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2007年12月24日 (月)

俳句雑誌『円』

西日本新聞の文化面と地方欄は毎日読むようにしている。俳句月評は大牟田の谷口慎也先生担当。先日の月評に、福岡の「円」(岡部六弥太主宰)が廃刊になるという知らせがあった。数冊の「円」誌をもっていて、それから以前「九州俳句」に引用して書いた。そのとき、一部引用じゃいけない、この文は全文引かなければ、と思った。今朝、思いついたので、なにはさておき、実行します。長いです。

  白石悌三先生 

          藤本 静子

 俳諧が皇室に初めてはいった時のことを福岡大学教授・故白石悌三先生のお口を借りて述べることにする。
 「私が俳諧の御進講を命じられた時は緊張しましたね。何しろそれまで皇室は短歌一辺倒でしたから。毎年新年のお歌会が催されることはあっても、俳句がどうのこうのということはありませんでしたからね。御進講の時日(じじつ)が決まった時は、万一の事故を思って一日早く東京に着きました。御進講の模様をお話ししましょう。」
 正方形の応接台を囲むかたちで、現天皇陛下と皇太子殿下がお庭を背にして掛けられ、その向かいが東宮職のお二人、両横が私どもです。(私どもというのは、大阪大学の島津忠夫先生、早稲田大学の堀切実先生と佐藤和夫先生、尾形仂(おがた・つとむ)先生、それに私、以上五名。因みに堀切実先生、尾形仂先生は度々テレビ御出演でした。)
 着席して一同しんと静まりましたら、突然大阪大学の島津先生が
 「今日は美智子さんはお見えにならないのですか。」
と言うより早く侍従が飛んで行って口をふさぎました。初めての民間御出身美智子皇后様には私共も大変親近感を抱いておりましたのでね。
御進講はトップバッターが島津先生で「連歌と俳諧」についてお話になりました。すると皇太子殿下が 「五七五に七七を付けるというのはどういうことですか。」 と御質問がありました。島津先生がお答えし、尾形先生が更に補うようなことをおっしゃると、皇太子殿下は「連歌と俳諧は形は同じなのですね。結局、どこが違うのでしょうか」 と御質問が出ました。そう改まって聞かれますと答えることの案外にむづかしい的を得た御質問でした。
 私は芭蕉の「古池や」の句を取り上げて、芭蕉の話を致しました。従来、蛙は「水に住む」というのが伝統的素材でした。蛙の鳴き声に詩情を感じたのです。芭蕉は蛙が池に飛びこんで音をたてるところに新しいポエジーを発見したのです。従来の詩歌の優雅に対して俳諧は卑俗であるとは言っていないのです。それまでは「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声」にしかポエジーがないのが優雅という動かしがたい伝統の上に詠まれてまいりました。
 もう一句、「鶯や餅に糞する縁の先」 と芭蕉は詠みました。花に来て鳴く鶯でなくて、庶民の家では、かびたお餅を縁先に干すのですが、その餅の上に鶯がひらりと飛んできて糞を落して飛び去った。その一瞬に興をもよおした印象の句です。鶯をこんなふうに詠んだ詩歌というものは芭蕉以前にはございません。「花に鳴く鶯」ではない、排泄をする生きた鶯です。「水に住む蛙」ではなくて跳躍して水音をたてる蛙です。従来の固定観念を破る新しい発想です。連歌と俳諧は形は同じですがどこが違うか。松永貞徳という、啓蒙家として大変すぐれた人がいましたが、彼は手っ取り早く、一句の中に「俳言(はいごん)」のあるのが俳諧、ないのが連歌だと教えました。俳言というのは、和歌、連歌に用いない言葉、つまり俗語、当世語(今風の流行語)外来語(具体的には漢語)の類です。

※ ながくなりましたので、明日またつづけます。
出典は『円』平成15年10月号(通巻437号)。
無断引用をお詫びいたします。
(看過するにはしのびないすぐれた文章であり、また、内容でありました。偶然戴いたのですが、まるで、この文をここに引くためにこの号をいただいたような気がするのです。)

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コメント

これ、とても面白いです。
こうたいし、かしこいなあ。

いや、私は、日曜日、新聞整理してたら、なんと先月、古田武彦先生が亡くなられたことを知りました
古田武彦を知ったのは、連句の窪田薫師のおかげ
窪田薫師追悼文を探しても出てこないので、その周辺を探しておるのでござる

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