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2007年12月20日 (木)

大石政則日記 その2

昭和十九年九月九日の日記より、一部を抜粋させていただきます。
この日の日記は、突出して長いのです。
記載のない日やわずか一行という日もあるなか、七ページにわたり(正確にいうと六ページ余り)、大好きな竹田の記憶をはじめさまざまな思い出を綴っておられます。それが目をひき、重陽の日付との関連性(菊の節句とはもののふにとってどんな格別の日だったのか)、それと死期が近いことをじゅうぶん悟っている魂の「書きのこすこと」が知りたいのです。*)

思い出(一)

私は至って不器用な方である。けれども唯一つ、人前に出て大して恥ずかしくもなさそうなのがある。それは模型地図の作成なのである。地図の等高線を拡大してボール紙を切り、それを糊で貼り付けて行くありふれたやり方であるが、小学五、六年の頃は組中のオーソリティを以て任じ、盛んに作成したものである。
ここに至ったのは抑々(そもそも)、鯰田炭鉱に勤めていたT氏に教えていただいた賜物に外ならない。私が主宰して級友と作ったもの、或は一人で作ったものは四つか五つかある。今憶えているものでは東北地方、支那本部*、台湾、富士山等であるが、すべて手元には持っていない。みな鯰田の小学校か竹田の中学校にある筈である。今もあるかどうかは分らないけれども、何時か折りがあったら両校を訪ねて思い出の品を見せてもらいたいと期待している。

  (「ペンを剣に代えて」 117頁

  特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記 より)

時間が許せば、この前段階も後ろもこの日の記載を全部ひきたいんですが、とりあえず。場所的なことが私にはよくわからないんですが、竹田は豊後竹田で、鯰田はなまずた、きっと筑豊のほうじゃないのかな。福岡県人のくせにさっぱり位置がつかめてない。すみません、ただ、模型地図とはどういうものか、どんなに時間をかけて根気をつめて、集中力をもってするものかは、漫画「七夕の国」を読んだものにはわかります。

まだあるのでしょうか。鯰田小学校か竹田中学校には古い戦前の地図模型。・・ないでしょうね。

※ いましらべてみたら、福岡県飯塚市の鯰田小学校は、昭和36年の火災で全館焼失、重要書類も全て灰燼に帰した模様です。もう一方の竹田中学はいまの竹田高校らしいのですが、七十年ちかくも前のものはおそらく保存されてはいないでしょう。

* 重陽の節句、菊の節句ともののふの話で思いつくのが、上田秋成の物語と石橋秀野です。『石橋秀野ノート』には書いた記憶があるのですが、そらで憶えていません。ただ、上田秋成のはなしはこんな話でした。父を亡くしおちぶれた武家のあととりの少年が、或る日落ち武者を助ける。家に連れ帰り看病する。やがて男の傷も癒え、二人は菊花の契りを結ぶ。男は故郷に帰り、主君の敵を討とうとするが、それは適わず、獄に幽閉され死ぬ。少年とかわした約束があった。敵をうち、必ず菊の節句の日には少年のもとへもどる。というもの。九月九日、死んだ男は霊になって、少年のもとへ帰る。

かささぎはこのはなしをよみ、重陽の節句ともののふの菊花の契りを重ねることの歴史的な先蹤がほかにもあるのだろうか。それを知りたく思います。と同時に、佐賀の金立の弘学館裏にある「葉隠」を書いた人の碑を思い出します。それと・・・それを翻訳し実践しポピュラーなものにした三島由紀夫も。

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