聞いている様子。

おとめさんは元気だった。忙しいらしく、13日も地区の事例研究発表会があるので、連句には出られないんだって。残念だなあ。まあ仕方ないか。そのうち、参加できる日も来よう。

とびきりおいしい八女茶をごちそうになった。堺屋を借りる事務手続きをおとめさんに頼み、早々に帰る。すると南国風の植え込みとブロンズ像がある役場の駐車場で、高橋甲四郎先生にばったりお会いする。うわあ、おどろいた。風邪をめされたのか、大きなマスクをされていた。「これから赤崎さんに会いにゆきます」とおっしゃる。え。あかさきさん。時間があれば私も会いたい。赤崎さんに。ずいぶんあっていない。俳号、赤崎源さん。思い返せばこの俳号、ぼんぼり連句大会のとき勝手につけさせていただいたものなんですが、風貌をご存じであれば、「げんさん」っていう名のほうがほんとうの名前だって思うでしょう。本名はなんておっしゃるのでしたかしら。八女市出身の小説家・中薗英助の最後の作品『南蛮仏』に本名で登場されている赤崎さんは学芸員で、とても歴史にお詳しい。しかもしかも、連句がうまい。これはやってみてわかった。独特のセンスがおありです。また、やりましょう。もう一人、中川ワタルと名付けた、かわいい女性学芸員さんもごいっしょに。

高橋甲四郎先生は、関東の作家によるお父上の伝記が出版されたそうで、お忙しそうです。詳しいことがわかれば、お知らせします。

いま検索したら出てきました。この本、このライターみたいです。

『朝鮮全土を歩いた日本人 農学者・高橋昇の生涯』 
河田宏著 日本評論社 2007・12
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/249-1840461-8008368?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E6%B2%B3%E7%94%B0%20%E5%AE%8F

2008年1月 9日 (水)

逆効果

ことし、元旦より、ブログトップ頁の記事の前に、コマーシャルが入るようになりました。それがショックで、もうやめようかなあと思い始めている。

2008年1月 8日 (火)

年賀状

あさってはやっと全部の賀状を投函し終わった。←この文章かなり変。あさって、と未来形なのに、過去形にしてしまってる。年々あたまがこわれてゆく。たのしいですね。笑

ことしは喪中欠礼がやけに多かったなあ。なかには猫の喪中欠礼もあったりして。

毎年とどく夫の後輩からの賀状に、こどもの写真を必ず添えたものがあります。それを見てると、たのしい。三人のおとこのこばっかりの兄弟だったの。大中小ときちんと正座してかしこまってたやんちゃな時代。で、三人目おんなのこと思いたかったのか、3人目の子にはレースのハイソックスをはかせてた。それがいまや、見上げるような青年になってる。あっという間だよね。ほんと、「無常は迅速」って実感よね。こどもってあっという間に通過してゆく。

さみしいなあ。年の初めは。

2008年1月 5日 (土)

靴のりぺあ

今朝いちばんで久留米市東町(かの道仁会事務所斜め前)の「靴のりぺあ」へ年の暮れに修理を依頼していた夫の靴を受け取りに行きました。

靴底を打ち直し敷物も新しく張り替え、紐を取り替えてもらいました。古い革靴なんですが、丈夫でていねいな手つくりの靴でしたので、捨てるにしのびず、むかし天神岩田屋のなかにあった靴修理屋 Mr. Minutes みたいな処を探したところ、ここをマイボスが教えてくれました。

きれいになって、うれしかった。

かんながらのみち

かんながらのみち
かんながらのみち

祭の絵は大善寺の鬼夜(あっ、今夜だっ。正月七日の夜あります。日本三大火祭りの一つ)の絵だと思います。去年と同様、高良山へ初詣でをして、そのあと、大善寺の玉垂宮前の傘橋(からかさばし)をわたって右へ少し入ったところにある、みずほ庵という料亭(うなぎ料理がおいしいんだって)で新年会がありました。そこの玄関に飾られていた絵です。元気があれば見に行ってこようと思ったんですが、夕方、元気は使い果たしていました。ていうか、することが山のようにあるから行けないんでした。とほほ。一度でいいから見てみたい祭であります。

http://wadaphoto.jp/maturi/oniyo.htm 鬼夜のフォトレポート(音楽付き)

高良大社

高良大社
高良大社
高良大社

2008年1月 4日 (金)

こよみのこと

以前書いた記事に書き足しました。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_1ee5.html

2008年1月 2日 (水)

杏子アネサンちで山崎まさよしにあう。

(次男はラップ聴きながら受験勉強しおる。こりゃ落ちるかも試練ね。)

時々おじゃましとる「杏子の今日このゴロゴロ」にさっき寄った。したらば、なななんとやまじゃきましゃよし様がおらっしゃった。うわー!!おらうれしかっただ。直筆のなぐりがきがみれてよかった。ことしはいいことあるかも。(んなあほかいな)

大好きだ。杏子も山崎まさよしも。れぎおん連載「連句的」書くとき、時間がなくて、切り張りのように冒頭に使わせてもらいました。山崎将義大先生の歌詞の一部。ありがとお。

http://kyoko.weblogs.jp/blog/2008/01/post-8b87.html

2008年1月 1日 (火)

恭賀新年

恭賀新年
恭賀新年
恭賀新年

電線の果てはありけり大旦  恭子

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